召喚魔法に応えてまばゆい光の中から現れたのは、旅のはじまりからずっと仲間のルーシーであった。神聖帝国宮廷魔術師の象徴たる純白のローブを身に纏い、空間魔法の使い手である彼女は、更にはミッシェルと同レベルの認識阻害魔法の使い手でもあり、おまけに部隊全体の強化を一手に担うバトルソングの歌い手でもある、紛うことなきチート魔術師である。
正直、こっちの世界に来てからはろくな力も無く、身体強化と口八丁手八丁だけを武器に渡り歩いていた鳳は、彼女さえ居ればなんとかなると自分に言い聞かせて、どうにかケーリュケイオンを手に入れようと四苦八苦していたわけだが……
ついにその彼女を呼び出すことに成功したのだ。鳳はこれでようやくスタートラインに立てたんだなと、全身が弛緩してしまうほどの安堵感に包まれていた。
だからだろうか、そんな態度が表に出てしまっていたらしく、
「やあ、鳳くん。中々呼ばれないから忘れられちゃったんじゃないかと思って不安になってたけど、ようやく呼んでもらえてホッとしたよ。おお~、それはケーリュケイオン、ちゃんとこっちにもあったんだねえ……って、どうしたの?」
彼の目の前でルーシーは、久々の再会に興奮半分、照れ隠しも半分といった感じで、いつものようににこやかに喋っていたが、その途中で段々顔がこわばっていって、最後には鳳の顔を上目遣いで覗き込むように見上げてきた。
鳳は彼女が何を気にしているのかすぐには気づかずポカンとしていたが、しばらくすると自分の鼻がグズグズ鳴って、目からは涙が溢れている事に気づいて驚いた。
「ありゃ? なんだこれ……ごめん、ちょっと待って」
鳳は慌てて袖口で涙を拭った。どうやら安心すると同時に涙腺までも緩んでしまっていたらしい。いや、それだけではなく、彼女の顔を見ていると、ここに来るまでの苦労が脳裏をぐるぐる回ってきて、どうしようもなく胸が熱くなった。
鳳は、久々の再会なのに情けないやら恥ずかしいやら、どういう表情をしていいか分からず苦笑いしながら、
「いやあ、ごめん……なんか色々追い詰められてたんだなって、急に実感が湧いてきちゃって……疲れがどっと押し寄せてきたっつーか、その、気疲れがだね」
「ははあ~? さては久々にお姉さんに会えて、甘えたくなっちゃったな?」
「そんなんじゃないから。つーか、君のほうが年下でしょ」
鳳が弱音を吐いていたら、にやにやしながら誂うようなことを口にして、彼がそんな態度に不服を漏らすと、今度はウシシと笑いながら近づいてきて、
「いいの。今日は私のほうが年上なの」
ルーシーはそう言ってから、少し強引に彼の頭をギュッと抱きしめた。
ミーティアほど暴力的ではないが、それなりにはあるその柔らかな双丘に、鳳はどうしようもなく懐かしさを感じて暫く呆けていたが、やがて自分たちが二人っきりではないことを思い出すと、名残惜しそうに彼女の肩を掴んで体を離してから、少し離れたところでその様子を粛然と見守っていたアリスに向かって言った。
「すまない、見苦しいところを見せちゃって。なんかせっかくの再会なのに、色々と台無しだなあ」
「いいえ、ご主人さまの気苦労も見抜けず、従者として不徳の致すところです。今後はこのようなことがないよう気をつけます」
「いや、従者じゃなくて奥さんだからね。アリスちゃんも久しぶり~……って程でもないんだよね。たまにあっちに帰ってくるから」
「そうか……そういやあ、ルーシーはアリスからこっちの話を聞いてるんだっけ?」
「うん、こないだもミーさんとこで会ったばかりで、だから順調そうだなあ、私もう要らない子? ……って思ってたんだけど、今って何かヤバい状況なの?」
「あの、鳳様。せっかくの再会に水を差すようで恐縮ですが……そちらは?」
三人がそんなやり取りをしていると、蚊帳の外に置かれていたウリエルが、おずおずと申し訳無さそうに片手を上げながら話しかけてきた。きっと彼女なりに話しかけるタイミングを窺っていたのだろうが、途切れないから仕方なくといった感じで、彼女は頻りにルーシーの顔をチラチラ見ながら、鳳に目配せしてくる。
そう言えば、何の断りもなくいきなり呼び出してしまったから、彼女らからすればルーシーはまだただの不審者だ。鳳が親しげにしているから害はないのは分かっているが、アズラエルもいるから警戒しないわけにもいかないのだろう。
鳳は慌てて彼女にルーシーを紹介した。
「あー! すみません。ウリエルさん。この子はルーシーって言って、前の世界の俺の仲間です」
「どうもはじめまして、ウリエルさん。ルーシーです」
ルーシーはウリエルの前に進み出ると、いつもの調子で軽く手を差し出した。大天使を前にしてもまるで物怖じせず、にこやかに挨拶を交わす彼女を見て、鳳は宮廷魔術師として相当場数を踏んできたのかなと一瞬思ったが、考えても見れば、あっちの世界には元々キリスト教なんてなかったんだから、彼女はウリエルの名前を知らないのだ。
あっちの世界はこっちの一神教とは違って、四柱の神なんてのがいて、しかもその内の一人が鳳の幼馴染なのだ。それを思い出して、本当におかしな世界から来たものだと呆れると同時に、なんだか妙に懐かしくなった。
ルーシーとウリエルが握手を交わしている、鳳がそんな二人の姿を眺めていると、ルーシーはルーシーで気になっていた事があったらしく、
「えーっと、ところでその、さっきから気になっていたんだけど、そっちのやたら可愛い……双子? 三つ子? 何つ子? 彼女たちは、その、何なのかな?」
彼女の視線の先には、アズラエルの眷属たちが憮然とした表情で並んでいる。鳳は、これは説明が難しいぞと頭を掻きながら、
「あ、ああ、こっちも紹介が遅れちゃったな。つーか説明すると面倒なんでざっくりだけど、彼女は俺がこの世界に来た時からずっと世話になってる天使アズラエルと、その眷属なんだけど……」
「アズラエル……えー! それじゃこの子がアズにゃんさんなの!? わあ! 可愛い! こんなに可愛い子だったなんて、想像してなかったよ。よろしくね!」
ルーシーがそう言っていきなりアズラエル……じゃなくてその眷属の一人に抱きついた。眷属はものすごく嫌そうな表情で、
「やめて、人間! 助けて、姉さま! 殺してもいい、母さま!?」
「ああ、君……私がアズラエルだ。それから手を離してくれないか」
「え? あれ? 違うの……? こっち?」
「うむ。それは私の眷属、有り体に言えばオアンネスだ」
「ええっ! オアンネス……これがー!?」
ルーシーはその言葉に目を剥いて驚愕すると同時に、露骨に嫌なものを見たといった感じに表情を曇らせた。相手が魔族とは言え、そんなあからさまな態度を彼女が取るとは思えず、鳳が不思議に思って尋ねてみたら、
「いやあ、ほら、オアンネスって言ったら私たち……っていうか、特にマニ君とこの部族が、割と酷い殺し方してたじゃない。土壌が汚染されるからって、お腹開いて腸を流して、血抜きして焼いて」
「ああ~……」
「この子たち見てたらそれを思い出して、なんか気持ち悪くなってきちゃって」
「今の聞いた? こいつ敵よ、姉さま!」
別にルーシーがやったわけじゃないのだが、話を聞いたオアンネスたちがいきり立っている。アズラエルはそんな眷属を宥めながら、あまり刺激しないでくれと言って、彼女らを遠ざけるべく連れて行った。
ルーシーはそんなアズラエルを苦笑いしながら見送ったあと、会話が途切れて何となく沈黙が流れたのを見て、鳳に話を振った。
「それで、何かあったのかな? 呼び出されるならきっと町中だろうと思ってたら、いきなりこんな人気の途絶えた砂浜だったり、周辺は魔族だらけだったり、鳳くんは泣いてるし」
「それはもう忘れてくれよ……」
鳳は苦笑を漏らしてから、改めて自分たちが置かれている厳しい現状を彼女に伝えた。ギヨームを解放しに来たら、そのギヨームが反乱を起こしていたこと。説得を試みるも、味方の天使が暴走してしまい、大乱戦の末ギヨームからは攻撃を受け、鳳がこの世界の神なのではないかと疑われたこと。そして鳳はその可能性を否定できなかったこと。
「確かに、こっちの世界に来てからの俺には、あまりにも都合の良いことが起きすぎてるんだ。女にはモテモテだったり、殺されても復活したり……でも、この世界の神は俺の幼馴染じゃないだろう? しかも、その幼馴染が言うには、俺の遺伝子はそもそもこの世界に存在していなかった……俺は、彼女が中学生の時に死んでしまったと、彼女はそう言っていたとギヨームは言うんだ」
そして、正気を失った天使たちが身を挺して鳳のことを守ろうとしたことで、彼はもはや自分のことが信じられなくなってしまった。元々存在しなかったのなら、どうして彼の身体はここにあるのか? 神はこの身体を使って、何をしようとしているのだろうか……
鳳が話をしている間、ルーシーは口を挟まず黙って最後まで聞いていた。そして話を聞き終えた彼女は、下唇を噛んで暫くの間熟考するように沈黙した後、唇を尖らせながら呆れるような口調でこう吐き捨てた。
「まったく、どうしようもないなあ、ギヨーム君は。鳳くんがモテモテなのが、そんなに許せなかったのかな?」
「いや……今の話聞いてた?」
鳳が呆れるようにそう返すと、ルーシーはそれこそ呆れたと言わんばかりに、
「聞いてたよ。鳳くんが神様かも知れないんだって? だったら、なんなの?」
「いや、なんなのって言われても……」
そう断言されると何も言い返せない。鳳が絶句している横で、アリスが何故か当然の如く何度も頷いていた。
「仮に君が神様だったとして、誰か困ってる人がいるの? また魔王化の時みたいに、不思議な力に操られてるんならともかく、君が自分で判断して行動できてる内は、何も困らないじゃない。私の知ってる鳳くんは悪いことをするような人じゃないし、実際、君はこっちの世界の人たちを助けようと行動してたんでしょう? 害を及ぼすのではなくて。都合がいい都合がいいって言うけど、それも君が、まずやることをやってくれたから、こっちの人たちも心を許してくれたんであって、君が神様だからなんてことはないと思うよ」
「そ、そうか……な?」
「うん、だからやっぱり、私は鳳くんが神様だなんて思わないな。もし神様だったとしても、どっちみち鳳くんは鳳くんでしかないんだから、君が何か間違ったことをしない限りは、私は君の味方でいるよ。って言うか、仲間ってそういうものじゃない? まだ何も起きていないのに、疑わしいからってだけで裏切るのはおかしいよ。まったく……ギヨームくんはダメダメだなあ。きっとあの人、鳳くんのことそれこそ神様みたいに思ってたから、エミリアさんに言われてコロっと信じちゃったんでしょうね」
ルーシーはため息交じりにそう吐き捨てると、やれやれとお手上げのポーズをしてみせた。きっと、かつてのギヨームのモノマネのつもりなのだろう。出会った時からそうだったけれど、割りとギヨーム相手に辛辣なところがあるのは、それだけ仲の良い証拠だろうか。
その姿を見て鳳がようやく顔をほころばせると、ルーシーはズイッと彼のことを上目遣いで覗き込みながら、
「本当はね、何の取り柄もない私のことを連れ出してくれた君を、私も神様みたいだなって思ってたんだよ。でも、今は神様じゃなくってよかったなって思ってるんだ。君が神様だったら、私たちだけで独占できないからね。あ……エロい意味でだよ?」
「そこは強調するとこじゃないだろう」
鳳が思わずツッコミを入れると、ルーシーはフフンと鼻で笑いながら、
「だからギヨーム君に言ってやればいいんだよ。俺は神様なんかじゃねえ、普通の女の子に恋するただの男の子なんだって」
鳳は胸に込み上げてくる想いをどうにか堪えると、そんな彼女に向かって不器用に微笑みかけた。
まったくもって、彼女の言うとおりだった。鳳はこの世界に来てから今まで、誰かに操られているわけではなく、間違いなく自分の意思で行動してきた。何故、そう言い切れるのかは、彼女も言う通り、一度魔王化しかけた経験があったからだ。
あの時の自分は、内から込み上げてくる耐え難い衝動によって、思考をかき乱され、冷静でいられなくされた。例えば熱に浮かされた人間が突拍子もない行動を取るような、神の強制力とは、そういう類のものなのだ。
そしてそう考えれば、あの時、問答無用で堕天使たちに飛びかかっていった天使たちの姿こそが、神に操られている者の本来の姿であり、これまでそういった兆候が一切なかった鳳は、だからこそ神に操られていないと断言できるのである。
そしてまた仮に、鳳が神そのものであったとしても、彼には人類を害する気はさらさらないのだから、何の問題もないと言える。ついでに言うと、彼には堕天使たちを害する気もないのだから、ここに神との意見の不一致が存在しており、これもまた彼が神ではない一つの証拠だろう。
鳳はほっとため息を吐いた。
ルーシーを呼んで本当によかった。彼女の一言で、これまでの悩みが全部吹っ飛んでしまった。そして彼女の励ましで冷静さを取り戻した鳳は、つい先日ミッシェルに言われたことを思い出していた。
ミッシェルもルーシーと同じく、鳳のことを神ではないと断言していた。その理由は、彼には神の居場所がわかるからだと言っていた。そしてそれは、本来頭が切れる鳳にだってわかることだと……その答えが見えた気がする。
神の居場所、それは、
「エーテル界だ」