気がつけば12月に突入し、いよいよジャングル戦闘訓練が始まろうとしていた。
これが終わればもう殆どのカリキュラムを消化したことになり、後は卒業を待つだけだから、元々ドミニオンになるつもりはない鳳は受ける必要なんて無かったのだが、他にやれることがあるわけでもなく、消極的に参加していた。
と言うか、正直もうこの訓練校に居たところで、レヴィアタンをどうこう出来る方法なんて見つかりそうもないから、いっそ最前線に配置換えしてもらおうと思ったのだが、その旨を
結局、オーストラリアに侵入したレヴィアタン勢力を調査するにしても、ニューギニアに潜入するにしても、ドミニオンという組織の支援を受けずに単独で行うことは不可能だから、それならちゃんとした手続きを踏んでドミニオンになってしまった方が手っ取り早いと言うわけだ。
それに、この訓練校に編入したのも、四大天使のコネで無理やりねじ込んで貰ったようなものなので、これから先、何度も同じ手を使うわけにはいかないのだろう。もしそうしたいなら、そうするに足る確かな手応えが必要だ。
問題は、パースに置いてきたミッシェルとサムソンだが、聞くところによれば彼らは彼らで結構楽しくやっているらしい。ミカエルも、結果的に問題が解決されればそれでいいわけだから、それがいつでも構わないようだった。
元々、鳳が来なければ、彼らは今年新設した戦術科で何十人かの指揮官を育て、現在の専守防衛の組織を改善し、然る後に反転攻勢に出るつもりだったのだ。レヴィアタン勢力を根こそぎ駆逐するには、やはりどうしても人数をかけるしか手がなく、今日明日どうにかなるとはそもそも思っていなかったのだ。
だから鳳もその流れの中で指揮官となって、何年後かに行われるであろう作戦に参加してくれれば、それで構わないのだろう。彼にはその能力があるし、新型ゴスペルは水棲魔族を駆逐する助けになるはずだ。それに下手に単独で行動されて、精子ごと行方不明になられても困る。
だが、その準備が完了するまでには、一体どれほどの年月が必要なのだろうか……そんなことに付き合っていられないと言うなら代案を示すしかないが、そんなものはどこにもなかった。
逃げ出したところで元の世界に戻れるあてはないし、サムソンをもとに戻すことも、ギヨームを助けることももう出来ないだろう。それじゃ何のために世界を渡ってまでこんなところに来たのかわからない。結局、社会的生物である水棲魔族に対抗するには、こっちもドミニオンとなって、組織で対抗するのが一番現実的なのだ。
他にこれといった方法は見つからず……完全に、手詰まりだった。
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ジャングル訓練を始めるに当たって、まず訓練生たちはゴスペルの適性を試された。
鳳は編入する前に確認されたが、この日までにゴスペル・レプリカを使いこなせなかった者は、強制的に落第になる。
適正とは、ゴスペルが使える使えないという話ではない。ゴスペルは使用者の身体能力を強化するが、その感覚についてこれない者のことだ。嘘みたいな話だが、そういう訓練生は意外に多く、全人類にゴスペルの適正があるわけではないことを思い知らされた。再生が可能だった頃、ドミニオンになる人間が固定されていたのはそういう事情もあったのだろう。
ここで弾かれた訓練生はまた同じカリキュラムをこなして来年に賭けるか、諦めて後方支援などの一般職に就くかを選ぶのだが、大抵の人は後者を選ぶらしかった。
仮にもう一年頑張ったところで、この過酷な訓練の先に待っているのは、果てることのない魔族との戦いの日々なのだ。そこで死ぬまで戦い続けるよりは、適正が無いときっぱり言われたほうが寧ろ安心するのかも知れない。
それじゃ何のために彼女らは三年間も、この訓練校で頑張ってきたのかと思いもするが、人生の意味を追求するのにドミニオンを目指すなんてことは、あまりにもリスクが大きいことを、彼女らはこの訓練校で学んだのだろう。
因みに、鳳の同級生である年配者たちは、みんな新たに設置された戦術科のカリキュラムを受けるために再入学してきた者たちなので、元々隊員だから訓練自体が免除されていた。彼女らはこの期間は瑠璃達みたいにアシスタントとして色々手伝ってくれるそうである。
こうして適正がない者がふるい落とされた後、ようやく訓練は始まった。訓練は全部で12日間の予定で行われ、最初の5日間ではまずジャングルで生き残るための技術訓練が課された。
技術訓練では、ロープの使い方や火の起こし方、ゲテモノの調理法など、要はサバイバルスキル全般を学ぶわけだが、その他、服を着たままプールで何度も失神するまで溺れさせられたり、底なし沼に突き落とされて邪魔をされながら脱出するといったような、死の恐怖を体験する訓練もあり、そっちの方はかなりキツかった。
訓練生の中にはそれで鬱を発症する者も出てきて、それをどうやって克服するかも試されるのだが、因みにこれは本人の気持ちの問題というよりも、仲間がそれをどう助けるかの方が重視されていた。戦場で動けなくなった味方を置いていくようでは、軍隊として成り立たないからなのだが、残念ながらこの訓練で脱落するものはやはり多かった。
こうして5日間の間、ひたすらシゴかれ続けた訓練生たちは、プライドをへし折られ、仲間を失うという喪失感まで味わわされて、訓練前とはまるで別人に変わっていった。今までのお嬢様ごっこは何だったのかと言いたくなるが、こうなることが分かっていたから教官たちも放置していたのだとすれば、たちが悪いと言わざるを得ない。
そしてこのシゴキに合格した者だけが後半に進めるのであるが、一日の休養を与えられ、翌日のブリーフィング時には、訓練生はたったの56名まで減っていた。因みに入学時には300名はいたはずで、ゴスペルを持つというのはそれだけ難しいのである。再生を受けられなくなったことで人類が魔族相手にどれだけ窮地に立たされているのか、理解させられる出来事だった。
「今日晴れてこの日を迎えられたことを私は誇らしく思う。諸君らはこの
ブリーフィングが終わった後、訓練開始前最後の訓示が基地司令からあった。鳳はこの時、初めてドミニオンのトップの女性を目にしたのだが、そこに居たのは何と言うか……歴戦の兵を思わせるような屈強な男であった。
いや、もちろん男なわけないのであるが、男にしか見えないのである。筋骨隆々で腕も太もももパンパンなのはもちろんのこと、声も太くて鼻の下には薄っすらとひげまで生えていた。ちんこが付いていないか確かめたほうがいいんじゃないか? と思いもしたが、流石に失礼なのであんまり考えないようにした。
彼女はニューギニア撤退からダーウィン撤退、更にはマダガスカル撤退戦まで全ての戦地を戦い抜いた英雄と呼ばれているそうであるが、女しか居ない世界でひたすら戦いに明け暮れていると、こんな風になってしまうのだろうか。だとしたら、訓練校のお嬢様ごっこも案外大事なんじゃないかと、この時初めて思った。
そして、基地司令の訓示が終わるといよいよ最後にして最大の難関、ジャングル訓練が行われる。この訓練は、5~6人の班に分かれてジャングルに入り、約10キロ先のゴールを目指すというシンプルなものである。
最低限の装備としてゴスペルとロープ一本、非常食のラード一瓶(6000kcal)が支給され、それらを駆使して密林を踏破するわけだが、簡単そうに見えて実はかなり無謀な訓練である。ジャングルは平坦ではなく高低差もあり、道なき道にはどんな危険な動物が待ち構えているかわからない。21世紀の軍隊ですら4~5キロの移動を数日掛けて行うのが普通なのを、彼女らは10キロも進むのだ。
こんなことが可能なのは、それもこれもゴスペルの身体強化があるお陰なのだが、逆に言えばMPが切れたら相当まずい。それを班員でカバーしながらゴールを目指すのが、この訓練の趣旨なのだろう。
だからであろうか、班分けでは普段から仲が良い者同士が選ばれる傾向があるようで、気がつけば殆どがよく見かける集団になっていた。それはつまり、鳳のようなボッチはボッチでまとめられると言うわけで……彼が配属された班は訓練生でも地味な連中が集まった、なんとも言えない微妙な集団になっていた。連携もくそも無さそうだが本当に大丈夫だろうか?
ともあれ、そうやって班分けがされた後、彼らはヘリコプターに乗せられ、基地から数十キロ南へ行ったジャングルへ運ばれていった。そしてその周辺で最も目立つ山の頂きをゴールにして、半径10キロの円状に各班はバラバラに降ろされることになった。
もうこの時点で、ちゃんと事前調査はしたのか安全性もろくに考慮されてないんじゃないかと不安しかないが、一応ギブアップ用のスモークを持たされているので、それが上がった時点でゴールからヘリが飛んでくることになっているのがせめてもの救いであった。
ロープを伝い、ヘリから地面へ降ろされる。
自分たちが乗ってきたヘリが去り、巻き上がる風が止んだら、そこには野生動物の鳴き声で満ちた、人の手のまったく入っていない密林が広がっていた。
鳳は大森林に帰ってきたような気がして懐かしくなったが、他の班員たちはみんな不安そうな顔をしていた。これから6日掛けてゴールを目指すわけだが、早くも挫けてしまいそうである。鳳はそんな班員たちの方へ向き直ると、努めて明るい口調で、
「取りあえず、これからの方針を決めようぜ」
と言って、まずはゴールまでどういうルートを通って行くかを話し合うことにした。
ゴールは、木に登ればいつでも確認できる、スタート地点から約10キロ先の山の頂きであるが、もちろんそっちの方へただ漫然と進んでいくのは不可能だった。いくら身体強化されていても、鬱蒼と生い茂る木々や蔦などに阻まれ、その全てをブルドーザーみたいになぎ倒していくわけにはいかないのだ。だから、比較的歩きやすい地形を辿っていくしかない。
幸いと言っていいかは分からないが、ここはベヒモスに占拠されたマダガスカルとは違って、野生動物の楽園であった。だから整備された道は無くとも、獣道なら探せばあちこちにあるもので、そこを通っていくのが一番労力が少なく済みそうだった。
問題は獣道がそう都合よく目的地の方角へ伸びているとは限らないことだが、代わりに高確率で水場に続いてる可能性が高いので、まずは川を見つけてそれを遡る事にした。ゴールは山の上だから、上流へ向かえば自然と目的地に近づけるはずである。
こうして方針が決まると鳳たちはすぐに動き出した。川伝いに獣道を行くのは歩きやすい代わりに、目的地までどれだけ距離が伸びるかは未知数なのだ。最低でもその倍は歩くことを想定しなければならず、そう考えると6日あっても割とギリギリかも知れないのだ。
森を歩き慣れている鳳を先頭にして、首尾よく川を見つけた後は、その川に沿って獣道を探して進んだ。沢を歩くのは怪我をする危険性が高いので、まだ初日だからこうする方が良いだろうという判断だったが、後続が歩きやすいように出来るだけ地面を均しながら、川からあまり離れないよう、一定の距離を保ちながら歩くのは思った以上に骨が折れる仕事だった。こういうことはいつもギヨームがやってくれていたが、改めて彼の技能の高さを思い知らされる。
初日はこうして過ぎていき、日没の2時間前に進軍を止めるとキャンプを張ることにした。班員たちはまだ歩きたがっていたが、今は緊張してそう思うだけで、実際は疲れているはずである。森の中は暗くなるのが早いし、まだ明るいうちにシェルターを作らねば、夜は満足に眠れず疲れを癒やすことも出来ないと言って納得させる。
実際、班員たちはシェルターを作り見張りの順番を決めるとすぐに寝てしまった。そんな彼女らがよく眠れるように最初の見張り番を買って出た鳳は、焚き火の爆ぜる音を聞きながら明日のことを考えていた。
今日は初日ということもあってあまり距離が稼げなかったが、明日以降はこれを上回るペースで行かなければ期日までにゴールに辿り着くのは不可能だろう。きっと彼女らはもう10キロ以上を歩いたつもりでいるのだろうが、実際にはせいぜい5キロといったところである。
方針は間違っていないが、大陸の川は日本とは違って曲がりくねっていることが多い。もしもこの川が目的地からどんどん離れるようなことがあったら、場合によっては方針転換をして進む道を変えねばならないが、その判断はいつどうやってつけるべきだろうか……ゴスペルを使うのもおぼつかない新人を連れていることも考慮すると、変更するならするで早いほうが良い。なかなか難しい問題だった。
翌朝、班員たちは鳳の言うことに殆ど異を挟まなくなっていた。初日を無事に終えられた実績もあって、彼のことをリーダーとして認めてくれたのだろう。昨日とは違って愚痴も言わず、鳳に従い黙々と歩く班員たちの頑張りもあって、午前中は思った以上に距離を稼ぐことが出来た。
そのご褒美というわけではないが、彼は昼になると川でカエルを獲ってきて班員たちに振る舞ってやった。班員たちはゲテモノを食べることを最初は嫌がったが、かと言ってラードばかりでは味気ないし腹も持たない。そもそも、6日間で6000kcalは何もしなくても足りないのだから、出来ればまだ食べずに温存しておきたい。そう諭していやいや食べさせてみたところ、思ったよりも好評で、彼女らは鳳の料理をあっという間に平らげてしまった。
1日半の行軍でだいぶ疲労も溜まってきていた。おまけに水くらいしかまともに取っていなかった空きっ腹に入れたタンパク質は彼女らを元気づけ、みるみるうちに体に力が漲ってきた。すると自然に班の空気も良くなり、冗談も口を突いて出てくるようになってきた。彼女らは午後の行軍をお互いに励まし合いながら和気あいあいと道なき道を進んでいった。だから油断していたのかも知れない……
午後、一層ペースを上げて突き進んでいた鳳たちは、そろそろキャンプを張ろうかと言う時間帯になって、滝に行く手を阻まれた。徐々に川幅が広くなっていった先には、白く煙る巨大な滝壺があって、見上げる崖は10m以上はありそうだった。
滝のある崖は断層のようにどこまでも続いていて、迂回して楽に登れるルートを探すのは少々難しそうだった。なにより時間も時間なので、そんなことをしている余裕もない。だから彼らは、今日はここでキャンプを張るか、それとも危険な崖をよじ登るかの判断をしなければならなかった。
普通に考えれば一日中歩いてきて疲れている最後の最後に、そんな体力を消耗する行為は避けたほうが良いだろう。滝壺は水浴びが出来そうなくらい澄んでおり、その風光明媚な景色は目を癒やしてもくれそうだった。
だが、人間がそう思うということは野生動物たちもそう思うわけで、ここを水場にしている夜行性の動物はいくらでもいると考えられた。鳳は周辺を探索し、複数の野生動物の足跡と糞を発見したところで、最後の大仕事をしたほうが賢明だろうと判断した。
班員たちに説明したところ、彼女らも彼の意見に賛同してくれた。鳳は言い出しっぺの自分が最初によじ登ることにした。崖は殆ど絶壁だったが、全く傾斜が無いわけではなく、ところどころ足場になりそうな凹凸もあったので、ロッククライミングの経験がなくてもなんとかなりそうだった。
彼は慎重に足場を選び……そして無事に上まで登りきった。
額から流れ落ちる汗を拭い、ホッとするのも束の間、今度は班員たちを上げなければならない。彼は所持品のロープを、崖のすぐ傍にあった大木にしっかり結ぶと、それを下に放り投げた。
班員たちは、ロープをグイグイ引っ張り安全を確かめてから、一人ずつ順番に登ってきた。見た目は頼りない連中だったが、ゴスペルで身体強化をされているので、思ったよりもスムーズだった。
そして最後の一人が崖のてっぺんにたどり着き、全員が上に登ったところで日没になったのだろうか、森が一気に暗くなり始めた。野営の準備はまだ出来ていない。このまま真っ暗になってしまうと大変だから、鳳は川から少し離れたところに野営地を見つけて、すぐに準備をするよう班員に指示すると、自分は大木に括り付けたロープを回収しに滝に戻った。
鳳は支給品のゴスペルを大木の根本に立てかけると、その場にしゃがんでロープの結び目を相手に悪戦苦闘しはじめた。
五人の体重を支えていたロープの結び目は固くなっていて解くのが非常に困難だった。結び目の間に指を滑り込ませ、強引に引っ張ろうとして何度も何度も失敗しているうちに、指先は血が滲んでヒリヒリしてきた。日が暮れて辺りはどんどん暗くなっていく。このままじゃ埒が明かないが、これから先も何があるかわからないから、出来ればロープを切るような真似は避けたかった。
それで、思った以上に必死になりすぎてしまっていたのだろう。この時、彼は周囲の警戒を完全に怠っていた。
額から流れ落ちた汗が目に入り、それを拭っている時だった。不意に頭上に影が差したような気がして、どうしたんだろうと顔を上げた瞬間、体にドンと何かがぶつってくる強い衝撃がして、崖上にいた彼は、そのままよろけて足を踏み外してしまった。
慌てて伸ばした手のひらが宙を掴む。
完全に崖の上から空中に投げ出されてしまった彼は、必死に体を捻って上を振り返った。そこには昨日今日と苦楽をともにした班員たちが、崖下に落ちていく彼のことをじっと見下ろしている姿があった。
彼はそんな班員たちに、何故? と言う愕然とした表情を向けながら、ただ成すすべもなく滝壺に落下していくことしか出来なかった。