ラストスタリオン   作:水月一人

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裏切りの天使

 オーストラリア北東部に水棲魔族の大群が上陸してからおよそ2週間が経過し、それはいよいよケアンズに迫ろうとしていた。上空のテレビカメラが映し出した魔物の群れは、まるで水揚げされた魚が飛び跳ねているみたいで滑稽にも見えたが、実際にはそれは暴力の塊でしかなかった。

 

 海岸線をバシャバシャと彼らが通り過ぎたら、美しかったサンゴ礁は一つ残らず消え失せ、地上を通り過ぎれば、その後には草木が一本も生えない塩の道がうねうねと続いているのであった。

 

 この未曾有の危機を前に、人類政府は完全に及び腰となり、ケアンズのみならずブリスベンの放棄をも決定し、全人類を南方へ避難させるようドミニオンに要請した。しかし、ケアンズ基地司令戦場(いくさば)さくらはその要請には応じず、基地に留まり防衛線を着々と構築し続けていた。

 

 元々、ドミニオンは人類の階級社会では最上位に位置しており、政府の要請に応じる理由はないのだ。それは文民統制を離れようとする軍部の暴走として受け取られ、彼女の言動はメディアでは強く批判されていたが、世論は意外と割れていた。

 

 やはり魔族を相手に逃げるということ、そして逃げたところで魔族の侵攻が終わる保証がないことが、人々の不安を掻き立てているのだろう。結局の所、ドミニオンが食い止めてくれればそれが一番なのだし、彼女達がやられてしまったら、どうせ人類にはもう打つ手はないのだから、好きにやって貰ったほうがいいと言う意見が多かったのだ。

 

 そして神域が沈黙を破り、アズラエルの尻拭いのためにウリエルが出てきたことも大きかった。更にはメタトロン・サンダルフォンの代わりに、失われたオリジナルゴスペル、アイギスが発見されたというニュースも人々に安心感を与えていた。アイギスの能力は絶対防御。それが作り出す結界は、たとえ魔王であっても容易に打ち破ることは出来ないと言われており、水棲魔族の大半を占めるインスマウスとオアンネスには為す術もないはずである。

 

 尤も、そのアイギスはケアンズの防衛線には加わらないのであるが……わざわざ本当のことを言って動揺を誘っても仕方がないので、基地司令は何食わぬ顔で隊員たちを叱咤激励し、防衛線の構築を急いでいた。

 

 この間、マダガスカル方面軍も増援として大陸に帰還し、そしてパースに隔離されていたジャンヌの部隊はケアンズ入りし、隊長と合流、瑠璃たち三人娘も同じく基地防衛に回ることとなった。ブリスベン軍港の警備兵も前線へ回され、後方支援を除く全てのゴスペル持ちがケアンズに集められた。

 

 こうしてドミニオン10万兵のうちおよそ9割が集められたケアンズ基地の防衛は盤石であるかに見えた。決して狭くはない基地内を覆い尽くすかのように、所狭しと並べられた軍用車のバリケードと、防衛線に加わる全ての隊員に配備されたゴスペルを見て、お茶の間の一般人たちは、もしかすると何とかなるんじゃないかと期待を持ち始めた。

 

 しかし、接敵が翌日に迫る頃になると、そんな甘い考えなど消し飛んでしまった。そもそも彼我の戦力差は1対100もあり、それがテレビに現実のものとして映し出されると、この作戦がいかに無謀であるかを思い知るには十分すぎた。

 

 水棲魔族1億体。そのほんの十分の一とは言え、それが一斉に襲ってくるということはこういうことか……

 

 人々は絶望すると同時に怒りを覚えた。そんな今までにない規模の魔族の大群が押し寄せてきてしまったのも、それもこれも全てアズラエルという天使の愚かな行為のせいである。人類はますます彼女への批判を強め、そして砂漠へ向かう避難民もますます増えていく。

 

 アズラエル! アズラエル! おまえのせいで人類は今滅亡の危機に瀕している。この天使を血祭りにあげ、魔族への生贄とするのだ!

 

 そんな怨嗟の声が大陸中から湧き上がる中で……人類と水棲魔族の衝突は、魔族の攻勢らしく夜から始まった。

 

 海岸線をケアンズに向かって南下していた魔族の群れは、いよいよ目的地に到達すると、群れの先頭が左右に割れて、ケアンズ基地を取り囲むように広がっていった。山側は薄く、海と河川の側は厚く展開した魔族の陣容は、明らかに何者かに指揮されているとしか思えなかった。何しろ魔族の群れはそうして基地を取り囲んでも尚動かず、命令を待っているようにしか思えなかったのだ。

 

 いつ動くのか……緊張感と絶望感に打ちひしがれるドミニオン隊員の前で、そしていよいよ、月明かりと複数の灯台によって照らされた湾内に魔族の侵入が確認され、基地司令の号令によって開戦の火蓋が切って落とされた。

 

 まるで津波のように押し寄せる魔族の群を目掛けて、ロケット砲の一斉射が放たれる。全く防御など考えていない特攻にロケット弾の雨あられが突き刺さると、インスマウスの群れは汚物を撒き散らして吹き飛び、あっという間に湾内は赤く染まった。

 

 魔族の考えなしの突撃は続き、湾内は爆炎で白く煙っていった。何しろ人類の存亡を賭けた戦いであるから、予め用意された爆薬は全ての魔族を殺しても余りあるほどあった。魔族の突撃は完全に抑えられ、前哨戦は人類側の勝利と言えた。

 

 だが、それでもまだ勝てる保証は何一つなかった。というのも、もしも爆撃で片がつくなら、そんなの魔族がケアンズに到達する前に、空爆でとっくに決着はついていただろう。

 

 間もなく、爆炎の隙間から幾筋もの水撃が放たれ、空中を落下してくるロケット弾を狙い撃ちし始めた。オアンネスによる攻撃によってロケット弾は次々と落とされ、弾幕に穴が開くと、インスマウスの群れはその隙を突いて一斉に上陸をし始めた。

 

 水撃が空を覆い、まるで水の膜が湾内を包みこむように、激しい濃霧が立ち込める。こうなると水棲魔族は活性化してしまい、遠距離攻撃は狙いが定まらず、ほぼ無意味となってしまった。

 

 ドミニオンは間髪入れずに重機関銃による上陸地点の掃射を行うが、こちらが狙い撃ちをすれば、向こうもそれを狙うだけである。ロケット弾を落としていた水撃は、今度は上陸を阻止しようとするドミニオンに向けられ、次々に犠牲者を増やしていった。

 

 驚いたことに、オアンネスの水撃は装甲車の厚い鉄板を貫き、コンクリートで覆われた防塁すら削ってしまった。しかも当たれば大量の水しぶきが上がって視界を奪うのだ。これでは上陸を阻止しようにも狙いがつけられず、弾幕を張るくらいのことしか出来なくなる。

 

 命中率が下がってしまうのは、オアンネス側も同じであったが、そもそも魔族の目的は射撃戦ではなく、接敵しての乱戦なのだから、この戦いは最初から分が悪かった。

 

 やがてあちこちで水棲魔族との接触が始まり、ゴスペルを使った白兵戦が開始された。悲鳴と爆音が轟き、キラキラと光が舞った。インスマウスとゴスペル持ちの戦いは、一対一なら話にならないほど人間の方が優勢だが、相手は数にものを言わせてくる魔族である。ドミニオンたちは囲まれないように後退しながら戦うしかなかった。

 

 更に、相手はインスマウスだけではない。その水撃だけでも厄介なオアンネスは、戦士としても屈強であり、こちらはゴスペル持ちでも五分五分かもしくは若干分が悪いと言わざるをえなかった。

 

 おまけに、アズラエルの血を受け継いだ連中の防御は硬く、光弾の直撃を受けてもびくともしなかった。ただし新型による同時射撃なら効くことが分かると、ドミニオンの指揮官たちは絶対に一対一で戦うなと指示し始めた。

 

 しかし、いかんせん新型はまだ全隊員に支給されているわけではなかった。敵の数に対し、新型の数は圧倒的に不足しており、頑なに旧式を使い続けることを主張していた保守的な指揮官たちは、この危機的状況でそれを悔いる羽目になった。

 

 ともあれ、そんなことを恨んでいても仕方がない。オアンネスは新型を持つ隊員のツーマンセルに任せ、それ以外の隊員は少しでも多くのインスマウスを排除することに集中するしかないだろう。

 

 そうこうしているといつの間にか空も晴れ、霧が薄くなってきた。接敵したことで人間による弾幕が薄れ、オアンネスによる撃墜も少なくなったから、立ち込めていた霧が晴れたのだろう。またドミニオンによるロケット砲による爆撃が行われ、オアンネスがそれを撃ち落とし、一進一退の攻防が続いた……

 

 均衡を破ったのは、魔族の方だった。

 

 湾内に侵入し真正面から上陸戦を仕掛けていた水棲魔族たちは、ドミニオンの思った以上の抵抗に矛先を変えて河川を遡りはじめ、側面から攻撃を仕掛けるように変わっていった。それは意識してそうなったわけではなく、次々と押し寄せてくる後続が湾内に入りきれず左右に広がっていった結果、比較的移動しやすい河川に流れていっただけだったが、偶然とは言え、両面から挟撃されてはドミニオンも堪ったものではないだろう。

 

 尤も、この事態は予め想定されていたことでもあり、基地司令は挟撃が始まるや、即座に前線を少し下げた。今までは海岸線に沿って築き上げた防塁を拠り所に戦っていたが、今度は基地に籠もって戦おうというのである。水棲魔族は水のあるところで活性化するので、このまま二正面作戦をするよりも、陸に引き込んで戦う方が正しい判断であるのは間違いなかっただろう。だが、そこには一つ誤算もあった。

 

 人類はこの規模の作戦を経験したことがなく、いくら戦闘のプロと言っても若い女性の多いドミニオンは、敵に背中を向けるのを恐れて、スムーズに後退が出来なかったのだ。そんな混乱する戦場で、慌てて逃げ出す隊員が出てくると、前線の士気はガタ落ちし、防衛線の一角が崩れてしまった。

 

 そこを突いてなだれ込んでくる水棲魔族に対し、基地司令は精鋭であるジャンヌの部隊を当ててどうにか凌いだが、精鋭部隊はいくつもあるわけではない。どこかで均衡が破れる度に、ジャンヌの部隊は八面六臂の活躍を見せたが、ついには手が足りず押され始めてしまった。

 

 一度押されていることが全軍に知れ渡ると動揺が動揺を呼び、今度は狭い基地に押し込められている状況を不安に思って、ドミニオンはますます精彩を欠いていった。パニックになった隊員同士が基地内で衝突し、敵と戦っていないのに怪我人が出る始末だった。

 

 オアンネスを片付けていた新型持ちも、援護を受けられなくなったせいで徐々に数を減らし、いよいよ敵の攻勢は止まらなくなった。こうなっては基地も放棄していっそ山に逃げたほうがいいが、そうしようにも既にそちら方面にも水棲魔族は回り込みつつあり、まともに撤退することすら出来ない状況だった。

 

 ここを死地として戦い続けるか……はたまた内陸部へ強行突破すべきか……

 

 万事休すか。基地司令は二者択一を迫られた。どちらにせよ、もはや人類の敗北は間違いないだろう。ならばせめて被害を少なくしようと、彼女はウリエルに天使の介入を要請しようとした時だった。

 

 ふと見上げれば、そのウリエルがアズラエルを伴って空高くへと舞い上がっているのが見えた。ウリエルは彼女の代名詞である炎の剣を持ち、そしてアズラエルはオリジナルゴスペル・ジャガーノートを掲げている。

 

 まるで儀式めいた姿に、一体何をするつもりだろうとドミニオンたちが見上げる中、ふいにアズラエルは、オアンネスから次々と撃ち出される水撃を物ともせず、杖を高々と上げて何やらを叫んだ。

 

 頭の中に直接響いてくるかのように、アズラエルの言葉が戦場に響き渡る。彼女の体は金色に輝き、まるで夜空に突如出現した二つ目の月のようだった。

 

「世の穢れ、人の堕落、争いと憎しみ。破壊と再生を乗り越え、真の楽園へといざ向かわん。死よ! 恐れるな! その腕に抱き、すべての生命を流し尽くせ! 冥府を下り深淵を導かん、大洪水(タイダルウェイブ)!」

 

 詠唱が完成するや否や、どこからともなく巨大な津波が押し寄せてきた。それは人類の籠もる基地を飛び越えるように波頭が割れると、滝のように水棲魔族の群れの上に落っこちた。

 

 その直撃を受けた魔族が次々と海まで流されていく。

 

 たった今まで、基地の壁を挟んで押し合いへし合いをしていた人類と魔族は、驚いたことに、このたった一度の津波によって分断され、双方の間には水浸しになった白い砂浜だけが残っていた。

 

 基地を取り囲む数十万という魔族を一斉に遠ざけたその津波の威力は強大だったが、とは言え、元々水辺で暮らしている水棲魔族にそんなことをしても、盗人に追い銭みたいなものだった。水を受けた水棲魔族はますます活性化し、水浸しになった地面は彼らを寧ろ強化した。

 

 アズラエルは、人類を助けようとしてやったのだろうが、これではまるで逆ではないかと、ドミニオンたちから不満の声が湧き上がる。一体全体、彼女は何がしたかったのだ?

 

 そんな怨嗟の声が渦巻く中で、アズラエルは更に信じられない行動を取った。

 

「聞け、愚かで矮小なる人間どもよ! 我は蓬莱の海より出でし魔王レヴィアタン。この世全ての魔族を統べる王である! これより我は古の約定に従い、汝ら人類を討つ旅に出る。恐れ敬え! 地に伏せよ! さあ! 我が同胞(はらから)よ、共に行こう! 今こそ我の後に続くのだ!」

 

 その突然の裏切り宣言に、ドミニオンたちから悲鳴と怒号が上がった。まさか、この期に及んでの裏切りに、あちこちから光弾が飛びアズラエルを襲うも、彼女はそれを悠々と交わして地面スレスレを滑空しながら、水棲魔族の大群の中へと飛び込んでいった。

 

 その後姿をウリエルは追いかけもせずに、じっと宙に浮いたまま見つめている。まさか、四大天使までも裏切ったのか? あまりにも想定外の出来事を前に、ドミニオンたちの嘆きが轟く中で、基地司令は何故か命令を下すことはせず、じっと事の成り行きを固唾を呑んで見守っていた。

 

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