ラストスタリオン   作:水月一人

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未来の行方

 ワームホールはいつの間にか人一人がやっと通れるくらいの大きさになってしまっていた。焦る鳳たちがそんな小さな穴に体をねじ込むようにしてくぐり抜けると、その先は最初の格納庫みたいな建物の中ではなく、まったく見たこともない別の場所に繋がっていた。

 

 見上げる空に星はなく、太陽も出ていないのに薄っすらと明るい、ただだだっ広い空間が広がっている。地上に緑はなく、乾いた砂の大地がどこまでも続き、絶え間なく強風が吹き付けてくる。気温は正に灼熱と呼ぶにふさわしく、本当に皮膚が焼けそうになって、アリスが結界を作ってくれなければ、ものの数分ともたなかっただろう。

 

 そこは壊れてしまったレオナルドの世界に似ていた。実際、第5粒子エネルギーが溢れ出しているのは間違い無さそうだった。ただ、少し違うのは、彼らの目の前に肉の塔が聳え立っていることだった。

 

 鼻が曲がりそうな腐臭の漂うその肉の塔はプルプルと震えており、天辺は見えなかった。なんでこんな物があるのかさっぱりわからなかったが、風除けにはなるので今はその存在が有り難かった。

 

 彼らはその影で人心地つくと、すぐまた元のワームホールのところへ戻った。正直、こんな場所にいるくらいなら、播種船の中に避難した方がマシだと思ったのだが、その時にはもうワームホールは人が通れるような大きさでは無くなってしまっていた。鳳は焦りながら、

 

「くそっ! ルーシー、穴を広げられないか?」

「それが……杖がないと、どうしていいか分からなくって」

「鳳、ポータルで神域に戻れないか?」

「駄目だ。さっきからやってるんだけど、そもそも、ここは地球じゃないからか」

「じゃあ、ここはどこなんだよ?」

 

 鳳は周囲を見回した。辺りは一面砂の海が見えるだけで、手がかりとなるものはどこにも見当たらなかった。本当に、レオナルドの世界に飛ばされてしまったのだろうか? しかし、ルシフェルが何故そんな真似をする必要があるのか。ルシフェルじゃないとすれば、まさかイスラフィルの時みたいに、神に戻されたとか?

 

 鳳がいろいろな可能性を考えていると、サムソンが言った。

 

「俺にはよく分からないのだが、通ってきた時と同じ穴に入ったのなら、また同じ場所に戻るのが筋じゃないのか?」

「そう……だよな。そのはずなんだけど」

「なら、俺たちはまた別の穴をくぐってしまったというのか?」

「恐らく、先生の狙いは最初からこれだったんだろう。まいったな……なんとか播種船の中に戻れないかな」

 

 鳳が懇願するように弱音を吐くと、するとサムソンが落ち着いた声で、

 

「しかし、戻ったところで、また時間を無駄にするだけなのだろう? まずはここがどこかを確かめなければ」

「どこっつったってよう……砂漠としか言いようがないぜ? こんなの」

 

 ギヨームが、360度どこまでも広がる砂漠を前に、うんざりとした口調で吐き捨てた。実際にここはどこなのだろうか? 鳳は、最初に受けた印象から、その思いつきを口にした。

 

「……もしかして、ここは爺さんのアリュードカエルマ世界なんじゃないか? こっちの世界に渡ってくる時に一度通ったんだけど、そこと似ているんだ」

「壊れちまったレオの世界か……そう言えば、播種船にはアロンの杖があったな。そいつが悪さでもしたのか?」

「その可能性も否定できないんじゃないか」

「うーん……でも、それはないと思うよ」

 

 鳳たちがそんな話をしていると、ワームホールをどうにか広げられないかと悪戦苦闘していたルーシーが淡々とした口調で反論した。

 

「もしそうなら、私でも、鳳くんのポータルでも、帝都の召喚の間に飛べるはずだから。ほら、元々鳳くんはあそこにあったお爺ちゃんの水晶玉から、世界を渡ったわけでしょう?」

「……そうか」

「じゃあ、本当にここは一体どこなんだよ!」

 

 ギヨームは苛立たしげに叫ぶと、目の前の肉の塔を思いっきり蹴飛ばした。腐臭を放つその肉塊は、思った以上に柔らかかったのか、その蹴りで起きた振動がプルプルと波打つように上の方まで伝わっていった。

 

 そのせいで塔がグラグラと揺れ動き始め、鳳はまさか倒れやしないだろうかと不安に思っていると、

 

『……痛い』

 

 遙か上空から、何かくぐもった声が聞こえて来たような気がして、鳳たちは全員真顔になった。再三言っているが、周りには見渡す限り何もない。ならまさか、この肉の塊から聞こえてきたのだろうか……?

 

 鳳がそんなあり得ないことを考えていると、ギヨームがまた容赦なくその肉の塔に蹴りを入れて、

 

『……痛い』

 

 上空から再度声が聞こえてきて、もはや信じざるを得なかった。どうやら、声はこの肉の塊から聞こえてくるらしい。すると、これは生きているのか? 鳳は驚きながらも咄嗟に叫んだ。

 

「おい! おまえ、生きているのか? 俺の声が聞こえるなら返事してくれ!」

 

 すると肉の塔は最初はプルプルして何も語らなかったが、暫くすると諦めたような口調で独りごちるように、

 

『……今日は幻聴がよく聞こえる。私も焼きが回ったものだ』

「いや、幻聴じゃない! 話があるんだ、聞いてくれよ!」

『思い返せば前回は140938432日前の出来事だったか。ただの風が人の声のように聞こえてならなくて、私はどれほどぬか喜びさせられたことか……そしてそれが間違いだと気づいて、どれほど苦しんだか……』

「おい、人の話を聞けってばよ!」

『数を数えるくらいしかもう楽しみがないから、嫌な記憶も正確に覚えているのだ。しかし今日は騙されないぞ。こんなところに人がいるはずがないんだ……そう、私は孤独。もう誰とも会うこともなく、ここで朽ち果てるしかないのだろう……悲しいな。死ぬ前に、もう一度だけ、誰でもいいから、私の話を聞いてくれないものだろうか……』

 

 鳳は無言で肉の塔を蹴っ飛ばした。

 

『痛い……』

 

 肉の塔はまたプルプル震えてから、暫くの間沈黙を続けていた。だが、3度もの刺激に流石に様子がおかしいと気づいたのだろう。長い沈黙のあとに探るような小声で、

 

『……ひょっとして、幻聴じゃないのか?』

「だからさっきからそう言ってるだろう!」

『まさか……君は人間か? 人間が、私に話しかけているのか?』

「ああ、そうだよ」

 

 鳳がそういった瞬間だった。空からぼとぼとと大量の肉塊が降り注いだ。物凄い勢いで地面に叩きつけられた肉塊が、ドスンと地響きを立てて砂煙を巻き上げ、鳳たちが驚いて後ずさりすると、地面に落ちた肉塊はもぞもぞと動いて肉の塔へと吸い込まれていった。

 

 鳳たちが一体何が起きたのかと身構えていると、肉の塔はプルプルと震えながら、

 

『すまない。それは私の涙だ』

「涙……? おまえ、泣いてるのか?」

『ああ、泣いているとも。私が孤独になってから、いったいどれほどの月日が経ったと思うのだ。その間に私の体は変貌し、もはや自分の目がどこにあるのかすらわからない。なのに涙だけは流れ出るのだ。どうしてそんな機能が必要なのか、ずっとわからなかったが、今日君に会えて理由がわかった。私は嬉しいのだ。嬉しくて泣いているのだ。私はもう人ではないが、心はまだ人のままだったのだ』

 

 肉の塔が淡々とそんなことを口走っている間も、空からは大量の土砂みたいな肉の塊が降り注いでいた。それは奇妙な光景でしかなかったが、見ているとなんだか物悲しくてしょうがなくなった。

 

 肉の塊は自分のことを人だと言う。長い時が経過し変貌してしまったと。ならばその長い間に、一体何があったのか。鳳は肉の塔が落ち着くのを見計らって尋ねてみた。

 

「なんか……大変なことがあったみたいだな。それで、感激しているところ悪いんだが、こっちも色々知りたい事情があって、良ければそろそろ話を聞かせてはもらえないか?」

『ああ! いいとも! 何でも聞きたまえ。私もこうして誰かと話をしたかったのだ。もう何千年も。何万年も。何十万年も。ずっと』

「何十万年とは大げさだな……ところで、さっきから気になってるんだけど、あんたは何者なんだ? 話を聞く限り、あんたは自分が元々は人間だったみたいに言ってるけど、それは本当なのか?」

『ああ、本当だとも……私はかつて人間だった。人間と言うより天使と呼ばれる種族だったのだ。君は知っているだろうか。大昔の人類は科学の粋を極めて、遂に自分たちの体を改造することすら可能となった。私はそんな技術を駆使して生み出された人造人間で、その頃の私はアズラエルと呼ばれていた』

「アズラエル……アズラエルだって!?」

 

 鳳は素っ頓狂な声を上げて目の前の肉の塔を見上げた。プルプルと震える肉の塊は、酷い腐臭を放っていて、正視していられないくらい酷い有様だった。それがあのアズラエルを名乗っているのだ。仲間たちもみんな困惑の表情を浮かべて彼女のことを見上げている。

 

 アズラエルは、そんな空気を敏感に感じ取ったのだろうか、少し怪訝な感じに声を震わせ、

 

『どうしたのだ? 私はまだ自己紹介をしただけなのだが……』

「えーっと……アズにゃん。もし、君が俺が知っているアズラエルなら……」

『アズにゃん? 私のことをそんな間の抜けた名前で呼ぶのは、未だかつてたった一人だけだった……まさか君は!?』

「俺だよ、鳳白だ」

 

 鳳が自分の名前を告げた瞬間、また空からぼたぼたと肉の塊が落ちてきた。それは相変わらず酷い腐臭を放っていたが、鳳にはもうそれが汚いものとは思えず、何か尊いもののように思えた。

 

『まさか……そんな……本当に、君なのか? あの日、日本で別れたきりになってしまったが……あの後、どれだけ待っても、君たちが帰ってくることはなかった。だが、帰ってきたんだな? ついに、帰ってきたんだな?』

「ああ、ごめん。正直、何が起こっているのかよくわからないんだけど、帰ってきた。ところで、ここはどこなんだ? 地球で間違いないんだな?」

『もちろんだとも。そうか……帰ってきたのか。やはり、ここで待ち続けていたのは正解だった。誰も彼もがいなくなってしまった後、私は最後の望みに縋って、ずっとここで君を待っていたのだ。いつ果てるとも知れぬ不毛な日々が、ようやく……ようやくこれで終わる』

 

 アズラエルは興奮気味にそんなことを口走っている。

 

 誰も彼もがいなくなった……その意味を詳しく尋ねたいところだったが、鳳たちは彼女の興奮が収まるのを、もう少しばかり待たねばならなかった。

 

**********************************

 

 アズラエルのさっきの言葉は大げさでもなんでもなかった。彼女に言わせれば10万年までは数えていたが、それ以上は馬鹿らしくて正確な数字は分からないそうだが、鳳たちが播種船の中で数時間を過ごしている間に、地球では本当に数十万年の時が流れてしまっていたようだった。

 

 鳳たちが去った後、人類は彼の残した精液のおかげで順調に人口を増やし、一時は億に届きそうなくらいにまでなったが、繁栄もそこまでだったらしい。

 

 増え続けた人口を支えるために、神域は魔族との対決色を濃くしていき、それに連れて堕天使の数も増えていった。だが、魔族とは強者生存の進化をする生き物である。対抗勢力が強くなれば、魔族もまた全体として強くなってしまい、戦いは終わるどころかどんどん激化していってしまった。

 

 更には、堕天使という存在に思いもよらぬ欠点が見つかり、それが人類の生存に止めを刺してしまった。

 

 堕天使とは言ってもその体は結局のところ魔族であり、魔族は魔族を倒すことでその形質を奪うという特徴がある。つまり、堕天使が魔族を倒し続けることで、その堕天使は徐々に魔族としての性質を濃くしていき、ついには理性を失って人間を襲い始めてしまったのだ。

 

 こうなると、それまでは強力な味方だったはずの堕天使が、今度は災厄級の魔王と化して人々に襲いかかってしまい、そんなものを倒すにはオリジナルゴスペルを持ち出してくるしか方法が無くなってしまった。

 

 神域を統括していた四大天使たちは最後まで天使の体を捨てずに、そんな堕天使たちと飽くなき戦いを続けたのだが、ついにそれも破綻する日が来た。

 

 それは天使が魔族に敗れたわけではなく、ゴスペルを使い続けたことで、ついに世界の方がもたなくなってしまったのだ。

 

『ある日突然、窓が割れるかのように空が砕け散り、大量の第5粒子エネルギーが染み出してきた。使い続ければいずれそうなると、君たちに警告されていたというのに、私たちはそれを止めることが出来なかったのだ。放射線が地上のあらゆる動植物を焼き尽くし、天使も悪魔も構わず全てを葬り去っていった。人類は瞬く間に数を減らし、その繁栄も潰えた。こうして私たちは滅びの運命を受け入れざるを得なくなった。

 

 神域はこの事態に際して、私に全ての人類の遺伝子を保存するように命じた。知っての通り、私の体は捕食することで相手の生殖細胞を作り出すことが出来る……言わば生きた遺伝子の保管庫だったのだ。

 

 私も堕天使であったが戦いを全て眷属に任せていたから、幸いなことに理性を失う危険性は低かった。だから私が選ばれた。四大天使たちは、散りゆく同胞たちを次々私に捕食させ……そして私はその遺伝子を放射線から守るため、肉の塊へと変貌し……全ての生きとし生けるものがこの世を去った後、ただひたすらここで待ち続けていたのだ』

 

 アズラエルがそこまで話した時、上空から何か光るものが降りてきた。それは金色に光る木のような形をしていて、鳳の目の前まで降りてくるとそこで止まった。

 

『これは全人類の遺伝子を記述したアーカイブ、生命の樹、セフィロトだ。何しろ時間が有り余っていたから、暇に任せて私が織り上げた。これを君に貰って欲しい』

「どうして、俺に?」

『最後、四大天使は私に取り込まれる前に、自分たちの未来を君に託すように願ったのだ。既に神への信仰が薄れていた彼らにとっては、消えてしまった君たちが最後の望みになった。彼らはいつか君たちが帰ってきて、きっと人類を神の千年王国へと導いていると、そう信じていたのだ。だから私はその願いを聞き入れ、必ず君にこれを届けると約束した。その願いが、ようやく報われる……』

 

 その言葉からはアズラエルの数十万年の重みが伝わってきた。鳳は震えながらこう言った。

 

「そんな……受け取れないよ。俺が今これを受け取ったところで、どうすることも出来ない。俺自身もどうしていいのか分からない……」

 

 しかしアズラエルは彼の言葉をカラリと否定して、

 

『いいのだ。そんなことは。四大天使だって本当は、君が帰ってくるなんて思っていなかった。私も誰も、君が本当に神の千年王国なんてところへ連れてってくれるとは思ってはいなかった。ただ、そうしたいからそうしただけなのだ。

 

 君は、今にも命が尽きようとしている人が、自分も天国に行けるかと聞いてきたらなんと答える? 必ずいけますよって答えるはずだ、例え天国の場所なんて知らなくても。

 

 その言葉は真実ではないかも知れない。何の意味もないかも知れない。だがそこには偽りもない。その時君は本当に、みんなが神様の下へいけると信じているはずだ。私がこれを君に預けたいのは、ただそうしたいからで、それ以上の意味はない』

 

 鳳は肉の塔を見上げ続けていた。そこにはアズラエルの可愛らしかった顔もオッドアイも、紫がかった頭髪もどこにもない。声は頭の中に直接響いてきた。だからどこを見て何を喋って良いのか分からなかった。だからただ見上げていた。

 

 やがてその言葉を受け入れるように、鳳の指先に生命の樹が触れると、それは音もなく彼の手のひらの中に吸い込まれていった。その瞬間、鳳の体の中に、膨大な人類の歴史が走馬灯のように流れていったように思えた。それは一瞬であり、そして永遠にも近かった。

 

 アズラエルを名乗る肉の塔は、またぼたぼたと肉片を撒き散らすと、

 

『ようやく……これで終わる。私たちが紡いだ歴史を、どうか君の手で、然るべきところへ届けてくれ』

「ああ……約束する」

『では後を頼む、鳳白。君とともに旅した日々は、私の中でかけがえのない思い出だった。今日までやって来れたのは、その思い出があったからだ。どうか忘れないで欲しい。私の名はアズラエル。また生まれ変わっても、人類とともに歩むと誓おう』

 

 ぼたぼたと落ちる肉片はどんどん数を増して行った。それは最初の内は元の肉の塔へと戻っていったが、段々と雨が降るように地上に降り積もっていった。ひどい悪臭を周辺に撒き散らし、とても見ては居られなかった。だから鳳は黙って背を向けて、溢れる涙を腕で拭った。

 

 びたんびたんと肉を叩く音が響いてくる。こんなになってまで、彼女は人類を守り続けていたのか。一体、生命とは何なのか。鳳にはもう分からなかった。

 

「逝ったのか?」

「ああ」

 

 ギヨームと短い会話を交わすと、仲間たちはみんな肉の塔に背を向けてその場にへたり込むようにして座った。アリス一人だけが寂しそうに跪いて、両手のひらを組んで祈りの言葉を捧げていた。

 

 ギヨームが、そんな彼女の背中を見つめながら、虚ろな表情で言った。

 

「やつの話が本当なら、数万年どころか、数十万年経っている。カナンのやつの目的が最初からこれだったとしたら、一体、俺たちはどんな魔法を使われたんだ?」

 

 鳳は、そんなことを言ってももう無駄と知りつつも、彼の性格からいつものように淡々と答えた。今は出来るだけ多くの可能性を考えている方が落ち着いていられた。

 

「多分だけど……先生は最初から2つのワームホールを仕掛けていたんだよ。一つは地球から播種船に繋がるものと、もう一つは播種船から地球に繋がるもの」

「……? なんだそりゃ? それになんの違いがあるんだ?」

 

 鳳は砂に地球をもした円と、宇宙船のロケットのような絵を描き、

 

「普通、地球から出発したロケットが十分に加速してからまた地球に戻ってくると、地球では時間が早く経過していて未来に到着してしまう。気づいたら何百年と時間が経ってしまっているから、それをおとぎ話になぞらえてウラシマ効果って言うんだけど……

 

 この場合は、地球から飛び立ったロケットが地球に帰ってくるから起きる現象で、もしも飛び立ったロケットがそのまま帰ってこなかったら、話はまた違ってくるんだ。

 

 地球から飛び立ったロケットはどんどん加速して限りなく光速に近づく。すると地球からロケットを見ると、ロケット内の時間は止まって見える。逆にロケットから地球を見ると、あっちからは地球の方が止まって見える。

 

 2つの別々の場所では、別々の時間が流れているんだ。じゃあ、この2つの場所を、予めワームホールで繋いでおいたらどうなるだろうか?

 

 ワームホールを設置してから、ロケットは地球から飛び立った。ロケットはぐんぐん加速して光速に近づく。するとロケットからは地球が止まって見えるだろう。その状況で、ロケットは100年以上飛び続けた……

 

 さて今、ワームホールに入ったら、どうなるだろうか?」

 

 ギヨームはお手上げのポーズをしている。代わりにルーシーが、

 

「……直感だけど、100年前のロケットが出発した時点に戻る?」

「正解。それを利用して、過去に戻ろうってのがキップ・ソーンのタイム・マシンだ。ただこの場合、戻れるのはワームホールを作った時点までで、それより過去には戻れない。ついでに肉体年齢はしっかり100年経過しているから、意味があるのかって話だけど……まあ、ゲームなんかのステートセーブだと思えば、人間には無意味でも、機械には意味はあるかも知れない。もしくは、意識だけが過去に戻るタイムリープなんてのが可能ならね」

「話はなんとなく分かったけど、それなら私たちが地球から播種船に向かっても、過去に戻るんじゃないの? えーっと……今の話なら、ロケットが発射する時点に」

「するとロケットが発射する瞬間、100年後の君がいることになる」

「……あれ?」

「話を戻そう。ロケットは地球から飛び立って、限りなく光速に近づくけど、光速ではないんだ。だからロケットの中の時間は止まって見えるけど、まったく止まっているわけじゃない。ほんの少しだけ動いている。地球から見れば止まってるようにしか見えないロケットは、相変わらず加速し続けている。

 

 その状態で、ロケットの中で100年が経過した。その時、ロケットからワームホールを潜ったら、そこは100年前の地球だ。逆に地球からワームホールを潜ったら、そこはロケットの未来に繋がっていなきゃおかしいことになる。限りなく光速で遠ざかってるロケットの未来に。じゃなきゃ因果律に反するだろう。

 

 だから俺たちの場合は、播種船はまだ出発して数ヶ月しか経ってないはずなのに、1万5千年後なんて未来に飛ばされてしまった。1万5千年かけて、あれは現在もまだ加速し続けていたんだよ」

「頭がこんがらがるわ。そんなことが本当に起こりうるの……?」

「空間を歪めるってのはそういうことなんだよ。同じことが、銀河の中心にあるブラックホールのすぐそばで、今も現実に起きているはずなんだ。俺たちには近づくことさえ出来ないけど」

「でも白ちゃん。今の話なら、1万5千年後に行ったとしても、またワームホールを潜れば同じ時間に戻ってくるんじゃないの?」

 

 鳳たちの会話を横で黙って聞いてたジャンヌが言った。

 

「同じワームホールを潜ったんならね」

「あなたはあれが別物だったって言うのね?」

 

 彼は頷いて、

 

「最初にも言ったけど、地球から飛び立ったロケットが、また地球に戻ってきたら、それはなんて言うか加速した分だけ未来に到着する。ウラシマ効果が起こるわけだ。ところで、エミリアが乗っていた播種船が十分に加速したところで、例えば船から脱出ポッドをパージしてそれが地球に戻っていたら? そしてその中に、播種船に繋がる別のワームホールがあったとして、それを潜ってしまったら?」

「……もっと未来に行っちまうのか?」

「そういうことになるんじゃないかな」

 

 鳳は投げやりに答えた。沈黙が場を支配して、嵐の音だけが耳に響いてくる。

 

 いつもなら、アリスがお茶をお淹れしましたとでも言ってきそうなタイミングだったが、そんな彼女も固まっていた。ギヨームはため息交じりに砂を蹴り上げると、

 

「わからねえ! どうしてカナンはそこまでして、俺たちを罠に嵌めたんだ?」

「……どうしても、俺にこの光景を見せたかったのか……この終末の風景を」

 

 心做しか吹き付ける風が強くなり、アイギスの結界でも防ぎきれなくなってきていた。この世界が今どういう状態なのかわからないが、このままでは自分たちもそれほど長くはもたないかも知れない。ルーシーが、顔を強張らせながら呟く。

 

「ミッシェルさんが言ってた、世界が滅びるって……こういうことだったの?」

「こんなのどうしようもないじゃないか。ちょっと播種船に行って帰ってきたら世界が滅びていただなんて……たった小一時間程度の話だぞ?」

「……どうして気づかなかったんだろう。気づけるタイミングはあったんだ」

 

 鳳が項垂れていると、サムソンが周囲を見回しながら話しかけてくる。

 

「気持ちはわかるが、まずはここを離れないか? いつまでも、ここでこうしていても仕方あるまい。俺たちが進み続けなければ、本当に何もかもが終わってしまうぞ」

「そうだな……正直、お手上げだけど……」

 

 鳳は両手で顔を覆いながら、はぁ~……っと溜息を吐き、暫く経ってから、パンっとほっぺたを叩いて気合を入れ直し、

 

「サムソンの言う通り、悩むのは後だ。とにかく、今は一旦安全な場所に退避しなきゃな。一番マシな方法は、多分、播種船のゲートを復活させることだろう。戻って、そこでまた考える。もしそこに最初に潜った穴が残っていたなら、万事解決だ……そうとも! 先生だって、まさか本当に俺たちを破滅させたいわけじゃない。きっと帰れる方法はある。ルーシー、そのための方法がないかこれから検討してみようぜ」

「はぁ~……せめてカウモーダキーがあればなあ」

 

 鳳は不安を押し殺すつもりで空元気をだして、播種船の出口があった付近へ移動しようとした。しかし、それはとんでもなく甘い考えだった。

 

「おい、みんな見ろ!」

 

 ギヨームの切羽詰まったような声に振り返ると、先程まで肉の塔が聳え立っていた向こう側の空に、まるで亀裂が走るかのような傷が浮き出たかと思うと、映画館のスクリーンが焼け落ちるかのように、空がボロボロと崩れ始めてそこからまばゆい光が溢れ出した。

 

 灰のように脆く崩れ去る空の亀裂はやがて地面にまで達し、鳳たちの立っている大地までもがひび割れグラグラと揺れ始める。そんな地面の亀裂からも光の束が大量に溢れ出して空を焦がし、アズラエルの塔が一瞬にして燃え上がり、そして消え去った。

 

「まずい……ここも崩れるぞ!!」

「きゃああああーーーーっっ!!」

 

 せめて自分たちのいる空間だけでも守ろうと、アリスが結界を展開したが、その結界にも空と同じような亀裂が走り、ガラスが砕けるように割れてしまった。

 

 その瞬間、それまで結界が押し留めていた熱風が襲いかかり、体が燃えるような苦痛に耐えきれなくなったアリスの悲鳴が上がった。

 

 ルーシーが何かをやろうとしていたが、そんな彼女の足元が崩れ、彼女はバランスを崩して光の中へ吸い込まれていく。

 

 それを助けようとしたギヨームが咄嗟にライフルを作り出してつっかえ棒にしようとしたが、そのライフルごと彼女は穴に落っこちていった。

 

 ジャンヌとサムソンが腕を伸ばすが、そんな彼らを両断するように空間が割れ、そこから真っ二つに割れた二人の内臓が見えた。

 

「鳳くんっ!!!」

 

 鳳はルーシーの叫び声にハッと我に返ると、手の中にすっぽりと収まっていた自分の杖の存在に気づいて、咄嗟に彼女に向けてそれを伸ばした。すると杖が勝手に、今にも光の中に落っこちそうになっていたルーシーを吸い込み、ギリギリのところで彼女は光から逃れられた。

 

 彼はそれを見た瞬間、自分が今やるべきことを直感し、すかさず仲間たちをその杖の中に吸い込んでいった。ギヨーム、ジャンヌ、サムソン、そしてアリスを吸い込むも、彼女の持っていたアイギスは杖の中には入らず、地面に落っこちたそれを回収しようとして、彼は慌てて飛びつこうとした。

 

 するとその時、まるでペンキを塗るかのように、地面が真っ白に染まっていき、それは彼の立つ大地をも塗りつぶそうとした。

 

 彼は津波にでも追い立てられているかのように、必死にそれから逃れようと走ったが、ぐちゃぐちゃになった地面に、彼が足場になりそうな場所はもうどこにもなかった。

 

 ズルっとぬかるみにはまったかのように、自分の体が光の中に吸い込まれていく。

 

 彼は最期の瞬間、自分の体もケーリュケイオンの中に吸い込もうとしてそれが出来ないことに気づき、一瞬にして血の気が引くような寒気を感じながら、他になにかやれることはないかと脳みそをフル回転し……

 

 それに気づいた。

 

 いつの間にか周囲は静けさを取り戻しており、身を焦がすほど熱かった熱風はもう吹いていなかった。相変わらず視界は真っ白だったが、なんというか、そこには蛍光灯のような柔らかさがあった。

 

 たった今、白い光の中に吸い込まれようとしていた自分の体がふわふわと宙に浮かんでいて、それは播種船の中のように不自由な無重力ではなく、自分が思ったとおりに体が勝手に動く、なんだか箱庭ゲームのクリエイターモードみたいな感じだった。

 

 何が起きているのだろうかと焦っていると、鳳の耳にコツコツと何者かの足音が聞こえてきた。いや、正確には音は聞こえていないのだが、何となく誰かが近づいてくるような、そんなイメージが湧いてくるのだ。

 

 鳳は警戒しながらその足音の来る方角に目をやった。するとそこには、真っ白く光る2つの人影が立っていた。

 

 真っ白な背景の中で更に浮き出るような真っ白な2つの影……それは人の形を作っており、片方は四枚羽の豪壮な天使を、そしてもう片方は左右6対12枚羽の美麗な天使の姿を浮かび上がらせていった。

 

 ルシフェルとザドキエル……消えてしまった二人の天使が、この終末世界で、今ようやく鳳の前に現れた。

 

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