ラストスタリオン   作:水月一人

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雄しべと雌しべが云々かんぬん

 翌朝、訓練校へ戻るために、二人はアルバイトが乗ってくるバスを待っていたのだが、始業時間が一緒なんだからそんなものに乗って帰れば当たり前のように遅刻は免れなかった。

 

 直行するという琥珀と別れ、自分は一旦宿舎へ戻り、なんかちょっと焦げ臭い自室でカバンに教科書を詰めてから、食堂が閉まっていることにがっかりしながら宿舎を出た。今朝もバズーカが来たんだろうか。

 

 職員用の昇降口でスリッパに履き替えて、普通科の校舎を突っ切って教室を目指す。連中も流石に講義中は静かのようだ。

 

 邪魔をしては悪いと思い、教室の後ろの扉からこっそり入ろうとしたのだが、鳳が扉を開けるや、中に居たクラスメイトたちが一斉に振り返った。音が大きかったわけじゃなく、中が真っ暗だったから、急に明かりが差してびっくりしたのだろう。

 

 教室には暗幕が掛けられていて、黒板にはスクリーンがぶら下がっていて、何かの上映中のようだった。教官は鳳が入ってくると、やれやれと言った感じに丸めた教科書でプロジェクターを停止し、

 

「初日から演習をサボった奴が居るそうだが、今日は遅刻か、アスカ・シロ? 編入したばかりでこんなにやらかすなんて、我々も舐められたもんだなあ」

「はっ! 申し訳ありません!」

「あやめ教官から事情は聞いてるよ。早く座りなさい」

 

 教官は教科書をメガホンみたいにポンポン叩きながら、空いてる席を指した。扉を閉めて、鳳が着席したのを確認すると、彼女はまたプロジェクターのスイッチを押した。

 

 スクリーンには女性の裸体が映し出されていて、その画像の前でポインターを持った眼鏡の女性が何かを解説しているようだった。体温がどうだの周期がどうだのと言っているから、一体何を見せられているんだろうと思いきや、月経についての解説ビデオのようだった。

 

 まさかこんな小学校の保険体育みたいなことをするとは思わず面食らってしまったが、一応教育機関だからこういうこともきっちりカリキュラムに組み込まれているのだろう。

 

 とは言え、この教室にいるのは半分以上が社会人経験者で平均すると年齢は30前後である。と言うか自分は男だし、こんなものを見せられても仕方がないだろう。なんだか急に女子校に侵入した犯罪者のような気分になってきたなと、内容そっちのけで周囲の様子を窺っていたら……本番はそれからだった。

 

 月経ビデオが終わって画面が切り替わったと思ったら、今度はスクリーンに、分娩台に乗せられた女性が映し出された。顔はカーテンの向こうで見えなかったが、下半身は丸出しで、何一つ隠すものはなく、あそこはおっぴろげである。きっと共学校なら、今頃男子はグラウンドでサッカーをやってるころだろう。

 

 まさか出産ビデオを見せられるとは……ますます自分は場違いだなと思って鳳がソワソワしてると、その予想は少し外れていた。

 

 分娩台の横には妊婦のお腹のエコー画面があり、その中央には頭でっかちで目玉の大きい胎児が映っていた。詳しいことは分からないが、まだ妊娠初期だろうか。あれ? それじゃあまだ生まれないのに何やってんだろうと思っていたら、間もなく医者が何やら不穏な掻き出し棒を持って現れ、妊婦のあそこを広げて漫然と中に突き刺した。

 

 これは出産じゃなくて堕胎を見せられているんだ。

 

 それに気づいてショックを受けていると、エコー画面に映し出された胎児に、さっき医者が突っ込んだ棒が迫ってくるのが見えた。すると、へその緒が胎盤に繋がったままで、まだ人の形ですら無い小さな生き物が突然動き出し、必死に抵抗し始めた。小さな手をバタバタ動かし、棒から逃れようと体をよじっている。

 

 もちろんまだ筋力も無くて、実際には全然動いてなかったが、それでも鳳にはそれが必死に暴れてるように見えた。だが逃げ場のない母胎の中で、それはあっという間に引っ掻き棒に捕まり掻き出された。

 

 昨晩は夜中まで付き合わされて殆ど寝てないのもあった。パースから移動移動の連続で疲れが取れてないのもあった。クタクタなのに朝食を取りそこねたのもあった。

 

 その場面を見ているうちに、鳳の胃袋がピクピクと痙攣し始めた。そして間もなく、母親の膣から真っ赤な胎児が掻き出されるシーンが映し出されると、

 

「おええええええぇぇぇぇーーーーーーっっ……!」

 

 彼は耐えきれなくなって吐き出した。ガンガンと頭が痛み、視界がぼんやりしてくる。

 

「わーっ! 教官! 飛鳥さんが吐きました!」

 

 という現状報告と、誰かの笑い声が頭の中でこだました。

 

 多分、空腹で貧血を起こしていたのだろう。そんな時に気持ちの悪いビデオを見せられて、彼の体はついに限界を迎えてしまったらしい。

 

 そして彼は騒然とする教室のど真ん中で突っ伏した。

 

***********************************

 

 気分は本当に最悪だった。空きっ腹で吐いたせいで、胃の中にはろくに何も入ってはおらず、酸っぱい胃液が喉を逆流して今もヒリヒリしていた。ビデオなんて見ている場合ではなくなり、教官に呆れられながら保健室送りになって、午前はそれで潰れてしまった。

 

 そんな状態では昼食も食べる気にはなれず午後を迎えてしまったが、この訓練校は基本的に午後はまるまる戦技教練に当てているらしく、空腹のまま激しい運動をすることを余儀なくされた。

 

 昨日、いきなりサボってしまったお陰で、訓練教官の関心を引いてしまって風当たりが強かった。恐らく、午前の騒動を聞かされているのだろうが、寧ろ知っているからか、教官は罰と称して鳳一人だけにマラソンを命じ、一周800メートルのトラックを5周もさせられた。空きっ腹にこれは響く……

 

 それにしても、元の世界で切った張ったを繰り広げてきたわけだから、グロには耐性があるつもりでいたのだが、まさかこんな弱点があるとは思わなかった。鳳はどうやら、無抵抗の小さな命が、一方的に略奪されるのを見るのが苦手らしい。いや、これが魚だったり、なんなら他の哺乳類でもここまで抵抗は無かったろうが、それが人間だと途端に駄目になるようだ。

 

 それもこれも、親になったからかなあ……などとしみじみ思いながら無心でトラックを回っていたら。いつの間にか5周が過ぎて罰を終えていた。丁度他の訓練生たちも準備運動を終えたところだったらしく、フラフラになりながら合流すると、教練のアシスタントとして参加していた瑠璃がタオルを持って駆け寄ってきた。

 

「白様。大丈夫ですの? ささ、こちらをどうぞ。私のタオルを使ってくださいな。洗いたてですわー!」

 

 その台詞がグラウンドに響くなり、訓練生の一部の体温が若干上がったような気がした。主に瑠璃信のいる辺りが、メラメラと陽炎のように揺れている。

 

「なんだなんだ、転入生はもうモテモテか! このこのー、スケコマシがー!」

 

 訓練教官はそんな事情を知ってか知らずか、いや多分知ってて面白がって近づいてくると、

 

「今日はこれより徒手格闘訓練を行う。俺たちは魔族と戦う時、普通はゴスペルの力で身体強化を受けているから、こんな訓練は必要ないと思うかも知れない。だが、いざ敵を前にした時、仮に身体強化を受けていたところで、俺たちの体は咄嗟には動かないものなのだ。そうならないよう、普段から訓練を続けている必要がある。体術はその基本中の基本、無駄だと思わずにいざという時のためにしっかりと学んでおけよ」

 

 教官はそこまで言うと、わざとらしく左右をキョロキョロ見渡してから、

 

「それでは、誰かに模擬演習のお手伝いをして貰おうか。そうだなあ……お! ここは一つ、モテモテの転校生に実験台になってもらおう。誰か、こいつに技を掛けてみたいというのがいたら手を挙げるように」

「はいはいはい! はーい!!」「私が! 私が!!」「是非私にっ!!」

 

 その瞬間、群衆の中でメラメラと炎を燃やしていた瑠璃信たちが、血走った目つきで我先にと手を挙げた。その本気で殺しかねない迫力に、関係ない他の訓練生たちが若干引いている。

 

「そんなにがっつかなくても、全員順番にやらせてやるから」

 

 なんだそのエロビデオみたいな台詞は。訓練教官は、見た目こそ世界最強のくせに、中身は世界最低のようだった。どうしよう……こっちから指名してこいつ黙らせてやろうか。でも、こんなんでも一応女性だしなあ……と尻込みしていると、その時、群がる瑠璃信の向こうから、凛とした声が響いた。

 

「ちょっと待った、教官! 飛鳥さんの相手なら、僕にやらせてください」

 

 振り返れば、瑠璃信たちをかき分けて、颯爽と琥珀が現れた。その姿を見て、騒ぎを遠巻きに見ていた訓練生たちが、きゃあと色めきだつ。

 

 琥珀と瑠璃は公認(本人未許可だが)の仲であり、その琥珀が瑠璃を巡って鳳に挑むというシチュエーションが彼女たちを刺激したのだろう。これには瑠璃信たちもまんざらでも無いらしく、さっきまで鳳を殺す順番を巡ってじゃんけんをしていたのにすんなり引っ込んだ。

 

 それはいいのだが、一体彼女はどういうつもりなのだろうか……? 教官も想定外だったらしく、

 

「君は指導助手の……琥珀だったっけ。君がお手本を見せてくれるっていうのか?」

「はい。こんな茶番なんかしなくても、魔族と戦うってことがどういうことか、実戦を見せてあげたほうがいいと思って」

「優秀な卒業生の君が言うなら反対する理由はないが……一体何をするつもりだ?」

 

 突然乱入してきた琥珀に対し、教官がぽかんとしながら聞き返すと、彼女はそのまま黙って鳳の前に進み出るなり、腰に佩いていたゴスペル・レプリカを抜いた。琥珀のゴスペルは長剣……その切っ先が鳳の眉間を真っ直ぐ狙っている。

 

「おいおいおい!! 実戦を見せるって、いくらなんでも丸腰の相手にゴスペルを抜くやつがあるか!」

 

 その姿を見るや、流石の教官も焦って琥珀のことを止めようとするが、

 

「その丸腰の相手に、僕とジャンヌ隊長の二人がかりでも敵わなかったんですよ!」

 

 琥珀はそう叫ぶなり、問答無用で鳳に飛び掛かってきた。

 

 剣先が喉元に吸い込まれるように伸びていく。それを見ていた群衆の誰もが死んだと思ったその瞬間、ギンッ! と金属を弾く音が響いて、鳳の姿が不意に消えた。彼は唖然としているギャラリーの死角からまた不意に現れると、体勢を崩していた琥珀の背中にポンと軽く手刀を当てた。

 

 瞬間、琥珀の体が加速して吹っ飛んでいく。本当に軽く触れただけなのに、どうなってるのかとギャラリーが驚いている前で、彼女はゴスペルの身体強化能力で辛うじて踏みとどまり、ざざーーっと砂煙を上げて滑りながら体勢を整え、また鳳に向かって全速力で飛び掛かっていき、無数の突きを繰り出した。

 

 その剣先は速すぎて、ほとんど誰の目にも留まらなかった。だが、そんな攻撃を鳳は流れるような動きで躱すと、すーっと彼女の懐に潜り込んで、その腕を掴んで一気に羽交い締めの体勢に持ち込んだ。

 

「……おい、いきなり何しやがんだ」

 

 鳳が彼女にしか聞こえない小声で囁くと、琥珀は彼のことを振りほどこうと藻掻きながら、

 

「瑠璃のファンの相手で大変そうだったから。あんたが強いってわかったら、もうちょっかいかけてこないでしょう?」

「そうかも知んないけど……」

「それに、本当は実力がある人が侮られているのを見てるのは不愉快なんだ。僕の沽券にも関わる」

「きゃー! 二人共頑張ってー!」

 

 ギャラリーが無言で見守る中、瑠璃の無邪気な声だけがグラウンドに響いている。琥珀はそんな彼女のことを横目でちらりと見てから、

 

「ファンの嫌がらせで、僕の訓練を疎かにされても困るしね。精神エネルギーの使い方を教えてくれるんでしょう?」

「……そうだな。目立つことよりも、身動きが取りづらくなることの方がまずいか。悪いな、こんなことに付き合わせて」

「そう思うんなら、今回は譲ってよねっ!!」

 

 琥珀は鳳を振りほどくと、そのまま腰に乗せて跳ね上げるように彼の体を宙に飛ばした。鳳が空中でひらりと回転し着地体勢に入ると、琥珀はその着地点目掛けて追撃を仕掛けてくる。

 

 鳳はその斬撃をギリギリで躱すと、地面をゴロゴロ転がった反動で飛び上がって着地し、後ろ向きに滑りながら琥珀との距離を取った。彼女のゴスペルの白刃が陽光を浴びてキラリと光る。

 

「譲れって、それ……斬られろってことじゃねえか!!」

 

 流石にそれは勘弁願いたいので、どう収集をつけるべきか彼が頭を悩ましていると、それを隙と見て取った琥珀が今日一番の速度で突っ込んできた。鳳は慌ててその剣先を白刃取りの要領で掴むと、そのまま体重を乗せて突き進む彼女をいなすつもりで、ぐいっと手首を返した。

 

 その瞬間、反動で手首を捻られた形になってしまった琥珀の手がゴスペルから離れ、まるで空気投げでも食らったかのように、突然彼女の体が面白いように宙に吹き飛んでいった。

 

 身体強化を失った彼女は上手く受け身を取れずに、そのままドスンと地面に落っこちてしまった。砂煙を上げながら地面を転がる彼女の体が変に曲がって見え、鳳は血相を変えて彼女の元へと駆け寄っていった。幸いなんともなかったようだが、あちこちに擦り傷が出来てて痛そうだった。

 

「おい! 大丈夫か!?」

「いてててて……譲ってくれって言ったのに」

「怪我してないか? 上手い落とし所が見つからなくって」

「やれやれ、手加減されてこれか」

 

 鳳が腕を差し出すと、琥珀は苦笑いしながらそれを掴んだ。さっきまでの騒ぎはもうグラウンドのどこにもなく、そんな二人のことを取り囲むようにしながら、大勢の訓練生たちが冷や汗を垂らしながら凝視していた。桔梗のうんざりするようなため息と、瑠璃の一人だけはしゃいだ声が聞こえてくる。

 

 その後、徒手格闘訓練で彼に挑んでくる訓練生はいなかった。これでイジメも少しは緩和されるといいのであるが……しかしこの程度で大人しくなるほど、女子校は甘っちょろい場所ではなかったのである。

 

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