ラストスタリオン   作:水月一人

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ピンクノイズ

 卒業を間近に控えた訓練生たちは、みんな現実逃避するかのようにクリスマス会の準備に浮かれていた。巷の百合カップルたちは、あちこちでイチャイチャを見せつけ、まだパートナーのいない喪女たちの憎しみを煽っていた。同じ教育を受けているのに、どうしてこう差がついてしまったのだろう。

 

 しかし例年のクリスマス会でのカップル成立数は群を抜いており、クリスマスさえくれば雰囲気に乗じて、必ずあちら側に回れるという希望があった。彼女たちは歯を食いしばり、時が来るのをただ忍んで待ち続けていた。

 

 そんな喪女たちの希望とは裏腹に、しかし空には暗雲が立ち込めていた。それは比喩ではなく文字通りの意味であり……ケアンズにサイクロンが近づいてきたのだ。

 

 ここは南半球で、12月のサイクロンは決して珍しいわけではなく、不運なことにそれはクリスマス前後に上陸する見通しとなっていた。それを聞いて、お祭りムードは一転してお通夜状態になってしまった。別にフジロックみたいに野外フェスをするわけでもなし、サイクロンが来ても室内でやればいいじゃないかと思いもするが、そうも出来ない事情があった。

 

 水棲魔族は雨季に活性化する。元来、水辺で生活している水棲魔族は陸に上がれば力が半減するが、湿度が高く雨が多いこの時期にはその弱点がほぼ無くなってしまう。特にサイクロンの時は、風雨で身動きが取りづらくなる人間に対し、相手は陸でも水中同様の力を発揮出来るようになってしまうため、分が悪い状態で襲撃を受ける恐れがあった。近年は知恵をつけたのか、狙ってやってくる個体もいるらしく、基地は厳戒態勢を敷かざるを得なかった。

 

 いくら学生だからといって、そんな時にクリスマス会もないから、それは自然とお流れになってしまったのだが……せっかく飾り付けをして料理の準備もしていたのに、全てがおじゃんだと彼女らは嘆きつつも、手を動かしながらこれを新年会に回せないかと皮算用をしていたので、実はそれほど堪えてなかったかも知れない。

 

 鳳はと言うと、その頃、宿舎の窓に板を打ち付けていた。それは単に暴風雨への備えという意味もあったが、水棲魔族の侵入を防ぐという意味の方が強かった。普段は学校で厳重に保管されているゴスペルの携帯指示が出されており、訓練生であっても自分の身は自分で守れということだろう。基地の隊員は殆どが湾内への侵入を警戒して出払っており、訓練校の周りはひっそりとして人の気配は感じられなかった。

 

 そしてクリスマスイブ。夕方になり外が暗くなりはじめた頃、温水シャワーのような霧雨が降りはじめた。それは徐々に窓を打ち付ける雨滴へと変わり、やがてバシャバシャとバケツを引っくり返したような暴風雨となった。

 

 部屋の中ではガタガタと窓枠が立てる音が不気味に響いていた。普段と変わりないはずなのに、空気が重いせいだろうか、部屋の中が少し薄暗く感じられた。普段はガヤガヤと騒がしい宿舎の廊下からは、誰の声も聞こえてこなかった。それは誰もいなくなったからではなくて、外の風雨にかき消されてしまったからだろう。

 

 鳳は二段ベッドで横になり、二段目の天井をぼんやり見上げていた。雨はどんどん激しくなり、風の吹き抜けるヒューヒューとした音と、窓ガラスの立てるバタバタとした音が、十二音技法のように不安を掻き立てた。

 

 だからといったわけではないが、頭の中にはぐるぐると、雑音みたいに嫌な考えが浮かんでは消え浮かんでは消え、繰り返していた。

 

 戦術科の講義に初めて参加した時、同級生たちを見てまるでおじさんみたいだなと思っていた。ジャングル訓練の時に初めて英雄と呼ばれる基地司令のことを見たが、その髭の薄っすらと生えた筋骨隆々な姿は、屈強な漢にしか見えなかった。鳳はそれを、この世界には女しかいないから、いつか身を飾り立てることをやめてしまうからだと、そんな風に思っていた。

 

 しかし、演習でインスマウスにレイプされていた少女の姿が脳裏をよぎる……

 

 彼女らは生まれつき屈強だったわけじゃない。女を捨てたわけでもない。おそらく、治療でホルモンバランスが崩れてああなってしまったのだ。訓練校の二日目に見せられた性教育のビデオは、これから彼女らがどういう世界に飛び込んでいくのかということを、真面目に教えていたのだ。鳳は気分が悪くなって目を回してしまったが、本当に目を回さなければならないのは、彼女らの方だったのだ。

 

 魔族は、男を殺して女は犯す生き物である。だから、ドミニオンである彼女らは、仮に魔族に敗北したとしても、運が良ければ二分の一の確率で生きながらえることが可能であろう。いや、本当に運が良いのだろうか……? とにかく、彼女らは犯されはしてもすぐに殺されはせず、いつか仲間に救出されるのを待つことになる。

 

 そして仲間に助け出されたら、子宮に種付けられた魔族の子供を掻き出して、彼女らはまた戦いへ戻ることになる。こうしていつ果てるともなく魔族と戦い続け、そんなことを繰り返しているうちに、彼女らは女性としての機能を失うこともあるだろう。だから、そうなる前に、瑠璃は鳳の子供を産みたいのだと言っていた。

 

 鳳は、この世界には女しか居ないから、自分の精液は交渉材料になると思い、四大天使を相手に博打を打った。その予想は正しく、彼は天使を相手に多くの条件を引き出すことに成功したが、実はその言葉は自分が思っている以上に重かったのだ。

 

 ブリスベンで乗り継ぎの便を待つ間、空港の外では反政府デモが気勢を上げていた。彼女らは、どうせ『再生』が出来なくなった人類は滅亡するしかないのだから、もう魔族と戦わないで逃げればいいだろうと主張していた。でももし、鳳の精液があることを知り、また新たに人類を産み増やせることが分かったら、彼女らの主張はどう変わるのだろう。それは僥倖なのか、霹靂なのか。

 

 鳳を案内してくれたあやめ教官は、ドミニオンが前線を下げずにケアンズで戦い続けているのはプライドだと言っていた。

 

 再生が出来た頃は命が安かった。だから無謀な戦術を取り続けられたのだが、今同じことを続けていれば、無駄にドミニオンが減っていくだけだろう。でも、それをやめられないのは、蹂躙され、女を捨ててまでも守ってきたこの地を捨ててしまったら、その後、プライドを保ち続けられるか分からないからだ。もしもケアンズを捨てたら、次にブリスベンを捨てることを彼女らはもう躊躇しないであろう。そうならないように、彼女らはこの地に踏みとどまっているのだ。

 

 でもそれは本当に正しいことなのだろうか? 精液なんて持ち出さず黙っていた方が……案外、滅亡してしまったほうが、人類は楽なんじゃなかろうか?

 

 ミカエルは、精液を提供するにしろ、まずはレヴィアタンを倒してこいと言った。それは実力を示せという意味だけではなく、無限に迫りくる水棲魔族を片付ける方法がわからない限り、人類が不幸であることには変わりないという意味だったのかも知れない。

 

 例えば、今、瑠璃が子を産んだとして、彼女も、そしてその子も、不幸な死を迎える可能性は少なくない。それなのに期待をもたせるような事を言ってしまった自分は、浅はかだったと言わざるを得ないのではないか。

 

「……アホらしい。いつから、この世界に肩入れするようになってたんだ?」

 

 鳳はごろりとベッドの上で寝返りを打った。雨音はどんどん激しくなり、ぶっ壊れたスピーカーが立てるピンクノイズのようなザーザー音だけが聞こえていた。

 

 どうせ、いつかは帰らなければならない世界なのだ。ここに来る前なんて、この世界のことなどなんとも思っちゃいなかったではないか。刈り取りに抵抗すれば、この世界が窮地に陥るであろうことを知っておきながら、鳳は自分の住む世界を差し出すことはしなかった。それが当たり前のことのように、この世界が滅亡に突き進むのも、また当たり前のことなのだ。ただ、それを受け入れればいいだけなのに、自分は救世主にでもなったつもりなのだろうか。未だに、レヴィアタンを退治する方法すらわからないというのに。

 

 ピピピピピ……ピピピピピ……

 

 鬱々とした考え事を続けていると、突然、そんな機械音が部屋に鳴り響いた。驚いて体を起こすと、机の隅っこに置かれていた電話が音を立てていた。部屋のオブジェと化していたが、各部屋には電話が取り付けられていたのだ。荷物が届いたらそれで寮母が教えてくれたりするのだが、鳳にはそんな家族や知り合いなどいないから無用の長物だったのだが……

 

「白ちゃん!? あなたたちは無事?」

 

 一体、どうしたんだろう? と思いながら受話器を取れば、いきなりそんな緊迫した声が聞こえてきた。

 

「ジャンヌか? なんだよ急に……つーか今どこいるんだ? 周りが騒がしいようだけど。宿舎まで来たから、内線で呼び出したって感じじゃないな」

 

 彼女の背後からはパンパンという火薬の音や隊員たちの怒号のような声が聞こえてくる。ジャンヌは受話器の通話口を手で覆って何かを叫んでから、また鳳に話しかけてきた。

 

「魔族の襲撃があるかも知れないからって、瑠璃たちを連れて海岸の防塁まで応援に来てたのよ。そしたら本当に、湾内に異常な数の水棲魔族が押し寄せてきて、それを撃退するので手一杯なの!!」

「お、おいおい、悠長に電話なんかしてる場合か?」

 

 鳳がそう言った瞬間、爆発音と共に受話器の向こうから悲鳴が聞こえてきた。ドミニオンが苦戦しているのが目に見えるようだった。

 

「なんかヤバそうだな。大丈夫か? 俺も加勢に行ったほうが良いか??」

「いいえ、大丈夫! いえ、大丈夫じゃないんだけど……あなたは寧ろ、そこに踏みとどまっていて、私もすぐにそっちへ向かうから」

「ええ? なんで? 魔族が押し寄せてきてるのは海岸なんだろう?」

「そうよ。でもあまりに数が多すぎるから、抑えきれるかわからないの! もしここを抜かれて、そっちに水棲魔族たちが行ってしまったら、訓練生たちだけでは太刀打ちできないわ。何故なら今回やってきたのは……」

 

 ジャンヌが何かを言いかけた時だった。突然、外で閃光が走ったかと思うと、宿舎の電気が一斉に消えた。停電か? と思ったら、次の瞬間、外で信じられないくらい大きな雷音が轟いて、ゴロゴロと建物全体を震わせた。

 

 どうやらかなり近場に雷が落ちたらしい。この状況で停電はまずくないか……? と焦ったが、流石は軍事基地といったところか、それから数秒ほどして宿舎の電気が復旧した。どうやら予備電源に切り替わったらしい。

 

 ともあれ、雷のせいで話が中断してしまったが、今はジャンヌと通話中だった。鳳は手にした受話器をまた耳にあてて話しかけたが、

 

「もしもーし! ジャンヌ? ……切れちゃったか」

 

 受話器からはツー音も聞こえず、どうも物理的に回線が切れてしまったようだった。

 

 もう彼女から電話が掛かってくることはないだろう。確か電話で彼女はこっちへ向かうと言っていたから、ここで待ってればいいのだろうか。

 

 取りあえず分かっていることは、現在この基地が襲撃を受けていることと、その規模が大きくて海岸線に引いた防衛線が突破されそうだということだ。いや、あの様子では既にいくらか突破されているだろう。これは宿舎の連中に伝えなきゃ……鳳がそう思って、寮母の部屋へ向かおうと靴を突っ掛けた時だった。

 

「きゃあああああああーーーーー!!!」

 

 っと、同階の部屋から悲鳴が聞こえてきた。どうやら恐れていたことが現実になってしまったようだ。鳳は取るものも取りあえず悲鳴の聞こえた部屋へと向かった。

 

 部屋の外には既に数人の訓練生がいた。異変に気づきはしたものの、部屋の中の様子が分からず躊躇しているようだった。鳳はそんな彼女らに向かって叫んだ。

 

「海岸線を魔族に突破されて、今、基地になだれ込んでるらしいんだ! ここは俺がなんとかするから、みんなに警戒するように伝えてくれ!!」

 

 訓練生たちは血相を変えて廊下を駆けていった。鳳はそんな彼女らと入れ違いに部屋の前に立つと、躊躇せずにそのドアをゴスペルの刃で叩き切った。光の剣が蝶番を切断し、バタンとドアが倒れる。

 

 部屋の中は雨風が吹き込んでいて真っ暗だった。しかし廊下から照らされた明かりで中の様子は分かった。狭い部屋の中央に数体のインスマウスが居て、一人の訓練生にのしかかっていた。

 

「助けて!」

 

 鳳は部屋に踏み込むと、背中を向けているインスマウスを上段から思いっきり叩き切った。エネルギーの塊である光の剣がスーッと魚人の頭を真っ二つに切断し、部屋に血のシャワーが降り注いだ。仲間が殺られたというのに、性欲のほうが勝るのか、インスマウスはまだ女生徒を襲うことに夢中だった。鳳はそんな無防備な魚人を次々と屠り、5匹倒したところでようやく女生徒を助けることが出来た。

 

 血でドロドロに汚れた床を這いずって、インスマウスの死体の下から部屋の主が抜け出してくる。彼女はブルブルと震えながら窓を指差し、

 

「窓が割れたと思ったら、いきなりこいつらが飛び掛かってきて」

「補強の板は打ち付けてなかったのか?」

「だって、ここ、最上階だよ?」

 

 彼女の言う通り、普通に考えてこんな上階に侵入者があるとは思いもよらなかったのだろう。外階段を登って屋上から侵入したのだろうか。鳳は面倒なことになったと、ガラスの破片に気をつけながら、窓の外を覗き込んだ。すると宿舎の周りの殺風景なグラウンドに、何かが蠢く影が見えた。

 

 時折、光を受けてギラギラ光るそれは、一体どれほどの数がいるのだろうか。水揚げされた魚みたいに、グラウンドでインスマウスの群れがビチビチ跳ねていた。それが押し寄せる波のように何度も何度も宿舎の壁に激突しているのは、きっとこの中に彼らの目的のものがあることを本能で察知したからだろう。

 

 まるでゾンビ映画でも見ているかのような光景にぞっとして顔を引っ込めると、鳳は部屋を覗き込んでいる訓練生たちに向かって叫んだ。

 

「やばい! インスマウスに囲まれている! みんな武器を持て、絶対に一人になるな!」

 

 その声とほぼ同時に、宿舎のあちこちから悲鳴が上がり、訓練生たちは状況を察知したらしい。バタバタとした足音が建物を揺らし、逃げ惑う訓練生で廊下はパニックになった。彼女らは出来るだけ魔族から逃げたい一心で階段を駆け上がってくる。鳳はそんな訓練生たちを押しのけながら逆走すると、悲鳴が上がり続けている1階を目指して走った。

 

 ジャンヌがもうじき助けに来るはずだ。それまで何とか玄関を死守しなければならない。寮監のおばちゃんは生きてるだろうか。どんどんと壁に魔族が体当りする音が鳴り響く中、一階の廊下を玄関に向かって走っていると、そんな鳳とは反対側から数人の女生徒たちが血相を変えて駆けてきた。その姿は他の訓練生たちとは違って血まみれだった。

 

「うわっ! 怪我をしてるのか!? おまえは……早朝バズーカ!」

 

 見ればやって来たのはいつも鳳に嫌がらせをしていた瑠璃信たちだった。彼女らはブルブル震えながら怯えた表情で鳳にすがりつくと、

 

「た、助けて! ……あんた、強いでしょう? ねえ、今までのことなら謝るから!」

「何がどうなってる!」

「わ、私たち、クリスマス会の後片付けをして食堂にいたんです。そしたら裏口からいきなり侵入者が入ってきて……」

「インスマウスの群れか!? しまったな……もう侵入を許してしまったのか」

 

 鳳が歯ぎしりをして唸り声を上げると、しかし、瑠璃信たちは尚も怯えながら、そんな彼の言葉を否定するように首を振り、

 

「ち、違うの! 襲ってきたのは魔族じゃない……天使よ!」

「はあ!?」

「間違いない、あれは天使だった。どうして天使が人間を襲うのよ!」

「落ち着け! もう少し詳しく教えてくれないか?」

 

 正直彼女らが何を言っているのかわけが分からなかったが、瑠璃信たちは興奮し過ぎて話が通じないようだった。取りあえず、何かヤバいことが起きていることだけは確からしい。鳳は取り乱している彼女らに、早く上に逃げるように伝えると、自分は単身で食堂へと駆けていった。

 

 食堂は全ての照明が破壊されて真っ暗だった。しかし、中で何が起きているのかはすぐに分かった。入り口のすぐ脇に、いくつかの首無し死体が転がっていて、部屋の中は血の匂いで充満していた。

 

 そんな食堂の奥の方からピチャピチャという水音が聞こえてきて、そんな不穏な音にじっと目を凝らせば、そこに数体の小さな影が揺らめいているのが見えた。

 

「……子供か?」

 

 大きさからして子供のようにしか思えない。そして次に聞こえてきたその声には聞き覚えがあった。

 

「くすくす……また美味しそうなのが来たよ、姉さま」「今度は私が頭を戴くわ、姉さま」「私は左手」「じゃあ私は右手」「駄目よ姉さま、母さまにも持って帰らなくちゃ」「どの部位も美味しそう。よく味わって食べなくちゃ、姉さま」

 

 そのおぞましい内容の声は、どれもこれも全てがまったく同じ声だった。まるで精神分裂病患者が独り言を言っているかのように、淡々と同じ声が続いている。鳳はその声に強烈な不安を覚えていたが、それが何故なのかはまだ暗くてよく分からなかった。

 

 一つだけ分かるのは、自分はどうやら何かとんでもないものを目の当たりにしているらしい。だが一体、こいつは何者なんだ……?

 

 その時、ビシャン! と雷が落ちて、真っ暗だった食堂を一瞬だけ白く染めた。鳳はその機を逃さずに目を凝らした。すると一瞬だけ見えたその先に、彼はよく知る人物の姿を捕らえて、あまりにも想定外なことにパニックになりかけた。

 

 そこには小さな体に片翼の羽、白がかった薄紫の髪の毛の、子供みたいな天使の姿があった。アズラエルがそこに居たのだ。

 

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