マリア様の庭に集う乙女たちが今日も天使のような無垢な笑顔で背の高い門をくぐり抜けていきそうなケアンズのドミニオン訓練校では、生徒たちが毎日の苦しい訓練に耐えつつも女同士の美しい友情を育んでいた。
彼女らはここを卒業すればすぐに戦場に駆り出され、あとはひたすら人類のために尽くす宿命を背負っていた。配属先の希望など叶うはずもなく、たとえ自分の意思に反していたとしても、上の命令には絶対服従。友達とも離れ離れで、もう故郷に帰れるかどうかはわからない。気の合う仲間が見つかればいいが、一度でも酷い上司に当たってしまったら最悪である。
だが、そんな彼女らにも唯一希望が通りやすいことがあった。それは将来を誓いあった
ところで、この世界ではどんなタイプが好まれるかといえば、線は細くてスラリと背が高く、髪はショートヘアーもしくは引っ詰め、肩パットとさらしを巻いて、いつも男っぽい服装で風を切って颯爽と歩く、いわゆる宝塚の男役みたいな感じの者と、ピンと背筋を伸ばして折り目正しくしずしずと歩き、人前では決してしゃしゃり出たりはせずに、いつも相手を立てるようにおっとりとした口調でしゃべる、いわゆるお嬢様タイプがモテていた。
だもんで、訓練校は軍事施設のはずなのに、いつも校内のあちこちからごきげんよう〇〇様などというお嬢っぽい挨拶が飛び交い、軍人というよりも、瑠璃みたいなお嬢様連中ばかりが量産されていた。
「ごきげんよう」「ごきげんよう」
さて、今日も今日とてそんな訓練校では量産型瑠璃たちが放課後のマカロンをアップルティーでいただくかレモンティーでいただくか議論していた。そんな時にビッグニュースが飛び込んできた。なんと、去年卒業したばかりの瑠璃と琥珀が帰ってきたというのだ。
二人は訓練校きっての花形スターで、容姿の整ったボーイッシュな琥珀と、お嬢様を絵に描いたような瑠璃のカップリングは全校生徒のあこがれの的だった。任地に赴いたらもう滅多なことでは戻ってくることはないから、彼女らがマダガスカルに配属されたと聞いた時には、本気で泣き出す訓練生もいるくらいだった。かくして伝説は去り、ここには寂しい日常が訪れたのだが……
その伝説の百合カップルが帰ってきたのだ!
しかも人類最強と噂されるジャンヌ隊長と一緒に、訓練校の臨時教官としてこれから暫く彼女らの面倒を見てくれるのだと言う。こんな嬉しいサプライズがあっていいのか? 信じられなかったが、ともあれ訓練生たちはかつての憧れの卒業生たちを迎えるべく、寮で待ち構えていたのであるが……
ところがそんな彼女らの憧れの隣には、新品の制服を着た見知らぬ訓練生が立っていて、なんと瑠璃が親しげにその腕を取っているではないか。こんなことが許されてなるものか!?
「うぐぐぐぐぐぐ……」「なにあれ? なんなの? 私聞いてないんだけど」「瑠璃様とあんな親しげに……許せない」「どうして!」「隣りにいるのが琥珀様じゃないなんて」「きっと何かの間違いよ。琥珀様に確かめなきゃ」
鳳と瑠璃が親しげに話しているのを目撃してしまった、かつての瑠璃親衛隊(もしくは瑠璃教信者、略して瑠璃信)は、血がにじむくらい奥歯をギリギリと噛み締めながら地団駄を踏んだ。
瑠璃がこの訓練校を去ってから1年、瑠璃成分を補給できなくなった彼女らは、せめて妄想の中だけでも理想のカップルを思い描いて自らを慰めていたというのに、まさかその瑠璃が帰ってきたと思ったら、別の
何かの間違いだと思った彼女らは、瑠璃が顔を赤らめながら鳳の腕を取る姿を見るなり、琥珀親衛隊(もしくは琥珀様の下僕。略して琥僕)を押しのけて彼女に迫った。
「琥珀様、ごきげんよう。大変お久しゅうございます。またお会いできて光栄ですわ」
「やあ、君たちは確か瑠璃の……」
「その瑠璃様のことですわ! 先程から瑠璃様の隣にいるあのとっぽい姉ちゃん、あれは一体なんなんですの? まるで瑠璃様の恋人みたいにベタベタしちゃって、きーっ! 浅ましいったらありゃしないっ!!」
「あー、あの人は明日からここに編入するんだ。仲良くしてあげてよ」
「私たちが聞きたいのはそんなことじゃありませんわ。お姉さまがたが卒業してからかれこれ1年、
「え? いや、それは色々事情があって……」
「考えたくなかったのですが、琥珀様。あなたまさか本当に、あんなぽっと出に、瑠璃様の横にいるポジションを奪われてしまったんじゃないでしょうね?」
瑠璃信はまるで楳図かずおの漫画みたいに仰々しい顔で迫ってくる。琥珀はそんな彼女らに押されて冷や汗を垂らしながら、
「うぐっ、それはその……僕だって瑠璃を渡したくは無いんだ。でも、彼が相手じゃちょっと分が悪くって」
「んまあ! なんてこと! まさか本当に瑠璃様を奪われていたなんて! 琥珀様、どうして? 私たちはあなたならば瑠璃様を幸せにしてくれると信じて送り出したつもりだったのに!! この裏切り者! 裏切り者!」
「う、うう~……勘弁してよーっ!」
琥珀はいやいやをするように首を振ると逃げ出した。そんな彼女の後を、しもべ達がはあはあ言いながら追いかけていく。瑠璃信は泣きながら去っていった琥珀の後ろ姿を呆然と見送った。まさかあの自信に満ち溢れていて、主席卒業までした琥珀が、こうもあっさり戦意喪失してしまうなんて……一体やつは何者なの?
「やつにはあって、琥珀には無いものがあるのよ……」
戦慄して震えている瑠璃信の背後から、囁き声が聞こえてきた。振り返ればそこには、深淵を見つめてきたかのように、悟った目をした桔梗が立っていた。まあ、見てきたのは主にちんこなのであるが。
「あなたは……? 瑠璃様カップルをいつも生暖かい目で見守っていた桔梗様! あなたも居たんですね」
「いや、最初に気づいてよ……こほん。とにかく、あの百合に挟まる異物には、瑠璃を惹きつけてやまないあるものがついてるのよ。それが何かは(お下品だから)言えないけど、そのせいで琥珀は戦意喪失せざるを得ないの」
「まあ、なんてこと!? つまり、あの淫乱ビッチは瑠璃様の大事なものを奪って、それをネタに恋人になるように強要しているんですね?」
「え!? あー……うん、そんな感じ」
瑠璃信は桔梗の適当な返事を聞いていきり立って口々に叫んだ。
「きーっ!! 許せない! まさかそんな汚い手で瑠璃様を手篭めにするなんて!」「これは私たちの手でお救いするしかないわ」「もう琥珀様には任せていられない。私たちが立ち上がるのよ」
瑠璃信は各々の腕を絡ませ合って盃を交わすポーズを取り、
「我ら生まれた日は違えども、死ぬときは同じ日を願わん! 瑠璃様の奪われた貞操を取り戻すため、あの悪魔を打ち滅ぼすことをここに誓う!」
かくして瑠璃信による鳳排除作戦(要はいじめ)が密かに始まった。
********************************
瑠璃たちが人気者だったとはつゆ知らず、凱旋した彼女らを囲む訓練生たちにもみくちゃにされてしまった鳳であったが、瑠璃を目当てに集まってきたのに鳳がいるせいで大半が白けてしまったのと、どこかへ走り去ってしまった琥珀が半分くらいを引き連れていってくれたお陰で、どうにかこうにか落ち着いてきた。
鳳はそれでも注目を浴びながら、瑠璃を引き連れて宿舎に入ると、しんと静まり返る玄関でようやくホッとため息を吐いた。本当にこんな女だらけの空間で生きていけるのだろうか、早くも息が詰まって仕方がなかった。
宿舎も校舎同様に土足厳禁だったが、寮監室の窓は土足のまま三和土から直接覗ける位置にあり、瑠璃がそのカーテンの閉められた窓をトントンと叩くと、暫く経ってシャーっと開いて、中から中年の女性が顔を出した。
「あら、瑠璃ちゃん、おかえんなさい。大活躍の噂聞いてるわよ」
「寮監さん、ご無沙汰しておりますわ。お顔も見せずにすみません」
「ううん、こんなに早くここへ戻ってくる子は珍しいわよ。それで、そちらが編入生……? さっき教官からお電話もらって、話は聞いています」
「どうも」
鳳がぺこりと頭を下げるも、寮監はどこかしっくりこないといった表情で会釈を返してきた。女性にしては声が太くて、骨格ががっしりしていて筋肉質な鳳に、少し違和感を感じているのだろう。とはいえ、男が居ない世界ではその違和感の正体に気づけるはずもなく、寮監はすぐに気を取り直したように首を振ると続けた。
「表の騒ぎは大変でしたね。まだ暫く時間が掛かるだろうと思って、その間に部屋の用意をしておきました。荷物はそれだけ? 問題ないなら、ついてきてください」
この訓練校が一般に開かれてから新設されたという宿舎はまだ新しく、明かり取りのはめ殺しの窓と、スチール製のロッカーがずらりと並んでいる廊下は、なんだかテレビドラマのアメリカのハイスクールみたいでバタ臭かった。
そのロッカーの間に埋もれるように相部屋の扉が飛び飛びに並んで、訓練生はそこに二人一組で寝起きしているそうだが、案内された鳳の部屋は言うまでもなく一人部屋だった。寮監は、教官からくれぐれもそうするようにと念を押されたそうで、それが鳳への不信感に拍車をかけていたようだが……たまたまここの学生数が偶数だったから追求は免れたものの、もしもそうじゃなかったらどう言い訳していただろうか。
部屋はどこにでもありそうな学生寮の一室で、6畳ほどの部屋には壁にピッタリくっつけて二段ベッドが設置してあり、一番下には収納の引き出しが見える。扉から入って正面奥の窓際には据え付けの勉強机が置かれ、ベッドとの隙間にちゃぶ台が折りたたまれてあって、扉を入ってすぐのところに申し訳程度にクローゼットがついていた。
寮監から宿舎での生活についての説明を受けた後、鳳が二段ベッドのどっちに寝るのか興味津々な瑠璃を追い出し、彼はようやく人心地ついた。パースからブリスベン、そしてケアンズとかなりの距離を移動してきたから、流石に疲れが出てきたようだ。
朝夕は食堂で食事が提供されるが、開いてる時間内なら好きな時に食べてくれて構わないとのことだった。時間にルーズすぎて、本当にここは軍隊の訓練施設なのか? と不安になったが、今はその緩さが有り難かった。
取りあえず、体力的にというより精神的に参ってしまったので、夕食まで少し仮眠でも取ろうかと、鳳は荷物を二段ベッドの上に投げ入れると、下のベッドにごろりと横になった。真新しいシーツは肌触りがよく、そのまますぐに眠ってしまいそうだったが、寝返りを打った瞬間、彼はお尻に鋭い痛みを感じた。
「いてっ! ……ててて、なんだろう? 画鋲??」
お尻に刺さった何かを手で払ってみれば、シーツの上にパラパラと画鋲が落ちた。見れば、丁度手すりの影になって見えにくい場所に、何個も画鋲が転がっている。部屋にはポスターなんか貼られちゃいないし、替えたばかりのシーツの上に、何故こんなものが? と思いながら、嫌な予感がして上のベッドを調べてみると、上り下りするためのはしごの上に、しっかりと画鋲が落ちていた。
どう見ても悪意のある嫌がらせとしか思えない。しかし、あの寮監のおばちゃんがやったとも思えないし、どうなってるんだ……? と思いながら何気なく引っ張り出してきた椅子にどっかと座ると、
「いてえっ!」
案の定、座面に画鋲が数個落ちていて、自分の学習力の無さに嫌気がさした。
しかしまあ、これではっきりした。どうやら自分は何者かに嫌がらせを受けているらしい。何者かと言うか、多分複数人だろう。理由もなんとなく察しがつく。瑠璃たちは取り立てて役に立つ人材じゃないが、ここの卒業生だというから連れてきたのが裏目に出てしまったらしい。
「役に立つかもと思って連れてきたけど、まさか連れてきたほうが被害がデカくなるなんて思わないもんなあ……とほほ」
パースに意地でも置いてくるんだったと後悔しつつ、鳳は他にもトラップが仕掛けられていないか部屋を捜索して回った。
捜索には思った以上に時間がかかり、気がつけば夕食の時間までもうあと少しとなっていた。夢中で床を見ていて気が付かなかったが、いつの間にか太陽が傾き、外は暗くなりかけている。何となく催してきたから、夕食前にトイレに行っておこうと、鳳は部屋から出ると階の端っこまで歩いていった。
しかし、寮監から聞いていた場所にトイレはあったが、困ったことに入り口は一個しかなかった。そう言えば、この世界には男が居ないのだから、トイレを男女で分ける必要はないのだ。とすると、消去法でここは女子トイレ。
若干気後れしつつも、でもまあ、どうせ個室だから問題ないだろうとトイレの扉をくぐるも、鳳はすぐに後悔するのであった。
「うっ……」
トイレに入ってすぐの洗面所の辺りからペチャクチャとおしゃべりの声が聞こえてくるなと思っていたら、角を曲がるとそこには何故か十数人もの女子がずらりと並び、鏡を前に井戸端会議をしていた。
洗面台には何十個ものポーチが乱雑に積まれており、お肌の手入れをしている女子や、ネイルをしている女子まで見えた。パイプ椅子の足をカタカタ鳴らしながら鼻歌を歌っている者もいれば、携帯プレイヤーからシャカシャカ聞こえる音に合わせて踊っているのまでいた。
こいつらここで暮らしているのかよ……などと呆気にとられていたら、井戸端会議をしていた女子たちが鳳にピタリと照準をあわせ、会話を止めてじろじろと彼の動向を窺い始めた。その瞳が何見てんだてめえ○すぞと言っているようだ。
その迫力を前に、ひゅっと便意が引っ込んでしまった彼は、すごすご後じさりして、トイレから退散した。バタンと扉を閉めると、また中からぺちゃくちゃ喋る声が聞こえてきて、当の本人がまだ目の前にいるというのに、マシンガントークのような陰口が飛び交っていた。
「……あそこには絶対入れねえ」
女子の間でうんこをするのは、ちょっと気がひけるとか思っていたが、うんこ以前の問題だった。そう言えば、部屋にはトイレも無ければ洗面台も無かったから、彼女らは毎朝あそこで用意をするしかなくて、いつの間にかたまり場みたいになってしまったのだろう。
鏡の前に乱雑に積まれたポーチは、おそらくこの階の住人の私物だろうが、あそこに鳳の私物を混ぜても秒で行方不明になるのは間違いないだろう。怖い。女子怖い。転校初日の子をここまで容赦なく威圧するなんて……まあいいんだけど。男だとバレたらその方がまずいし。
しかし、宿舎内のトイレの使用を禁じられてしまったら、自分は一体どこでうんこをすればいいのか。鳳は少し困ってしまったが、すぐに校舎が近いことを思い出し、これからはそっちで用を足すことに決めた。
少し時間を食ってしまったが、行って帰ってきてもまだ夕飯まで余裕はあるだろう。鳳はそう思って部屋に取って返し、誰にも入られないように鍵をしっかり閉めてから、また玄関まで降りていって、寮監に与えられた下駄箱を開けた。
靴が無かった。
「マジかよ」
空っぽの下駄箱の中を覗き込みつつ独りごちる。靴はゴミ箱の中に左右丁寧に揃えて置かれていた。