突如、鳳の目の前に現れた光り輝く大盾。彼はそれを見て、すぐにそれが自分たちが作ったヘルメスの紋章であることに気がついた。何故なら、その表面には彼にしか読むことが出来ない、ケーリュケイオンに刻まれていた言葉があったからだ。
始まりにして終わり。アルファにしてオメガ。死者は蘇り、生者には死の祝福を与えん。
その言葉を口にした瞬間、盾は一層まばゆい光を解き放ち、周囲を白く染めていった。そしてそのど真ん中に降り立ったお仕着せの少女を見て、彼はまた度肝を抜かれた。巨大な盾を軽々と掲げながら彼の目の前に現れたのは、なんと彼の三番目の妻アリスだった。
「おまかせください、ご主人さま」
「アリス……? なんでここにっ!?」
「敵ですね。私がなんとかしてご覧に入れましょう」
アリスは驚いて腰を抜かしている鳳に向かって優雅にお辞儀をしてみせると、すぐに状況を確認するかのように周囲を見渡してから、手にした盾を頭上に掲げた。ともすると彼女の身長よりも大きな盾を、非力な彼女が片手で軽々と持ち上げる様を見ていると、狐につままれたような気分になったが、今はそれくらいのことで驚いていられる状況ではなかった。
「神の脳より出でしパラス・アテナ。その知恵と高潔はあらゆる邪悪を打ち払うだろう。今こそ我が城塞は正義を守護する盾とならん。アイギス! 我と我が主を守り給え!」
アリスが祈りを告げると同時に、頭上に高々と掲げた大盾がまた輝きだし、ベールのように白い光が広がり周囲の暗闇を包み込んでいった。するとその光に触れた魔族はまるでブルドーザーに押されているかのようにぐいぐいと押し出され、他方、魔族に襲われていた人間たちはその場に残された。
盾の放つ光は瞬く間に2階の廊下を包み込み、登ってきた魔族の群れを1階まで押し返してしまった。
そして唖然とする一同のど真ん中で、アリスはフンッと鼻息を鳴らすと、よっこらしょと盾を下ろしてそれを背中に背負い、きょろきょろと周囲を見回して鳳の姿をロックオンするなり、嬉しそうに彼の胸に飛び込んできた。
「お久しぶりでございます、ご主人さま! お逢いしとうございました!」
鳳はアリスの突進を受け止め、その背中に背負った盾に頭をぶつけないように仰け反りながら、
「ちょ、ちょっとまって、アリス? え? 本当に? 本当に、アリスなのか?」
「はい、アリスにございます。もうお忘れになってしまわれたのですか?」
「まさか! そんなわけないけども……」
今気にしているのは記憶力の問題ではなくて、どうしてアリスがここにいるのかと言うことだ。もしかして最近、彼女のことをよく考えていたから幻想でも見えてしまっているのだろうか? しかし周囲の反応からして、鳳が一人で夢や妄想を見ている感じではない。そしてどうやらこのアリスが偽物というわけでも無さそうだった。
彼女は唖然としている鳳の背後にジャンヌを見つけると、一旦彼から離れて恭しくお辞儀をし、
「ジャンヌ様もお久しゅうございます! およそ三年ぶりでございますね、ご無事で本当になによりでした!」
「え? あ、これはどうもご親切に……?」
「あなた様がいらっしゃらない間、ヘルメスも大分様変わりしたのですよ。こちらへ帰っていらっしゃったのなら、是非一度プリムローズへも寄ってらしてください」
「え、ええ……?」
ジャンヌの方は彼女が誰か分からず首を傾げていたが、アリスの方は本当に嬉しそうに彼女の手を握りしめると、それをぶんぶん振り回して再会を喜んでいた。その姿は微笑ましくて、鳳も自分のことのように嬉しく思えてきたが……しかし、そこに違和感があることに彼女はようやく気づいたのか、
「ところで、ここはどちらなのでしょうか? ご主人さまは、どうやってジャンヌ様と再開されたのですか? それに……さっきのあの魔物の群れは一体?」
「いや、こっちが聞きたいんだけどね。君こそどうやってここへ来れたんだ?」
「どうって……ご主人さまがお呼びになられたのでは無いのですか?」
「そんなわけないよ。俺は何もしてないぞ」
「でも、私さっきまでお城にいたのですよ? 奥様と一緒に」
どうやらアリスは自分がポータルで呼び出されたと思っているらしい。今の鳳にはアナザーヘブンの時のような力はないし、そもそも次元を超えるポータルなんてものは存在しない。あればこんな苦労はしていないだろう。だから鳳の方こそ、アリスが不思議な力で突然現れたとしか思えなかったのだが、
「……まずは状況を整理しよう。アリス。君はアリス・プリムローズで間違いないな? ヘルメス国の首都、プリムローズ城で暮らしている」
「はい、間違いありません」
「俺は3年前に消えた友人を探しに、そのプリムローズ城で君たちと別れて、高次元世界へと渡った。それから家にはまだ一度も帰ってない。そうだろう?」
「はい、そうです。奥様も、クレア様も、もちろん私も、ご主人さまのお帰りを首を長くして待ち侘びておりました」
「あー……だから、つまり、ここは君たちが住んでいるアナザーヘブン世界ではなく、高次元世界の地球のはずなんだけど」
「………………ええ!? ここは、ヘルメスではないのですか?」
アリスはようやく自分の置かれている状況がかなり特殊であることに気づいたらしい。急にオロオロし始め、あたりの様子を窺いはじめた。鳳たちに再会した喜びですっかり失念していたようだが、考えてもみれば、彼女はいきなり魔族の群れのど真ん中に放り出されたのだ。おまけに周りは知らない人だらけで、変な盾まで持っている。
何が起きたか分からないのは彼女も同じなら、そりゃ不安にもなるだろう。ともかく今一度状況を整理するためにも、鳳は彼女を落ち着かせるつもりで重ねて訊ねた。
「取りあえず、何が起こっているのか整理しよう。君がここへ辿り着いた時の状況を、もう一度詳しく教えてくれないか?」
「は、はい!」
彼がそう言うと、彼女はメイドの職務を思い出したかのようにピンと背筋を伸ばし、ここにやって来るまでの経緯を話しはじめた。
「ご主人さまがジャンヌ様たちを探しに行かれてから、私は毎日毎日ご主人さまのご無事をお祈りしておりました。するとある日、私の祈りが天に通じたのでしょうか、神様の声が聞こえてきて、盾を探しなさいとおっしゃられたのです」
「……はあ? 神? 神様だって!?」
「はい。あれはまさしく神様でした」
「んなアホな……いや、ごめん、続けて?」
いきなり話の腰を折っても仕方ない。正直信じられなかったが、鳳は眉間を指でモミモミしながら話の続きを促した。
「はい。とは言え、盾と言われましても城下で買えば良いのか、兵士の装備を借りれば良いのか、何を指すのかがまるで分からず、奥様にご相談したところ、そう言えば以前、ご主人さまが迷宮で見つけてきたのがあったではないかと言われて……それで二人でプリムローズ城の宝物庫を探していましたら、突然、どこからともなくご主人さまの声が聞こえてきたんです」
「今度は俺?」
「はい。盾はないか、誰でもいいから盾を持ってこいと。それで私は咄嗟に手近にあった盾を掴んで、こうして馳せ参じた次第です」
「うん……それで?」
「以上です」
「それだけ?」
「はい」
アリスは真顔で頷いている。鳳は暫くの間呆然として頭の中が真っ白になっていたが、すぐに首をブルブルと振ってこめかみを指で突きながら、
「いやいやいやいや、もうちょっと何かなかったの? つーか、そんなんで世界が渡れるなら、俺達の苦労は一体何だったんだよ!?」
「でも、あれは確かにご主人さまのお声でしたよ?」
「言われてみれば、確かにさっき盾を持ってこいって叫んだような気がするけど……でも、言っただけだぞ? いくらなんでも理不尽じゃないか? 何がどうなったらこうなるってんだよ」
鳳はわけが分からずアリスを相手に不満をぶちまけてしまったが、しかし彼女の方は主人の取り乱す姿を見て、かえって落ち着きを取り戻したのか、真顔で鳳のことを見上げながら言った。
「ですが、神の力とはそういうものではございませんか? 説明がつく力であるなら、信ずるには足りません。誰にでも救えるのなら、神である必要はありません。ご主人さまをお助けすることが出来るのであれば、それがどんな力であっても私は信じますよ」
「う、うーん……」
それは鳳のことを真っ直ぐに信じているアリスの言葉だったから、なんだかものすごい説得力があった。そもそも、鳳たちはその理不尽な相手を倒すために、こうして世界を渡ってきたのだ。それすら信じられないのでは話にならないだろう。
しかし……アリスの言う神が何者かはわからないが、もしもこの世界の神であるなら、鳳の手助けをするとはどういう了見なのだろうか? 鳳は寧ろ、その神を倒したい側のはずなのだが。
ともあれ、何が起きたかはまだよく分からないが、彼女がこうしてこの世界にやってきてしまったことだけは確かだった。というか、そのお陰でみんなの命が助かったのだから、文句を言う筋合いは無いだろう。
彼はため息をつくと、今はこれ以上考えても仕方ないと気持ちを切り替え、アリスの労をねぎらった。
「いやすまない、君が来てくれて本当に助かったよ。お礼がまだだった。ありがとう」
「いいえ、ご主人さま。お褒めに預かり光栄です」
「しかし、まいったな……まさか君まで巻き込んでしまうなんて。無事に帰れるように努力はするけど、正直今はちょっと難しいんだ」
「お気になさらないでください。私は寧ろ、またご主人さまのお役に立てることが嬉しいんです」
アリスがそう言って全幅の信頼を寄せた笑みを見せると、今まで二人のやり取りを黙ってみていた瑠璃がソワソワしながら近づいてきて、彼女の顔をジロジロみながら鳳に尋ねた。
「あのー……白様? ところで、その子はどちら様ですの? 先程からとても親しげな様子ですけれど」
瑠璃は鳳とアリスの顔を交互に見ている。
「ああ~……お前には言っただろう? 俺には既に生涯を誓った三人の妻がいるって。アリスはその一人だ」
「ええ!? こんな小さい子が!? こんな年端も行かない子供に手を出すくらいなら、私の方を選んでくれても良かったでしょうに!!」
「ひ、人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ! つーか、アリスはお前より年上のはずだぞ?」
まあ、襲ってしまった時は年下だったかも知れないのだが……鳳が冷や汗を垂らしながら反論していると、それを聞いていたアリスがズイと瑠璃の前に進み出て、
「なんです、おまえは……馴れ馴れしい。ご主人さまから離れなさい」
「うっ……あなたこそなんなんですの?」
「私はアリス・プリムローズ、この方はヘルメス国の王配にして、私の大切な旦那様です。庶民風情が図々しく近づくんじゃありません」
「はあっ!? 誰が庶民ですって? ちびっ子が馬鹿にして!」
「誰がちびですか! 私はおまえより年上です。年上は敬いなさいと学校で習いませんでしたか? そんなことだからおまえは庶民なんですよ」
「なんて生意気な……大体、そんな胸のサイズで、とても年上なんて信じられませんわ! 何かの間違いじゃありませんかしら?」
「くっ……デカきゃ良いってもんじゃないですよ! このデカパイ! 早く垂れちゃえばいいんです」
アリスの辛辣な姿を前に、鳳は肩身を狭くしてオロオロしていることしか出来なかった。ヘルメスに居た時はこんな姿を見たことなんて無かったのだが、よほど鬱憤が溜まっていたのか、それとも二人の相性が悪いんだろうか……
「あーら、ごめんあそばせ。人間もおっぱいも小さいものだから、つい本当のことを言ってしまって」
「ふん、おっぱいしか取り柄がないくせに。脳みそまでおっぱいに詰まってるんじゃないですか」
「なんですって、きーっ!! もう頭きましたわ! そこに直りなさい!」
「や、やめなよ、瑠璃! この人が僕たちのことを助けてくれたんだよ?」
今にも取っ組み合いを始めそうな二人の間に、慌てて琥珀が仲裁に入る。実際、こんなことやってる場合ではないので、鳳もおっかなびっくりアリスを止めようとしたら、パンパン! っと手を叩く大きな音が聞こえて、ジャンヌが騒動を眺めている訓練生たち全員に向かって、大声で叫ぶように指示を出した。
「はいはい! あなたたち、助かったからっていつまでも呆けていないで。外は相変わらずの嵐で、魔族の侵攻はまだ終わったわけじゃないのよ! 瑠璃! 琥珀! あなたたちはショックで放心している訓練生たちをまとめて落ち着かせてちょうだい。まだ何が起きたか分からず怯えてる子が上階にいるはずよ」
「わ、わかりました!」
「それから、飛鳥以下落ち着いてる訓練生は私についてきて。アリスさんも、お願い。1階には……犠牲になった子達がまだ取り残されていると思うの。生きている子もそうだけど、死んでしまった子をそのままにしておくのは忍びないわ……」
ジャンヌのその声に訓練生たちはハッと我を取り戻すと、慌てて三々五々散らばっていった。鳳もジャンヌにうなずき返すと、アリスを連れてすぐに一階に降りていった。
どういう原理かは良くわからないが、魔族を押し返している結界は、アリスの背負う盾が作り出しているようだった。彼女が一階に降りると、また結界が拡張されるように広がっていき、そこに残っていた魔族を掻き出すように、全部建物の外まで追いやってしまった。
本当に、これは何なんだろうと思いつつ、今は被害者の救出が優先だと気持ちを切り替える……
しかし、そんな希望は1階の惨状をひと目見ただけで無駄と分かった。廊下は全面、血でべっとりと汚れており、ところどころに魚人の鱗が散乱していて、足の踏み場もない有様だった。すべての部屋のドアと窓ガラスが割られていて、中の家具も全てが壊され瓦礫の山と化していた。
アリスの結界は魔族だけを追い出したようで、人間の死体はそのまま残っていたが、どれもこれもひどい状態で直視するのも辛いレベルだった。魔族はまず女を犯すはずだが、ジャングル訓練の時とは違って全員が殺されていたのは、今回はオアンネスが混じっていたからだろうか? インスマウスの方が数は多かったはずだが、どうやら指揮権はオアンネスの方にあるらしい。廊下の死体回収を訓練生に任せ、鳳とジャンヌは食堂へと向かった。
食堂は最初に魔族の侵入を許したからだろうか、一番犠牲者の数が多かった。戦っていた時は気づかなかったが、部屋の続きの調理場には死体の山が積み上がっており、調理道具が転がっている様子から、どうも連中が調理をしようとしていたことが分かった。その残酷な事実に鳳は怒りがこみ上げてきたが、でもそれがアズラエルの姿をしていたことを思い出すと、すぐに気持ちは萎えてしまった。
死体は殆ど全てがバラバラにされており、どれが誰のどの部位なのかわからず、それでも分かる範囲で集めておいてやろうと、無心で片付けていたら、その中にジャングル訓練のときの班員の姿を見つけた。見たところ、全員が犠牲になってしまったようだ。
せっかく仲良くなれたのに、どうしてこんなことに……と思っていると、後ろからすすり泣きが聞こえてきて、振り返ると例のバズーカが死体を見下ろしながら泣いていた。
「私たちは怖くて逃げることしか出来なかったのに……こいつらが私たちのことを守ってくれて……早く逃げろって……私たち……こいつらのことイジメてたのに……なのに……」
バズーカは涙を噛み締めるかのように歯を食いしばって立っている。彼女が死ねばよかったなんて思わないが、本当になんでなのだろうと、その不条理さに己の無力さを痛感する。
戦場では勇敢なやつから死んでいく。彼女らは鳳との約束を守って、逃げ惑う訓練生たちを助けようとして死んでしまったのだろう。鳳を裏切ったことを後悔する彼女らに対し、あの時はそれが当然と思っていたが、要らぬことを言ってしまったのだろうか。助けろなんて言うんじゃなくて、逃げろと言うべきだったろうか……昔の自分なら、間違いなくそう言っていただろうに。いつからこうなってしまったのだろうか。
そんなことを考えながら憂鬱な作業を繰り返していると、段々、死体には法則性があることに気がついた。どの死体も必ず首を切り落とされて、その脳みそが抜かれているのだ。そう言えば、交戦したオアンネスも死体の脳を啜り上げていたのを思い出した。するともしかして、こいつらの狙いは脳だったのではなかろうか? しかし、何故?
オアンネスは水撃という技を使っていた。あれは古代呪文のように第5粒子エネルギーを利用する攻撃のように見えたから、もしかすると奴らはMPを回復するために脳を欲していたのかも知れない。これだけ組織的な襲撃をしてきたのだから、連中が知恵を付けてきたのはもはや間違いないだろう。
しかし、魔族とは本来、本能の赴くままに殺戮を続ける種族のはずである。それが作戦を練って、人間のように振る舞う可能性はあるのだろうか……? アズラエルの姿をしていたのも何故なのか? もしかして、ジャングル訓練での襲撃も、意図的に行われたものだったんじゃないのか……?
水棲魔族が、本当に知恵を付けて基地を狙ってきたのだとしたら、その狙いはなんだ? 人間の脳だろうか? それとも……何か見落としているものはないだろうか……
「それにしても、本当にすごい力ね、あなたの盾は。一体、この結界はどうやって作ってるの?」
黙々と作業しながらそんなことを考えていると、みんな気が滅入ってきていることに気づいたのだろうか、ジャンヌが努めて明るい調子でそんなことを言いだした。その声に呼応するかのように、訓練生たちも顔を上げて頷いている。
鳳についてきたは良いものの、流石に凄惨すぎる現場に恐れを為して、一人壁を向いて目をつぶっていたアリスは、ジャンヌの問いかけにおっかなびっくり振り返ると、出来るだけ下の方を見ないようにしながら言った。
「わかりません。お城の宝物庫で見つけたのですが……手にしたら何となく使い方が分かったので、ご主人さまをお守りするよう祈りを捧げてみたんです。そうしたらああなりました」
「あ、そう……なんとなく使い方がね」
返事になっていない返事にジャンヌが苦笑いを浮かべている。鳳はどこにあったのか、どんな形状だったのか、もう少し詳しいことを尋ねようとして、ふと、引っ掛かりを覚えた。
手にしたら何となく使い方が分かる? そんな奇跡の力と言えば……
「な、なあ? そう言えば、さっきそいつのことをアイギスって呼んでなかった? それって、その盾の名前なのか?」
「はい」
「どうしてそう言い切れるんだ?」
「先程申しましたように、手にしたらそれがわかりました」
アリスがしれっとそう言うと、鳳をはじめ、二人のやり取りをわけがわからないといった表情で見つめていた訓練生たちもざわつきはじめた。
それもそのはず、その名前にはこの世界の住人であるなら誰でも心当たりがあった。鳳は隣でぽかんとしているジャンヌに尋ねた。
「なあ、アイギスって、確か10本あるオリジナル・ゴスペルの一つじゃないか?」
「え、ええ、そのはずよ。でも何十年も前に失われたって……」
「そんなもんがなんでうちの蔵にあるんだ……? いや、いい。それなら、まあ、なんとか納得できる。オリジナルの力なら、これくらいのことが出来ても不思議じゃないもんな。今はそれでいい……」
鳳は釈然としないものを感じながらも、今は神だのなんだのよりも気になることがあって、再びジャンヌに問いかけた。
「それより……なあ、ジャンヌ? 基地司令は海岸線に防塁を築いて魔族の上陸を阻止しようとしてたんだよな? それが突破されて、俺たちだけじゃ心許ないからおまえを救援に寄越した」
「ええ、そうよ」
「それって山の上にも送ったのか?」
「山の上? いいえ、そんな話はしていなかったけれど……どうして?」
ジャンヌは首を傾げている。しかし鳳はその返事を聞くなり、慌てて彼女を問い詰めるように捲し立てた。
「今回の水棲魔族の襲撃はどうもおかしい。何故かアズラエルの姿をしてたり、見たこともないような攻撃まで使って、まるで知恵でもついたんじゃないかってくらいだ。でも、本当に奴らが知恵をつけてこの基地を狙ってきたのだとしたら、その目的はなんだ? もし、俺たち人類に痛打を浴びせることだとしたら、奴らが狙う場所なんてそんなの一つっきゃないだろう?」
「まさか……あなたは魔族がオリジナル・ゴスペルを狙ってるっていうの!?」
「それは分からないが、相手の手の内が分からない状況で、無防備にしていい場所じゃないだろう。何事もないならそれでいいんだから、とにかく確認してくれないか?」
「分かったわ」
鳳の提案を受けて、ジャンヌは血相を変えて食堂から出ていった。そんな頼れる姉貴分の後ろ姿を、訓練生たちが不安げに見つめている。一連の出来事で疲弊しきっていた彼女らは、もうこれ以上悪いことは起きて欲しくないと祈りながらジャンヌの帰りを待った。
しかし、本部に確認の連絡をしにいったジャンヌは、間もなくそれが杞憂ではなかったことを知らされることとなった。水棲魔族の狙いは、どうも始めからオリジナル・ゴスペルの収奪にあったようだ。