ミカエルに呼ばれて部屋を出た鳳は、ずんずん先を進むラファエルの背中を追いかけるウリエルと並んで廊下を進んだ。久しぶりの神域は相変わらず人の気配が感じられず、しんと静まり返っていて、そのひんやりとした空気から、まるで棺桶の中にいるかのようだった。
ミカエルの部屋は鳳たちの部屋からはだいぶ離れていたが、同じ建物内にあるからそれほど時間は掛からなかった。部屋に入ると先に到着していたラファエルが、座り心地の悪い椅子を嫌ってベッドの上に腰掛けており、それを嫌がるミカエルと押し問答をしていた。
鳳は、ここがネヴァーランドかとぼんやり思いながら、
「よう、ジャクソン。俺に用ってなんだよ?」
「誰がジャクソンだ! ええいっ! 忌々しい奴らめ……人の寝床の上で好き放題しおって。ラファエルめ。後で覚えておれよ」
「へいへい」
「それで用件は?」
鳳が二度同じことを聞いたせいか、ミカエルは少々カチンと来たのか目を吊り上げて語気を強めながら、
「神域に帰ったのなら報告に来るのが筋ではないか! 待ってても一向にやってくる気配がないから呼び出してみれば、四大天使が集まって何故報告にやって来ない」
「気が利かずに申し訳ございませんでした」
ウリエルがパワハラ上司に頭を下げるOLみたいに畏まっている。天使の世界にも労災ってあるのだろうかと思いながら、ちょっと理不尽なので抗議する。
「帰ってきたのに気づいてたんなら、そっちから来ればいいじゃないか」
「どうしてこの私が貴様の部屋へ出向かねばならないのだ」
どうやらこの天使は、ラファエルの言う通り、本当に一人だけハブられてすねていたらしい。四大天使筆頭のプライドがあるのかも知れないが、相手にしてもしなくても、面倒くさいツンデレ男である。
鳳はやれやれと肩を竦めて首を振ると、
「お陰さんで無事に帰ってこれましたよ。また暫く厄介になりますぜ。これでいいか?」
「いいわけがなかろう。貴様は何をしにケアンズまで行ってきたのだ? 当初の目的を忘れていはいないか」
「当初の目的……? ああ、そうだったそうだった」
そう言えば、鳳はギヨームの解放を求めていたのだ。最初は自分の精子と引き換えのつもりだったが、思いがけずレヴィアタンを倒してこいと言われ、取りあえず作戦を立てるために前線の様子を見に行ったのだが……思った以上に時間が掛かった上に、その後色んな事がドタバタと起こってしまい、すっかり忘れてしまっていた。
「約束通り、レヴィアタンを倒してきたぜ。まあ、殆どアズにゃんのお陰なんだけど……でもこれでギヨームのことを解放してくれるんだよな?」
「ああ、いいだろう。そういう約束だったからな」
「ところで、そのギヨームなんだけど……」
「なんだ?」
「あいつ、今どこに居るんだ? すぐに会えるかな?」
鳳は、自分を撃ち抜いた狙撃手がギヨームの可能性がないか、探りを入れるつもりで尋ねてみた。ミカエルは少し言い渋ったが、当然の要求であるから結局は折れ、
「ふむ……奴ならアイスランドにある流刑地に監禁されている。だからすぐには会えないな」
「アイスランド……!? アイスランドって、あの? なんでまたそんな、地球の裏側じゃないか」
「元々の理由は北海の油田確保のためだった。僻地にあるため、そこが自然と流刑地になったのだ」
なんだか穏やかじゃない事情がありそうだが、取りあえず、彼が地球の裏側にいるというなら、これでギヨームが狙撃手であった可能性は完全に消えたと言っていいだろう。
しかし、それじゃ本当に自分を狙ったのは誰だったのだろうか……? 鳳はホッとしつつも、まだ釈然としない気持ちを抱えながら話を続けた。
「まあ、無事なら何でもいいけどさ。それじゃすぐに釈放してくれないか?」
「すぐというわけにはいかん。奴が神殿を襲撃した大罪人ということは覆しようがないからな。我々が特赦を発表しても不満が上がらないように、まずは世論形成するのが先だ」
「おいおい、話が違うじゃねえか。そんなのどうすりゃいいってんだよ?」
「貴様は、何故レヴィアタンを倒してこいと言われたのか、その理由を覚えていないのか。元々、貴様は生殖細胞を提供する代わりに、罪人を釈放しろと要求したのだろう。我々はそれを断った。理由は、いくら人類が追い詰められているとしても、プロテスタントの子を産むことを世論が許さないだろうと思われたからだ。だから我々は、それを覆せるくらいの功績を貴様に要求したのだ」
「ああ、そうだったっけ。忘れてた」
「レヴィアタン討伐の映像があるお陰で、貴様は今人類に救世主のように思われている。だから、貴様が異世界から来たプロテスタントで、なおかつ男であることを公表するなら、タイミングは今だと考えている。ただ、狙撃を受けた件もあるだろう? 実際に貴様がプロテスタントだと公表した際、どういう反応があるのかをまずは見極めたい。これでも反対運動が起こるようなら、話が違ってくるからな」
「その場合、ギヨームはどうなる? やっぱり釈放しないって言うつもりか?」
「流石に私もそこまで無法なことを言うつもりはない。ただ、解放はしてやるが、貴様らにはさっさと元の世界に帰ってもらうことになるだろう。無論、精液も要らん。まあ、アズラエルがうるさそうだから、奴にくれてやる分には構わんが……ところで貴様、元の世界に帰るあてはちゃんと見つけてあるのだろうな?」
「ああ。それについては多分ギヨームが何か知ってるんじゃないかと思ってて、そのためにもあいつに会いたいんだよ。最悪の場合、ジャンヌの記憶をもとに戻してもらう必要があるかも」
「そうか。ならば近い内に面会が出来るよう取り計らおう。生殖細胞の提供は、発表後で構わん。それまで汚いものをぶら下げて待っていろ」
「はいはい、わかったよ。ふぅ~……しかし、これが上手くいったら俺の子孫が爆発的に増えるんだよなあ……」
鳳がほんの少しため息混じりにそう呟くと、ミカエルな眉を顰めて不機嫌そうに言った。
「なんだ貴様。貴様から持ちかけてきたくせに、何が不服なのだ?」
「いや、不服ってわけじゃなくて……ちょっと不安なのかなあ? 子供がちゃんと育つのだろうかとか、精子を提供する相手への責任とか……あと、俺には嫁さんがいるのに申し訳なくて」
「そうだった。報告で聞いてはいるが、貴様、アイギスの発見とともに自分の嫁を召喚したそうだな? 一体どうやったのだ?」
「俺もよくわからないんだよ。ミッシェルさんは俺の能力だって言うけど、俺はアイギスの隠された機能か何かだったんじゃないかって思ってるんだけど……」
「ふむ……アイギスか。先程、部屋に運ばれてきたから調べてみよう」
言われてから気づいたが、部屋の奥の作業場にアイギスが立てかけられてあるのが見えた。空港から戻ってくる時、アイギスは後続のトラックに積み込まれていたが、そのままミカエルの手に渡ったらしい。
「それ、アリスが起きてきたらちゃんと返してくれよ? 寝てる間は好きにしていいから」
「何を勝手なことをほざいている? オリジナル・ゴスペルはすべて、我ら四大天使の管理下にある。返すわけがなかろう」
「おいおい、この世界のアイギスは紛失してたんだろう? 俺の嫁さんは、それをうちの宝物庫で見つけたって言ってるんだ。なら元々こっちの世界の物じゃない可能性だってあるんだから、それこそそっちの理屈で勝手なことするなよ」
「なにぃ……?」
「それに、ゴスペルは使い手を選ぶんだろう? そいつはアリスが適合者みたいだから、仮にこの世界の物だとしても、彼女が持つのが相応しいはずだ」
「ふん……まあ、一理はあるな」
ミカエルはこれ以上言い争っても折れないと見たのか、まだ不服そうだったが一応は納得してくれたようである。実際のところ、鳳が彼女を召喚しなければアイギスは発見されていなかったろうから、そうするのが当然といえば当然であろう。
ミカエルは仕方ないと呟くと、
「ならば、貴様の嫁が起きたら二人で取りに来るがいい。管理責任者として、最低限の手続きはさせてもらうぞ。そうでなくては示しがつかん」
「面倒くせえなあ、もう……わかったよ。それじゃ、そろそろ部屋に戻らせて貰うぜ? 俺も長旅で疲れてんだよ」
「ふむ……まだ聞きたいこともあるが、今日のところはいいだろう。おい、ラファエルを連れて行け。こいつ、いつの間にか私のベッドで眠ってしまった」
随分おとなしいと思っていたら、ラファエルはベッドに寝転がってグースカいびきを立てていた。見た目も性格もそうなら、生活リズムまでまったくお子様なやつである。
肩を揺すってみたが起きる気配はまるでなく、仕方ないから鳳が背負って部屋から出た。ウリエルが運ぶと言って聞かなかったが、背中に立派な羽が生えている彼女が運ぶにはお姫様抱っこするしかないから、ラファエルの名誉のためにも、鳳が運んでやらねばならなかった。あとでたっぷり恩に着せてやろう。
ラファエルをベッドに放り投げて、自室へ帰る道すがら、アリスの部屋を通りすがりにちらりと覗き込んでみたが、彼女はまだぐっすり眠っていた。よほど疲れていたんだろうなとドアをそっ閉じし、ウリエルに別れを告げて部屋に戻ると、ガブリエルがまだいてミッシェルとチェスを指していた。
なかなか白熱した攻防に目が離せず、横になって対局を観戦してたら、いつの間にかそのまま眠ってしまっていたらしく、気がついたら朝になっていた。朝食を呼びに来たウリエルが、床に雑魚寝する四人を発見して何事かと仰天していたが、男所帯なんて大体こんなものである。
トーストを紅茶で流し込みながら、寝ぼけ眼で今日の予定を話し合っている時、そう言えばアリスがまだ起きてこないことに気がついた。家にいる時は、鳳より早く寝ることも遅く起きることも絶対にない彼女が珍しい……そう思って、ミカエルにアイギスを返してもらおうと誘うつもりで彼女の部屋を訪ねたら、アリスはまだベッドの上でスヤスヤ寝ていた。
それにしても、人間いくら疲れてても寝返りくらいは打つだろうに、昨日から微動だにしていない様子に、本当に眠っているだけか? と不安になり、ちゃんと呼吸をしているか確かめる。
スースーと小さな寝息を立てている彼女の胸は上下しており、特におかしなところは見当たらず、よっぽど疲れていたんだなと自分を納得させて部屋を出る。
このまま一人でミカエルのところに行っても無意味なので、予定が崩れてしまったなと頭を掻きながら、時間をつぶすつもりで神域内をブラブラ散歩していると、神殿の間でサムソンが太極拳みたいな真似をしていたので一緒にやってみた。
見た目優雅なくせに結構な重労働に汗をかいていると、ミカエルがやってきて神前で何をしてるんだと追い出され、仕方ないのでシャワーで汗を流してからまたアリスの様子を見に行ったら、彼女はまだベッドの上におり、流石におかしいと思い揺すって起こそうとしたが、それでも彼女はまったく起きる気配はなかった。
ここまでやって、ようやく彼女の身におかしなことが起きていることに気づいたが後の祭りで、その後、ウリエルを呼んできて二人で必死に彼女を起こそうとしたが、まるで反応はなく。
結局、その日アリスが目を覚ますことはついになかった。