時は遡り、水棲魔族の大群がケアンズを襲う数時間前。鳳たちは基地を離れてはるか北方のジャングルの中に居た。同行者は鳳、ミッシェル、サムソン、アリス、そしてラファエルの5人である。
そんな少人数で何をしようとしているのかと言えば、まあ、結論から言ってしまえば、魔王討伐である。彼らは基地にいるドミニオン10万という餌に、魔族の群れの本隊が食いついている間に、おそらくは後方に控えているであろう魔王を倒してしまおうとしていたのだ。
水棲魔族はこれまでもケアンズに散発的な攻撃を仕掛けてくることはあったが、あのクリスマス以降、ここまで大規模な攻勢を行うようになったのは、明らかに群れに変化が起きたからとしか考えられなかった。
そしてそれは、アズラエルの遺伝子を持つ個体が、新しい女王として群れに君臨しているからと考えるのが自然である。つまり、今回の大規模襲撃は、かつてヘルメスを襲ったオークキングのような強力な個体が率いていると考えられるわけだ。
本来ならそいつを倒してしまえば群れは瓦解するだろう。だが、レヴィアタンの問題は、仮に女王を倒したとしても、また新たな女王が生まれてしまうことにあった。その問題を解決しない限りは、群れを率いている魔王だけを狙ったところで意味がないのであるが……それをどうするかには考えがあった。
ともあれ、相手は知恵が回る。事前にオリジナルゴスペルを狙ってきたように、今回襲ってきたレヴィアタン勢力は、人類のことをある程度研究していると考えられた。故に、基地を襲撃するにしても、どこを攻撃すれば相手が嫌がるか、ある程度作戦を立てている可能性が高いだろう。だとしたら、普通に戦っても消耗戦は避けられず、そして彼我の戦力差を考えればこちらに勝算は殆どないと言えた。
だが、知恵が回ると言うことは、逆にこちらからも予想が立てられるということだ。
普通に考えれば、海洋資源を主な食料としている水棲魔族は、ニューギニアに居れば食うには困らないはずだった。人間にとって魔族が天敵であるように、魔族にとっても人間は襲うにはコストがかかりすぎる相手と言えた。それなのにこのような用意周到な襲撃を行ってきたのには何か理由があるはずだ。
恐らく、大陸に渡ってきた連中にとって、人間はリスクを負うに足る魅力的な食料になったのではないだろうか。アズラエルの遺伝子を受け継いだ個体は、魔族のくせに頭がまわり、更には、創造性を持たない魔族には出来ないはずの魔法が使えた。要は、普通の魔族よりもずっと脳を酷使するようになってしまったために、それを補うエネルギーが必要になったのだ。
それで連中は襲撃をかけてきたわけだが、しかし、だからといって女王自らが戦う必要はない。相手は蟻や蜂のような社会性動物なのだから、獲物を集めるのはワーカーに任せて、女王はリスクを負わずに巣で待っていると考えるのが妥当だ。
お誂え向きに、水棲魔族には生殖にしか興味がないオスが掃いて捨てるほど居り、そいつらがいくら死んでもメスは心が傷まない。故に、レヴィアタンはオスを人間にけしかけ、奴らにレイプされて無力化した人間をメスに持ち帰らせ、眷属を産ませるもよし、捕食して
そう考えれば、女王はケアンズを襲っている群れの中には存在しない。群れからそう遠くはないが、もっと安全な場所に営巣しているはずである。
そういう視点で改めてマスコミが撮影した映像を見直してみたところ、案の定、群れから少し離れたところに、インスマウスが一切見当たらない、アズラエルの分身ばかりが集中している集団があった。確認するとその集団は、大陸に渡ってきてから常に最後尾に位置しており、いよいよケアンズに迫った今日は一歩も移動をせず、群れから孤立していた。
その中には複数の巨大な海竜の存在も確認され、恐らくそのうちのどれかが……いや、もしかするとその全てが、魔王レヴィアタンという可能性が高かった。とにかく分かっていることは、この集団が群れにとって何か特別であるのは間違いないということである。
鳳たちはそう考え、そのボス集団に奇襲をかけるべく、内陸から群れの後背へ迫っていた。
水棲魔族一千万の大群が押し寄せてくる……と言っても大陸中を埋め尽くす程ではなく、それは海岸線に沿って南下しているわけだから、内陸部に少し入れば割と平穏だったのだ。だから、魔族の群れを避けてその背後に回るのは、案外簡単だった。
彼らは水棲魔族の大軍勢がケアンズに到達しようとするほんの少し前、迎撃準備で忙しい基地から抜け出して、ジャングルの上をラファエルの翼で運んでもらい、なおかつミッシェルの認識阻害を使って、目的地までこっそり近づいていった。
でかい集団を束ねている余裕か、それとも人間など取るに足らない相手と思っているのか、ジャングルから確認したボス集団は油断しきっていて、近くに鳳たちが潜んでいることに全く気づかず、完全に無警戒のように見えた。
実際、連中の頭の中には失敗なんて文字は無かったのだろう。テレビカメラで確認した時、ボス集団には巨大な海竜が複数確認されたが、そいつらが何をやっているのかまでは遠すぎてよく分からなかった。だが、こうして近づいてみれば、何をやっているかは一目瞭然である。なんと連中は産卵をしていたのだ。
巨大な海竜は群れの中心でいくつかの卵を産卵し、すると卵はすぐに割れて、中からアズラエルの分身にしか見えないオアンネスが出てくる。そいつらは生まれてすぐに海竜のことを母様母様と呼び慕いながら海竜に尽くすように行動しだす。海竜全てが母体であり、集団にはそういうグループがいくつか見え、海竜たちは飽くこともなく、ぽこぽこ卵を生み続けていた。
オアンネスたちは母海竜のために餌を取ってきたり、生まれたばかりの卵をせっせと運んだりと甲斐甲斐しく尽くすが、インスマウスが生まれてくると冷淡に追い出し、追い出されたインスマウスは何か本能的なものがそうさせるのか、ケアンズの方へのたのたと歩き去っていった。
水棲魔族の出産や、生態についてここまで間近に迫って観察したのは、恐らく鳳たちが人類でも初めてだったろう。アズラエルがここに居れば今頃鼻息を荒くしている頃だ。だが、今はそんなことに気を取られている場合ではない。
とにかく、これで分かったことは、海竜が水棲魔族の母であることと、この集団が間違いなくあの大軍勢を率いているボス集団であることだ。なら、やるべきことは一つしかない。
「……見えてる敵の数は多いけど、幸いなことに海竜の姿は数えるほどしかない。サムソン、ラファエルは、とにかく全ての海竜を倒してくれ。あとの連中は無視していい」
「ああ、いいぜ」「うほうほ」
ラファエルとサムソンが頷く。
「戦闘が始まったらアリスは味方を連中の水撃から守ってくれ。ミッシェルさんは、そのアリスの姿を敵からバレないように認識阻害で隠しててください」
「かしこまりました」「僕たちは隠れていればいいんだね」
少し緊張気味なアリスとは対象的に、ミッシェルがのほほんと返事をする。
鳳は四人の返事を確認すると、預かってきた携帯端末を取り出し、上空に通信用の気球を飛ばし、それが十分に上がったところで、ケアンズにいるウリエルに連絡を送った。暫くすると、ミッシェルの魔法の範囲から気球が出てしまったのか、群れの中の一個体が上空を指差し騒ぎ出した。どうやら気づかれてしまったらしい。連中に警戒されてしまう前に早めにケリを付けたほうがいいと、鳳は前衛二人に合図を送った。
「俺は左に回り込む。サムソンは右から、ラファエルは正面から好きにやってくれ!」
「そうこなくっちゃなっ!!」
そんな掛け声とともに、ラファエルとサムソンの二人は金色のオーラに包まれ、とても人間とは思えないような速度でレヴィアタンの群れへと突っ込んでいった。
鳳はそんなサイヤ人みたいな真似は出来ないので、控えめに光の剣を作り出すと、後衛の二人を一度振り返ってから駆け出した。
「アイギスッ!!」
背後からアリスの声が聞こえ、自分の体が薄っすらと緑色の光に包まれる。
オアンネスたちは突然の奇襲にうろたえ、二人からの一撃目をモロに食らってしまったが、すぐに体勢を立て直すと母体である海竜を守るように展開し、迫りくる鳳たちに向けて水撃を打ち始めた。巣の中に遮蔽物はなく、味方が傷つくことなど物ともしない連中の攻撃は、文字通り水も漏らさぬ弾幕を張り巡らせた。
コンクリートすら打ち砕くその高圧の水に撃ち抜かれたら一巻の終わりであるが、しかしアイギスの絶対防御を受けた鳳たちはそんな攻撃など物ともせず、目についたデカブツを片っ端から切り刻んでいった。
「なんだあ~? こいつら……全っ然! 歯ごたえがねえじゃねえかっ!!」
オアンネスの援護を受けられず泡を食った形の海竜たちは、それでも魔王らしく反撃してきたが、鳳はともかくとして、人間をやめてしまったサムソンと、ラファエルの相手にはならなかった。
そんな不甲斐ない相手に対してラファエルは失望のため息を漏らす。ところが、そうして二人が海竜を一体ずつ屠っていくと、突然、群れのあちこちから奇妙な光が溢れ出し、何体ものオアンネスが次々巨大な海竜へと変身していった。
アズラエルの体からバキバキと音が鳴ると、背中が割れて中からグロテスクな肉塊が飛び出し、それはみるみるうちに巨大な肉団子のように増殖していったと思うと、脱皮するかのように血まみれの皮が脱げ落ち、中から鱗に覆われた海竜が現れた。
一体全体、その小さな体のどこにそれだけの細胞が存在していたのか……その無茶苦茶な変形には神に文句をつけたくなるが、以前にアズラエルが教えてくれたように、レヴィアタンの女王が倒れるとすぐに新たな女王が誕生するのは本当のようだった。
しかも新たに誕生した女王は、明らかに倒した数よりも増えており、どうやら不測の事態が起きるとレヴィアタンは寧ろ数を増すようである。
そして女王は流石にワーカーであるオアンネスより強く、そんな連中が大量に暴れだしたら、普通に考えれば堪ったものじゃないのであるが……戦闘狂であるラファエルにとっては寧ろ血湧き肉躍るご褒美だったらしく、
「おお! いいねえ……魔王っつったらこれくらいのことやってくなきゃだぜ!」
彼はニヤリとした笑みを浮かべると、躊躇なく新たに誕生した海竜の群れへと飛び込んでいった。しかし鳳はそれじゃ駄目だと彼の背中に向かって叫んだ。
「待て! ラファエル! そいつらには手を出すな! 最初から居た海竜だけを狙うんだ!」
「はあ!? なんでだあ!? こいつらとやったほうが楽しいだろうに」
「理由は説明しただろう!! 遊びじゃないんだよ! しっかりやってくれ、お前が頼りなんだから!」
「ちっ……しゃあねえなあ」
鳳に頼まれたのが満更でもないのか、ラファエルは舌打ちすると素直に作戦に戻り、最初の個体を倒しはじめた。
レヴィアタンの女王は、アナザーヘブン世界で鳳とジャンヌがやっとのことで倒したのと比べると明らかに弱かったが、それでも今の鳳では手も足も出ないくらいの強さがあった。ところが、そんな強力な魔王相手でも、サムソンとラファエルの二人にはまるで関係ないようだった。
ここに来るまで、どれほどの修行を積んできたのだろうか、二人は布でも引き裂くかのように簡単にその硬い鱗を打ち抜き、的確に急所を突いて女王の息の根を止めていった。相手の切り札である水撃はアイギスによって悉く防がれ、そして魔王最大の魔法である
それはまるで
気がつけば最初十体程度だった巨大海竜は、100体を超える大所帯にまで成長し、いつの間にかインスマウスの数が増えて、群れ全体が膨張していた。
オスが増えているのは出産のコストが軽いからだろうか。オアンネスと比べると厄介ではないが、いかんせん数が多すぎる。ケアンズにはさらに一千万近くの群れが存在するのだ。これら全部を一体どうやって片付けるというのか……
流石のラファエルも少々不安を覚えて来た時だった。
「よっしゃ! そしたら逃げるぜ!」
鳳は、最初からいた海竜を全部片付けたのを確認すると、奇襲前よりも巨大になってしまったボス集団を前にして、手をこまねいていたラファエルに向かって叫んだ。
その声を合図にミッシェルが認識阻害を開始したのか、一瞬、群れがビクッっと揺れて、消えた鳳たちを探してうろうろし始めた。
鳳たちはその間に合流すると、またラファエルの翼で空に舞い上がった。そして十分に距離を取ったのを確認してから、鳳はミッシェルに魔法を解除するように頼むと、一路ケアンズを目指して5人は飛び立った。5人の姿を発見したボス集団が、目を吊り上げながらその後を追いかける。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
ラファエルは時折、不安げに背後を振り返りながら鳳に話しかけてくる。彼は、意外と繊細な天使に向かって脳天気な声で答えた。
「そんな顔すんなって。俺の予想が正しければ、あの群れは既に無力化している。あとはアズにゃんが上手くやってくれるかどうかだけど……」
「駄目だったらどうすんだよ?」
「駄目だったらその時はその時。人類が滅亡するだけだよ」
「おいおい」
ラファエルは、鳳の他人事みたいな台詞に眉をひそめる。
「まあ、心配になる気持ちは分からなくもないけど、俺は今は確信しているよ。女王の数が最初奇襲をかけた時よりも増えてるだろう? 見ての通り、あの連中はその気になれば、自分の意思でいつでも女王に変身出来たんだ。それをしなかったってことがどういう意味かを考えれば、自ずと答えは導かれるのさ」
「ふーん……それがお前の勘違いじゃなきゃいいけどな」
「タイクーン! 見えてきたよ~!」
背後に迫る集団を見ながら会話していた二人は、ミッシェルの言葉にまた前を向くと、今度は彼の指差す先に蠢く巨大な影を見つけた。
上空から見てもまだ数十キロ先にあるそれは、地上を追いかけるボス集団からは見えなかったであろう。だが、聞こえてくる大地震のような地響きから、何が近づいてくるのか察した連中は、鳳たちを追いかけながら愉快そうに嘲りの声を上げた。
「きゃははは! あいつら、仲間の群れに向かって突っ込んでくわ、姉さま」
「母様と母様の敵よ、姉さま! あいつらを食らって、また姉さまを産んでちょうだい、母様!」
「死ね! 死ね! 死ね!」
今、鳳たちの目の前に広がる地平線を埋め尽くす集団とは、言うまでもなく、ケアンズを襲っていた数百万の水棲魔族の軍勢だった。それが仕事を終えて戻ってきたのだと、ボス集団は歓呼に湧いた。
軍勢は、基地に居たドミニオンおよそ10万人を連れているはずだ。その脳髄を啜り、血肉を喰らえば、また同胞たちを大量に増やせるはずだ。
オアンネスたちは邪悪な笑い声が夜空に響き、上空を逃げ続ける鳳たちに罵声が浴びせられる。
その時、東の空に朝日が昇り、前方の巨大な集団に光が差した。それは太陽を浴びてキラキラと輝き、まるで光の洪水のように見えた。光の波が地を覆い尽くし、ぐんぐんとこちらに迫ってくる。実際にはそれは水棲魔族のヌメッとした肌に反射しているだけなのだが、規模が規模だけに、なんだか神々しくさえ思えた。
美しく見えても、キラキラと輝くその光の粒一つ一つは水棲魔族なのだ。その数百万という光の中に、もしも飛び込んでしまったら、きっと魔王であっても一溜まりもないであろう。
ドドドドド……っと、地面を揺らしながら、数百万の水棲魔族が迫ってくる。
ところが、鳳たちはそんな巨大な光の中に、臆することなくまっすぐ突っ込んでいってしまった。空を飛んでいれば回避出来ただろうに、何故か彼らは地面すれすれまで降りると、まるで集団を誘導するかのようにその中に飛び込んでいった。
ボス集団の中には、それを見て不審に思う個体も居ただろう。だが勢いを得た集団が今更後に引けるわけもなく……魔族たちはそのまま鳳たちを追いかけて、前方に迫る
しかし……次の瞬間、彼らはそれが大きな間違いであることを思い知らされた。
ボス集団を飲み込んだ数百万の水棲魔族の大軍勢は、まるでそうすることが当たり前と言わんばかりに、躊躇なく同胞であるはずのボス集団に襲いかかった。
巨大な海竜に群がるようにインスマウスの群れが覆いかぶさり、バキバキと何かを噛み砕く音が一斉に鳴り響いた。悲鳴が轟き、さっきまで真っ白に輝いていた光の波が、みるみる内に真っ赤に染まっていった。
見下していたオスに組み伏せられ、アズラエルにそっくりなオアンネスたちの泣き声が轟いた。彼女らはついさっきまで、自分たちが支配していたと思っていたはずの群れに襲われ、成すすべもなく命を刈り取られていった。
うつろな瞳が空を見上げている。見つめる瞳には、空の上で杖を掲げる、自分たちにそっくりな天使の姿が映し出されていた。