鳳のタウンポータルは、一度訪れたことのある街ならどこでも瞬間移動出来るものである。だから力を取り戻した今こっちの世界でも、これまでに行ったマダガスカル、パース、ブリスベン、ケアンズ、アイスランド基地には問題なくポータルを作り出せるようだった。
ただ、帝都の出口が迎賓館前に固定されてしまったように、どうも鳳がその街で最初に印象に残った場所が出口として登録されてしまうらしく、そのせいか、神域のポータルの出口はミカエルの部屋のど真ん中にあった。
ミカエルは丁度その頃、座り心地の悪い椅子に座ってまずい飯を食べていたらしく、そんなところへいきなり謎の光が現れたものだから、びっくりして食べ物を喉につまらせ、顔を火照らせ咳き込みながら、必死に異常現象に対応しようと剣を抜き詠唱を開始しようとしていたところ、中からひょっこり鳳が現れたものだから反射的に、
「貴様は私に何の恨みがあるのだっっ!!!」
思いがけずムーンウォークしながら裏拳を放ってきたミカエルを見て、鳳はマイケルのこんなキレッキレなダンスが見れるなんてとワクテカしながら、
「あ、わりい、飯時だったか。出直してくる?」
「そういう問題ではないわっ!! 他人の部屋に謎の超常現象を使って侵入してくる非常識な奴がどこにいるというのか……うん?」
ミカエルは勢いのままそこまで怒鳴り散らしてから、自分が言ってるセリフもまた非常識だと気づいたらしく、
「と言うか、なんなのだ? これは……確か貴様は今頃アイスランドにいるのではなかったか? どうなっている」
「申し訳ございません、ミカエル様」
ミカエルが困惑の表情を浮かべていると、その光の中からウリエルが現れ、まるで借りてきた猫のように縮こまりながらペコペコと頭を下げていた。彼はアズラエルよりも早くウリエルが帰還したことに驚き、
「何故ウリエルがここにいるのだ? 私は先程、アズラエルから報告を受けたばかりなのだが……アイスランドの反乱はどうした? 全て私をからかうための鳳白の策略だったか?」
「なんでそんな陰険なことしなきゃなんないんだよ。反乱なら鎮圧したよ。というか、最初から彼らに反乱の意思なんて無かったんだ。俺たちはそれを報告しに帰ってきたんだよ」
「帰ってきた? 帰ってきたと言うが……どうやって?」
「いや、だから見たろ、今」
鳳は、それでもまだぽかんとしているミカエルにポータル魔法のことを伝えると、彼はうんざりした様子で、
「貴様らはそんなことまで出来たというのか……道理で16年前、ルシフェルたちが神域に忽然と姿を表したわけだ」
「知らなかったのか?」
「当たり前であろう、人間が空間を自在に操るなど、そんな非常識な……」
「鳳様の奥様は更にそれを繊細に制御なされます。今回、共に戦ったことで私は力不足を痛感しました」
「あのアリスという娘がか?」
「いや、そっちじゃなくて……てか、奥さんでもないんだけど……あー、まあいいや」
嫁であることには変わりないし、鳳の爛れた性生活のことなんて詳しく語ろうものなら、この堅物の大天使がキレることは請け合いである。
鳳が、そんなおべんちゃらよりも、さっさと報告を済ませろとウリエルを促すと、彼女はハッと思い出したと言わんばかりに表情を曇らせ、ミカエルにアイスランド基地で起きていた出来事を報告しはじめた。
ミカエルの顔は話を聞くに連れどんどん険しいものへと変貌していき、
「……つまり、天使が魔族化すると理性的な魔王が、というか堕天使が誕生するのだな? アズラエルは例外では無かったということか」
「16年より以前にも、度々、堕天使は誕生していたようです。しかし、その度に天啓によって処分されていたので、今まで発覚しなかったようなのです」
「わからん……何故、神は彼らを殺すように命じるのだろうか。協調しろとまでは言わんが、人間に危害を及ぼさないのであれば、放っておけばいいだけではないか」
ミカエルは眉を顰めてじっと考えに耽っている。鳳はそんな彼に、
「天使たちが操られていたってことには、あまり驚かないんだな?」
「それは以前、貴様とも話していただろう。我々に天啓が訪れる限り、そういう可能性はありうると、ある程度覚悟はしていた」
「そうか……俺も一度だけ、神に操られかけたことがある。それは本能に働きかけるものだけど、原因を理解して強く意識を保てば耐えられないこともないんだ。ただ、あんたらの天啓や、アスタルテ先生みたいに物理的に影響を及ぼしてくる力は、どうしようもないよな……」
「そうならないよう、それこそ神に祈るしかないな」
ミカエルはそんな自虐的なことを自嘲気味に口走ると、ふと思い出したように、
「そうだった。そのイスラフィルが意識を取り戻したのだ」
「先生が!?」
「ああ。しかし、長い間の責め苦のせいか、完全に人間不信に陥っていて、我々に心をひらいてくれない。兄であるラファエルのことも警戒しているのだが、もしかすると貴様らに会えば何か変わるかも知れん。一度見舞いにいってくれないか」
「それならギヨームを呼んでいいか? 一緒にこの世界に乗り込んできた仲間が来れば、先生も安心するだろう」
「構わぬが、報告では奴が反乱を起こした張本人のはずだが、もう大丈夫なのだな?」
「ああ。それについても後で話すよ」
「いいだろう。では、すぐに仲間を呼び寄せるがいい」
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フェロー諸島へ戻ってギヨームに話をつけ、すぐにイスラフィルの見舞いへ向かうことになった。ミッシェルはまだ見つかっていなかったが、流石にこれだけ探しても見つからないのであれば、恐らく彼はもう島にはいないのだろう。
もちろん心配ではあったが、彼の命を脅かせるものなどこの世に存在するとは思えなかったので、何かアクシデントがあったとしても、またひょっこり戻ってくるだろうと、捜索ではなく別の方法を探ることにした。
とにかく、今は意識を取り戻したイスラフィルのほうが気になるので、ギヨームを連れて見舞いに行くことを伝えると、アリスが自分もどうしても行きたいと言いだしたので、連れていくことにした。思えば彼女には魔王化のことでも、アリスの前の主人ルナのことでもお世話になりっぱなしだったから、きっと鳳以上に心配だったのだろう。
結局、その後ジャンヌもサムソンもルーシーも合流し、全員で神域に戻り、早速イスラフィルの病室へ行くと、そこには不老非死の天使の身であるにもかかわらず、まるで重病人のように痩せこけた彼女の姿があった。
そのやつれっぷりに驚いていると、彼女は部屋に入ってきた鳳たちを見るなり子供のように泣き出してしまい、こうなってしまうと男は何の役にも立たなくなってしまった。すぐさまルーシーとアリスが駆け寄って、彼女を慰めている間、それまでずっと付きっきりで看病していたらしきラファエルがやってきて頭を下げた。
正気を取り戻したのは良いものの、彼女は四大天使を警戒して、これまで頑なに沈黙を貫いていたらしい。それは恐らく、四大天使と言えども神に操られている可能性があることを、彼女は身を持って体験したからであろう。
女性陣の慰めが功を奏し、彼女がようやく落ち着いたところで、鳳たちは襲撃当時に彼女の身に何が起きたのかを聞くことが出来た。病室は狭いので、場所を会議室へと移すと、四大天使が集まっている前で、痩せこけた彼女は訥々と喋り始めた。
「……あの日、神域の外でギヨーム、ジャンヌ両名が暴れて天使を引っ掻き回している間に、私たちは神殿に侵入してその破壊に成功しました。予想ではこれで何もかもが終わるはずでした。ルシフェル様もそのつもりで、四大天使を説得しようとその場に残っていたのですが……
その後、ミカエル達が駆けつけてくると問答無用で交戦になりましたが、私たちは彼らも話せば分かると期待して、何度も呼びかけ続けていました。
しかし、ミカエル達の攻撃は執拗で、こちらの声には耳を傾けてもらえず、その様子のおかしさから撤退もやむなしと思い始めた時、突然、ルシフェル様がおかしなことを言い出したのです。
神はまだ存在している。本気で神を止めるのであれば、今すぐ命を絶って死者の世界に赴かねばならないと……
私は何を言ってるのかわかりませんでしたが、ザドキエル様にはそれで何かがわかったらしく……しかし、彼はクリスチャンでしたから自ら命を絶てずに、わざと兄の手に掛かって死に、そしてルシフェル様が後に続きました。
一人残された私は二人の壮絶な死を目の当たりにして恐れをなすと同時に、どこか楽観してもいたのです。私には四大天使の兄がおりますし、それになんだかんだで天使が天使を傷つけるわけがないだろうと……
ところが、その時、私の身に天啓が下りて、神は私に命じたのです。私はこの世界に居てはならないと……そして気がつけば、私は地獄の真っ只中にいたのです」
イスラフィルの話は、大体以前にミカエルから聞いていた通りだった。違うのは視点が襲撃側に変わっていることと、どうやらこの時、四大天使も神に操られていた気配があることだった。
そして最大の違いは、襲撃当時ルシフェルがザドキエルの足を引っ張ったと思われていたことは、実際にはザドキエルの意思で行われていたこと。ルシフェルたちは、自ら望んで死を受け入れたという事実であった。
話を聞き終えたミカエルは当時のことを思い出して、どこか身に覚えがあることを感じているようだった。しかし、それ以上に襲撃者が自殺した理由が分からず、
「何故だ……? 何故、ルシフェル達は自ら命を絶ったのだ? 神を止めるにしろ、我々を教化するにしろ、死んでしまっては元も子もないだろうに」
「いや、その神のところへたどり着くには、死ぬしかなかったんだろうよ」
そんなミカエルの疑問に、鳳は答えた。
「以前、ミッシェルさんと話をしたことがあるんだ……人間には肉体と精神があるけど、更にその精神には霊体と魂体の2つが存在するんだって。霊と魂が別れているのは、霊体が主に本能を司るのに対して、魂体は意思や思考を司っているかららしい。
俺たちの肉体は、例えば心臓や肺が停止してしまったらすぐ死んでしまうから、常に動き続けてなきゃならない。これらの動きを統括しているのがいわゆる本能というやつで、霊体はこの本能を司っている。だから、人間が生きている間は、肉体と霊体は常に共にあるらしい。
対して、魂体の方は俺達の自由意志を司っていて、要するに自我とか思考の正体のことを魂体と言うらしい。これは霊体と違って四六時中動き続けてなければいけないものではなく、特に睡眠中、基本的に人間は何も考えてないから、魂体は肉体を離れて自由に行動しているらしい。ミッシェルさんは、この魂体の状態でこの世に顕現していたらしいんだけど……まあ、それは置いておいて。
生きている限り霊体は肉体と共にあるけど、逆に言えば肉体から霊体が離れる時、人間は死を迎えるわけだ。そして肉体が滅びると、それまで比較的自由だった魂体は霊体と結びついて、2つの精神体はアーカーシャに記述され、次の転生先を待つことになるそうだ。キリスト教的に言えば、最後の審判を待っている状態を言うんだろうね。
でだ、この霊体と魂体は物質世界ではなく、常に2つの精神世界、アストラル界とエーテル界に存在していて、神はそのうち霊を司るエーテル界に存在していると考えられる。だからカナン先生たちはこのエーテル界に自分たちの意思を届けるために、死を迎える必要があったわけだ」
鳳の説明を聞いてもまだ信じられなかったからか、ミカエルは困惑気味に尋ねた。
「貴様の言うことが本当かどうかまだ分からんが、とにかく、神は死者の世界にいるというんだな? だからルシフェルたちは自ら死を選んだと」
「いや、それがそう簡単な話でもないんだよ」
鳳は首を振ると、少し考えるように顎に手をやりながら、
「……霊体という言葉に引っ張られるのかも知れないけど、そもそもエーテル界は死者の世界じゃない。最初に断った通り、2つある精神世界のうちの一つだ。そして神は人間じゃない。従って、神には精神はないはずだ。
なのに、何故神がエーテル界にいると言えるのか? こいつの正体はなんなのか? 神とは人間があらゆる物質を認識する際に参照するイデア。もしくは生きるための知恵やルール。ロゴス・モナド・良知・道・涅槃とか天理とか、そういった“何か”なんだ」