四大天使たちとの会談から数日が過ぎた。
ウリエルの報告を受け、堕天使の存在を知った四大天使たちは、彼らのことを認めつつも公にはしなかった。神は魔族を育てるために現生人類と天使を作り出した……そんなことをいきなり公表しては流石に影響が大きすぎるからだ。
天使たちが神に操られている可能性があると知れば、人類の反発も予想されるだろう。元々、この世界には言論の自由があり、天使に批判的な人々も大勢いるのだ。しかし人類は今、ようやく再生の問題から解決されつつある状況であり、そんな時に新たな火種をまくのは得策ではないだろう。
だから四大天使たちは、せめて人類が自立してやっていけるようになるまで公表を待ってほしいと要請し、堕天使たちはそれを受け入れた。本来なら不当な扱いに怒ってもいいだろうに、彼らは例え歴史の影に隠されたとしても、人類に貢献できればそれでいいというのだ。
こうして四大天使にその存在を認められた堕天使たちは、アイスランド基地を天使から譲り受けると、そこに新たな結社を作ることにした。ヘルモン山と名付けられたその結社は、その名の通りイスラエルの聖地に因んでおり、ゆくゆくは彼らはエルサレムを奪還することを目標に掲げているそうである。
アズラエルの調査によれば、レバント地方は現在、魔族すら住まない不毛の地となっているようだが、なんやかんや太古の昔から交通の要衝となっていた土地である。ここを押さえれば、欧州の魔族をヨーロッパに封じ込めておくことが出来るので、その抑止力たらんと彼らは奮起しているようである。
そうまでして人類に尽くす彼らには頭が下がる思いであるが、その見た目と堕天使になるための方法を考えれば、天使たちの理解が得られるまでにはまだ時間がかかるだろう。十分に仲間が増えるまで、彼らはアイスランドを警備しながら気長に待つそうである。それがいつになるかはわからないが、その時、人類は天使たちの庇護下から離れて、きっと自立していることだろう。
その自立の第一歩……と言っても良いのだろうか? アイスランドから帰り暫くしてから、瑠璃が妊娠した。
堕天使の反乱も片がついて、油田からの原油の調達も終えると、ジャンヌ隊一行はやることも無くなり、帰りはタンカーには乗らずポータル魔法でケアンズへと帰還することになった。
常識では考えられない突然の帰還にドミニオン本部は大層驚いていたが、とにもかくにも大変な任務を終えて帰ってきた彼女らをねぎらって、本部はそのまま彼女らに休暇を与えた。アズラエルの活躍もあって、魔族との緊張も殆どなくなっており、ドミニオンという組織自体が暇を持て余していたのもあった。それで彼女たちは降って湧いた休暇を楽しんでいたわけであるが……
丁度そんな時、連邦議会で法案が通過して、晴れて鳳の提供した精液を使っての人工授精が可能となった。すると受胎希望を届け出ていた彼女に対し、神域が気を利かせて優先順位を早めてくれたようである。
鳳はそれを、ウトナピシュティムへ向かう直前に、ブリスベンにいた彼女らに挨拶をしに行った際に知ったのだが、嬉々として彼との子を身ごもったと報告する瑠璃を前にして、思わず仰け反ってしまった。
「念願かなって、あなたとの子供を妊娠することが出来ましたわ。まだ本当に妊娠したばかりで、男女の区別もなければ、人間の赤ちゃんという感じですらないですけど、必ず元気な子を産みますから、期待して待っていてくださいまし」
そう言って笑う彼女に引きつった笑みを返しつつ、鳳は神域も要らんことをするなと内心呪っていたが……自分の精子を提供した手前、まさか彼女にだけ使うなとは言えないのだから、どのみちこれは避けられないことだったろう。
それに、前にも言及したことだが、鳳は決して瑠璃のことが嫌いなわけではないのだ。だから彼女が喜んでいるなら、彼としてはもはや元気な子を産んでくれとエールを送るくらいのことしか出来なかった。
因みに、アリスは嫌がるかと思いきや、意外にも澄ました表情で、
「瑠璃。ご主人さまの大切なお子を宿しているのです。決して体を冷やさないように。重いものは持たないように。夜ふかしはしないように。よく食べてよく寝ますように。お酒なんて以ての外ですよ? いいですね?」
と逆に彼女の体を気遣っていた。まあ、喧嘩するよりはよほどいいのだが、意外な事態に中々頭がついてこない。
意外と言えば他にもあって、鳳は複雑な思いを抱えながらも、とにかく瑠璃のことを頼むと琥珀にお願いしたところ、彼女はもちろんそのつもりだと受け合ってから、
「でも、僕も飛鳥さんの子供産むつもりなんだけど」
「……はあ?」
まったく想定外の言葉が飛び出してきて、鳳がぽかんと間抜け面をしていると、琥珀は少し不貞腐れた感じに、
「……瑠璃とのことはもう吹っ切れたから、僕も自分の将来のことを考えたんだ。そしたら自分も子供が欲しいかなって」
「マジで? 思い切っちゃったの?」
「うん。それに、僕も飛鳥さんのことが好きだし。瑠璃を見てたら素直に羨ましいなって思えたんだよ。もちろんちゃんと考えたんだよ?」
「そうか……いや、そうかあ……」
正直かなり意外だったが、瑠璃と違ってこっちの方はなんだか素直に喜べた。そう言えば、出会った時に腹パンしちゃったけど、ちゃんと元気な子供を産んでくれるだろうか、今は昔の自分を殴ってやりたい気分である。
「生まれてきた子供には、飛鳥さんから教えてもらった剣を教えてあげるんだ」
「そっか……もっとちゃんと教えてあげられれば良かったんだけど。中途半端になっちゃったからなあ」
「そしたらいつか子供に稽古つけてあげてよ。きっと僕より才能あるから」
琥珀はそう言ってカラッと笑った。なんだかその笑顔を見ていると、救われるような気がした。
ところで、瑠璃と琥珀が産むとなると、もうひとりはどうなんだろうかと思ったが、
「産まないわよ。冗談じゃない」
「ですよねー」
瑠璃たちに報告を受けている最中、当然のようにそこにいた桔梗をちらりと見たら、何も言ってないのに当然のごとくそう返ってきた。それで一瞬ホッとしたが、
「二人が可愛い男の子を産んだら、私なしでは生きていけないってくらい、思いっきり甘やかすんだわ。子どもたちが結婚出来るくらいの年齢に達した時、まだ私は30代……その時、子どもたちは理想の女性と出会うのよ。ぐへへへ」
「鬼畜かよ、おまえ! やめろよな、絶対!?」
鳳は、桔梗の光源氏計画を阻止するため、播種船に行っても絶対早めに帰ってこようと心に誓った。
因みに、アイスランドへ行く前に、鳳の子供を産もうかななどと宣っていたジャンヌは、もちろん考えを改めて、今は人間に戻ったサムソンと仲良くしていた。相変わらずサムソンの方から一方的にアプローチしているだけという、以前のような関係性のままだったが、多分、その内くっつくんだろうと鳳は思っていた。
実際、ジャンヌもそろそろ態度を決めないとまずいだろう。サムソンは鳳と違って根が素直だから、どんな女の子に対しても優しい上に褒めるのだ。こっちの世界には男がいないから、ハゲでマッチョなんて外見は何のハンデにもならず、楓に限らずドミニオン隊員に彼は結構モテていた。なんなら元の世界に戻らずにこっちで暮らしていけば? と言いたくなったが、ジャンヌが不貞腐れそうなので、今は黙って二人の動向を見守っていた。
そんな感じで時は過ぎ、様々な手続きを経てギヨームも晴れて自由の身となり、神域でやることもなくなったので、鳳たちはいよいよ
どれだけ探してもミッシェルが見つからなかったのは気がかりだったが、どちらにせよ元の世界に戻るためにも、一度は播種船に向かわなければならなかった。
ギヨームが言うには、播種船にはアロンの杖があって、それはアナザーヘブン世界にある同じ杖とビーコンのように繋がってるらしく、だからこれを使えば元の世界との行き来が可能と思われた。尤も、実際にはどうやればそんなことが出来るのかわからなかったが、それでもルーシーがいればなんとかなるんじゃないかと思っていた。
東京へ向かうにしても、今回は海の上を通るわけだから、イギリスの時みたいにルーシーの空間転移を使うわけにはいかなかったが、海にはアズラエルがいるから特に問題はなかった。あるとすれば、彼女の操船する筏は運転が荒っぽいから酔いやすいことだ。
そのアズラエルは北海から帰還してからはずっと、ニューギニア島再開発の現場に駆り出されていた。
アズラエルの眷属がほぼほぼ制圧していたニューギニア島であったが、何しろ水棲魔族は全体の数が多いから、全てを掃討出来ていたわけではなかった。そのため、再開発にあたって残党の駆除が必要で、その陣頭指揮を任された格好である。
因みに水棲魔族を追い出した後は、油田からパイプラインを大陸まで引くつもりであるらしく、実現すれば人類のエネルギー問題は一気に解決するだろう。そうしたら北海油田へ往復するタンカーも暫くはお役御免のはずである。ヘルモン山はその間に勢力を伸ばして、エルサレム奪還を目指すだろう。
また、ベヒモスがいなくなったお陰でマダガスカルも再開発のために調査を行っているところであり、人類は16年前以前の版図に戻りつつあるようだった。それで調子に乗ったか、連邦議会ではアフリカ解放を叫ぶ議員が増えてきたらしく、ドミニオンたちはまだ気が休まらない日々が続きそうである。
播種船の状況次第で今後どうなるかはわからないが、鳳たちも戻ってきたら作戦を手伝うつもりでいた。忘れているかも知れないが、彼らがこの世界にやってきた理由は、はた迷惑なオリジナルゴスペルの使用を阻止するためだった。そのためには、この世界がゴスペルに頼らないで生きていけるくらいの平和を実現しなければならないだろう。
すると今後は2つの世界を行ったり来たりする日が続くのだろうか? 先のことはまだわからないが、アズラエルや四大天使、瑠璃たちドミニオンとの付き合いも、これからまだまだ続きそうである。
そんなこんなで、ニューギニアでアズラエルにピックアップして貰い、鳳たちはウォータースライダーみたいな乗り心地の筏で太平洋を縦断し、いよいよ伊豆に迫ろうとしていた。
ここまで来ると日本近海に生息している魔族が現れ、一行の行く手を阻み始めた。アズラエルの眷属は強くて海の上では負けはしないが、日本の土着魔族も中々強力であり、東京湾へ入るのは少々骨が要りそうだった。
そんなわけで鳳たちはこれ以上の海路での接近を諦め、伊豆から上陸することにした。東京まではまだ遠いが、相模湾は遠浅で近づきにくかったのと、ついでにいうと、これ以上筏に乗っていたら、胃の中身がすっからかんになるまで吐き続けかねないからでもあった。
「すまない、君。これ以上先に進めそうもない。我々もかなりやれるつもりだったが、この島の魔族は本当に手強い」
「まあ、考えようによっちゃラスダンみたいなもんだからな、仕方ないよね」
「ラスダン? なんだそれは?」
「あー、ラストダンジョンの略なんだけど……なんでもない。気にしないでくれ。それより、ここまで運んできてくれてありがとう。助かったよ」
鳳はそう言うと、筏の上から仲間を連れてひとっ飛びに砂浜へと上陸した。アズラエルはそんな彼の背中に向かって声を張り上げ、
「最後まで連れて行けなくてすまなかった! ここから先、君たちだけで、本当に大丈夫か?」
彼女は、なんなら自分も上陸してついていこうかと思っていたが、鳳はその必要はないと言わんばかりに、
「なあに、俺たちこう見えてもあっちの世界じゃ最強だったんだ。空も飛べるし、いざとなったらポータルもある。だから大丈夫さ」
鳳の背後でギヨーム、ルーシー、ジャンヌ、サムソン、アリスが名残惜しそうに手を振っている。一見すると軽装の若者だらけで、中にはメイドまでいて、一体こいつら何の集まりなのかと思いもしたが、不思議とその姿を見ていると、あらゆる不安が吹き飛んでしまうような気がした。
アズラエルは、実際に彼らが戦っていたところを見たわけじゃないが、彼らがこの世界でも最強のメンバーであることを、何となく確信していた。もしもこの先どんな魔王が現れたとしても、彼らの前に討ち滅ぼされることだろう。
思えば、鳳白が現れて以来、どれだけ劇的に世界は変わっていっただろうか。ベヒモス、レヴィアタン、再生問題、石油問題、天使と堕天使、どれもこれも、気がつけばいつのまにか解決していたのは、全てが鳳白の功績だった。そんな彼がただ次の仕事に取り掛かるだけのことに、一体なんの不安があるだろうか。
アズラエルはそんなことを思いながら、彼の背中を頼もしく見送っていた。しかし、そんな彼女と彼らが再会を果たすのに、これからどれほどの年月を必要とするのか……この時の彼女には知る由も無かった。