5階建てのビルが立ち並ぶビル街を車は音もなく進み、やがてその中心にある殺風景な広場にたどり着くと、車はゆっくりと停止してピーッと機械音を発した。恐らく、目的地に到着したという合図だろう。見た目は昭和のカローラみたいだが、その実テクノロジーの塊という車から降りると、鳳は深呼吸して伸びをした。
ガブリエルなんていう大物と間近で会話をしていたものだから、思ったより肩が凝ってしまったようだった。首の骨をコキコキ鳴らしていたら、その大物が運転席から出てきて、迷うこと無く斜め前方のビルへと駆けていった。
その瞳は目隠しで覆われていて、本当に見えていないらしいが、彼の動きは寧ろ健常者よりもキビキビしていた。目が見えなくなると他の感覚が鋭くなると言うが、数千年を生きてきたという彼の感覚がどうなっているのか、常識では計り知れない変化が起きているのかも知れない。
ガブリエルが胸ポケットからカードを取り出し、ビルの入り口にあった端末らしき機械にかざすと、これまたピーッと音が鳴って、重厚そうな鉄扉がゴオーンと開いた。恐らくそういうセキュリティなのだろうが、近未来的というより、いっそ清々しいほど21世紀的なので、微妙な気分になった。本当に、この世界はあれから数千年が経過しているというのだろうか。
「どうぞ」
ガブリエルは扉の中から振り返ってこっちを見ている。多分、入ってこいということだろうが、この中に入ったら本当にあの四大天使との会談が始まるんだと思うと、流石にちょっと緊張してきた。鳳とは違って涼しい顔をしているミッシェルに先を譲り、ぽかんとしているサムソンの手を引いて中に入る。
ビルの中は、なんと言うか味気ないを通り越して、逆にスルメみたいに味が染み出てくるような、なんとも言えない無機質な廊下が続いていた。マダガスカルの研究所でも思ったが、天井が低くて柱が太い、頑丈だけが取り柄の公共施設みたいな作りがこの世界のトレンドなのだろうか。
一見してオフィスビルっぽいが、妙な違和感を感じるのは、入り口に守衛の詰め所がないせいだろうか。冷静に考えて、天使の社会に強盗もへったくれも居なさそうだから、そんなものを作る必要がないのだろうが、もう少しセキュリティに気を配ってくれないと、見ているこっちが不安になってくる。
実際、このガバガバセキュリティのビルは16年前に襲撃を受けたのだ。神の座する『中枢』がこんなことでいいのだろうか。まあ、別次元からやってきた自分が気にすることではないのだろうが……
そんなことを考えながら、飾り気のない扉が並ぶ殺風景な廊下を歩いていくと、突き当りを曲がって少し行ったところに、他とは違う大きな扉が正面に見えてきた。ガブリエルは真っ直ぐそっちへ向かっているようだから、多分そこが目的地なのだろう。
いよいよ四大天使とご対面だろうかと、会議室か何かを想像しながら扉をくぐると、驚いたことにそこにはビルの最上階まで吹き抜けた、大きな広間があった。
間接照明で部屋はやけに明るく、白い壁が浮き出ているかのようだった。中央にはデデンと3階建てくらいの巨大なモノリスが立っていて、なんというか憩いの広場みたいな印象を受ける。
もしかして、ここはランドマークのロビーか何かなんだろうか? 天使もこういう場所で癒やされたりするのかな……などと思いながら、モノリスの上の方ばかり見ていたものだからすぐには気づかなかったが、よく見ればその足元に3人の人影が立っている。
人数からしてそれが誰であるのかは容易に想像がついた。間もなく、ガブリエルがその三人組の方へ歩み寄ってから、くるりとこちらを向き直り、
「お待たせしました。鳳白様、並びにそのお仲間のミッシェルさん、サムソンさんをお連れしました。鳳様にはもう見当がついてらっしゃると存じますが、ご紹介します。こちらから順に、ウリエル、ラファエル、ミカエルです」
まさか、こんな憩いの広場みたいな場所で、新入社員の名刺交換みたいに紹介されるとは思いもよらなかった。鳳はどう反応していいか分からず、目を白黒させながら、取りあえず頭をちょこんと下げて会釈した。
ウリエルは一言で言えば絶世の美女だった。元神人である天使は、例外なく全員が見目麗しい外見をしていたが、彼女の場合はそれだけではなく一言では言い表せない、なんとも言えぬ迫力のようなものを感じさせた。
ただ、それでいて近づきづらいという感じはせず、柔和で温厚そうな見た目は包容力という点では実に天使らしい天使と言えた。しかし、その手には四人の中で唯一剣が握られており、彼女がただ慈悲深いだけの天使ではないことを体現しているかのようだった。
ラファエルは対象的にこまっしゃくれた悪ガキのような外見をしていた。少し茶色がかった縮毛を短く刈り上げ、もみあげがくるんと巻いている。天使は年を取らなければ成長もしないから、イメージ的にはピーターパンみたいな感じだろうか。
細い手足で腕組みをしながら、少し顎を突き出して斜に構える姿は、嫌味ったらしく感じるよりも、寧ろ可愛らしさすら覚えた。でも、そんなことを言ったら劣化のごとく怒り出しそうな雰囲気である。なんと言うか第一印象はギヨームに似た感じを受けたが、多分、その二人を混ぜたら喧嘩が始まるのは請け合いだろう。
そして最後、ミカエルは驚いたことに巨大な翼を持つ、黒い肌をした巨漢だった。正直、そんなのが出てくるとは思わず面食らってしまったが、この世界の神はポリコレに配慮でもしているつもりなのだろうか……?
ガブリエルより一回りは大きい筋肉質な体型で、四肢は長くて腰は細く、物凄いバネを秘めていそうな引き締まったいい体躯をしていた。そしてウェイビーな髪の毛をバックになでつけ、左右の長さが違う前髪が片方の目にだけ垂れており、パッチリとした瞳とスーッと伸びた鼻梁が特徴的な、少し整形地味た顔をしている。
その姿は厳かな天使というよりも寧ろダンサーであり、今にも踊りながらポウ! とか叫びだしそうな雰囲気を醸し出していた。
「って、ミカエルじゃなくてマイケルじゃねえか!」
鳳は思わず自分の脳内妄想にツッコミを入れていた。
だだっ広い広間にその声は響きはしなかったが、代わりになんとも言えない沈黙が訪れた。こういうのを天使が通り過ぎるというのだろうか。
自分でもどうかと思ったが、その瞬間、四方八方から白い目が次々と突き刺さり、鳳は居た堪れない気持ちになった。だが、本当に居た堪れないのは言われた本人の方だろう。ミカエルはズイと迫るように一歩踏み出すと、
「我々を相手に交渉を持ちかけたり、初対面でいきなり面罵してきたり……貴様、本当に、いい度胸をしているな、鳳白。今のは殺されていても文句は言えないぞ」
「いや、悪かったよ。そんなに怒らないでよ」
でもそんなハリウッド映画でも無いような配役見せられたらツッコミを入れたくもなるだろう? 鳳はすんでのところでその言葉を飲み込みつつ、
「あー、どうもはじめまして。お会いできて光栄です。って言うか……あんたがミカエルさん? マイケルって呼んでいい?」
「貴様! まだ引っ張るつもりか!」
「いや、こっちとしては親しみを込めているつもりなんだけど。なんか緊張感が一気に解けちゃって、自分でも何言ってるかよくわかんなくなってんだよ。それに……どうせ、味方ってわけでもないだろう? 無駄に慇懃無礼にしても仕方ないじゃないか」
「我々4人を前にして、こうまで馴れ馴れしい人間がいるとは思いもよらなかった。大物と言おうか、馬鹿と言おうか、本当はタダの命知らずなんじゃないのか?」
初対面の三人が不快な表情を隠さずに睨みつけてくる。そんな中で、ガブリエル一人だけが笑いを堪えて顔を真っ赤にしていた。ミカエルは、そんなガブリエルを嗜めるように、ゲシっとその頭を引っ叩いてから、
「まあ、いい。貴様と会うと決めた時から、我慢は承知の上だった。プロテスタントがここへ入る意味が、貴様には分かっているのだろうな」
「そりゃ何度も殺されかけたから、分かってますとも」
「それでも我々は貴様に会う価値があると考えたのだ……それだけの理由があると。男であると言うことは本当なのだろうな? もし嘘だったら、どうなるか分かっているな」
「もちろん」
「それが証明できるのか?」
「証明って言われても……ちんこでも見せりゃいいのかよ?」
鳳としては大真面目のつもりだったが、その答えはガブリエルのツボに入ってしまったらしい。ひいひい言いながら腹を抱えて笑い転げる彼を見て、忌々しそうにミカエルが近寄っていくと、容赦なくケリを入れていた。意外にバイオレンスな職場である。
ミカエルは頭痛がすると言った感じにこめかみを指で抑えながら言った。
「神の御前で不敬な真似をしてみろ、地獄すら生ぬるい方法で必ず殺すと誓ってやろう」
「そっちが聞いてきたんじゃないか。じゃあ、どうすりゃいいってんだよ」
「もういい。今はただ男だということを信じてやろう……しかし、そうと信じたところで、よもやそれが我々に対する交渉材料になるなどと、貴様は本気で思っているのか?」
「……? なるから、こうして会ってくれたんだろう?」
するとミカエルはまるで汚物でも見るように、不快そうに表情を歪めて、
「我々の前にこうして立った時、生殖細胞だけを抜かれて殺されるとは思わなかったのか?」
その言葉に、鳳は結構本気で虚を突かれた。
それはつまり、四大天使が鳳を呼び出したのは、実は精子を奪うための罠で、本当は用が済んだらすぐ殺すつもりだったと言っているわけだ。
彼らは天使だが、天使だから別に公明正大というわけではない。悪魔やプロテスタントが相手なら、騙すことも平気でやってのけるだろう。そういう可能性は確かに考慮すべきだった。鳳は少し感心しながら、
「なるほど……今すぐ俺を殺して、体内に残った生殖細胞を培養するのも一つの手だろうね。でも……少なくとも最初の男児が生まれてくるまでは、保険として俺を生かしておく価値があるんじゃないか? それに用済みになったら殺すなんて、わざわざ言わなくても黙ってりゃいいじゃないか」
「……ならば貴様は、男児が生まれた後に殺されても構わないのだな?」
「その必要があるなら、そうすりゃいいさ。あのな、ミカエルさんよ。俺は別に、精子を分けてやるから助けてくださいって、命乞いに来たわけじゃないんだ。あんたらと話し合いをしに来たんだよ。まだ何も話していないというのに、そんな未来のことなんて聞かれても、どうでもいいとしか答えられないじゃないか」
「我々が、貴様の話を聞いてやる義理がどこにある?」
「なら、最初からこんな場所に呼ばなきゃ良いだろう。とにかく、まずは話が先だ。精子は後だ。何度だって言うが、俺はあんたらに命乞いにきたわけじゃないんだ」
「ふむ……本当に、いい度胸をしているな」
ミカエルは感心した素振りを見せたかと思うと、ラファエルとウリエルの二人に向かって意味深に頷いた。どうやら引き下がってくれたようである。
正直なところ、四大天使ともあろうものがこんなにしつこく威圧してくるとは思ってもいなかったので、ちょっと参ってしまったが、それくらい、彼らは
鳳は話題を逸らそうとして、周囲を見渡しながら言った。
「……ところで、いつまでここで立ち話をしてるつもりなんだ? 快適な椅子を用意しろとまでは言わないけど、もう少し落ち着ける場所に移動した方がいいんじゃないか」
「ならん。対話は最後までここで行う」
「そりゃまたなんで……つーか、さっきから気になっていたんだけど、この巨大モノリスみたいなオブジェは一体何なんだ?」
「神だ」
「……え?」
まさかそんな答えが返ってくるとは思わず、鳳は絶句してしまった。今、ミカエルはなんと言ったのだ? 神と言ったのか?
思わず、聞き間違いじゃないかと、問い返そうとしてしまったが……鳳は言葉を飲み込んだ。この世界の神とは、帝都やあの遺跡にあったP99と同じ機械のことだから、こういう姿かたちをしている可能性は十分に有り得るのだ。
つまり、目の前のそれは、本当に神であるに違いなかった。
「その権限を持っていない限り、我々天使は人間を殺傷することが出来ない。だが、神の危機なら話は別だ。もしも神に危害を加える者が現れた時、我々の制限は解除され、何をすることも許される。つまり、ここでなら貴様を殺すことも可能なわけだ」
「そんな理由で俺を懐に招き入れるとは……あんたらも意外と大胆だね。もしもそれを知って俺が暴れだしたらどうするつもりだったんだ?」
「寧ろそうなることを望んでいるくらいだ。神を守護しながら、貴様ら三人を殺すことなど造作も無いこと。試してみるか?」
「ちょっとちょっと、僕は巻き込まないでよ?」
ミカエルに凄まれて、平和主義者のミッシェルが迷惑そうにしていた。そう言えば、ミッシェルという名の由来は目の前の天使のはずだが、性格の方は中々どうしてまるで違うようである。鳳は、一々喧嘩腰なミカエルに辟易しながら、
「試さないよ。さっきから何度も言ってるけど、俺が望んでるのは対話なんだってば」
鳳はそう言い返しつつ少し気になって、
「ところで……わざわざここに連れてこなきゃ殺せないってことは、あんたらはまだ神の制限を受けてるってことだよな?」
「それが?」
「16年前、サタンらがこれを壊したのなら、あんたらにはもうなんの制限もないはずだろう? それがまだあるってことは、もしかして神はまだ生きている……これは稼働しているってのか?」
「そうだが」
鳳は肩を竦めて、
「そりゃ、おかしいんじゃないの? 神様がまだ健在ってんなら、人間の『再生』が行えなきゃ変だし、なら人口減少問題なんて起こらないだろうに」
「それは程度の問題だ。神は16年前に一度破壊され、我々の手によって復活を遂げた……つまり修復されたわけだが、何もかも元通りとはいかなかったのだ」
「それは……修復は不完全だったってこと?」
「有り体に言えばそうだ……神が健在であるお陰で、我々は以前のように奇跡を行使出来、人類はテクノロジーの恩恵を受けられている。だが、人間の『再生』は出来なくなってしまった……」
「そりゃまた、恣意的っつーか……ピンポイントに一番面倒な機能が失われたもんだなあ……」
「他人事みたいに! 何もかも貴様らのせいではないか!」
鳳は激昂するミカエルをなだめるように、愛想笑いをしながら両手のひらを向けて、
「オーケーオーケー、悪かったよ。俺も当事者として出来る限りのことはするから、そんなに怒らないでくれ。でも、俺は本当に16年前の襲撃には関係していなくって、何が起きているのかいまいち把握しきれていないんだ。だから、まずはここで何が起きたのか、当時の状況から話をしてくれないか?」
「いいだろう……16年前、ここで何が起きたのか。神が破壊され、その後、この世界がどうなったのか。貴様には聞く義務がある」
そしてミカエルはフンッと鼻を鳴らすと、不機嫌そうに当時のことを話し始めた。