ラストスタリオン   作:水月一人

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第十章・うは!俺神になっちゃったよww鳳白最後の7日間~AGAIN
出アフリカ


 わりと有名なトリビアであるが、どうやら神は我々人類を二度作ったらしい。実は旧約聖書を読めば創世記の冒頭の部分で、神は何でか分からないが人間を二度作っている。おそらくは表現力が乏しかった作者の説明不足か、後世の編纂者のミスなのだろうが、聖書に書かれてることは絶対だから、一神教の人々の中にはそれを信じている人も結構いるらしい。

 

 因みに、二度作ったというのはあながち間違いではないかも知れない。と言うのも、実は現世人類であるホモ・サピエンスがアフリカから出るよりずっと以前に、既にユーラシア大陸には先輩であるホモ・エレクトゥスが広まっていたからだ。

 

 その180万年前の化石が、19世紀末にインドネシア・ジャワ島で発見され、ジャワ原人と名付けられた。その後中国でも北京原人が発見され、人類の祖先がこのホモ・エレクトゥスであるとの考えが当時は支配的になっていた。人類は、遅くとも100万年前頃までにはユーラシア大陸全体に広まり、それぞれの地域で独自に進化してきたのだという、多地域進化説が唱えられたのである。

 

 だが、この考え方だと少々厄介なことになる。

 

 この多地域進化説を採用すると、現在のインドネシア人やポリネシア人、アボリジニなどはジャワ原人が進化したと考えられ、中国人や日本人は北京原人が進化したものと思われ、そしてヨーロッパ人はネアンデルタール人が進化したものと考えられるわけだが……

 

 現生人類と比べると背が低くて脳容量が1/3から半分しかないジャワ原人や北京原人に対し、現生人類よりも脳容量が大きくて骨格も立派なネアンデルタール人から進化したヨーロッパ人、つまり白人様は選ばれし優秀な民ということになりかねない。

 

 実際はそんなことは無かったのだが、この一度植え付けられた選民思想が何を引き起こしたかは言うまでもないだろう。20世紀はあらゆる人種差別に人類が苦しめられた世紀だったと言える。

 

 この間違った考えが否定されるには1980年代を待たねばならなかった。この頃、遺伝子工学の研究が進んで、古代の化石から遺伝子を取り出して調べることが出来るようになってきた。そしてミトコンドリア・イブが発見されたことで、どうやら人類のルーツはおよそ20万年前の東アフリカの女性にたどり着くことが分かった。

 

 つまり、人類の祖先は最初に広まったホモ・エレクトゥスの集団には存在せず、その後もアフリカに留まり続けた者たちがホモ・サピエンスへと進化し、その集団が世界中に広まっていく過程で、旧人類(エレクトゥス)が淘汰されていったというのが真相だったのだ。

 

 人類は二度、世界に広がっていった。これ以降、遺伝子工学と考古学、進化生物学は切っても切り離せない関係となっていく。

 

 その後、炭素年代測定法などを駆使して、世界中に埋まっていた人骨を調べ、人類が如何にして世界中に広がっていったか、おおよそのことが分かってきた。

 

 ホモ・サピエンスに進化した人類は暫くの間は東アフリカに留まっていたが、13~9万年頃(約10万年前)にかけて北アフリカのエジプト、レバント地方、そしてチグリス・ユーフラテス川流域の、いわゆる肥沃な三日月地帯に進出し、そして、地中海沿岸のヨーロッパではネアンデルタール人と接触を果たした。

 

 かつてはこの時、獰猛なホモ・サピエンスがネアンデルタール人を捕食し、かの心優しき人種は絶滅してしまったと思われていたのだが、実際にはそんなことはなくて、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交雑を果たして、現代人の遺伝子の中にネアンデルタール人の遺伝子も数パーセント含まれているそうである。

 

 それじゃ、なんで現生人類よりも優秀な肉体を持っていたはずのネアンデルタール人が絶滅したのか? と言われれば、大雑把に言えばカロリー不足が原因であろう。ボディビルダーが毎日どれほどのカロリーを消費するか知ってるだろうか。強い体を維持するにはそれだけカロリーが必要だが、低燃費な現生人類と比べて、ネアンデルタール人はその点で生まれつきハンデを負っていた。

 

 おまけに彼らが絶滅した4万年前頃は丁度最終氷河期のど真ん中で、平時のように沢山のカロリーを獲得することが困難だった。そのため、おそらく慢性的に飢餓状態だったネアンデルタール人は、現生人類とのカロリー獲得競争に敗れ、地中海を西へ西へと追いやられていき、ついに絶滅してしまったというわけである。

 

 一方、肥沃な三日月地帯へ進出した現生人類は、ネアンデルタール人との交雑を経験したことで、どうやらこの時期決定的な何かを獲得したらしい。今からおよそ6万~4.5万年前、おそらくは氷河期か、他の何らかの切っ掛けで人類は大規模な移動をしはじめ、あれよあれよという間にユーラシア大陸全域からインドネシアの島々へと渡り、ついにウォレス線を越えてオーストラリア大陸にまで到達してしまった。

 

 この物語中では10万年前と言っているが、おそらく人類が創造性や、複雑な言語能力を手に入れたのはこの時期だと思われる。10万年と5万年じゃえらい違いだが10万年前に人類は東アフリカから旅立ってもいるので、この時期にもなにかあったのは間違いない。とにかく、この2つの時期に人類は何か決定的なものに直面した。

 

 話を戻そう。こうして大移動を開始した人類は、5万年前頃にはアメリカ大陸を除く全地域に進出し、その後長い時間をかけて生物学的な4人種、即ちモンゴロイド、オーストラロイド、コーカソイド、ネグロイドが出揃うことになる。多地域進化説では100万年以上かけて4人種は分化したと思われていたわけだが、実際には5万年程度しか経っていない。と言うか、人種と言っているが、この程度の年月ではコーカソイドもネグロイドも何も変わらないだろう。こんなカテゴライズ自体が、今となっては争いの種を産むだけで、無意味なものだと言うことがよく分かる。

 

 ともあれ、こんな具合に最終氷河期に世界全域に散らばっていった人類は、1万3千年前頃、ついにアメリカ大陸に進出を果たし、1万年前までには今のアルゼンチンに到達する。丁度この頃、長かった氷河期が終わり、人類の南方への進出を防いでいたカナダの氷が溶け始めたのだ。

 

 きっと、中央アメリカに初めて訪れた人は、そこにパラダイスを見たことだろう。それまで一度も人類という獰猛な獣と接触していなかったアメリカの動物たちは、人間を見ても全く恐れたりせず無防備だったようだ。そのせいでこの時期に、アメリカの固有種の殆どが絶滅してしまったという。

 

 ところでアメリカ大陸には、人類が農耕を始めるのに必須な穀物が全くなかったわけではなく、それどころかトウモロコシとサツマイモという、なろう小説ならチート級と呼ぶべき作物があった。にもかかわらず、文明が興ったのはその原産地である南米ペルーの周辺に限っていた。

 

 大航海時代、アメリカ大陸に上陸したスペイン人たちが南米ばかりを狙って征服していたのは、そこに人が密集していたからで、この時期の北アメリカはあんまり人が住んでいなかったのだ。だから後から来たイギリス人は北アメリカに入植すると、奴隷不足をアフリカの黒人から補ったと言うわけである。

 

 ところで、人類の進出が遅れたアメリカ大陸はともかく、アフリカにはどうしてヨーロッパ人に対抗しうる近代国家がまだ無かったのだろうか。

 

 考えても見れば、アフリカはヨーロッパに近く、さらに言えば人類は東アフリカをルーツにしているのだから、ユーラシアに広がるよりは寧ろアフリカ大陸に広がっていなければおかしいのではないか? なのに有史以来、アフリカには四大文明やアメリカのマヤ・アステカ文明に匹敵するものは全く存在しなかった。何故なのだろうか?

 

 その理由は、アフリカ大陸が南北に長く、その殆どが熱帯に位置しているせいだった。人間の体は熱帯で暮らしていくには適しておらず、そして温帯で育つ植物は、熱帯に植えてもまともに育たないのだ。例えばヨーロッパ原産の植物があったとして、それを日本に持ってきて植えても大体のものは育つが、赤道直下の国々に持っていったらまず育たない。その逆もまた然りだ。

 

 人類が主に利用している穀物は、基本的に殆ど温帯の気候に適している。大麦小麦大豆そばヒエ、米などを赤道直下に持っていってもまず育たない。いや、米はまだ育つだろうが、水田など工夫が必要だ。そして人類が飼っている家畜もその飼料を食べて育つわけだから、南国の気候では参ってしまうだろう。

 

 そう考えると、スペイン人たちがアメリカ大陸にやってきた時、北アメリカにあまり人がいなかった理由もわかる。アメリカ大陸もアフリカと同じく南北に長い大陸であったから、ペルーで興った文明が赤道に阻まれ北アメリカに上手く伝わらなかったのだ。もちろん、全く人がいなかったわけではないが、酋長を中心とした小規模な狩猟部族が乱立していたのが実際のところで、それでは狡猾な征服者たちには対抗しきれず、彼らの持ち込んだ病原菌の前に、ほぼ絶滅と言っていいくらいにまで追い詰められてしまったのである。

 

 北米は後に穀物メジャーが次々と誕生する肥沃な大地であったが、育てる穀物も家畜も無かったというのは皮肉な話である。

 

 さて、ユーラシア大陸以外で現代に繋がる巨大文明が生まれなかった理由は大体話した。文明もしくは文化は、赤道を越えて伝わるのが困難なのだ。だが逆に言えば、緯度が同じ東西になら、殆ど抵抗なく伝わっていくわけだ。実際に有史以来、東西の接近は度々起こっており、様々な文化が流入し、そして征服も行われた。

 

 現在の東アジアの人々の遺伝子を調べてみると、ある特徴的なパターンが見つかるという。そしてその変異がいつ頃起きたのかと調べていくと、およそ800年前の一人の男性に行き当たるそうだ。その頃は、モンゴル帝国が世界を席巻していた時期と重なるから、もしかしてこの男性こそがジンギスカンなのではないかという説がある。

 

 恐らく、誰もが一度は聞いたことがあるだろう。テムジンは征服した部族の女をその夫の前で犯し、この瞬間がたまらないのだと言ったというような、ちょっと鬼畜な性癖の持ち主だったそうである。

 

 このように同じ特徴の変異を持つ集団のことをスタークラスターと呼ぶらしい。意味はそのまま星団のことであるが、最近ではコロナのせいですっかり定着してしまった感があるので、わざわざ断る必要もないかもしれない。テムジンのような、一人の人間から発生するクラスターはまず間違いなく男性に端を発している。人間が遺伝子をばらまくには、男性の方が都合がいいのだから当然だろう。

 

 ところで、ヨーロッパ全域は紀元前15世紀から10世紀頃にかけてケルト人によって支配されていた。アーサー王がローマ人を度々蹴散らしているのは、この頃の神話が元になっているからだ。だからだろうか、ヨーロッパ人の遺伝子を調べてみると、実際にこの頃に一人の男性が成功を収めた痕跡が見つかるらしい。尤も、それはブリテン島からフランスの南部あたりにかけてであって、期待するほど大きな集団ではなかったようだ。

 

 それよりももっと目につくのは、今からおよそ5000年前。紀元前3000年ごろのクラスターである。

 

 ヨーロッパと中国の間の中央アジアには、およそ8000キロにも及ぶステップ地帯が続いているが、途中にある河川など様々な遺跡から、5000年より以前に中央アジアに人が暮らしていた痕跡は見つかっていない。この頃、ヨーロッパ側のコーカサス地方の出口あたりのステップには、小規模な部族が入り乱れていたそうだが、どうやらこの変異の持ち主は、その中の一つの部族のもののようである。

 

 時を同じくして、肥沃な三日月地帯ではメソポタミア文明が最盛期を迎えており、ナイル川ではエジプト王朝が興ろうとしていた。こんなに急速に文明が発展したのは、人類がこれより少し前に車輪の技術を獲得したからだ。

 

 車輪は徐々に周辺へと広がっていき、やがてステップ地帯のその部族にも伝わった。おそらく、この部族はそこで遊牧をして生計を立てていたのだろう。もちろん、馬とともに生活していたのは間違いない。そんな部族が車輪を手に入れたら何をするだろうか? きっと馬車……というか戦車を作って乗り回したのではなかろうか。

 

 この頃のヨーロッパは原生林に覆われていて、ほとんど人は住んでいなかった。おそらく小規模な農村がちらほらとある程度で、もちろん国家などどこにもなかった。ステップ地帯を出た部族は、そんな農民たちを襲って回った。馬に乗った蛮族が攻めてくるなんて考えもしなかった農民たちに為す術はなく、男は殺され、女は犯されたかも知れない。

 

 もしくは、この集団はペストのような病原菌を持っていたかも知れない。そのせいで、耐性のないヨーロッパの原住民は死に、部族の血筋のものだけが生き残ったのかも知れない。わかっているのは、この5000年前にステップ地帯を出発した集団が、驚くような速さで、あっという間にヨーロッパ中に自分たちの遺伝子をばらまいたということだ。

 

 そしてこの特徴的な変異を持つ遺伝子は、イラン人とインド人からも見つかるそうである。ヨーロッパを荒らして回った集団が戻ってきて、今度は東に向かったのか、それとも、同じ部族の別々の集団が東西に分かれたのかはわからない。

 

 とにかくわかっているのは、5000年前、とある部族が肥沃な三日月地帯の周辺を荒らし回っていたようだということである。そのせいか、現在のヨーロッパとイラン、インドの言語は非常に良く似ており、一つのインド・ヨーロッパ語族というものを形成している。この集団こそ、後にアーリア人と呼ばれる者たちのルーツだった。

 

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