『テレビの前のみなさん! 御覧ください! ケアンズ基地を襲っていた、あの総勢1000万にも上ると言われた水棲魔族が、今、大人しく海に帰っていきます! その夥しい数の魔族を前に、一時は人類はどうなってしまうかと心配されましたが、魔族はついに侵攻を諦めた模様です! それもこれも、水棲魔族の行動を操る魔法を生み出したという、天使アズラエル様のお陰なのです。見てください! あの勇姿を! 魔族の群れの上空で、彼女がゴスペル・ジャガーノートを振るうたびに、それに呼応して群れは移動を行います。アズラエル様が、これら全ての魔族を操っているのです! 彼女こそ救世主と呼ぶにふさわしい、この世の守り神です!』
ケアンズを襲った水棲魔族の群れを、上空からマスコミヘリが撮影していた。中継映像には、その魔族の群れの上を飛ぶアズラエルの姿が映し出されており、彼女が杖を振る度に群れが方向転換する姿を映し出すことで、彼女がそれを掌握していることをお茶の間に伝えていた。
それによって南方の都市へ避難していたブリスベンの人々は安堵し、あちこちの都市で気勢を上げていた反政府デモは鳴りを潜めたようだった。中部の砂漠地帯に逃げた人々は、貴重な水を噴水のようにばら撒いて祝ってくれているらしい。彼女らにはもう、そんな水は必要ないということだろう。
鳳はそんな人々の歓喜する映像を、白々しい茶番だと思いながらモニターで眺めていた。なにせ戦闘が始まる前、アズラエルは一人で全ての罪を背負っていたのだ。それが彼女が魔族を掌握するや否や、すかさずの手のひら返しを見せられては、そう思わない方がどうかしているだろう。
それはきっと、マスコミの呼びかけるお茶の間のみなさんもそう思っていることだろう。だが、それでもこんな茶番を繰り広げなければいけないくらい、今回、人類は追い詰められていたのだ。
正直なところ、鳳としても今回は、最後の最後までどうしていいかわからないような相手だった。もしもクリスマスの夜に襲ってきたのがアズラエルの血族じゃなかったら、その後の作戦は絶対思いつかなかっただろう。
いや、そもそも、逃げ出したアズラエルの血族が勢力を伸ばしていなかったら……彼女らが計画的な襲撃を行えるくらい知恵がついていなかったら……水棲魔族は相変わらずインドネシアやメラネシアの島々で気ままに蠱毒を続けているはずで、こちらから手出しをする策は今も見つかっていなかったはずだ。
もしも16年前、アズラエルがダーウィン撤退戦で命を落としていなかったら……魔族として復活した彼女が、自分の精液を人類のために使おうと思わなかったら……たらればを言い出せば切りがないが、そう考えると今回の件は、全てアズラエルが人類を救いたいという気持ちが導いてくれたものだったとも思える。
これも天の配剤というのだろうか。この世界には本当に神がいるのだから笑い話にもならないが、今は素直にその計らいに感謝しておこう。
「おーい! 飛鳥くん、飛鳥くん!」
そんなことを考えつつアリスの肩越しにテレビを見ていたら、遠くの方から鳳を呼ぶ陽気な声が聞こえてきた。見れば襲撃の後片付けをしているドミニオンの車両のボンネットの上で、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、こっちに手を振る神楽やよいの姿があった。
テレビから離れるのを名残惜しそうにしているアリスにそのまま見てなと言うと、鳳は彼女の方へ歩いていった。
「やあやあ、今回もお手柄だったそうだね。聞いたよ? 君があのレヴィアタンの親玉をやっつけちゃったんだって?」
「いや、やっつけたのは、俺じゃなくって……あー……殆どラファエル様が片付けてくれたんです。俺はその後をついていっただけで」
まさかサムソンの存在を言うわけにもいかないのでそんな風にお茶を濁していると、やよいはうんうん頷きながら、
「そうなの? ラファエル様ってそんなに強かったんだ。驚き驚き。でも君だって、ついてくだけでも結構凄いと思うよ。私だったら全力でごめんだもんね」
「言い出しっぺだから断れなかったんですよ……ところでこっちには何しに? 主任さんも魔族の死体の掃除に駆り出されたんですか?」
ケアンズで基地を襲った大軍団は、その後、かつて自分たちのボスだった集団と戦って、また多数の命を散らしていった。その死体が海岸のあちこちに転がっているから、放っておいたら生態系を乱しかねないので、ドミニオンたちは広範囲に渡ってそれを片付けているところだった。
だからてっきり、やよいもその任務についているのだと思っていたのだが、
「とんでもない! 私はそんな仕事を振られたら、全力で逃げ出すよ? 退職も辞さない覚悟だよ」
「そんなの一生懸命働いてる他の隊員の前で言わんでくださいよ……それじゃ、あんた何しに来たんです?」
鳳がジト目で突っ込むと、彼女はポンと手を叩いて、
「そうだったそうだった。その魔族の死体を片付けていた隊員がね? 君たちが最初に襲撃したっていうボス集団のコロニーの中で、メタトロンとサンダルフォンを見つけたんだって! それで早速回収しに行こうとしてたら、君がいるのを見掛けたから」
「あー! あいつら、オリジナルを捨てずに、後生大事に巣の中に隠してたんですか? ふーん……もしかして、人間が大事にしてるから、お宝みたいに思ってたんでしょうかね?」
「さあ、分からないけど、紛失しなくて良かったよ。で、私は行くけど、君も行くでしょ? 壊れたりしてないか、その場で調べるつもりで色々持ってきたんだ」
「俺も行っていいんですか? それじゃあ……アリス!」
「おや? その子はアイギスの子だね? 道中でいいから話を聞かせてよ」
やよいが乗ってきた車に乗せられ、彼女をガン無視してカーナビに夢中になってるアリスに代わって質問に答えながら、鳳たちは昨夜急襲したボス集団のコロニーを目指した。
あの時は行きも帰りも空を飛んでいたから分からなかったが、こうして地上を車で移動してみると結構遠くて驚いた。舗装されているわけでもないから地面の状態も悪く、オフロード車でも2時間近くかかってしまった。そんな距離をオアンネスたちは、空飛ぶ天使と同じ速度で駆けていたのだから、アズラエルの血を受け継いだ連中がどれほどの脅威であったかが窺える。
本当に作戦が上手くいってよかった。もしもアズラエルが連中を支配出来なかったら、今頃、人類は滅びの道をまっしぐらに突き進んでいたことだろう。
「まあ! 白様! こちらにいらしたのですか?」
現場に到着すると、発掘されたオリジナル・ゴスペルの横に瑠璃がいて、鳳のことを見つけるなり駆け寄ってきて腕に抱きついた。
どうやら、ここは重要な場所だから、精鋭のジャンヌの部隊が捜索を行っていたようだ。とすると、発見したのは彼女たちなのだろうか? 鳳がその時のことを尋ねようとしたら、テレビに釘付けになっていたはずのアリスが二人の間に割って入り、
「離れなさい、庶民。気安くご主人さまに触れるんじゃありません」
「まあ! またこのちびっ子ですの!? あなたこそ、邪魔をしないでくださいます!」
鳳のことをそっちのけに二人はやいのやいのと喧嘩を始めた。
話を聞きたいだけなのに、こいつら本当は仲良しなんじゃないのかと、その罵り合いを黙って見守っていると、胃腸の弱い中間管理職みたいな顔をした琥珀がやってきたので、そっちに聞いてみた。
「よう、琥珀。この二丁はおまえらの部隊が見つけてくれたの?」
「え、うん。そうですけど……二人を止めなくっていいんですか?」
「いいのいいの」
どうせアリスに(軍人である)瑠璃を傷つける力はなく、瑠璃に(アイギスを持つ)アリスを傷つける力もない。そんな趣旨のことを言ったら琥珀も安心したらしく、少し表情が和らいだ。その横を神楽やよいが通過していく。彼女は彼女で、ゴスペルしか眼中に無いようだった。鳳はそんなマイペースな連中を横目に見ながら、
「それで、どこで見つけたの? 襲撃の時に気づいていたら回収してたんだけど、あの時は全然気づかなかったなあ」
「実は……そのことで、ちょっと気になることがあって」
「気になること?」
「こっちです」
鳳たちはいがみ合う二人を置き去りに、発見されたオリジナル・ゴスペルのもとへと歩いていった。
もっと薄汚れていたり破壊されていたりしているんじゃないかと思っていたが、相変わらずビームライフルみたいな2つのゴスペルは、山の上の施設にあった時と変わらないピカピカの状態で保管されていた。両ゴスペルの前には既にやよいがスタンバイして、何やらコードをペタペタ貼り付け、端末をいじりながらふむふむ頷いている。
オアンネスたちがこれを奪ったのが人類の戦力を削ぐためだとしたら、破壊もせず綺麗に取っておくのは不自然だなと思っていると、琥珀がそれらを指差しながらこんなことを言い出した。
「実は、これが発見された時に、僕もちょっと触れる機会があったんですけど、何か変な違和感があるっていうか……妙な感じがしたんですよ。それで飛鳥さんなら何か分かるんじゃないかなって思って」
「変な感覚?」
「はい。何ていうのかな……このままじゃまずいっていうか、暴走するような感じっていうか……パンパンに膨れた風船を持っているような感覚ですかね? でも特におかしなところは見当たらなくて……」
「ふむ……武田くんは中々詩的だねえ。でも、これはちょっと……まずいことになってるかも知れないよ?」
二人がそんな会話を続けている間も、ゴスペルを弄りながら何か真剣に作業していたやよいが、端末から目を離さずに呟くように言った。
彼女は端末をパチパチと指で叩きながら、次々ウィンドウを開いたり閉じたりして何かを調べているようだった。一体何をしているんだろうと思って、その肩越しから覗き込んでみると、気配を察知したのか彼女はいくつかのウィンドウを指し示し、鳳に見やすいよう横に傾けて見せた。
彼にはそこに書かれている数値や波形が何を意味しているか分からなかったが、
「これはメタトロン内のエネルギーのスペクトルを表してるの。これによると、今メタトロンの中には恒星の表面温度を超えるエネルギーが溜まってることになるんだけど……」
「恒星の表面温度!?」
「を、軽く超えた、ね。地球ごと滅ぼすつもり? って感じ。それがメタトロンだけじゃなく、サンダルフォンからも検出されてる。もしこれが本物なら、暴走なんかされたら今すぐ太陽系ごとサヨナラだよ」
鳳が驚いて2つのゴスペルに触れてみると、確かにその内部にあるイマジナリーエンジンからとんでもない量の第5粒子の流れを感じた。ただ、それは暴走しているような感じではなくて、イマジナリーエンジン内で安定しているような感じではある。
これだけのエネルギーを生み出すには、一つの宇宙を消滅させるくらいのことをしなきゃ不可能だ。いきなりこんなとんでもないエネルギーが溜まっていることには驚いたが、しかし二人にはこの二丁のゴスペルに何が起きているのかの予想はついていた。
「もしかして……レヴィアタンがゴスペルを使おうとしたってのか?」
「そうだねえ、デウスエクスマキナ・モードが発動してるって考えるのが妥当だけど、でもそれだとちょっと不可解なんだよなあ」
「不可解……?」
「まず、使用には適正が必要なゴスペルを、どうやって魔族が動かしたのか? それから、これを使って何を攻撃しようとしたのか? 我々人類を攻撃しようとしていたなら、こんなエネルギーは必要ないし、第一、神の兵器が人間を攻撃するために発動するとは思えないでしょう?」
「なるほど……じゃあ、なんでこんなエネルギーが溜まってるんだろう?」
鳳がそう言いながら首を傾げた時だった。
遥か遠くの地平線が急にピカッと光って、数秒の後にドドン! っと地面を揺るがす巨大な音が轟いた。雷か!? と思って空を見上げるも、360度見渡す限りの快晴で、とても天気が崩れそうな気配はない。
それじゃ一体あの音はなんだったのだろうかと思っていると、再度ドドンッ! と轟音が轟いて、鳳はそれがさっきまで自分たちがいた水棲魔族との決戦地の方だと気づいた。
もしかして、何か不測の事態が起こってドミニオンが交戦状態に入ったのだろうか?
やよいと目配せをし、確認をしようと彼女の車へ戻ろうとしたら、既にそこにいたアリスが血相を変えて鳳に向かって手を振っていた。
「ご主人さま! ご主人さま! こっちに来てテレビを見てください!」
こんな時にと思いもしたが、どこか緊迫している彼女に促されてカーナビに映し出された映像を見てみたら、そこには信じられない光景が映し出されていた。
恐らくそれは先程海に帰っていく水棲魔族を映し出していたカメラクルーからの映像だろう。上空から海を映していたカメラが突然パンしたかと思うと、遠くの空に何かがポツンと黒い点が浮いているのが見えた。
レポーターたちがあれはなんだ? と言っていると、するとその黒い点から、突然、真っ赤なレーザービームみたいなものが飛び出し、海岸線で作業しているドミニオンの車両を、ドドン! っと吹き飛ばした。
その爆風は上空のヘリにまで届いたのか、いきなりぐるんと画面が傾き、クルーたちの悲鳴が上がって、ザーザーと音を立てて映像が止まってしまった。画面が真っ暗になり、一体何が起きているのかと戸惑うアナウンサーの声だけが聞こえてきて、それから暫くして映像が回復すると……そこには信じられない物が映し出されていた。
「あれは……魔王なの?」
隣で同じ動画を見ていたやよいが呟く。
そこに映し出されていたのは、空を飛ぶ一匹のドラゴンだった。その体は全身真っ黒な鱗で覆われて、目は爬虫類のようにギョロリとしており、口はカバみたいに大きくて、巨大な四本の牙が上下に突き出しているのが見える。胴体は丸くずんぐりむっくりで、下半身にかけて太っていたが、対象的に四肢は筋肉質で細長く、そしてその先端には鋭利な爪がギラリと光っていた。
そしてその背中には不釣り合いなほど大きな翼が生えていて、それがバサバサと羽ばたく度に、でっぷりとした巨体が上下に揺れて贅肉がブルブルと震えた。
空力的にそんなのでホバリング出来るわけはないから、恐らくその翼は見掛け倒しのファンタジーだろう。だから逆に言えば、そいつは第5粒子エネルギーを使って魔法的な方法で飛んでいるのは間違いなかった。つまりそれは魔王であると言うことである。
レヴィアタンという魔王を退けたばかりのドミニオンは、まさかそんなところへ別の魔王が飛んでくるとは思いもよらず、完全に動揺しきって麻痺状態に陥っていた。歴戦の英雄と言われた基地司令
勇敢な隊員たちがゴスペルを使って光弾を飛ばしていたが、硬い鱗に弾かれてしまい全くの無意味だった。新型の連携攻撃も効いているようには思えず、そもそも、空を自在に飛び回る相手にそんなものをタイミングよく当てるのは不可能だった。
ちまちまと攻撃されることを嫌がったのか、ドラゴンは光弾を飛ばしてくる地上の虫けらをじろりと睨むと、その巨大な口から怪光線を飛ばして地面を焼き払ってしまった。光線が地面をドロリと溶かしてマグマと化し、真っ黒な炭の塊になった隊員が風に吹かれてチリチリと飛んでいった。その余りに理不尽な暴力に恐れを為した別の隊員が逃げ回り、地上はさながら阿鼻叫喚の地獄絵図といった様相を呈していた。
ようやく撤退命令が出たのか、泡を食ってたようにドミニオンたちが逃げ出していく。するとその中から2つの影が飛び出してきて、空を飛ぶドラゴンに肉迫した。巨大な炎の剣を構えたウリエルと、疾風のようにドラゴンの周囲を飛び回るラファエルである。
二人は交互にドラゴンに接近しながら攻撃を仕掛けている。四大天使の中でも武闘派の二人の攻撃には、さしもの魔王も無傷とはいかないらしく、ドラゴンはまるで駄々っ子みたいに手足をめちゃくちゃに振り回し、二人の接近を拒んだ。
その予測不能な動きに対応しきれず、ラファエルが直撃を食らうと、信じられない速度で地面に激突し、噴煙のような砂煙が上がった。すると仲間がやられたと思ったのか、どこからともなく金色のオーラを纏ったサムソンが現れて、上空を飛び回るドラゴンに向かって岩を投げつけ、飛びかかろうとジャンプした。
しかしいかんせん、彼には空を飛ぶ能力はなく、ノミのように地面をぴょんぴょん飛び跳ねるのが関の山だった。寧ろ、突然の魔族の登場に驚いて、撤退中のドミニオンを混乱させただけのようだ。ミッシェルになんとか収めて貰いたいところだが、あの御仁は多分諦めて高みの見物を決め込んでいるだろう。
上空で一対一の勝負に持ち込まれたウリエルが炎の剣を振るう度、爆炎が放たれドラゴンを襲い、負けじとドラゴンも応戦して、その巨大な口から炎を吐き出す。双方の炎が地面にぶつかっては爆音が轟き、抉れた地面が文字通り土砂降りとなって降り注いだ。
土砂の直撃を食らって倒れる者、血を流してうずくまる者、二次被害が広がり過ぎて、もうどれだけの犠牲が出ているか分からなかった。
と、その時……突然、巨大な噴水のような水撃が放たれ、ドラゴンの体を強引に押し流していった。このままじゃまずいと思ったのか、アズラエルが暴れまわる魔王をドミニオンたちから引き剥がそうとしたのだろう。点ではなく面で押されてはデカブツには対処しきれず、魔王はあっという間に数キロ押し流されていった。
藻掻きながらどうにか宙へと抜け出した魔王は、自分が押し負けたことに腹を立てたのだろうか、アズラエルに矛先を変えると、ウリエルに放っていた炎のブレスを彼女目掛けてめちゃくちゃに撃ち出した。
ウリエルやラファエルと違い、武闘派とは言えない彼女がその直撃をモロに受けて吹き飛んでいく……爆炎に包まれ、ものすごい速さで飛んでいくアズラエルを見て、これはヤバいんじゃないかと思っていると、その時、
「我と我が主を守り給え……アイギス!」
モニターに見入っていたら、突然、背後でアリスの声が聞こえ、ハッとして振り返れば、たった今そのモニターに映し出されていたアズラエルが、ちょうどこちら目掛けて吹っ飛んでくるのが見えた。その後ろには、追撃の炎が迫っている。
瑠璃や琥珀、ジャンヌ隊の面々が慌てて逃げ惑い、辺りは騒然となるが……直後、炎が着弾するやそこにドーム状の結界が広がり、炎を防いで隊員を守った。アリスの掲げるアイギスが白く輝き、二匹の光の龍が浮き上がる。
結界は炎だけを弾いてアズラエルは通し、彼女は地面に激突するとゴロゴロ転がってドミニオンの車両にぶつかって止まった。
「ああああ! ゴスペルがぁ~!」
その上に設置してあったゴスペルがボーリングのピンみたいに弾け飛び、それを見た神楽やよいの情けない声が響いた。ドラゴンのブレスで地面は真っ黒に焼け焦げ、あちこちで陽炎が揺らめいていたが、アリスの結界のあるところだけがミステリーサークルみたいに綺麗なままだった。
「て、て、撤退よー! みんな車に早く乗ってっ!!」
結界はその熱までは防げなかったのか、熱波が襲って全身から脂汗が流れ出す。空を見上げれば、仕留めそこねたことに気づいているのか、ドラゴンが一直線にこちらへ向かってくるのが見えた。それを見たジャンヌが撤退を指示するが、
「でも隊長、どこへ逃げるっていうんですか?」
みんな手近な車両に飛び込みながら、そんな情けない声が飛び交う。瑠璃がゴスペルを回収しようとしているやよいを手伝い、思ったよりも重たいそれを顔を真っ赤にしながら引きずっている。
「ご主人さま! お逃げください!」
追撃の炎がまた着弾し、それを防いでいるアリスの緊迫した声が聞こえてくる。結界は、こころなしか先程よりも狭まっているような気がする。アイギスも第5粒子エネルギーを使っているなら、限界があると言うことだろうか。
このままではここも保たない。彼女の言う通り、早く逃げなければならないが……
「……はははははは……ははは……」
しかし、鳳はそんな緊迫した現場で、一人ぼんやりと空を見上げながら、
「あはははははは……あはははははははは!! あははははははははは!!!」
何故か彼は狂ったように、一人笑い声を上げていた。
その哄笑は止めどなく、爆音すらかき消すかのごとく、快晴の空に響き渡った。それがあんまりにも非日常的過ぎたから、逃げ出そうとしていたドミニオンの隊員たちも、思わず足を止めてそれをじっと見つめてしまった。腹を抱えて涙まで流して、大爆笑する鳳の姿は、もはや誰の目にも狂人としか映らなかった。
「お、おい……君。大丈夫か?」
アズラエルが琥珀に抱きかかえられながら、鳳のことを心配して寄ってくる。彼はそんな彼女のことを目尻の涙を拭いながら片手で制すと、
「いや、ちょっと……笑っちゃって……はははは」
「見れば分かる。そんなことより、君も早く逃げなければ……」
「ううん、その必要はもう無いんだよ。メタトロン! サンダルフォン!」
鳳が2つのゴスペルの名を口にすると、瑠璃とやよいが必死に引きずっていたその二丁が突然光を放ち、まるで意思を持っているかのように宙を舞い、鳳と琥珀の前まで飛んできた。
ゴスペルは重力に逆らって、二人の目の前でぷかぷか浮いている。鳳はその内メタトロンの方を手にすると、サンダルフォンを前にして呆然としている琥珀に向かって言った。
「サンダルフォンを取れよ。行こう、俺たちであれをやっつけるんだ」
「僕と……飛鳥さんで?」
琥珀の目が困惑して鳳とサンダルフォンの間を交互に行き来している。そんな彼女とは対象的に、呆気にとられていたやよいがハッと息を呑むと、
「そうか! イマジナリーエンジンに溜まっていたエネルギーって……!」
「アズにゃん、傷ついてるところ悪いんだけど、出来るだけ高く俺たちを空に上げてくれないか?」
アズラエルは眉根を寄せながら首肯し、
「……よくわからないが、理由を聞いている暇は無さそうだな」
「さあ、琥珀も早く」
鳳に促され、慌てて琥珀がサンダルフォンを手にすると、アズラエルが空いていたもう片方の手を取り、鳳と一緒に二人を上空まで運んでいった。
アズラエルに止めを刺そうと着弾点に向かっていたドラゴンは、そこから彼女が飛び出してきたことに気づくと忌々しそうに咆哮を上げ、3人めがけて炎を吐いた。アズラエルはグイグイ上昇することでそれを躱すと、追いかけてくるドラゴンから逃げるように更に上へと上がっていった。
上空は3000メートルくらい上がってきただろうか。地面にいるはずの仲間の姿は、もう目視では確認出来ない。気温がぐんぐん下がってきて、その手がかじかんでしまわないように、鳳ははーっと手のひらに息を吹きかけた。
見れば隣では琥珀が真っ青な顔をしている。それはここから落ちたらという心配か、それともドラゴンのブレスに焼き殺されるかも知れないことへの恐怖か、それとも……失敗することへの不安だろうか。
しかし、ここまで来て恐れることなど何もないだろう。どうせ失敗したら死ぬだけだ。鳳はそんな彼女の背中をパンと叩くと、
「そんな死にそうな顔してんなよ。ただ引き金を引けばいい、それだけさ」
「は、ははっ」
彼の言葉に、彼女が引き攣った笑みを返すのを見ると、鳳は手にしたオリジナルゴスペルを最終確認するかのように眺めてから、その玩具みたいなライフルの銃口をドラゴンに向けて構え、トリガーに指をかけた。
ルシフェルの最高傑作と呼ばれたメタトロンが、如何ほどの威力か見せてもらおう……鳳はドラゴンに照準を合わせながら、
「……カナン先生、ちょっとお借りしますよ」
そう呟くように言うと、琥珀と二人、タイミングを合わせて引き金を引いた。
周囲には何一つない空の上で、鳳たちという荷物を抱えて飛ぶアズラエルは格好の的だったろう。お誂え向きに今日は雲ひとつ無い快晴で、空に浮かぶ三人の姿は相当目立っていたはずだ。ドラゴンは、そんな餌を目掛けて一直線に飛んで来ていたから、照準をあわせるのに苦労は全くなかった。
ドラゴンは、きっとチンケな人間に自分が傷つけられるとは思ってもいなかったのだろう。無防備に腹を晒して、バタバタと飛ぶ滑稽な姿は、寧ろこっちの方が的としては上等と言わざるを得なかった。
メタトロンとサンダルフォン、2つのゴスペルから照射された光線は、そんなドラゴンのド出っ腹に風穴を空けると、そのままホップするように軌道を変えて宇宙へと消えていった。
その腹のど真ん中に空いた大きな穴の中央には、キラキラと青白く光るコアのような点が輝いており、そこから溶岩のような炎がいくつもいくつも噴き出していた。それが地面に落ちると岩や砂はドロドロと溶け出し、地上はさながら溶岩の大河が溢れ出したかのようになった。
やがてコアは七色に脈打つ星のように輝き始め、いつの間にか点だったそれは徐々に膨れ上がる巨大な光球となった。それがドラゴンの体を全て包み込んだ時、光球は唐突に浮力を失ったかのように自由落下を始め、あっという間に地面に衝突し、そして閃光ときのこ雲を残して、それは一瞬にして消えてしまった。
断末魔は聞こえなかった。恐らく、その瞬間にはもう魔王は絶命していただろう。代わりに耳をつんざく爆音と衝撃波が襲ってきて、空を飛ぶ三人をものすごい勢いで吹き飛ばした。バランスを崩したアズラエルが琥珀の手を離し、慌てて鳳がそれを掴もうと手を伸ばすと、上昇気流が発生して三人はグルグルと回りながら空の上へと舞い上がっていった。
アズラエルの翼はもう必要ない、ものすごい風圧で彼らは一瞬にして何千メートルも上空まで飛ばされていた。
その上昇気流という名の熱波に灼かれて、鳳はヒリヒリと痛む顔を腕で覆いながら、その隙間から消えゆく魔王の最期を見届けていた。そこには突然地上に現れた太陽が、地上を真っ白く染めているような、そんな光景が繰り広げられているのだった。