金色の光がぶつかるたびに、ズシンと衝撃波が襲って地響きがした。ゴゴゴガガガと、まるで道路工事みたいな音が響いて、どうやったら人間同士のぶつかり合いでそんな音が出るのか意味不明だった。サムソンの巨大な拳はまだしも、ラファエルの小柄な体のどこにそんな力があったのか、鳳も身体強化を使えはするが、さっぱり見当がつかなかった。
サムソンは言わずもがな、あのベヒモスと対等に渡り合って、ついには押し切るほどのパワーの持ち主だ。それに対してラファエルの方は、小柄な体を生かしてスピードで勝負するタイプのようだ。二人の動きは速すぎて常人には殆ど見えないのだが、その上でラファエルのほうが倍は手数が多かった。おまけに彼は空を飛び、昨日ミカエルが見せてくれたように、いくつもの光弾を多連装ロケットみたいにガンガン飛ばしてくるのである。
ところがそんな攻撃をサムソンは苦もなく捌き切り、光弾を素手で弾いて一瞬の隙を突いては確実にラファエルの体力を削っていき、負けじとラファエルはトリッキーな動きで応戦する。そんなお互いに一進一退の攻防が続き、体と体、拳と拳がぶつかり合うたび、本当に地震みたいに地面が揺れていた。
突如として起きた天変地異みたいな戦いを目撃して、そんなこと全く想定していなかったドミニオンたちから悲鳴があがる。巻き添えを食った少女たちが命からがら逃げていく。二人はそんな周りの迷惑も顧みず、幾度も幾度もぶつかりあっては被害を拡大していった。
「あの野郎……何がやってみないとわからないだよ。やってたら死んでたぞ、絶対。
「サ───」
目の前で喧嘩がおっ始まってしまった鳳は、殆ど逃げる間もなく、頭上でドンパチやられる最中を、地面に這いつくばってアメンボみたいに匍匐前進するのが精一杯だった。
「タイクーン、だいじょぶー?」
「サ───」
そんな無様な姿を、いつの間にか一人だけさっさと逃げていたミッシェルが、遠くの方から他人事のように見ていた。お得意の予知で、戦いが始まる前から気づいていたのだろうか。知ってたんなら教えてくれればいいのにと思ったが、また例の誰かに言ったら未来が変わっちゃうとかなんとか、そんな理由なんだろうか。
予言って本当に使えねえ……と歯噛みしていると、同じく逃げ遅れたガブリエルが這いずりゾンビみたいに地面をずりずりしながら近づいてきた。
「鳳様、誤解しないでください。ラファエルが言ったことは殆ど嘘で……」
「そんなこと分かってるよ。俺のこと挑発しようとしたんだろ? あんなんに引っかかる馬鹿が……いるから困るんだよなあ、脳筋は本当に」
「すぐにラファエルを止めますから、あなたも彼のことを……」
「いいよいいよ、ほっとけば。二人とも殺すまではしないでしょ」
「ですが……」
「脳筋の血を余らせててもどうせろくなことしないんだから、ここらでスッキリ抜いといた方がいい。サムソンも、ここんとこ修行相手がいなくて物足りなそうだったし」
「サ───」
二人並んでずりずりと床オナ……もとい匍匐前進してようやく現場から抜け出した鳳は、ポンポンと腰を叩きながら起き上がると、殴り合いを続けている二人の姿を振り返った。
そろそろ大勢が決して、ラファエルがどう決着をつけるつもりだろうと思っていたのだが、驚いたことに力の一号、技の二号の戦いは、徐々に力が押しはじめているようだった。
こっちの世界に来てからずっと魔王と戦い続けていたというサムソンは、ついに四大天使の力をも上回り始めているようである。まさかそこまで強くなっていたとは思いもよらず面食らっていると、騒ぎに駆けつけたジャンヌが口角に泡を飛ばして話しかけてきた。
「あ! あなたたち、来ていたのね。これは一体、何の騒ぎ?」
「すみません、ラファエルが彼のことを挑発したのが悪いのです」
「ガ、ガブリエル様!? あなたもいらしていたなんて……我々に何かご用がおありでしょうか」
「ちょっと
「は? レヴィアタン?」
「サ───」
レヴィアタンの名前を聞いて、騒ぎのことなど綺麗サッパリ頭から抜け落ちてしまったのだろうか、ジャンヌはきょとんとして固まってしまった。そりゃ、いきなり魔王討伐に行こうなんて言われたら、こういうリアクションになるだろう。ミカエルのやつは軽く退治してこいなんて言っていたが、本当に何を考えているのか……ところでさっきから、卓球少女でも混じっているのか。鳳が声の主を探してキョロキョロ周囲を見渡している時だった。
「
形成が逆転し、段々押され始めていたラファエルが、天高く舞い上がり、空に向かってまるで弓を引き絞るかのような構えを見せた。
「いけないっ! ラファエルっっっ!!」
鳳がその姿に、どこかで見たことがあるような既視感を覚えていると、彼の隣にいたガブリエルが、まるでそれが見えているかのごとく叫んだ。
その緊迫した声にハッと気づく。確かルシフェルも、アズラエルも、天使は大技の前にいつも同じ言葉を口にしていた。
そしてラファエルは神への祈りを朗々と歌い上げた。
「いと高きところにかくあれかし! 春雷を運ぶ東風よ、この世全てを洗う暴風となりて今吹き荒れろ!」
それは天使たちが神の奇跡を使う時のお決まりの光景だった。彼らが何かポエミーな言葉を口ずさんだなと思ったら、大体その後はヤバい現象が起こるのだ。ラファエルが持つ奇跡の力がどんなものかは分からないが、ルシフェルの
きっとサムソンもタダでは済まない。解き放たれた矢のごとく、慌ててガブリエルがそれを止めようとして飛んでいった。鳳は遠くにいるミッシェルに目配せすると、周囲の第5粒子エネルギーの流れを妨害すべく集中を始めた。正直、ぶっつけ本番でそんなことが出来るとは思えなかったが、他にやれることは思いつかなかった。
だが、どうやらそんなことをする必要はなかったらしい。
「神の鏑矢は真実を射抜かん。穿て……」
「サムソンさん、頑張って!」
頭に血が上ったラファエルが必殺技を叫ぼうとした、正にその時だった。その声に被さるように、黄色い声が湖畔に響き、まさか人間が自分ではなく、魔族のサムソンの方を応援するとは思わなかったラファエルが一瞬、力が抜けたようにガクッと高度を落とした。
彼はハッと我に返ると、詠唱が途中だったことを思い出し、引っ込みがつかなくなったように叫んだ。
「
その瞬間、サムソンの体から突如として血しぶきが上がった。どこから飛んできたのか分からない無数の光の矢が、彼の体を突き抜けてまたいずこかへ飛んでいく……それは肉を抉り腱を傷つけ、彼は盛大に血を吹き出したが、しかし、致命傷には至らなかった。
サムソンはまるで体の内側からやって来るその矢から逃れるようにグルっとスピンすると、そのまま巻き上がるトルネードのようにラファエルに向けて飛び掛かっていった。その跳躍は、さっきの一瞬で高度が落ちたラファエルの頭上を軽々と越えており、サムソンは高所を奪うやチャンスとばかりに思いっきり蹴りを叩き込んだ。
それが当たった瞬間、ズンッと地鳴りのような音が響き、ラファエルが地面に叩きつけられると、今度は、ドンッと大砲のような音を立てた。大量の砂煙が舞い、一瞬にして天使の姿は見えなくなった。しかし、サムソンはその煙の中に躊躇なく飛び込んでいくと、またドシン! っと大きな音が鳴り響き、ビリビリと地面が揺れた。
やっちまったのか……? 相手が天使とは言え、あの攻防ではタダでは済むまい。鳳は慌てて二人の元へと駆け寄っていったが、その心配は無さそうだった。
風が砂煙をさらっていくと、影絵のように折り重なるようにもつれ合う二人のシルエットが浮かびあがった。それは一瞬、地面に横たわるラファエルの体に、サムソンの拳が吸い込まれているように見えたが……やがて砂煙が晴れてよく見てみれば、その拳はラファエルを捕らえてはおらず、その顔面すれすれを掠めて地面に突き刺さっていた。
「まいった……俺の負けだ」
地面に横たわり、サムソンの顎を見上げながらラファエルが呟く。サムソンは地面に突き刺さった自分の拳を引き抜くと、何かを言いたげにウホウホ言いながらラファエルの上から退いて、よろよろとよろけてから地べたに座り込んだ。
致命傷にはならなかったが、最後の攻撃でだいぶ消耗させられたのだろう。鳳とジャンヌは事態が終息したのを確認すると、へたり込んでいるサムソンの下へと駆け寄っていった。上空からはガブリエルが降りてくる。
「大丈夫か? サムソン。取りあえず止血しなきゃ」
「誰か! 救急箱を持ってきて!」
しかし、そんな二人の声を遮るように、地面に横たわっていたラファエルがムクッと起き上がり、
「退け、俺がやる……
そういうや否や、彼の手のひらからほんのりと明るい光が溢れ出し、それがサムソンの傷口に触れると、驚いたことにみるみる内に傷が消えていった。神人の超回復なら嫌というほど見てきたが、回復魔法はアナザーヘブン世界でもこっちでも一度もお目にかかったことはなかった。
てっきり誰も使えないんだろうと決めつけてしまっていたが、使えるやつは使えたんだなと驚いていると、背後に降り立ったガブリエルが申し訳無さそうに、
「ラファエルは癒やしのエキスパートです。傷痕は残らないとお約束しましょう。しかし喧嘩っ早いのが玉に瑕でして……まったく、なんてことをしてくれるのか」
「悪かったよ。どうしても力比べがしたかったんだ……でも、すげえ隠し玉がいたもんだな。おまえはこの魔族よりもっと強いんだろ?」
「んなわけあるか。サムソンの方が数倍強いに決まってるだろ」
「なに!? じゃあおまえ、どうやって魔王を倒したってんだよ」
鳳はため息を吐いた。こういう脳筋馬鹿には、戦いは頭でするもんだと言っても理解できないだろう。何でも一対一で片がつくなら、そもそも戦争なんて起きないのだ。それよりも、さっきサムソンのことを応援する声が聞こえてきたが、一体誰だったのか気になった。ドミニオンの中にも、サムソンが魔族でも仲間だと思ってくれる人が増えてきたのかも知れない。
だったら良いななどと考えながら周りをキョロキョロしていると、サムソンの手当を終えて気が抜けたのか、ドサッと力無く腰を落としてから、ラファエルがため息を吐くように語りだした。
「悪かったなあ、下手な挑発してよ。俺がザドキエルを倒したってのは、ありゃ嘘だ。実際に戦ってみてわかっただろう?」
どうやら彼はサムソンに話しかけているらしい。サムソンがうほうほ言うと、彼は続けた。
「本当は16年前のあの時、奴を相手に俺は手も足も出なかった。途中でウリエルが加勢して、おかげで互角に持ち込めたが……それでもはっきり、あいつの方が上だって分かるくらいの力の差があったんだ。ところが結果は俺たちの勝ち。不思議だろう? あの時なにがあったのか……実は、俺たちと戦っている最中、何でかしらねえけどルシフェルが奴の足を引っ張ったんだよ」
「ラファエル! その話はまだするなと、ミカエルに言われたでしょう!」
思いがけない情報を出されて鳳が驚いていると、その背後で珍しくガブリエルが声を荒げていた。どうやらこの情報はまだオフレコだったらしい。しかし、ラファエルはそんなことお構いなしに、
「うっせえなあ。ミカが言うなって言ったのはそっちの人間にだろう? 俺はこっちの猿に話しかけてんだよ……あの時、突然ルシフェルが乱入してきて、何かを言いながらザドキエルの足を引っ張ったんだよ。そのせいで俺の攻撃をもろに食らったあいつは、急に動きがおかしくなって……それでも、手加減して勝てるような相手じゃねえし、男の勝負に手心を加えるなんて真似も出来ねえ。だから俺はそのまま思いっきりぶっ飛ばしてやったんだけど……そしたらあいつ……本当に死んじまったんだよ……」
ラファエルは自分の拳を見つめた後、はぁ~……っと肺の中身を全て吐き出してしまうくらい、思いっきりため息を吐いた。きっと、当時のことを思い出しているのだろう。彼の拳が、ベル神父の命を奪ったという事だけは、残念ながら事実のようだった。
「本当は、あんな強えやつとやる機会なんて滅多にねえんだから、もっとやっていたかったんだ。でももう、その機会は永遠に失われちまった。なんであいつら、急に戦いをやめちまったのか、わけわかんねえよ。あーあ、仮にあの時やられたのが俺だったとしても……もう一度やれたらなあ」
ライバルだと思ってた相手が無抵抗でやられてしまって、しかもそれをやったのが自分だった彼は、それからずっと振り上げた拳のやり場に困っていたのだろう。それで鳳が現れた時、彼のことをベル神父に匹敵するくらいの強敵だと思って、下手な挑発をしてでも無理やり戦いたがったのだ。正直そんなことで喧嘩をふっかけられるのは堪ったもんじゃなかったが、その気持ちは少しだけ分かった。
しかし……こっちの世界に来てからずっと、彼らは尋常の勝負の上で敗れたのだと思っていたが、今の話が本当だとすると、話がだいぶ変わってくる。ベル神父はカナンに何を吹き込まれたのか? どうしてカナンたちは急に無抵抗になったのか。そしてミカエルたち四大天使は、本当に彼らを殺害するつもりだったのか……
「ドミニオンの隊長も、悪かったな。おまえともちょっと戦ってみたかったけど……今日はもう中枢に帰る。邪魔したな」
ラファエルはそう言って立ち上がると、鳳たちに背中を向けて立ち去ろうとした。その背中が哀愁に満ちていたから、鳳はなんとなく可哀相に思えてきて、殆ど反射的に呼び止めていた。
「ちょっと待て、ラファエル」
多分、他の誰でもガン無視しただろうが、話しかけてきたのが鳳だったことで興味を惹かれたのだろう。ラファエルは返事はせずに、首だけで後ろを振り返った。鳳はそんな彼とサムソンの顔を交互に見ながら言った。
「おまえも知ってるだろうけど、俺は近い内レヴィアタン討伐にいかなきゃなんねえんだ」
「それで?」
鳳の言葉に、周囲で聞いていたドミニオンたちがざわついている。ラファエルは面倒くさそうに小指で耳をかっぽじりながら胡乱げに見つめていた。
「でも、サムソンを連れて行こうとしたらミカエルが駄目だって言うんだよ。そんで、代わりにドミニオンをスカウトしに来たんだけど……おまえ、俺が向こうに行ってる間、サムソンの面倒見ててくれよ」
「……なに?」
そんなまさかの提案に、ラファエルは目を瞬かせている。鳳は人差し指を突き立てながら滔々と続けた。
「サムソンを一人にしとくのも心配だし、あの
「まあな」「いえ、本当はいけないんですけど……」
同時に聞こえてきたガブリエルの声は無視して、
「おまえ、強いやつとやりたかったんだろう? サムソンは強いぞ」
「知ってるよ」
「なら丁度いいじゃねえか。サムソンもどうだ? こいつも悪かったって言ってるし、もうわだかまりはないだろう?」
「うほうほ」
サムソンはいつもどおり、ウホウホ言いながら手をパチパチ叩いていた。なんだかこれが当たり前になってしまったが、人と触れ合う機会を増やしておかねば、そのうち本当にゴリラになってしまいそうである。そういう意味でも、この戦闘馬鹿は遊び相手にうってつけだった。
「よし、じゃあ決まりだ。良かったなサムソン。こいつが相手なら、手加減せずに思いっきりぶん殴れるぞ」
「うっほ! うっほー!」
「ちっ……言ってろよ。次はぜってえ俺が勝つぜ」
そんなふうに不機嫌そうに答えるラファエルの顔は、いつの間にか少し険が取れて穏やかになっていた。いきなり喧嘩をふっかけてきたり、ちょっと子供っぽいところもあるようだが、根は案外いいやつなのかも知れない。
その後、鳳はジャンヌに事と次第を伝えて改めて協力を求めた。レヴィアタン討伐という過酷な任務に突き合わせるのは少々気が引けたが、彼女はほぼ二つ返事で快諾してくれた。記憶喪失の今の彼女には、鳳に付き合う義理などないのに受けてくれたのは、元々それがドミニオンの目的だからだそうである。ドミニオンとはこの世界の警察のことではなくて、人類の対魔族戦線のことなのだ。
鳳はそんな彼女と、これからのことを軽く打ち合わせると、改めて出発の日が決まったら連絡をすると約束して中枢へ戻った。最前線に向かう前にまだいくつかやり残していることがあった。まずはミカエルにレプリカを作ってもらうことと、それからアズラエルの帰りを待って、お別れを言わなければならなかった。