堕天使たちのまさかの空からの登場に、ジャンヌはギリギリと歯噛みした。間もなく、地上から次々と天使たちが舞い上がり、上空の巨大クジラめがけて突っ込んでいった。案の定、天使たちは彼らの姿を見るやいなや、理性を失って我先にと飛びかかっていってしまったらしい。
こうならないよう、港で待ち構えていたというのに、どうやら堕天使たちにはもう話をするつもりはないようだ。空からの急襲はその覚悟の現れと思われた。となると、ジャンヌも腹を決めねばならなくなった。
この戦いに介入すべきか否か……正直、隊員たちの生命を危険に晒すくらいなら、勝手に飛びかかっていった天使を助ける義理はない。だが、堕天使たちが何を考えているか分からない以上、彼らを見捨てるわけにもいかなかった。最悪の場合、天使を倒した後に堕天使たちが人間を攻撃してこないとは限らないのだ。
だったら少なくとも味方であることがはっきりしている天使の援護をしたほうが良いだろう。彼女はそう判断すると、隊員たちに自分のあとに続けと命じ、船から飛び降りた。
鳥の群れが飛んでいるかのように、空一面には無数の天使と堕天使が広がっていた。剣がぶつかり合う金属音や、魔法が炸裂する爆発音が盛大に空いっぱいに響き渡り、蠢く影のあちこちから炎や稲光が発した。
それを見てジャンヌは、まるでテレビゲームのようだ……と思ったが、彼女はすぐ、自分のおかしな考えに首を捻った。
どうして自分はあれを見て、テレビゲームみたいだと思ったのだろうか? この世界にもテレビゲームはあるが、あんな戦争を彷彿とさせるようなものはなかったはずだ。なのに彼女は確かに空でビカビカ光るあの光景を見て、かつてそんなテレビゲームをしたことがあるような既視感を覚えていた。
もしかして、これも自分の封印された記憶の一部なのだろうか……? しかし、自分や鳳たちが来たという世界は、ここよりもテクノロジーが劣った世界と聞いていたのだが……
「ジャンヌ君!」
そんなよそ事を考えながら刑務所施設へと駆け込んでいくと、入り口を入ってすぐの詰め所にミッシェルと複数の天使の姿があった。彼女は残っていたその天使たちが暴れるんじゃないかと警戒したが、どうやら彼らは空に上がっていった連中とは違って、まだ正気を保てているようだった。
ジャンヌはホッと一安心すると、ミッシェルに事情を聞くため近寄っていった。
「ミッシェルさん。正気な人が残っていてくれて助かったわ。一体、何が起きたの?」
「うん。さっき空にあれが現れたと思ったら、それを見るなり天使が次々とおかしくなっちゃって、みんな勝手に飛び出して行っちゃったんだ。でも逆に、あれを見なければ平気だったみたいで、この人達は室内に籠もってて難を逃れた感じなんだ」
「なんていうか、それは予想通りだったけど……なんで彼らは、囚人たちが相手だと見境を無くすのかしら?」
「多分、神の介入だろうね。それから囚人にじゃなくて堕天使、『魔族になった天使』というものに彼らは反応してるんだと思う。彼らがまだ天使だった頃は、看守の人たちと衝突したことは無いって、彼らも言ってるから」
ミッシェルの言葉に、彼の背後の天使たちが頷く。実際、この光景が日常茶飯事だったら、こんな施設は成り立たなかっただろうから、ミッシェルの推測は正しいだろう。
しかし、そう考えると、尚更わからなくなった。どうして囚人たちは今、みんな魔族になってしまっているのか? 反乱が起きるまで、彼らは天使の姿で、この施設に看守とともに居たはずである。何か天変地異のようなものが起きて魔族化してしまったのなら、看守たちもそうなってなければおかしいだろう。
まさか、彼らは自らの意思で堕天使になったとでも言うのだろうか? どうやればそんなことが可能なのか? いや、そもそも、なんでそんなことをする必要があるのだろうか……
「隊長! 指示を! 天使様に援護射撃をしてもいいんでしょうか!?」
そんな不都合な事実に首を捻っていると、外の戦闘が一層激しくなり、それを見ていた隊員たちが焦れるようにジャンヌに指示を求めてきた。彼女はたった今思いついた自分の考えが引っ掛かって、このまま堕天使を攻撃してもいいか迷ったが……
その時、空に強烈な閃光が迸り、先陣を切っていた二人の天使が黒焦げに焼かれるのが見えた。大魔法で彼らを仕留めたアザゼルは、黒焦げになった二人の体を捕まえると、あろうことかそれを巨大クジラの口の中に放り込んでしまった。
バリバリと気持ちの悪い咀嚼音が戦場に轟く。
「同胞たちよ! 天使たちは正気を失っている! そいつらはただのでくのぼうだ!」
アザゼルの勝利宣言のようなセリフが続いて堕天使たちの意気が揚がると、怒りに我を失った天使たちはもはや彼らの敵ではなくなり、次々と犠牲者が増えていった。
ジャンヌはそれを見るや、迷っている場合じゃないと判断し、
「総員、攻撃開始! 各自の判断で天使様の援護をしろ!」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、ドミニオンたちの持つゴスペルから光弾が発射され、無数の光がアザゼルへと吸い込まれていった。ヘイトを稼いでいたから的にされたのだろう。アザゼルが、ベヒモスの時みたいに体を炎で焼かれながら落ちていく……
「各員、ツーマンセルを意識して、分散攻撃! 目的は天使様の援護! それを忘れないで!」
アザゼルが狙い撃ちされたのは自業自得だが、こっちまで天使みたいに頭をカッカしているわけにはいかない。ジャンヌが冷静になるように呼びかけると、隊員たちは声を掛け合い、お互いに被らないように天使たちを援護し始めた。
こうして地上からの援護射撃が始まると、形勢はまた逆転した。天使たちの動きは単調で避けるのは容易いが、そこにドミニオンの攻撃が加わることで不規則性が増してしまい、堕天使たちは一気に劣勢に立たされた。
そのドミニオンの攻撃も、ただのエネルギー弾が一直線に飛んでくるだけだから、対処するのはわけはないのだが、そっちを気にすれば天使にやられ、逆に天使を意識すれば援護射撃にやられてしまう。
どちらか一方を片付けるなら、人間の方が圧倒的に楽だが、彼らには人間を攻撃できない理由があった。何しろ、彼らは元天使なのだ。故に、彼らの目的は、人類の救済に他ならなかった。
「やめるんだ! ドミニオン諸君! 我々は敵じゃない! 寧ろ君たちを助けたいのだ!」
堕天使たちは必死に叫んだが、しかし天使を殺す場面を見たばかりの彼女らがそんな言葉を信じるわけもなく、
「バカバカしい! 寝言は寝て言いなさい!」
「本当だ! 信じて欲しい!」
「私たちは天使様を信じるわ! 退け、
より一層激しさを増すゴスペルの攻撃に、堕天使たちは徐々に追い詰められ始めていた。このままではジリ貧だ。かと言って鳳白の待つ島に退却するわけにも行かず、作戦が失敗すれば、どうせ自分たちの命はない。こうなっては玉砕覚悟で天使だけを攻撃するか……
堕天使たちが悲壮な覚悟を決めた、正に、その時だった……
「鳴り響け雷鳴! ミョルニル・ハンマー!!」
突如、戦場に閃光が走り、空が白く染まった。視界を奪われた全ての天使と堕天使、そして
堕天使たちが青ざめながら目をやれば、戦場の片隅に巨大な光球が浮かんでおり、その中に同胞が飲み込まれていく姿が見えた。
「サリエル!!」
「人類に救済を!!」
そう叫びながら光の中に吸い込まれていった堕天使の顔は、最後にほんのちょっとだけ笑って見えた。
間もなくその光は轟音を立てて爆発し、空にはきのこ雲が立ち上った。爆風が空飛ぶ天使と堕天使を全て吹き飛ばし、地上に伏せるドミニオンたちの背中にはパラパラと小雨が降り注いだ。
轟音で耳がキンキンと鳴り、三半規管が揺さぶられて上下の感覚がおかしくなる。頑丈な天使はともかく、ドミニオンたちは立ち上がることすら困難な中、しかし、そんな状況でも更に凶行は行われた。
「ミョルニィーール! ハンマーーーーッッ!!!」
目を血走らせた天使が巨大な十字架みたいな槌を振り下ろすと、再度、巨大な光球が現れて近くの堕天使を襲った。慌てて背を向けて逃げ出そうとした彼は、しかし、自分の背後にメルカバーがあることに気がつくと、諦めるようにその身を光の中へ投げ出した。
「俺も役に立てたかな……みんな、さよなら!」
堕天使を飲み込んだ光は膨れ上がり、また巨大な爆炎を噴き上げては消滅した。その衝撃は計り知れず、まるで空が震えているようだった。
ジャンヌは襲い来る熱風に耐えながら、一体どっちが悪魔だと泣き言を言いたくなった。頭に血が登った天使は、下で彼らの援護を続けていたドミニオンがいるにも関わらず、目の前の敵を殺すことに躍起になっている。その目は血走っており、きっと地上の様子などもう見えてはいないのだろう。
このまま、あの天使がミョルニルを使い続ければ、遅かれ早かれ自分たちもその炎に焼かれて死んでしまう。恐らく、他の隊員たちも同じ気持ちだったであろう。不安そうな瞳がジャンヌに向けられる。もはや援護など考えずにさっさと逃げたほうが賢明だろうか?
「吶喊!」
そんな迷いにジャンヌが苦しんでいる最中、爆風が未だ吹き荒れる空の上で、堕天使たちはきのこ雲を迂回しながら、ミョルニルを持つ天使へ迫った。天使は敵が目の前に来るのを見るや即座に三発目を打ち出したが、彼の凶行はそこまでだった。
一人の勇敢な堕天使がミョルニルの光弾を引き受け犠牲となっている間に、堕天使たちは一斉に天使に飛びかかった。オリジナルゴスペルを奪われまいとする天使と堕天使たちがもみ合っていると、他の天使たちも集まってきて、空の上では大乱戦が始まった。
翼をはためかせる隙間もないくらい揉みくちゃになりながら、天使と堕天使の攻防が続き、殴り合いに負けた者がバラバラと空から落ちてくる。
と、その時、天使と堕天使の無茶苦茶な戦いを見上げていたドミニオンたちの目の前に、ズシンと音を立てて十字架のような何かが落っこちてきた。それは地面を幾度かバウンドした後、一人のドミニオンの少女の前で止まった。
こわばる彼女の瞳が映しているのは、言うまでもなくミョルニルだった。こんな御大層な落とし物をどうしていいか分からず身動き取れずに固まっていると、間もなく空から次々と天使たちが飛来してきて、ミョルニルを奪おうとして彼女のことを突き飛ばした。
「きゃああああーーっ!!」
天使たちの強靭な肉体に体当りされた彼女は、面白いように吹き飛んでいき、刑務所の壁に激突して意識を失った。壁に頭をぶつけたのだろうか、その額からは鮮血が滴り落ち、彼女の顔を真っ赤に染めていった。
天使はそんな彼女に気づかず、堕天使とミョルニルを奪い合って戦闘を続けている。そのあまりに激しい攻防に巻き込まれ、他のドミニオンたちからも悲鳴が上がった。もはや援護をするどころの騒ぎではなく、彼女らは意識を失った同僚を引きずって戦場から逃げるくらいしか出来ることはなかった。
ジャンヌはそんな光景を前に、覚悟を決めた。天使たちがまともじゃないのは明らかであり、もはやこの乱戦に
「紫電一閃!」
ミョルニルを取り囲むように乱戦を続けていた天使たちに向けて、ジャンヌは横薙ぎに剣撃をお見舞いした。まさか人間に攻撃されるとは思いもしなかったのだろう、天使たちがその不意打ちに怯んだ隙に、ジャンヌは脇をすり抜けて、まんまと地面に転がっていたミョルニルを奪取した。
まったく予想外のところから飛んできた攻撃に虚を突かれ、ゴスペルを奪われた天使と堕天使が、それを奪い返そうとして同時にジャンヌへと飛びかかってくる。血眼になった天使が今にも人を殺しそうな形相で叫ぶ。
「それを俺に渡せ、人間!!」
「駄目よ!! あなた達は正気じゃない! これ以上やると言うなら……斬る!」
ジャンヌは正気を失った天使に毅然とそう言い放つと、宣言通りに彼のことを斬り伏せてしまった。元々、神人である彼女と天使の身体能力は互角であり、相手が正気でない今なら負ける要素は一切無かった。
「ドミニオンよ。それは私たちが預かろう。決して天使の好きにはさせない」
「ふざけないで!」
それを見て勘違いしたのか、今度は堕天使が彼女からミョルニルを奪おうと甘言を弄してきたが、そんな言葉は幾人もの天使が犠牲になった今、信じるわけがなかった。彼女はふざけるなと一蹴するや、どちらにも渡すつもりはないと、ミョルニルを背に仁王立ちを続けた。
天使たちがそんな彼女に容赦なく飛びかかっていく。多勢に無勢の彼女がいつまで持つかは分からない。このままでは天使にミョルニルを奪われると思った堕天使たちは顔を見合わせると、
「人間を攻撃するのは気が進まないが……やむを得まい」
天使を相手に大立ち回りを続ける彼女に、不退転の決意を感じ取った堕天使たちもまたミョルニルを奪おうとジャンヌに襲いかかってきた。
天使と堕天使、その両方を相手にして四面楚歌の隊長を助けようと、遠巻きに見ていたドミニオンたちから援護射撃が飛んでくる。もはや天使も堕天使もお構いなしの攻撃に、場はさながら三つ巴の様相を呈してきた。
ジャンヌは背後のオリジナルゴスペルを守りながら、どうして自分が天使と堕天使の両方と戦っているのかわけがわからず、頭が変になりそうだった。ただ、ここで自分が引いたら、この場所が地獄に変わることだけは確かだと思い、絶対どちらにもミョルニルを渡すまいと、それだけを必死に考えていた。
幸いなことに天使と堕天使もお互い牽制しあっているため、攻撃自体は彼女でもなんとか捌くことが出来た。しかし、ミョルニルを守ってとなるとそうもいかず、暫くすると彼女は徐々に押され始めた。
剣が激しくぶつかり合う金属音と、魔法が飛び交う爆音とで、ずっと耳鳴りがしてもはや聴覚は役に立っていなかった。そのせいで空間認識能力が落ちているのか、紙一重で躱したはずの攻撃に幾度も切り刻まれ、彼女の身体は徐々に赤く染まっていった。
神人であるからその傷はすぐに塞がってはいたが、流した血液の量が蓄積して、気がつけば彼女はフラフラになっていた。視界が霞んで身体が重くなる……それでもジャンヌは気合だけで迫りくる天使と堕天使の攻撃を捌き続けたが、自分が突破されるのももはや時間の問題と思えた。
どうする? 隊員に撤退を指示すべきか……それともミョルニルを抱えて一人だけで逃げるか? そうすれば、天使たちは自分のことを追ってきて、隊員たちは安全になるだろう。
その時だった。どんどん感覚が薄れていく足元で、彼女は何かに足を取られた。激しい戦闘で地面に穴でも空いていたのだろうか、突然、体がガクッとよろけて踏ん張りきれず、彼女は地面にうつ伏せに倒れた。
突然のアクシデントに受け身が取れず、胸を強打した彼女は息が詰まりながらゲホゲホと咳き込み、一瞬にして体内の酸素を全て吐き出してしまい、気が遠くなりかけた。夕闇のように暗く染まっていく視界の中で、その隙を逃すまいと飛びかかってくる天使たちの姿が見える。慌てて起き上がろうとするが腕に力が入らず、その攻撃を避けることは不可能だった。
ヤバい……正気を失っている天使たちが手加減してくれるわけがない。彼らの動きは鈍いが、一撃の威力は寧ろ上がっていた。そんな攻撃を無防備に受けたら無事では済まない。彼女は衝撃に備えるべく目をつぶると、体を固くして身構えた。
バン! ……っと、肉を打ち付けるような鈍い音が辺りに響き、その衝撃で地面が揺れた。彼女はそれをはっきり感じていたが、しかし、いつまで経っても痛みは襲ってこなかった。
天使の攻撃が止んだ?
そんなはずはない……そう思いながら、おそるおそる目を開けると、彼女の目の前に金色のオーラに包まれた何かが見える。
「うおおおおおおおおおおおおーーーーーーっ!!」
その雄叫びに空気が震えて鼓膜がビリビリと鳴った。
まさか第六感でもあるのだろうか。見あげればそこには、サムソンがジャンヌのピンチを察知したかのように駆けつけ、迫りくる天使と堕天使の攻撃を物ともせずに全て受け止めている姿があった。