オーストラリアの南西部にあるパースは、かつて光の都市と呼ばれていた。8割方を海洋が占める南半球で、特にこのあたりは陸地が少なく、またオーストラリア中央の広大な砂漠に遮られて、パースは驚くほど他の都市から孤立しており、自国の首都キャンベラよりも、インドネシアの首都ジャカルタの方が距離的には近いくらいだった。
そのため、オーストラリア西部はパースの周辺以外は真っ暗だから、かつてジョン・グレンがアメリカ人として始めて軌道周回飛行を行った際、その光がはっきり見えたそうで、以来、かの都市は光の都市と呼ばれているらしい。
でも今は、そんなことを言う者は誰ひとりとしていないだろう。何故ならパースは確かに他の都市から孤立していたが、ついでにそこに住んでる住人も少なかったからだ。きっと今、宇宙から見てもその光は確認出来ないだろう。今のこの都市には天使しか住んでおらず、その人口は5千人にも満たないそうだ。
モーリシャスから飛行機に乗っておよそ8時間。空の旅を終えて辿り着いた先は、恐ろしく殺風景な砂混じりの飛行場だった。
マダガスカルの街はそんな寂れてなかったし、モーリシャスについてみれば、思いがけずジェット機なんてものが出てきたものだから、てっきりパースもそれなりに発展しているのだろうと思っていたが、それはとんでもない間違いだったようである。
名ばかりの飛行場には到着ロビーもなければ管制塔も見当たらず、吹きさらしの滑走路には進入禁止のフェンスすら無かった。それは道徳的な天使が滑走路に入り込むような悪事を働くはずがないから、と言うわけではなく、そもそも町外れには人はいないし、飛行機が飛んでくることが滅多にないからなのだろう。
到着しても空港に隣接してあった格納庫が開くことはなく、いくら待っていても案内してくれそうな人は誰も出てこないから、仕方なく無断で滑走路を横切って格納庫に横付けし、そこにあった非常電話で連絡を取って、ようやく神域はドミニオンの飛行機が到着したことに気づいた始末であった。
どうやら四大天使はすぐに来いと言ったくせに、いつ到着するかまでは念頭に無かったらしい。天使は神人同様、不老長寿だから、時間感覚がかなりアバウトになってしまっているのだろうか。
その証拠に、こうやって連絡が取れてもなお、鳳たちは迎えが来るまで更に数時間待たされた。あまりにも待たされるものだから、不敬かも知れないと畏れつつも再度ジャンヌが確認しなければならず、おまけにすぐに行くからと言われたっきり、また3時間ほど待たされるといった体たらくであった。
お陰で午前中に到着したというのに、気がつけばもう西の空は赤く染まっていた。こっちは気を利かせて朝に到着するように向こうを発ったつもりだったのだが、あまりにもルーズな天使の待ち合わせに、流石のドミニオンの隊員たちも苛立ちが隠せないようだった。
本来、パースは人間が入ることすら許されない禁断の地ゆえに、この地に立つことは人間にとってかなり名誉なことらしいが、いつしかその場は愚痴大会になっていた。最初は天使様を迎えるのに失礼だからと直立不動で待っていた隊員たちも、いつの間にか地べたに座り、ジャンヌが嗜める声も聞かずにだらだらと文句を垂れている。
鳳もこんなに待たされるなんて許せないと同調し、瑠璃たちとぶつくさ文句を言っていると、東の空が紺色になった頃に、ようやく飛行場に3台の車がやってきた。
車と言っても2台はバスで、残りの1台はどこにでもありそうなダサいセダンである。なんというか、初代カローラと言った趣だ。
そんなセダンから、ギリシャ彫刻みたいにスマートな、一人の長身の天使が降りてくると、もう2台のバスから間髪入れず二人ずつが駆け下りてきて、長身の天使を囲んでペコペコやりはじめた。
その様子を見るからに、きっと真ん中のセダンが上司なのだろう。天使の社会も上下関係が厳しいのだろうか、まるで社畜みたいだなあ……とか思っていると、そのセダンが鳳のことを指差して何やら周りの天使に言っているのが見えた。
初対面の人間をいきなり指差すなんて礼儀知らずなやつである。散々待たされたこともあって、ここは1つ文句でも言ってやらねばならないと、その面をじろりと睨んでやったら……よく見ればセダンの天使の目は布で覆われていて、顔がよく見えないことに気がついた。
あれじゃ周りは何も見えていないだろう。もしかして目が悪いのだろうか? っていうか、あれ? 目が見えないなら、どうしてこっちを指差したのだろう? と、いくつもハテナを飛ばしていると、
「ガ……ガブリエル様!!」
さっきまで隣で愚痴をこぼしていた瑠璃がいつの間にか直立不動でそんな言葉をのたまった。
「え、うそ!? あれがガブリエル??」
鳳の言葉に反応した目隠し男が、にこやかな笑みを浮かべながら近づいてくる。気がつけば、さっきまでぐうたら地面に這いつくばっていたドミニオンたちは、いつの間にか一糸乱れぬ横隊を組み、背筋をピンと伸ばして最敬礼をしていた。
*******************************
まさかの四大天使のお出迎えに驚いていると、ドミニオンの隊員の中には感極まって卒倒する者まで現れた。そんな隊員のことを慮ってガブリエルが近づいてくると、その優しさにまた感極まった別の誰かが倒れて、倦怠感に塗れていた空港は一転してパニックになってしまった。
そんな昭和のアイドルじゃあるまいし、いくらなんでも反応が純真すぎやしないかと思ったが、感覚的には本当にそんな感じなのかも知れない。彼女らにとって、四大天使は生まれた時からずっと雲の上の存在で、神に次いで仕えるべきこの星の支配者、新聞やテレビなどのメディアでしかお目にかかれないアイドルなのだ、F4なのだ。
ガブリエルの隊員らに与える衝撃は計り知れなく、騒ぎが収まるまでまたかなりの時間がかかってしまった。その騒ぎがようやく収まってくると、騒動に対するジャンヌの謝罪と通り一遍の挨拶のあと、天使たちの誘導で隊員たちは別々のバスに押し込められた。
ジャンヌとドミニオンの隊員たちは2台のバスにそれぞれ分乗し、どっちに乗ればいいのかなと鳳がぼんやりしていると、男子を置いてけぼりにしてバスはどこかへ走り去ってしまった。
え? うそ? やめて? こういうのが一番堪えるの……と泡を食っていると、背後からビッとセダンのクラクションが鳴って、運転席でガブリエルが手招きしていた。
まさか四大天使が運転する車に乗れとでもいうのだろうか? 冗談だろうと思いもしたが、暫く待ってみても何の反応も返ってこない。
鳳は、同じくその場に取り残されていたミッシェルと顔を見合わせると、おっかなびっくりセダンに近づいていった。因みにサムソンは、うほうほ言っていた。
助手席はなんとなく気が引けるから、ぎゅうぎゅう詰めになりながら3人で後部座席に乗り込むと、音もなく車は走り出した。カーブが来る度にサムソンの体毛にくすぐられながら、暫く黙って揺られていると、運転席からガブリエルが話しかけてきた。
「長旅ご苦労さまでした。マダガスカルからだと時間がかかったでしょう」
「到着してからの方がずっと待たされたし、時間もかかったけどね。あんたら、自分で呼び出しといて、どうして空港に迎えを寄越さないんだよ。無理ならせめて待ち合わせ場所決めるとかさあ。おまけに散々客を待たせておいて、未だに謝罪もないなんて、ちょっと非常識なんじゃないの?」
鳳はペースを握られないよう、むっつりした表情を隠さず嫌味ったらしく返事した。敵地に乗り込んだら絶対に気合い負けをしてはならない。それに、責任者が出てきたら文句を言ってやろうと思っていたのだ。この機会にどっちが上か思い知らせてやろう……
「いやはや、これは手厳しいですね。本当ならすぐに駆けつけたかったのですが、実はあなたの来訪はまだ一般には内緒で、バレたら最悪の場合テロが起こりかねないので、慎重にならざるを得なかったのです。特にそちらの魔族の方は姿を見られるわけにもいかず、ドミニオンの方々も今回は前代未聞の入域ですから、宿泊施設が見つからなくて、ようやく先程、目処がたったところなのです……面目ありません」
「あ、いや、こっちこそ嫌味言ってすんません」
なんか知らないとこで割りと真面目に骨を折ってくれてたらしい。と言うか、テロってなんだ? 天使がいきなり大挙して襲ってきたりとかもあり得たのだろうか?
「そういう次第で、神域内ではご不便をおかけしますが、必ず私か、他の四大天使と行動していただきますよう、お願いできますか?」
「そりゃもちろんいいけども、あんたらそんな暇あるの? 四大天使なんつったら、なんかすっごい忙しそうなイメージあるけど」
「お恥ずかしい限りですが、16年前に襲撃されて以来、開店休業状態が続いておりまして、暇を持て余しているんですよね」
「重ね重ね本当に申し訳ございません」
おかしい、ペースを握るどころか、なんでさっきからこっちばっか謝ってるんだ? 神域を襲ったのだって別に鳳じゃないのに、どうして自分が頭を下げねばならないのだろうか……
鳳は首を捻りながら、相手の顔色を窺おうとして何気なく後部座席からバックミラーをチラ見した。すると目隠しをしたガブリエルの顔が飛び込んできて、
「……って、おいぃぃーーっ!! 目隠し目隠し! あんた、目ぇ隠しながらどうやって運転してんだよ!!」
「ああ、これですか? 私も光を失ってかれこれ数千年が経ちましたから、これくらいのこと目が見えずとも問題ないのですよ」
「いや、問題ありありだろう! ナチュラルにスルーしてたけど、目の見えない奴の運転する車なんて危なっかしくて乗ってられっか。今すぐ降ろしてくれ!」
「大丈夫ですよ、この車は見かけよりずっと頑丈ですから。それに天使は轢き殺そうとしても中々死にはしませんから」
「轢くこと前提で話すんじゃないっ! もういい! 俺が運転するから代わってくれ!」
「やれやれ、仕方ないですねえ」
ガブリエルはそう言うと、ハンドルから両手を離して助手席に移ろうとした。
「うわーっ!! ハンドル離すな!! 車を止めろ!!」
鳳がその姿を見て、反射的に後部座席から運転席へ乗り込もうと暴れていると、やがてギリシャ彫刻みたいな顔をした男は、くすくすと笑いながらハンドルを指でなぞり、
「というのは冗談でして、実を言うとこの車は自動運転なので、誰がハンドルを握ってても同じなんですよ」
「……へ?」
鳳は、運転席と助手席の間に挟まれながらガブリエルの顔を見上げた。彼はそんな鳳の表情が見えているかのように、ニヤリと口元をほころばすと、
「見た目、古臭いですから勘違いなされるのも無理はありませんが、こう見えてこの車はテクノロジーの塊なんですよ。搭載されているAIは、パースはおろか、オーストラリアの全ての道を記憶していますし、製造されてから一度も事故を起こしたことはありません」
「……そういうことなら早く言ってよ」
「聞かれませんでしたから」
「タイクーン、そろそろ退くか進むかどっちかに決めてよ」
その言葉に振り返ると、後部座席でミッシェルが迷惑そうな顔をしていた。運転中に無理やり前へ行こうとしたせいで、狭い後部座席の二人が押しやられて、窮屈そうにしていた。
このまま戻っても、三人揃ってまた肩身の狭い思いをするだけだろう。鳳は覚悟を決めると、そのまま芋虫みたいに
「ったく、脅かすなよな、ガブリエルさんよ。つーか、四大天使も冗談とか言うんだな」
「冗談も言えばトイレにも行きます。私はただガブリエルという名で生まれてきただけの天使ですから……イメージが崩れてしまいましたか?」
「別に。ジャージだったり白スクだったりしなくて、寧ろ安心してるところだよ」
「なんですか、それ?」
鳳は返事をせず、代わりにリクライニングを思いっきり倒して、わざとらしくダッシュボードの上に足を乗っけた。それくらい構えてなければやってられない。大天使ガブリエルの運転する車の助手席に座っているって、一体何の冗談なのだろうか……前を向いている必要がないからか、ガブリエルはギリシャ彫刻みたいな顔で助手席の方を見ている。鳳は気恥ずかしさから話題を変えるつもりで、さっきから疑問に思っていたことを口にした。
「そういやあ、モーリシャスからここへ来る時、小型ジェットに乗ったんだけど、自動運転の車があったり、ホバークラフト使ってたり、思ったよりもこの世界の科学技術って進んでるよな? でも確か、アズラエルは宇宙に行く方法がないって言ってたり、ドミニオンの装備は、ゴスペルを除けば、前時代的だったりする……ジャンヌには申し訳ないけど、戦術面もお粗末で、まともな指揮官も育ってない。これってどういうわけなんだ?」
ガブリエルはおやっとした表情を見せて、少し言葉を選ぶように間を置いてから、
「それはですね……実はこの世界の人類は、どんな技術も持ってはおりません。あらゆるテクノロジーも、生活の糧も仕事も何もかも、全ては神から与えられるものであり、我々は技術の継承や革新を行ったりはしてこなかったのです」
「それはもしかして、タブーだったってことか?」
ガブリエルは厳かに頷き、
「そうです。少なくとも、人間は学問をすることを禁じられておりました。我々、天使には多少のことは許されておりますが、度が過ぎれば罰を受けるか、サタンのように放逐されます。我々が自動運転の車を持っているのに、宇宙へ出るロケットを持っていないのは、単純に神がそれを与えてくれなかったからなのです」
「……つまり、生殖細胞も神だけが独占してたってことだな?」
「そうです」
「何で神は与えてくれなかったんだ? 女しか生まれないようにして、そこまでして人口を制限する理由はなんだったんだろうか?」
鳳が疑問を呈しても、ガブリエルは予め答えを用意していたかのようにスラスラと答えた。
「それならあなたは既にご存知のはずですよ。この世界の人類は……不死なのです。歳を取ったら再生によって生まれ変わるようになっているのです。もしも男女が揃って、自由に生殖をしてしまったら、人口はどんどん増え続けてしまい、人類は不死ではいられなくなります」
鳳は何度も頷きながら、
「でもそれはまやかしだったわけだろう? そのせいで今、人類は絶滅の危機に瀕している。まあ、お陰で俺の精子なんかが交渉材料になってるんだから、文句も言えないんだけど……もっと他にやりようは無かったのかな。例えば別に不死に拘らなくても、普通に男女が揃ってて、産めよ増やせよで魔族と戦っていたら、今も人口減少なんてもんに困ってなかったんじゃないか」
「ですが死を恐れた人間が、我々天使……つまり神人を生み出したことも、あなたならご存知でしょう。そしてその強さへの嫉妬が魔族を生み出したことも。例えそれがまやかしであっても、『不死である』という事実が、人間にとっては重要なのです」
「なるほど……まるで永劫回帰だな」
この世界の天使も、魔族も、本を正せば、始まりはただの人間だった。もしもこの世界の人類が嘘でも不死では無くなったら、彼女らは戦いを放棄して、また新たな神人を生み出すだけだろう。
「歪だけど、そうするだけの理由はあったってわけか……ところで、この車ってどこに向かってるんだ? さっきからバスが見えないけど、ジャンヌたちとは宿泊所が別々なんだろうか」
「中枢です」
「アクシズ……?」
ガブリエルは頷いて、
「ここパースの中心部で、神の座する神殿があるところです。我々天使は、日中はそこに詰めていて、必要に応じて神への奉仕を行うのが使命なのです。つまり、誰にも見咎められずにあなたをお連れするには、夜まで待たなければならなかったのです」
「ふーん……いきなりそんな重要そうな場所に、俺を招いちゃって良かったの?」
「ですが、そうしないと、四大天使と話をしたいというあなたのご要望には、お応えできませんから」
「え……何? まさか、今から他の四大天使と会おうってのか!?」
「もちろん、そのつもりでしたけど?」
鳳は仰天して首をブンブン振り回すと、
「いやいやいやいや、いくらなんでも心の準備ってもんがあんだろ……つーか、アズにゃんもまだこっちに到着していないし、二度手間になるから、もう少し待ってからにした方が良いんじゃないか?」
「我々にも都合がありまして、アズラエルに話せないこともあるのですよ。天使は階級社会ですからね」
「う、うーん……」
「それに、彼女がこっちに到着するのは、いつになるんでしょうか? それまで待っていられませんよ」
「まあ、ねえ……」
マダガスカルからオーストラリアまで、あの筏で渡ってくるのだ。波に乗ったところで、1週間やそこらで到着するとは思えない。言われてみれば、それまでぼんやり待っているのも馬鹿らしいし、それになにより、ビビっていては何も始まらないのだ。こっちにはミッシェルとサムソンだっているのだし、そこまで危険もないだろう。
「わかったよ。いきなりだったからちょっとびっくりしちゃったけど。それで、その中枢とやらには、あとどれくらいで着くの?」
「もう着きますよ」
「……え? ここ?」
間もなく車が入っていった場所は、せいぜい5階建てくらいのビルが立ち並んでいる、なんとも殺風景な場所だった。なんなら大企業が地方に建てた精密機械工場と言われても、そのまま信じてしまいそうである。
こんなのがこの世界の中枢なのか……カナンに神を倒しに行こうと誘われた時は、きっととんでもない旅になるだろうと覚悟をしていたのだが、目的地に辿り着いてみれば、なんとも肩透かしなことばかりである。
とにもかくにも16年前、カナンたちはここに襲撃をかけた。そして世界は災厄に見舞われ、今も立ち直れずにいる。鳳はそのテロリストの仲間として、これからこの世界のトップと会談することになっていた。