ラストスタリオン   作:水月一人

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げへへ、いいの入ってますぜ

 普通に生きていれば船に乗る機会なんてそうそう無いから、タンカーというものを生まれて初めて目の前で見た時は、その大きさに度肝を抜かれた。テレビなんかで割とよく見ているイメージがあったが、遠目に映像で見るのと、実物が目の前にあるのとでは大違いである。

 

 全長300メートルくらいあるから良く東京タワーと比較されるが、その東京タワーも下から見あげた事がある人は案外少ないのではないだろうか。サンシャイン60とか東京都庁舎よりもまだ2割位デカイ物体がそこにある言ったほうが、その馬鹿げた大きさを想像しやすいであろう。そんなものが目の前にあった。

 

 港に設置された巨大クレーンの周りを作業員が忙しそうに走り回り、船にコンテナを積み込んでいるのを横目に見ながら、まるで梯子みたいに急なタラップをおっかなびっくり登っていくと、そこには下手な学校のグラウンドよりも広大なスペースが広がっていた。

 

 ここまで大きいと逆に海に浮いているのが不思議になってくるが、意外にもアリスは飛行機と違ってそれほど怖がることはなかった。どっちも鉄で出来ているというのに、何が違うのだろうか。

 

 下から見上げていた時は、次々に積み込まれるコンテナに甲板が埋め尽くされている姿を想像していたが、上がってみれば真ん中にちょこっと積んであるくらいで、甲板は思いの外ガラガラだった。向こうに持っていく救援物資が主だからか、重量の殆どは船を安定させるためのバラスト水らしく、帰りは水を捨てて原油を満載してくるそうである。

 

 アリスに船内に荷物を運んでくれるように頼むと、鳳は一人甲板に残って作業員たちがコンテナを固定する様子を眺めていた。するとタラップを使わず、空を飛んでウリエルが現れ、ソワソワと周囲を確かめながら、

 

「あの……それで、例の物は持ってきていただけたのでしょうか……」

「げへへ、いいの入ってますぜ、奥さん」

 

 鳳はゲス顔でそう言うと、ポケットに予め忍ばせておいたアンプルを取り出し、彼女の顔の前で振ってみせた。ウリエルは頬をカーっと赤らめサッとそれを引ったくると、人目を避けるように持ってきたジュラルミンケースに大事そうに閉まった。

 

 ちょうどその時、たまたまジャンヌがデッキに出てきて、二人を見つけ、何をしているんだろうと近寄って来た。するとウリエルはまずいところを見られたと言わんばかりにそそくさと、

 

「そそそれでは、私はこれで……鳳様。よい旅を!」

 

 彼女はそう吐き捨てるように言うと、慌てて船から飛び去って行ってしまった。まるで密輸でもしているかのような行動を見て、ジャンヌは首をひねりながら鳳のとこまで歩いてくると、

 

「あなた、一体彼女に何を渡していたの? ヤバいものじゃないでしょうね」

「精子だ」

 

 ジャンヌはブーっと吹き出し、勢い余ってゲホゲホ咳き込みはじめた。気管に唾液でも入ってしまったのだろうか。鳳はそんな彼女のことを見下ろしながら、

 

「ウリエルさん、これからケアンズのアズにゃんとこまで行くらしいんだけど、ミカエルの許可も出たし、前から寄越せってしつこかったから、早く持っていってあげたかったんだってさ。昨日、お願いされたんだけど、おまえらが部屋を占拠してたせいで気軽にピュッピュできなかったもんだから、さっきここに来る途中、多目的トイレでこっそりと済ましてきた」

「そんな細かい状況までいちいち報告しなくっていいわよ」

「そう? どうやったら精液が出るか知りたくない? こう、手で握って上下にだね」

「それくらい知ってるわよ! いいから黙りなさい。品のない人ね」

 

 女しか存在しない世界だから何も知らないはずだが、知ってるってことは、どうやらジャンヌは男だった頃の記憶があるらしい。きっとそれは漠然としたものなのだろうが、彼女の記憶がどこまで前世界の記憶を保持しているのか、ちょっと興味が湧いた。このまま放っておけば、そのうち全部思い出すのだろうか。

 

 そんな事を考えていると、ジャンヌはウリエルが飛び去ったほうを感慨深げに眺めながら、

 

「でも、そう……これでいよいよ、人類は自力で繁殖が可能になったのね」

「まあ、そうだなあ……これで本当に良かったのか分からないけど」

「ただ座して滅びを待つよりは、ずっといいわよ。人口減のせいで、既に社会には色々悪影響が出てきてるわ。格差が広がって、自暴自棄に職場放棄する人が増えて、インフラを維持するのさえ諦めていたところに、第2世代が育って後を継いでくれる希望が湧いてきたんだから、良いことはあっても、悪いことなんて何も無いわよ」

「そうかな。でも、生まれてくる子供たちは、そのせいで魔族との戦いを強いられるわけだろう。そう考えると、俺のしたことは正しかったのかって考えちまうんだよね」

「それは考えすぎよ。まず生まれてこなければ、人間は幸福も不幸も感じられないでしょうに。そして自分が幸福かどうかなんて、その人にしか感じられないことなんだから、あなたが決めつけるようなことじゃないわよ」

「うーん……そうか。そうかもなあ」

 

 少なくとも、鳳は他人からすれば大変な人生を歩んでいるように見えるかも知れないが、自分の人生が不幸だったとは思っていなかった。世界で最も裕福な国の子供と、最貧国の子供とで、笑顔はどこか違って見えるだろうか。立脚する場所によって、幸せのかたちが違うだけだ。だから、この世界の人々は平等に魔族の脅威に晒されていると考えれば、後は彼らが彼ら自身で幸せになるしかない。他人が出しゃばる問題ではないのだ。

 

「結局どんな親だって、子供が健康に育ってくれることを願うことくらいしか出来ないわよ。あとはその子次第で、あなたが責任を感じることじゃないわ」

「そうか。そうかもなあ……なんか愚痴みたいになっちゃったけど、話を聞いてくれてありがとよ」

 

 鳳が感謝の意を表すると、ジャンヌは少し照れくさそうにそっぽを向きながらこんな事を言いだした。

 

「別にいいわよ。そんな風に思われていたら、私も赤ちゃんを生む時、後ろめたい気分になっちゃうもの」

 

 それを聞いて、今度は鳳がブーっと吹き出す番だった。彼はゲホゲホと咳き込みながら、

 

「ちょっ……ちょっと待て、ジャンヌ? おまえ、まさか精液提供が解禁されたら、自分も出産するつもりなのか!?」

「ええ、そうよ? 悪い?」

「ダメダメダメ、絶対ダメ! おまえ、何考えてんだ!?」

「何でよ。別にセックスするわけでもないんだから、あなたに断る必要はないでしょう? 普通に役所で申請するつもりだったけど……」

「いや、駄目だって、おまえ忘れてるかも知れないけど、そもそもこっちの世界の住人じゃないじゃん?」

「そうね……でも、そんな記憶は無いんだし、私はもうこっちの世界に骨を埋めるつもりなんだけど。なら、少しでもこの世界の役に立てるようにしたほうが良いでしょう?」

「良くないっての。おまえ、今は記憶が無いからそう思ってるだけで、もしも思い出したらあっちに帰りたくなるに決まってるぞ。だから絶対やめとけって!」

「そんなの分からないじゃない。さっきからなあに? 難癖ばかりつけて、どうしても私が子供を産んじゃいけない理由でもあるの?」

「あるよ。説明しづらいけど。いや、そもそも、俺の子供を産むってのが有り得ないっつーか、やっちゃいけないっつーか……ちょっと色々あるんだよ。サムソンにも悪いし」

「なんで私があの猿のことを気にしなきゃいけないのよ?」

「それは……その……ホント色々あんだって!」

 

 鳳は、一体どこまで話して良いのかさっぱりわからず、頭をバリバリと掻きむしった。彼女に前の世界の出来事を話して聞かせるのは簡単だが、例の帝都でのやり取りを思い出す度後ろめたくなるので、正直それはやりたくなかった。それに、サムソンがれっきとした人間で、彼女のことを追って無茶して世界を渡ってきたことも、自分の口から言って良い事とは思えなかった。彼女は自分自身でそれを思い出すべきだ。

 

「あーもう! とにかく、おまえは禁止な! 本当にやめろよ? 隠れて出産とかすんなよ!? 絶対絶対、後悔するんだからな!」

「なによー! なんなの、一体」

 

 鳳はそれだけ一方的に告げると、悶絶するかのように頭を抱えながら、足早にどこかへ駆けていってしまった。ジャンヌはその後姿を唖然と見送りながら、どうして彼があんなに嫌がったのか、不思議でしょうがなかった。

 

 ジャンヌはヤレヤレと肩を竦めてため息を吐いた。彼女は自分が元々こっちの世界の住人でないことは知っていた。きっと前の世界で何かあったのだろうが、しかし今となってはそんな何も覚えていない世界のことよりも、こっちの世界で生きることのほうが彼女にとっては大事なことだった。だから、自分もこの世界に貢献できるよう、たくさん子孫を残したいと思ったのだが……

 

 彼女はそんなことを考えながら、学校の運動場のように広々とした甲板をぼんやり見渡した。甲板のあちこちには今、ジャンヌの部隊の隊員たちが、船員の邪魔をしないように思い思いの場所に散らばっていた。

 

 昨日のテレビ出演やホテルでの一件もあって、鳳の好感度はうなぎ登りでもう護衛の必要もないのであるが、実は今回のアイスランド行きに当たって、また彼女の部隊が駆り出されていたのだ。

 

 彼女の部隊は若い子が中心でフットワークも軽いし、なんやかんや全員が新型ゴスペルを装備している精鋭でもあるから、上も使いやすいのだろう。特にジャンヌは、自分が元プロテスタントであったことを悔いて、この世界に貢献したがっているので、何かと面倒事を押し付けられやすい傾向があった。

 

 だから今回も完全にババを引かされた形で、隊員たちには巻き込んでしまって申し訳ないと思っていたが……しかし彼女らもそんな隊長に慣れてしまったのか、特に嫌がる様子もなく、今となってはこの状況を結構楽しんでいるようだった。

 

 瑠璃と琥珀は言わずもがな、桔梗もアリスと仲良くなったらしく、二人で何かを熱心に話していた。その他の隊員たちも、得難い貴重な体験が出来ることを純粋に楽しんでくれているらしい。

 

「サムソンさん、サムソンさん」

 

 そしてそんな隊員たちの中に一人、珍しくサムソンに懐いている隊員が居た。楓はマダガスカルで怪我を負い、サムソンに抱かれてベヒモスから逃げ切って以来、ずっと彼に恩義を感じていたらしい。魔族という種族の問題があって、彼はあまり表に出てこないから、今まで殆どお礼らしいお礼も言えなかったが、今回は船の上で隠れる必要もなく、ずっと一緒に居られるのでこの機会にお礼をしようと張り切っているらしかった。

 

 いつものように修行をして汗をかいているサムソンにタオルを差し入れたり、手作りのお弁当を持っていったりと、種族の壁を超えて甲斐甲斐しく尽くす姿は、傍目にも美しく見えた。

 

 だが、ジャンヌはそんな光景を遠くの方から眺めながら、なんだかもやもやした気分になっていた。それは魔族に自分の部下が傷つけられないかという不安か、それとも、さっき鳳が口走ったように、前の世界で自分と彼の間に何かあったのだろうか……記憶がないせいでそのもやもやの正体が判然とせず、ジャンヌはただ複雑な心境で、二人の姿を目で追っていることしか出来なかった。

 

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