ラストスタリオン   作:水月一人

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水棲魔族の習性

 パースに来てから5日目、そろそろアズラエルが帰ってくるというので、鳳は出迎えにいくことにした。

 

 筏に乗って波任せに進んでくるであろう彼女がいつ帰ってくるのかも、オーストラリア西岸のどの辺りに到着するかも、普通に考えれば予測不可能と思われたが、四大天使たちに言わせれば彼女が現れるのは、パースから北へ数百キロ行った先の、シャーク湾でまず間違いないとのことだった。

 

 なんでそんなことが分かるのかと問えば、そこが人里と魔族の領域との境界であり、年間を通じて水棲魔族が暮らしていけるだけの水温が保てるのも、その辺が現界だからだそうである。と言うか、マダガスカルに向かった彼女が最後に目撃されたのがそこであり、会談で彼らが語ったように、四大天使はそんな彼女の行動を密かに見守っていたというのだから今更だろう。

 

 そろそろ帰ってくるというのも、なんやかんや彼女のことを心配して、ここ数日偵察機を飛ばしているからだった。アズラエルは、自分は人類にも天使にも裏切り者と思われているのだと言っていたが、少なくとも彼女のことを気にかけている人も少しはいるらしい。

 

 パースからそのシャーク湾まで、一日がかりの案内を買って出てくれたウリエルも、その一人のようだった。

 

「会談ではあなたに何も言えませんでしたが、アズラエル様の手助けをしてくれたことに感謝します!」

 

 パリダカみたいにオフロードをぶっ飛ばしながら、軽快にハンドルを切るウリエルが上機嫌に叫んだ。口を開いたら舌を噛んでしまいそうな物凄い振動に揺さぶられながら、鳳は歯を食いしばって吐き気を堪えつつ返事した。

 

「何がー!?」

「研究所まで同行してくれたことです。あの時のアズラエル様は思いつめてらっしゃったようですから、もしもあなたがいなければ、ベヒモスに食べられていたかも知れません!」

「いや、俺の方こそ助けられたよ。彼女がいなけりゃ海の上で餓死していたかも知れないから……っつーか、あんた、ちょっと飛ばし過ぎじゃないの? いくらなんでも速すぎますよねえ!?」

「そんなことはありません。このくらいでなければ、今日中にパースに戻れませんよ?」

 

 そう言って彼女は鼻歌交じりにアクセルを全開にした。

 

 因みにパースと目的地までは片道800キロくらいは離れている。だからもちろん、鳳は泊りがけで会いに行くつもりだったのだが、どうやら案内人にそのつもりはなかったらしい。

 

 アップダウンで車がジャンプをするたび、ぶるぶる震えるタコメーターは常に120より上を指していた。周りがだだっ広い荒野だから錯覚しそうになるが、恐らくそれはキロではなくマイル単位で間違いないだろう。

 

 ウリエルは四大天使の紅一点(?)でエライ美人だから、いつものギリシャ彫刻じゃなくて、彼女に誘われた時はそれはそれは嬉しかった。しかし何故かミッシェルが辞退して、二人きりになった時点で気づくべきだった。翼持ちなんだし空を飛んできゃいいのに、ゴツい四駆を出してきた時もまだ引き返せただろう。鼻の下を伸ばしている場合じゃないと気づいたのは、舗装された道路が途切れて文字通り帰り道が分からなくなった後だった。

 

 このまま事故を起こさなければ良いのだが……出来るだけ刺激しないよう話しかけずにいたのだが、片道4時間も黙ってられないからか、向こうの方から割りと頻繁に話しかけてきた。

 

「私は元々、アズラエル様の部下だったんですよ」

「……あ、そうなの?」

「はい。アズラエル様はミカエル様たちと同じ熾天使(セラフィム)智天使(ケルビム)の私よりも上位の天使なのだから当然です」

 

 アズラエルが熾天使なのも、四大天使に智天使が混じっていたことも、どちらも驚きだった。どうやら四大天使とは階級で決まるものでもなかったらしい。

 

「サタンが堕天した後、本当ならアズラエル様が四大天使になるはずだったのに、何故か啓示で私が選ばれてしまったのです。私には天啓が来ませんから、何かの間違いじゃないかと何度も念押ししたのですが……」

「まあ、アズにゃんそういうの本気で興味無さそうだから、良かったんじゃないの」

「以来、アズラエル様は研究に没頭するようになって、ついにはマダガスカルに行ってしまって……もしかして私のせいなんじゃないかってずっと気になっていたのです」

「それは面白い研究対象を見つけたってくらいで他意はないと思うよ。つーか、神様もアズにゃんがあんなんだから選ばなかっただけなんじゃないかな。あれ、下手すりゃマッドサイエンティストでしょう」

「そうでしょうか。アズラエル様の人類を想う気持ちは立派です」

「それには同意するけども」

 

 どうやらウリエルはたまにいる生真面目タイプの天使のようだ。自分の責任じゃないのに、結果的に先輩を出し抜いてしまったことに負い目を感じているのだろう。まあ、その気持ちは分からなくもないが、君が気にすべきはアズラエルではなくスピードの方なんじゃないのか。

 

 っていうか、さっきから何度もそう言っているのに聞いてくれないんだから、実はこいつは口先だけなんじゃないかと割と本気で思えてきた。いや、きっとそうに違いない。美女とドライブと言えば聞こえはいいが、まるでタイムワープでもしているかのように、灰色になって後方へ流れ続ける景色を見ながら、鳳はそんなことを考えていた。

 

*********************************

 

 マダガスカルを発って5日。ようやく東方に陸影を見つけたアズラエルは、ホッとしながら波乗りをやめて、ギー太たちによる曳航に切り替えた。ここから先は下手に津波なんか起こしてしまえば、沿岸のただでさえ砂漠しかない土地を傷つけてしまう。それに、ここへ来るまでに乗っていた筏もボロボロになってしまい限界も近かった。

 

 オーストラリア西部に位置するシャーク湾は、周囲を完全に砂漠に囲まれ人が住めないお陰で、古生代からの環境が残されているという地球上でも稀有な土地だった。

 

 水深が2メートルしかない浅くて穏やかな入り江は貝殻で埋め尽くされ、始めて地上に上がった生命の化石が堆積して出来たストロマトライトが、いくつもにょきっと海から突き出ている。

 

 話だけを聞いてるとなんだか風雅にも思えてくるが、見る人が見れば三途の川を連想するであろう、そんな荒涼とした海だった。

 

 かつて人類が栄えていた21世紀ごろは亜熱帯に位置して水温も高く、様々な海の生き物を見ることが出来たが、全地球規模で気温の低下した現在では、それもあまり見られなくなった。

 

 そんな場所だから食料を求めて魔族がやって来ることもなく、また神域のあるパースにも比較的近いことから、ギー太たちを匿うにはうってつけの場所であり、アズラエルはここを根城にしていた。

 

 今回の長旅で彼らも相当疲れているようだった。マダガスカルで手に入れた食料ももう心許ないから、どこかで調達して来なければならないだろう。中枢に出頭すれば嫌味を言われるだろうが、ミカエルのまずい飯をちょろまかすことはわけないはずだ。ここは一度怒られに戻るとして、その間、彼らには家で待っていて貰おう。

 

 アズラエルがそう考えて、彼女が家と呼んでいる島まで行こうとしている時だった。

 

「おーい! アズにゃん!」

 

 声がして振り返ると、白い砂浜の上で鳳が手を振っていた。まさかこんなところに出迎えが来るとは思いもよらず、目をパチクリさせながら近づいていく。

 

「君か。一体どうやってこの場所を?」

 

 鳳は黙って親指を立て、背後を指差した。丘の上にはオフロードのゴツい四駆が停まっていて、その横に背筋をぴんと伸ばしたウリエルが立っているのが見えた。

 

「私の行動など四大天使にはお見通しのようだな。君たちは私に中枢へ出頭するよう伝えに来たといったところだろうか?」

「いや、全然そんなつもりはないよ。逆に、せっかく君がこうして帰ってきたというのに、俺の方がすぐにでもパースを発たなきゃならなくなったことを伝えに来たんだ」

「なに……? ミカエル辺りに罰を与えられたのだろうか。何なら私が行って抗議してやっても構わないが」

「ううん、寧ろ俺も望むところだったから構わないんだ。取りあえず、どこか落ち着ける場所に行って話をしようぜ?」

 

 アズラエルはギー太たちを湾で好きに遊ばせると、自分たちはウリエルの待つ車の方へと歩いていった。

 

 ウリエルは車のルーフキャリアにタープを固定して、上手いこと庇を作ってくれていた。その下には折りたたみ式の簡易的なパイプ椅子と、小さなテーブルが鎮座しており、上にはジュースが注がれたグラスが並んでいて、その表面は結露して汗をかいていた。

 

 元上司であるアズラエルに相当気を使っているのだろう。至れり尽くせりである。四大天使だと言うのに甲斐甲斐しい姿に若干違和感を覚えながら、ありがたく飲み物を頂戴する。

 

「実は君が居ない間、中枢でミカエル達と交渉することになって、俺は仲間を返して貰う代わりにレヴィアタン討伐を命じられたんだ」

「なに? 魔王討伐だって? ……そんな無茶苦茶な条件を君は受けたのか?」

 

 鳳は頷いてから、

 

「何でもかんでも精液で事が済むとは思っていなかったさ。無茶を吹っかけられるのはある程度は覚悟していたし、それに、この世界の人達が魔王に苦しめられているのは、ベヒモスの時に十分理解できた。もしも俺に貢献出来ることがあるなら、まあ、やらんでもないと思ってね」

「そう言えば君はレヴィアタンを倒したことがあると言っていたな。本当なのか?」

「ああ。本当だ。でも、俺が倒したレヴィアタンと、こっちの世界のレヴィアタンが同じ魔王だったのか、正直今は少し疑っている。それで、魔族の研究者でもある君と、ちょっと話がしたかったんだ。レヴィアタンのことで知っていることを話してくれないか?」

 

 アナザーヘブン世界で倒したウミヘビみたいな水竜の化け物。そいつが連れていた取り巻きは、今まさにアズラエルが連れているインスマウスたちだった。そしてレヴィアタンが形勢逆転を期して放った必殺技の洪水(タイダルウェイブ)。どうしてそれをアズラエルが使えるのかは、大いに疑問だった。

 

 彼女は絶対に何かを知っている。そう確信しながら、じっと彼女の返事を待っていると、ところが返ってきた言葉は、少し想定外なものだった。

 

「君は何体のレヴィアタンを倒したんだ?」

「何体?? 魔王なんだから、そりゃ一体に決まってるじゃないか」

「そうか……」

 

 アズラエルは、やっぱりなと言わんばかりに落胆の表情を見せている。どうやら鳳には、のっけから何か勘違いしているものがあったらしい。それは何なんだろうか……?

 

 二人は暫し黙したままグラスの氷をカラカラ鳴らし、波打ち際でぱしゃぱしゃやっている魚人の姿をぼんやり眺めていた。もうすっかり見慣れてしまったせいか、その邪悪な姿は愛嬌さえ感じられた。

 

「知っての通り、私は魔族の精液を使って、人間たちに子供を産ませた……魔族になってしまったとは言え、一部の子たちは無邪気なものだったから、私は救いたいと思ったのだよ。だが、救えなかった」

 

 そんな感じに二人で波打ち際を見ていたら、まるでマダガスカルで途切れてしまった会話を繋ぐかのように、何の前触れもなくアズラエルが話し始めた。はぐらかされているような感じはしないから、きっと必要な前振りなのだろう。黙っていると、あの魚人族の正体が、彼女の口からポツポツと漏れてきた。

 

「魔族というのは、家畜みたいに無垢な子供のうちから育てたからって、人間に懐くとは限らないのだ。魔族が他者を殺し犯すのは、全て彼らの性衝動に根ざした本能だから、人間たちが産んだ子供であっても、魔族としての本能に目覚めてしまった時点でもうどうしようもなかった。

 

 そのうち兄弟同士で殺し合いを始める個体が現れ、喧嘩はしなくても他者と交われない個体はここを捨てて出ていった。私はそんな子供たちを放っておくわけにもいかず、処分せざるを得なくなった。

 

 そうして残ったのがあそこにいるインスマスたちなのだが……残った彼らはなんと言うか、その……いわゆる知恵遅れなのだ」

 

 アズラエルは非常に言いにくそうに言った。鳳はそう言われてみて、思い当たる節があった。以前も一度考えたことがあったが、アナザーヘブン世界の大森林で見たオアンネス族は、暴言や嘘を吐いたり人語を解するのに対し、こっちで出会ったギー太たちは、ギィギィ鳴き声をあげるだけで、基本的にいつもどこかぼんやりしていた。

 

 同じ水棲魔族なのにこれだけ違いが出たのは種族の違いなのだろうと思っていたが、アズラエルが教えてくれた理由は、鳳が考え付きもしなかったもっと意外なものだった。

 

「水棲魔族……レヴィアタンというのは、ハチや蟻のように、一つの群生社会を作る生き物なのだ。どういうことか詳しく言えば、まず、女王となる個体が別の社会から来たオスと交尾し、いくつかの卵を生む。そして孵った卵から生まれた個体のうち、オスがインスマウスで、メスがオアンネスと呼ばれているのだ」

「えっ!! あれって同じ種族だったの!?」

 

 鳳がびっくりしているとアズラエルは頷いて、

 

「そうだ。同種と言うよりも、同じ母親から生まれる兄弟姉妹で別個体、と考えるのが無難かも知れない。見ての通り、インスマウスとオアンネスは姿形がまるで違うように、オスは染色体数が23本、それに対してメスは46本と、遺伝子レベルでも双方はかなり異なっている」

「23ってのは……半分か?」

「そう、人間の染色体数は46本。その半数だ」

 

 アズラエルは舌の上で転がしていた氷を半分に割ると、ボリボリと食べてしまった。

 

「オスと交わったメスは、その群れの女王として君臨し、その後次々と自分の眷属を産み続けるわけだが……女王は生まれてくる子供を、減数分裂した自分の生殖細胞のみから生まれるインスマウスと、胎内に取り込んでおいたオスの精液と自分の卵子を交配させたオアンネスとに産み分けている。

 

 こうして生まれてきたオアンネスは人間と同じくらいの思考能力を持ち、群れ全体に貢献するワーカーとして働くようになるのだが、オスであるインスマウスの方は知能が足りず生殖以外のことでは殆ど役に立たない。女王が、自分の遺伝子を遺そうとして、オスを産むんだから当然だな。

 

 しかし、オアンネスからすれば、同じ群れの中に働きもせずにぶらぶらしている個体が増えるのは堪ったものじゃないから、出来ればインスマウスなんて産んでほしくない。そこで淘汰が始まるわけだ。

 

 オアンネスは群れからインスマウスを追い出して、そうやって稼いだ食い扶持を、新たに生まれてくる妹にだけ与えようとする。追い出されたインスマウスは大抵の場合死んでしまうが、運良く生き残って別の群れに出会えた場合は、生殖のチャンスがある。こうして外からやってきたインスマウスと交尾したオアンネスは、また新たなレヴィアタンの女王となって群れを作る。そうやって次々と他の群れが混じり合い、レヴィアタン社会というのは多様性と個体数を増やしていくわけだが……

 

 人間の子供として生まれてきた彼らも、生まれつき同じような性質を持っていた。彼らは幼年期を過ぎて魔族になってしまうと、メスだけが寄り集まって徒党を組み、オスを排除しようとした。

 

 しかし、私はもともと人間である彼らに優劣をつけるわけにはいかなかった。だから、オスである彼らを保護したのだが、そんな私の行動に不満を抱いたメスたちはここを出ていってしまった。

 

 私には彼女らを止めることが出来なかったよ。今頃、どうしていることやら……元気にしていればいいのだが」

 

 しんみりとした彼女の声が途切れ、場は沈黙に包まれた。鳳はそんな彼女に何も言うことも出来ず、質問さえ思い浮かばず、ただ黙って解ける氷を見つめていた。やがて、アズラエルは何かを吹っ切るかのように、ふーっとため息を吐いてから言った。

 

「とまあ、そんな具合に、レヴィアタンというのは一体の魔王と言うよりも、群れ全体、ひいては水棲魔族という『社会』そのものなのだ。君が倒したという魔王は一体しか現れなかったようだが、こちらのそれは一体の先祖から既に数百の氏族に別れており、総数は1億個体を超えると推測されている。

 

 対して人類は1千万社会……およそ10分の1だな。人口減少が続いている今では更に差が開いているだろう。君が倒せと言われた魔王レヴィアタンとは、そういう勢力なのだ。果たして君は、これにどう始末をつけるつもりだ?」

 

 ミカエルにレヴィアタンを倒せと言われた時、あの海蛇みたいな海竜を倒すのだとばかり考えていた。一度倒した相手なのだから、パターンも覚えていたし、きっと楽勝だと思っていた。だが、こうしてアズラエルから聞き出した話では、どうやらレヴィアタン討伐はそう一筋縄で行くものではないらしい。

 

 彼女の推測が正しいのであれば総数1億個体。その全てを片付けなければ、この世界からレヴィアタンという魔王を消滅させることは不可能なのだ。その不可能なことに、鳳はこれから挑まなければならなかった。

 

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