「天使の子を産むことが出来るというレヴィアタンに私は問うた。一体、どうやったらそんなことが可能なのかと。死の間際に嘘を吐く理由はない。だから信憑性は高いと思われた。そうして奴が語った水棲魔族の秘密は、実に衝撃的だった。もしそれが事実だとしたら、人類の再生問題が一気に解決してしまうであろう、そういう類の話だ。もう想像がついただろう。私が人類に使った生殖細胞の出どころは、このレヴィアタンだ」
アズラエルの告白は、その場にいる者たちの想像を越えており、場は沈黙に支配された。しかしそんな中でも鳳だけは、なんとなくそうじゃないかと考えていたため、割と自然に受け入れられた。
彼女の連れていたギー太たち。生物学者であるとはいえ、妙に水棲魔族の生態に詳しいことなど、突き詰めて考えれば、その答えに行き着くのは容易だったろう。だが、それでもまだ彼も想像し得ないことが残されていた。それは具体的にアズラエルがどうやってレヴィアタンと交配し子供を産んだか、その方法のことだった。
そう、鳳は以前アズラエルから、水棲魔族の繁殖のことについて聞いていた。レヴィアタンは、自分の体内に予め取り込んでおいたオスの精子と、自分の卵子を交配して、インスマウスとオアンネスを産み分けている。
では、レヴィアタンはどうやってアズラエルの精液を……雌雄同体である彼女の精液を体内に取り入れたというのだろうか?
「君には以前、ラバとケッテイの話をしたことがあるが、覚えているだろうか。同じ馬とロバの交雑種である2種は、父親が馬かロバかの違いだけで、生まれてくる子の特徴が別種と呼べるくらい変わってくる。それは父親の精子にエピジェネティックな方法で刻まれた何かが、子供に遺伝するからだと考えられる。
魔族というものは他種族同士で交配を行った場合、生まれてくる子供は必ず父親と同種になる。その理由は、魔族は他者を食べることによってその形質を奪うが、その獲得した形質を子供に遺伝させるのに、エピジェネティックな方法が用いられているからだ。
普通の生物と違い、用不用説に則って進化し続ける魔族が、獲得した形質を子孫にばら撒くにはこうするのが効率的だから、このような進化を遂げたのだろう。魔族は男を殺し、女を犯す。そうして子孫を増やしていくわけだが……
では、メスである女王を中心とした社会を築くレヴィアタンはどうなのか?
魔族は他者を食べることで相手の形質を奪い強くなっていく。レヴィアタンも同様に食べることによって自分の体を強化していく。しかし、その獲得形質を子供に伝えるには、自分が産むしかない……だが、先も言ったとおりに、魔族は必ず父親の種族を継承するという性質がある。長い進化の過程で、そういう風に進化してしまったのだ。
だから例えば、オアンネスがオークに犯されたらオークの子供を産むし、仮に女王レヴィアタンがオークと交配しても、生まれてくる子供はオークになるはずだ。しかし、種としてそれでは困ってしまう。だから、レヴィアタンはそれを克服するように進化していったのだ。
具体的には、レヴィアタンは他種族を捕食すると同時に、その生殖細胞を体内にストックするように進化していった。取り込まれた生殖細胞は、そこでエピジェネティックな修飾がディスコードされ、交配してもちゃんとオアンネスが生まれるように変化する。女王はそうやって獲得形質を子供に遺伝させているのだ。
そうして生まれたオアンネスは、いつでもレヴィアタンになれる可能性を秘めながらも、ワーカーとして群れに尽くして働き続けるわけだが……まあ、この辺の話は置いておこう。今大事なのは生殖細胞の方だ。
レヴィアタンは他種族を食べることによって、生殖細胞を取り入れる。ところでその生殖細胞は、最終的にオアンネスを産むために変質させられるわけだから、捕食される相手の雌雄は関係ない。つまり……人間を食べれば、それが女であっても、レヴィアタンの体内に人間の精子が作られる。
そしてそれは雌雄同体の天使であっても、生殖細胞を作ることは可能だったのだ」
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血だらけのアズラエルは片膝を突き、息を乱しながらどうにか立ち上がると、虚ろな目をして地に伏せている巨大な水竜の下へと歩いていった。
「おまえは、私に食べられろと言っているのか?」
レヴィアタンは、その命の灯がもう尽きようとしているからだろうか、魔族らしからぬ穏やかな口調で言った。
「そうすれば私の遺伝子は残り、お前の目的も叶うだろう」
「私の目的?」
そんなことを魔族に話したつもりがないアズラエルが問いかける。
「おまえも、死を前にして、自分の子を残したいのだ。それが生物の本能だから」
「勝手なことを。天使である私にそのような執着はない」
「ならば、どうして私の話を最後まで聞いたのだ?」
それは生物学者としての知的好奇心だと言っても、魔族には到底理解できないだろう。いや……正直に言えば、それだけではない。もしも自分に子供が居れば、その子がまた人類のために魔族と戦ってくれるだろうと思ってしまったのは確かだった。その無念が、彼女をレヴィアタンの話に釘付けにしていた。
魔族の女王はそんなアズラエルの気持ちを見透かしたかのように続けた。
「私は、私を陥れた群れに復讐がしたい。それはお前の利にも適っているだろう。私なら確実にお前の子供を産むことが出来る。そして私とお前なら、確実に群れを始末してくれる強い子が生まれるはずだ……」
「どうしてそんなことが言い切れる」
「どちらにせよ、私にはもう時間がないのだ。お前が決断をしないのであれば、最後の力をインスマウスの出産に費やすだけだ。望み薄だがその方がマシだ。あと何匹産めるだろうか……」
レヴィアタンはそう言って沈黙した。インスマウスを産むというくせに何も起こらないのは、きっとアズラエルが決断することを見透かしているのだろう。
どうせ放っておけば自分は死ぬ……だったら、最後の望みに賭けてみるのも悪くはないのではないか? もしも、魔王と天使のハーフが生まれたら、それはどんな種族になるのだろうか……いや、そんなことはもうどうでもいい。
私の子供……私の子供が残せるのであれば……
生物であれば必ず持っている、自分の遺伝子を残したいという願望を、レヴィアタンは熟知していた。
「……好きにしろ」
そして彼女の意識は、永遠の闇に閉ざされた………………
………………それからどれくらいの時が過ぎたのだろうか。アズラエルは人々の歓呼の声の中で意識を取り戻した。
猛烈な倦怠感に吐き気を覚えながら、どうにかこうにか目を開けると、そこはカラカラに乾いた砂漠のど真ん中で、吹き付ける風に砂埃が舞って目が痛かった。彼女は止めどもなく泣いていた。
ダーウィンから撤退している最中の部隊が発見したというアズラエルは、レヴィアタンとの死闘を繰り広げた戦場から、数百キロも南に離れた砂漠地帯で発見された。撤退中のドミニオン大隊を上空からサポートしていた偵察機がそれに気づき、こんな場所に行き倒れがいることを不審に思い現場に急行したところ、彼女が倒れていたそうである。
殿軍を務めた天使部隊は壊滅したと思われていたが、こうして生き残りがいたことにドミニオンたちは大いに元気づけられた。彼女らはアズラエルを英雄と讃え、未だ状況が理解できずにぽかんとしている彼女をケインズまで丁重に運んだ。
人間たちは彼女の生還を喜んでいたが……しかし、当の本人の方は自分がどうして生きているのか、さっぱり理解できなかった。彼女の最後の記憶では、傷を負いすぎた彼女の体はもう回復が追いつかず、あとは死を待つのみという状況だった。だから最後の望みにかけて、魔王にその体をくれてやったはずなのだが……
こうして生きているということは、あれは夢だったのだろうか? しかし、それにしてはあまりにもリアルで、全部妄想と言うには自分が知らない情報が出てきすぎた。おかしなことはまだあった。天使である彼女の翼は、片翼がもがれたままいつまで経っても再生が行われず、片目は金色に変質して視力を失っていたのだ。
そんなことは、天使であったら絶対にあり得ないはずなのだ。おかしいと思った彼女は、そして自分の身体を調べているうちにそれに気づいた。本来、雌雄同体である天使にはあるはずのない女性器がついていること。そして、いつの間にか、自在に水を操る力を獲得していたことに。
洪水を起こし、高圧の水を撃ち出す技は、レヴィアタンが得意とするものだった。アズラエルはそれで確信した。どうやら自分は、あの時のレヴィアタンの娘に転生してしまったようだ。
レヴィアタンは約束を守り、彼女との間に子供を作った。ところが、何故か分からないが、自分はその子供の意識を乗っ取って生まれ変わってしまったのだ。しかも天使の遺伝子がそうさせるのか、生まれてきたのはオアンネスではなく、天使の肉体を保っていた。
現在の彼女はレヴィアタンと天使、その両方の力を備えた魔王なのだ。しかもその魔王は、魔族らしからぬ冷静な理性を残しているというおまけ付きだ。それは不思議な現象だった。
野性の塊である魔族が、理性の砦である天使を食らうとこんなことが起こりうるのか……いや、レヴィアタンという魔王と自分が、たまたま相性が良かったのだろう。なにはともあれ、拾った命は大切にしなければならない。自分の娘になるはずだったこの身体を有効に活用し、人類のために貢献せねば……
彼女はそう思い、早速とばかりに自分の生殖細胞を取り出してみた。レヴィアタンとなった彼女の子宮には、女王が言っていた通りオスの精液がストックされていた。そして生まれてきたばかりの彼女の体内にあったのは、どうやら生前のアズラエルの細胞から生成されたものだけのようだった。
これは非常に好都合だった。減数分裂されたアズラエルの精子は、オアンネスを産むために変質していたが、彼女は自分が生きていた頃の体細胞を調べることで、その変異を特定することが出来たからだ。
彼女はそうやって自分の生殖細胞に施されていたエピジェネティックな修飾を全てディスコードし、安全に子供を産むことが出来るはずの精液を作り出した。元々、天使の体は人間を強化した超人がベースになっている。その生殖細胞は人間の物と変わらないはずだ。
彼女はそれを希望する人々に人工授精し……そして生まれてきたのが、あのギー太たちだった。
「私は自分の生殖細胞を丁寧に精査し、魔族に変異しうる全ての遺伝子の修飾をディスコードしたつもりだった……しかし、それは不完全だったようだ。そのせいで、私に協力してくれた女性たちを悲しませる結果になってしまった。私はそれでも魔族になってしまった子供たちを助けたくて、神域で保護しようとしたのだが、お気楽なインスマウスはともかく、オアンネスの方は魔族としての本能が強く、暫くすると言うことを聞かなくなって出ていってしまった。
まだ子供の彼女らには何の力もなく、その後死んだものとばかり思っていたが……恐らく今回ケアンズを襲ってきたのは、あの時に逃げ出したオアンネスだろう。いや、それにしては数が多すぎるので、逃げた個体がメラネシアで他の群れと交わり、子孫を増やしたのだと思われる。
彼女らには確かに力は無かったが、その代わりに知恵があった。それが世代を経て人間を襲い始めたのだ。全ては私が蒔いた種だ。本当にすまなかった……この責任は、刺し違えてでも必ず取るから、どうか私にチャンスをくれ」
アズラエルはそう言って深々と頭を下げた。
天使が人間に頭を下げるなんてことは前代未聞で、会議室に集まった人々からどよめきが上がった。そんな中で基地司令は一人無言で立ち上がると、素早く彼女の下へと歩み寄ってその肩を抱き上げ、彼女に顔を上げるように促した。
「どうか顔を上げてください。話は全て聞かせてもらいましたが、一体、誰があなたのことを責められましょうか。
あなたは、他の天使たちがろくに助けもしてくれない状況下で、我々人類のためにその身を尽くし、最期まで戦ってくれた恩人ではないですか。死して尚その身を魔族にやつしてまで生き残り、なのに恨み言の一つも言わずに、まだ人類に貢献しようと一人で戦っていたのではありませんか。
私はあなたのことを誇りにこそ思い、決して恨もうとは思いません。もしも、それでもあなたのことを責めるものがいると言うなら、私はあなたのために戦いましょう。それはここにいる全員が同じ気持ちのはずです」
基地司令のその言葉を合図にするかのように、会議室に集まった人々の間から、そうだそうだと同意する声が湧き上がった。それはまたたく間に部屋全体を覆い尽くし、死刑宣告でも受けたかのような顔をしていたアズラエルの表情を、少し綻ばせた。
ウリエルがホッと安堵の息を漏らし、呆然としているアズラエルの肩を叩く。彼女はそんな元部下の顔をうるんだ瞳で見上げ、そんな二人を取り囲むように人々が集まってきて、アズラエルに感謝の言葉を浴びせかけた。
その光景は本当に美しくて、そのまま名画にして飾っておきたいくらいだった。しかし、そんな騒ぎの中でも、鳳は一人冷静に、会議机に肘をついたまま、じっと考え事を続けていた。
アズラエルの話はただの美談というだけではない。水棲魔族について、まだ人類が知らなかった多くの情報を伝えてくれた。鳳はそれを聞いて、ある一つの可能性を思いついていた。もしも彼の考えが正しければ、チャンスはそこに転がっているはずだ。
魔王討伐をミカエルに命じられ、ケアンズに来てから3ヶ月。あまりにも巨大なレヴィアタンという勢力を前に、何一つ有効な手立てを思いつけず無為な時を過ごしてきたが、ここにアズラエルというピースが加わったことで、もしかするとついにその糸口が見つかったのかも知れない。
それを確かめるためには、一度ニューギニアに渡って、直接レヴィアタンと対決してみるしかないが……
「失礼します!」
鳳がその可能性について基地司令他、集まった人々に話そうとした時だった。突然、会議室の扉が乱暴に開いて、血相を変えたドミニオンの隊員が駆け込んできた。
人払いをしてまで極秘裏に始めた会議に乱入するなどあり得ないことだった。だから幹部たちはそんな隊員のことを頭ごなしに叱責した。しかし逆に考えれば、そんなあり得ないことが起きた理由が気になって、基地司令は叱りつける幹部を宥めて、何があったのかと隊員に問いかけた。
「緊急事態につき、ご無礼お許しください! たった今、昨晩の襲撃を行った水棲魔族の群れを追跡していた斥候部隊から通信が入り、それによりますと、当基地よりはるか北方、オーストラリア北岸地域にて、おびただしい数の水棲魔族の上陸を確認したとのこと」
「おびただしいとは具体的にどの程度の規模なんだ?」
「分かりません!」
「分からない……?」
軍隊においてこのような曖昧な返事はあり得なかった。基地司令は、わからないなら調べてこいと怒鳴り散らすことも出来た。だが、あり得ないことが2度も起きれば、それは偶然ではないだろう。彼女が辛抱強くその理由を問いただすと、隊員は額に汗をびっしょりとかき、青ざめながら返答した。
「その数があまりにも多すぎて、数えることが不可能だということです。オーストラリアとニューギニアを隔てるトレス海峡には、溢れかえる水棲魔族でまるで橋がかかったように見えるそうです。その事実からして、少なく見積もっても1千万は下らないだろうとの報告が寄せられており、我々としても司令にすぐお伝えせねばと参った次第であります」
「……一千万……一千万だと!?」
基地司令はあまりのことに声を失った。いや、彼女だけではなく、その場に居た幹部にウリエル、アズラエル、そしていつもひょうひょうとしているミッシェルまでもが呆然としている。
一千万と一口に言っても、それは人類の総数を越えていた。水棲魔族との戦いはもう数百年も続いていたが、そんな規模の大侵攻を受けるのは当然初めてのことであり……