誰かに頭の横を引っ叩かれたような気がした。振り返ればいつの間にか茫洋とした暗い世界のど真ん中に一人佇んでいた。
地形に見覚えがあることからして、さっきまで居た場所からは一ミリも動いていないことは間違いなかった。だが今、昼だった空は一瞬にして黒く染まり、太陽はどこにも見当たらず、遠く山の稜線は奇妙に七色に輝き、輪郭線がブレていた。
それを見ただけで、鳳は自分の身に何が起きたのかを理解した。もう何度も見たことがある光景だった。どうやら自分は何らかの事情で命を落とし、物質界を離れてまたアストラル界に来てしまったらしい。しかし、どうして自分は死んだのだろうか? その理由はさっぱり分からなかった。
まいったな……とため息交じりに、彼は周囲の様子を窺った。ここはケアンズから北へしばらく行った荒野で、目の前には例の翼竜を倒したときに出来たクレーターが、ぽっかりと口を開けていた。
鳳はそのすぐ近くで仲間に囲まれながら、どうやって魔王を倒したのかを話していたはずだが、今は誰も見当たらなかった。まあ、居たなら居たで、みんなも死んじゃったってことになるだろうから、自分ひとりだけなのは寧ろ良いことなのだろうが……代わりに自分がどうして死んだか知るすべはなくなり、もちろん、どうしたらここから元の世界に帰れるかもわからなかった。
いや、そもそも自分は元の世界に戻れるのだろうか?
アナザーヘブン世界では、鳳はこの輪郭線のブレた世界から何度も元の物質界に蘇ることが出来た。それはあっちの世界の神が幼馴染のエミリアであり、おそらく彼女がP99を用いて彼を復活させていたからだが、しかし、この世界の神はエミリアではなく、従って鳳を助ける理由はない。
だから、以前のようにぼんやりしてればその内生き返るという保証は無いわけだが、かと言って何をすれば復活できるのかもさっぱりわからない。
つまり、もしかしてこれは、本当に死んじゃったということではなかろうか?
ここは死後の世界で、自分はもう元には戻れない。このまま、この死後の世界で魂が消滅するまで過ごさなければいけないのでは……そう考え、慌てて再度周囲の様子を窺ってみたら、何だか以前来たアストラル界とは少し様子が違うような気がしてきた。
以前は単に物体の輪郭がブレているだけだったが、今は真っ暗な夜空に星のような光がいくつもいくつも浮かんでおり、それが風を受けてキラキラと瞬いているのだ。この世界の物は何でもブレて見えるはずだが、その光はまるで一つ一つが生命の輝きであるかのように、妙に実体感を感じさせた。
そう言えばアストラとはラテン語で星という意味だったが、するともしかしてあれらは誰かのアストラル体なのではなかろうか?
鳳は直感的にそう思ったのだが、光はみんな空の上にあるから確かめようがなく、どうしたものかと眺めていると、その時、そんな星々の中から2つの光が飛び出してきて、クルクルとダンスでも踊っているかのように空中を飛び回り始めた。
2つの光は8の字を描くように、近づいては離れ、離れては近づくと繰り返している。その2つの光が交差する時には、ドン! ドン! っとサンドバッグでも叩いているような音が聞こえて、まるでその2つの光が戦っているように見えてきた。
鳳が、まさかなと思いつつ、その2つの光をじっと見つめていると、その内の一つが段々と何かの形を取り始めて、それは間もなく彼の良く知る人物の姿へ変わっていった。
「……サムソン!?」
鳳の前に現れたサムソンは、今の猿人の体ではなくて、以前の人間の姿をしていた。サムソンの魂は人間のままのはずだから、やはりさっき直感的に感じたように、あの光はすべて誰かのアストラル体なのだろう。
なんでそんなものが急に見えるようになったかはわからないが、とにかく、何の手がかりもない中で知り合いに会えたのは行幸だった。
「おーい! サムソーン!!」
鳳はブンブンと手を振り回して、空中を飛び回っているサムソンに呼びかけた。しかし、彼がいくら声を嗄らして叫んでも、その声はサムソンには届かないようで、一向にこちらに気づく気配は無かった。
鳳は暫く叫び続けていたが、やがてそれが無駄と悟ると、諦めて空を飛び回るサムソンの姿を肩を落として目で追った。
どうすればサムソンに気づいてもらえるだろうか……? いや、そもそも、サムソンに気づいて貰ったところで、あっちはあっちで魔族の体のまま元に戻れず困っているのだ。鳳を元に戻すなんて芸当は、彼には出来ないだろう。
それより寧ろ、こうして彼のアストラル体を無事に発見出来たのだから、自分の方こそ一刻も早く現実世界に戻って、サムソンをもとに戻すべく、ケーリュケイオンを見つけなければならないだろう……とは言え、その戻り方がわからないのだから本末転倒この上ないが。
それにしても、サムソンはさっきから何と戯れているのだろうか……?
彼はもう一つの光と何度も何度もぶつかっては離れてを繰り返し、2つの光はまるで戦っているかのようにも見えた。しかし戦っていると言っても彼から苦しい感じは受けず、それはいつもやっている修行のようにも思えた。
サムソンはアストラル界に来てまで、どうも誰かと修行をしているようだ。だとしたらその相手は誰だろうか? まさか……ベル神父??
鳳がその可能性に辿り着いた、まさにその瞬間だった。
突如、彼の頭上にまばゆい光が現れて、それは彗星のような尾を引きながら、彼に向かって一直線に降りてきた。近づいてくるにつれ、どんどん膨れ上がっていく巨大な光に、恐れを為して身構えていると、やがて光はそんな鳳の前でピタリと止まった。
それは光ではなく、後光を背にした何者かであった。そのあまりにもまばゆい光に、正視することは出来なかったが、彼は両腕で光を遮りながら薄目を開けてなんとかその姿を確認しようと試みた。
真っ白な中に薄ぼんやりと浮かび上がる輪郭線は、それは左右6対12枚の羽を背負った神々しい天使の姿をしていた。
「……カナン先生?」
「あなたはまだここに来るべきではない」
懐かしい声が、すーっと耳に馴染んだ。その声を聞いた瞬間、子守唄でも聞かされているかのように、彼の体が急激に弛緩して睡魔が襲ってきた。まるでぬるま湯につかっているかのような安心感が体中に広がっていき、瞼が勝手に閉じていく。
空の上ではまだサムソンが光と戯れながらグルグルと飛び回っていた。薄れゆく意識の中で、鳳はその光景をぼんやりと見上げ続けていた。
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「お……目が覚めたか!?」
目を開けたら、さっきまで見上げていた星々の瞬く空はどこにも無くなっていた。代わりにテントの天幕が見え、その薄っぺらい布越しに太陽があることが確認出来た。
鳳は自分がどこかのテントの中に寝かされていることに気づき、状況確認をしようと上体を起こそうとして、慌ててラファエルに押し戻された。少年のような見た目の天使は、鳳の瞼をぐいっと指で開きながら、目をペンライトで照らしつつ尋ねてくる。
「意識は……大丈夫そうだな。おまえ、自分の名前ちょっと言ってみろよ」
「あ、ああ。俺の名前は鳳白。つーか、ここは? 俺はまた死んだのか?」
「また死んだって……なんつーセリフだそれ。ってか、おまえの体どうなってんだよ? 自分に何が起きたかちゃんと覚えてるのか?」
瞼を押し広げている手を振り払うと、鳳は改めて上体を起こして首を振った。
「いや、全然何も覚えてないんだけど……ただ、以前にも死んだ時の記憶があるからさ、多分また死んだんだろうなって、そう思っただけだよ」
「以前にも死んだ記憶だとぉ!? え? なに? おまえ、まさか今までにも何度も死んでるの?」
「そうだ! そこでカナン先生のことを見かけたんだよ。先生が居たってことは、あそこはやっぱり死後の世界だったんだろうけど……あれ? でも、そしたらどうしてサムソンまで居たんだ? まあいいや。で、一体、何があったんだ? どうして俺は殺されたんだ? 当時の状況を詳しく教えてくれないか?」
「……おまえと話してると、脳みそが痒くなってくんな」
ラファエルの呆れるような声がテントに響く。鳳の顔を覗き込んでいた彼は布製の折りたたみ椅子に腰を下ろすと、自分のこめかみの辺りとトントンと指差しながら言った。
「俺たちが上空のテレビカメラに向かって手を振ってたら、いきなりおまえの頭が吹き飛んだんだよ。俺が見た限りでは即死だった。だからもう助かる見込みがないからってアズラエルのやつが暴走しかけたんで、そんで喧嘩になりかけたんだが、そしたらいつの間にかおまえが息を吹き返してて……分かってることはそれだけだ。多分、誰かに狙撃されたんだろうな」
「狙撃!? 一体誰に?」
「知るかよ。おまえこそ、心当たりはないのか? 誰かに恨まれたりとか」
「俺はこっちの世界に来てまだ日が浅いんだぞ。そんな恨まれるような覚えは……」
あるにはあったが、瑠璃信にそんな能力があるならば、人類が魔族を相手に苦戦することもなかっただろう。鳳のことを恨んでいて、なおかつ狙撃スキルを持っている人間なんてのは、流石に心当たりはない。
鳳が首をひねっていると、ラファエルは手を開いてお手上げのポーズを見せて、
「まあ、おまえが撃たれた後、すぐにウリエルがすっ飛んでったから、もうじき犯人を連れ帰ってくんだろう。そしたら直接聞いてやりゃいいさ」
「あ、そうなんだ。自分を殺そうとしてたやつとご対面って、なんか緊張すんな」
「いや、おまえ……おまえがピンピンしてる姿を見たら、きっと犯人のほうがショックだろうよ」
二人はそんな具合に楽観的に捕らえていたが、ところが犯人を探しにいったウリエルは、それからだいぶ経って、何の収穫も挙げられずに帰ってきた。手ぶらのウリエルを前に、ラファエルはうっかり犯人を殺してしまったのではないかと危惧したが、
「ラファエル様、申し訳ございません……かなり広範囲を捜索したのですが、犯人を見つけることが出来ず……」
「はあ!? なんだって!? おまえがミスるなんて……一体、どこを探してたんだよ??」
ウリエルは申し訳無さそうに遠方に見える丘を一つ一つ指差しながら、
「狙撃者が我々に見つからず射撃できるポイントは、ここから見えるいくつかの丘の木陰や茂みくらいのものなのですが……銃弾の飛んできた方角にある丘を虱潰しに見てきたのですが、どこもかしこも人がいた形跡はまったく見つからず……2キロほど遠方の崖の上まで探して断念して帰ってきました」
「2キロ……それより先は調べなかったんですか?」
鳳が何気なく尋ねると、ウリエルはまた申し訳無さそうに首を竦めて、
「流石にそれ以上となると……地球が丸い関係上、視認しながら狙撃を行えそうなポイントは、後はもう4キロ以上先にある山の上くらいしか見当たらなかったのです。流石に、そんな場所から狙撃が可能な人類が存在するとは思えず……」
「うーん……まあ、そうですね。1キロでもかなりの名手のはずだ」
「そんなことより、それじゃ、こいつを撃ったやつが、まだどこかに潜んでいるってことか?」
「申し訳ございません」
ラファエルがそう言うと、彼女が悪いわけではないのに、ウリエルはまた申し訳無さそうに頭を下げた。なんとも腰の低い四大天使であるが、実際、犯人が見つからなかったのは割と致命的だった。
「となると……いつまでもここにいるのはまずいだろうな。早めに基地に戻って……いや、犯人がドミニオンである可能性も否定できない。もういっそ神域まで帰ったほうが良いだろう。アズラエルじゃないが、今のこいつの体は人類にとって貴重だ。またうっかり死なれたら困る。ウリエル、犯人探しはその後だ」
「かしこまりました。すぐに直行便を手配します」
ウリエルはそう返事するなり、慌ただしくテントから飛び出していった。そのテントの入口では、今アリスがアイギスを片手に弁慶のように仁王立ちしていた。彼女がいる限り、また狙撃されてももう銃弾が鳳に届くことはないだろう。
それにしても……
鳳はさっきウリエルが指差した4キロ先の山を正面に見据えた。その稜線は薄っすらと青みがかっていて、確かに彼女が言う通り、そんな場所から狙撃できる人間なんているとは思えなかった。
だが、そんな神業を軽々とこなす人間には一人だけ心当たりがあった。ただし、仮に出来たとしても、彼が鳳を撃つ理由は何も思いつかず、だからそんなはずは無いと思うのだが……
ギヨームは今、どこにいるんだろう……鳳は山を見つめながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。