ガリラヤ遠征を終えて帰還したラムセス二世は、配下の報告を受け戸惑いを隠せずにいた。師ヘルメス・トリスメギストスが今病床に臥して、その生命を終えようとしていると言うのだ。
この不死とも呼ばれる古代の錬金術師はエジプト新王国初期から宮廷に仕え、人知れず王国の繁栄を手助けしてくれていた。彼は博識であらゆる技術に精通しており、今日の王朝がかつてのバビロニアを凌ぐ繁栄を築けたのは、まさに彼のお陰であった。
それだけの貢献をしておきながら、彼がその見返りとして求めたのはその存在の秘匿であった。彼は自分が不死であることを人に知られることを恐れていたのである。
しかしそれも無理からぬことだった。かつてのエジプト王朝は、彼が不死人であることを知ると、その秘密を奪おうとして度々彼を迫害してきた。王族はピラミッドに埋葬したファラオを復活させ、あわよくば自分たちも不死になることを求めたのだ。
ヘルメスはそんなファラオたちの魔の手から逃れるために、当時分裂していたエジプト新王朝に客将として仕えると、以降様々な助言を王朝に与えてきた。そのお陰で、新王朝はついにエジプト再統一を果たし、メソポタミアを征服し、ヒッタイトと平和条約を結ぶまでに至ったのである。彼がエジプトを世界最強国家にまで押し上げてくれたのだ。
ラムセス二世は幼少時からそんなヘルメスを師匠と呼び、主に軍事について学んできた。師匠から学んだことで彼は戦術だけではなく、長期にわたって戦略的に国家を運営することを学んだ。不利と知れば撤退し、和平交渉の合間に敵の技術を奪う。こうして若きファラオはヒッタイトとの間に平和を築きながら、敵の優位性を削ぐということすらやってのけたのだ。
それもこれも、師匠の知恵のお陰だった。その師匠が……不死であるはずの彼が、今病床に臥しているというのである。
驚いたラムセスが配下を引き連れ、療養のため宮殿に設けられた師匠の寝室にズカズカ入っていくと、その場にいた兄弟子のアスクレピオスがそんな無遠慮なファラオを叱った。配下たちは神にも等しいファラオを怒鳴りつけるなど万死に値すると、失礼なこの医者に憤ったが、ラムセスが落ち着いて非礼を詫びるとぶつくさ言いながら部屋を出ていった。
部屋はあっという間に静まり返り、ゼエゼエという荒い息だけが響いていた。ラムセスは兄弟子に再度詫びると、衝立ての向こう側にある病床へと足を向けた。
おそるおそる寝床を覗けば、そこには小さな老人が寝そべっていた。未だかつて病気などしたこともなく、若いラムセスよりもずっと強靭な体躯をしていた師匠が、今は見る影もなくやせ衰えている。師匠のそんな姿を信じられない面持ちで呆然と見つめていると、病床の老人はそんな彼の姿を認めて、
「ファラオよ。よく来てくれた。あなたが戻るまでこの身が保つかどうか分からなかったが、なんとか間に合ったようだな」
「ヘルメス様。これは一体何の冗談ですか。不死人であるあなたが病気だなんて……」
「私は不死などではない。ただ長命な一族の末裔に過ぎなかったのだ。かつてのあなた方の祖先アブラハムのように、数千年を生きる人間の一人に過ぎなかったのだよ」
「アブラハム……?」
「神の子孫らは長命だった。アブラハムは千年を生き、彼の子どもたちは数百年を生きた。そんな彼らの子孫であるあなたたちは数十年を生きる。それだけのことだ。ではアブラハムの父はどうだったかといえば、そういうことだ」
若いファラオは師匠が何を言っているか分からず戸惑っていたが、ヘルメスはもはやそんな弟子の様子すらも分からない感じで、まるで壁に向かって話しているかのように、とりとめもなく話は続いた。
「不死とは私の父のことだ。彼は本物の神の子として地上に降り立ち、永遠の命を持っていた。しかし、あなたたちファラオは不死を素晴らしいもののように言うが、本人からすればそれは苦しみでしかない。私には想像できないほどの長い年月を生きた父は人間であることに完全に飽いていた。まるでトカゲのような目をして感情の起伏は全く見られなかった。彼は大勢の子孫に囲まれて不幸だった。故に、いつしか彼は自らの死を望むようになっていった。
そして彼はその方法を生み出した。私と弟にその命を分け与えることによって、彼は寿命というものを得たのだ。私と弟はそんな彼の最後を看取った。今までに見たこともないような安らかな寝顔だった。
その頃、カインを名乗っていた私は長命な人間としてこの世に生まれた。私は生きることは素晴らしいことだと信じていた。畑を耕し、収穫を得、私の子孫が増えていくのはこれ以上ない喜びだと思っていた。私にはまだ父の気持ちがわからなかったのだ。だから、私は弟に嫉妬した。
父は私たちに命を授けてくれたが、その寿命は弟のほうが長かった。普通は年の若いほうが長く生きるものだと、その程度の理由だった。私はそれに不満を抱いていた。弟は働きもせず、日がな一日森で遊んで暮らしていた。狩猟をして、釣りをして、気まぐれに山に登ったりして、家族を作りもせず、いつもブラブラとだらしなく暮らしていたのだ。
そのくせ、彼は大層モテた。彼の周りにはいつも人々が集まってきて、彼が帰ってくると、収穫祭でもないのに祭りのような騒ぎが毎晩続いた。これではまるで、父が彼を遊ばせるために自らの命を絶ったみたいではないか。私はついに我慢ができなくなり、ある日弟を殺してその寿命を奪ってしまった。彼が遊んでいる時間を、私が仕事に費やしたほうが、きっと人々のためになると思ったのだ。
その考えが間違いだったのは言うまでもなかった。
千年も生きると、私は生きることに飽きてきた。労働は同じことの繰り返しで、生産的なものとは思えなくなっていた。やがて私の子どもたちが死に、孫たちも死んでいき、加速度的に子孫がいなくなって、気がつけば私は一人になっていた。
孤独に耐えきれなくなった私は、ある時、自らの命を絶とうとした。だが、死ねなかった。弟の命を奪ったことで、父の力を全部受け継いでしまった私は不死人となってしまっていたのだ。何をやっても死ねないことに絶望した私は、それからはもう子を作ることも、畑を耕すこともなく、隠者として暮らしていた。
しかし、そんな私のことを、世界は許してはくれなかった。それからは、私が不死人であると聞き付けた時の為政者が次々と現れ、私の不死の秘密を探ろうとした。逆に死にたい私にそんなことがわかるわけもなく、私はいつも彼らが満足する答えを見つけられなかった。すると彼らは私が嘘をついていると思い込み、私を迫害し始めた。酷い拷問を受けた。心が耐えきれず発狂することもあった。それでも死ねなかった。
だから私は知恵をつけることにした。馬鹿な為政者を騙す方法。金を稼ぐ方法。魔術。算術。医術。錬金術。死にたい私が、生きていく上で必要な知恵を何でも身につけた。笑ってしまうだろう。
だが、この苦しみもようやく終わる……弟の寿命の分だけを生きた私に、今ようやく寿命が戻ってきたのだ。これでもう私は不死ではない。心置きなく死ねるのだ。だから王よ。私はあなたにお暇を告げねばならない」
ヘルメスはそこまで一気に語り終えると、その話をラムセスの背後で聞いていたアスクレピオスを手招きした。彼が病床に近づいていくと、ヘルメスの魔術によってふわりと一本の杖が飛んできて、彼の前で止まった。戸惑う彼がそれを手にすると、
「それは私の父がかつて使っていた杖だ。アスクレピオス、おまえにこれを授けよう。これには私の残りの寿命を使って、あらゆる人を癒やす力を施してある。おまえはこれを使って人々を救ってやりなさい」
「……これを使って、あなたのことを救ってはいけないのですか?」
「私以外だ」
ヘルメスはそんな弟子の言葉に薄く笑って返すと、また魔法を使って今度は真っ黒で四角い箱を取り出し、
「……これは父の力が封印された箱で、アークと呼ぶ。この中には父の命とあらゆる英知が記録されており、正しく使うことで数々の奇跡を生み出すことが出来るはずだ」
ラムセスはその言葉を聞いて心が踊った。病床の師が兄弟子に杖を送ったのなら、それは自分にくれるに違いない。彼はそう思ったが、残念ながら続く師匠の言葉はそうではなかった。
「アスクレピオス。おまえはこれからシナイ山に登り、そこで神に祈る男にこれを授けるのだ。そしてファラオよ。この男は圧政に苦しむ同胞を連れてこの国から出ていこうとするだろう。あなたには、この男を止めないで欲しい」
全く予想外の言葉にラムセスは戸惑った。てっきり自分にくれるものとばかり思っていたその箱を、師匠は見も知らぬ男にくれてやるというのだ。おまけのその男は、この国から働き手を奪っていくとも言う。彼はそんなこと到底受け入れられないと思ったが、
「師匠がそう言うのならば……ところで、その男とは何者なのですか?」
「分からぬ」
ヘルメスは投げやりにそう答えると、
「父に長寿を授けられたと言っても、私はその時ただの人間だった。弟を殺して不死となったところで、私にはなんの力もなかった。だから時の為政者に好きにやられた。そんな私に知恵を授けてくれたのは、夢の中に聞こえる一人の男の声だったのだ」
「声……?」
「私はそれを神の声だと思っている。これから死ぬという私に神は命じた。アークをシナイ山の男に届けよと。私に分かることはそれだけだ……」
そう吐き捨てるように言うなり、ヘルメスはパタリと横になってしまった。アスクレピオスは師匠が事切れてしまったかと焦ったが、単に疲れて眠ってしまっただけのようだった。恐らく、こんなに長く話したのが久しぶりだったからだろう。師匠にはもう、これくらいのことをする力すら残っていないのだ。
その後、兄弟子に追い出されるようにラムセス二世は病室を去った。師匠にはああ言ったが、彼は不満に思っていた。聞いた限りではアークは神の力を封印した、奇跡を生み出す装置のようだ。師匠はそれを、見ず知らずのどこぞの男にくれてやるのだという。そんな男にやるよりは、このエジプト王国のために使った方がよっぽどいいのではないか?
思えば、兄弟子は杖を貰ったというのに、自分はまだ何も貰っていないではないか。ファラオという立場から、物乞いをするような真似は控えたが、王国が損をすることを黙って見過ごすのは、為政者のすることではない。幸福とは勝ち取るものである。そう教えてくれたのは師匠のはずだ。
ヘルメスが生きている間は従おう……だが死者に従うつもりはない。
ラムセスは密かに兵を集め始めた。彼は間違っていた。彼は師匠から何も与えられていないと思っていたが、すでに彼はこの国を与えられていたのだから。
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シナイ山に登ったモーセは神より十戒を授けられ、その言葉を刻んだ石版を
二人はその後、エジプトで奴隷にされていたヘブライ人たちを引き連れ、神との契約の地カナンを目指すことになる。その際に追いかけてきたエジプト軍を、海を割って退けた話は有名だ。
しかし奇跡を起こしてエジプトを脱出したモーセたちは、それから何十年ものあいだ故郷にたどり着けずに、荒野をさまよい続けることになる。モーセが神との約束を破ったのが原因とされるが、当時のレヴァント地方は交通の要衝で様々な民族が入り乱れていたから、治安が悪かったのが本当のところだろう。そんな彼の代わりにヘブライ人たちを導いて、最終的にエルサレムにたどり着いたのは救世主ヨシュアだった。
どうして人々を救ったモーセではなく、突然出てきたヨシュアが救世主になったのかは不思議な話であるが、おそらくは高齢で長い髭をはやし包容力のあるイメージのモーセよりも、熱血で力強く聡明な青年であるヨシュアのほうが、物語の主人公としてふさわしかったからだろう。ヨシュアはヘブライ人たちのリーダーとして、敵をバッタバッタとやっつけているが、モーセではそんなイメージがしづらい。だったらエジプト軍やっつけろよという話である。
ともあれ、エルサレムにたどり着いたヘブライ人たちはその後イスラエルとユダ、2つの王国を作り上げるが、アッシリア捕囚、バビロン捕囚と二度の強制移住を経験して王国は弱体化し、その後はローマ帝国の支配を受けることになる。
旧約聖書はこの二度目の捕囚の際に成立したと目されており、捕囚生活が長くなって絶望したユダヤ人たちが、せめて自分たちの信仰を篤くして耐え抜こうとして生みだしたのが聖書だったと考えられる。その時の経験がよほど悔しかったのだろう。捕囚が終わってイスラエルに帰ったユダヤ人たちにとって、救世主とはヨシュアのように力強く敵を粉砕する者に変わっていったのだ。
そのイメージが、キリストが活躍した紀元前1世紀頃には定着していたのだろう。ローマ人の支配を受けたイスラエルの地は、元々交通の要衝だったこともあって、様々な民族が入り乱れてその頃にはもうユダヤ人だけの国とは呼べなくなっていた。特にローマ人が連れてくる奴隷や売春婦などの弱い人間は、ほぼ間違いなく異邦人だったから、ユダヤ人からすればはた迷惑な存在でしかなかった。
ところが、そうやって連れてこられた異邦人たちはユダヤ人の信仰を知ると、その神を信じたくなってしまった。常に不安の中に身をおいていた彼らにとって、死んでも神の元に召されるという一神教の教えは魅力的だったのだろう。現代人だって、みんな漠然と将来への不安を抱えているものだ。ましてやこれは紀元前の話である。
しかし、旧約聖書の神はユダヤ人の神であり、神が救うのはユダヤ人に限定されていた。だから異邦人がいくらその神様を信じると言っても、神は異邦人を救いはしないのだ。
ところで、大昔の日本や中国では、病気は祈祷や符術によって治るとされていた。この頃のユダヤ人社会でも、病気は司祭が油を注ぐことで治ると思われていたのだが、神が救わない異邦人を、当然ユダヤ人司祭が救うことはなかった。
ところが、それを平然とやってのける者が現れた。イエス・キリストである。彼は同じ神を信じてる者を救わないのは間違っていると言って、司祭の代わりに病人たちを治療して回った。そして不安に駆られる異邦人たちに、ユダヤ人でないあなた達も神様は救ってくれると説いて回った。こうして救われた異邦人たちにとって、彼は救い主となった。
しかし、こんなことをされて面白くないのはユダヤ人のインテリたちである。彼らは聖書に書かれていないことを、どうしておまえが勝手に決めるんだとイエスを糾弾した。しかしイエスは、人々を救わないおまえらこそ神が救ってくれるものかとやり返した。こうしてインテリ連中とイエスの非難合戦が始まってしまうのだが、いかんせん、イエスは聖書に精通しすぎていたらしい。
イエスは律法学者とか高位の司祭を、舌鋒鋭くやり込めてしまいヘイトを稼いでしまう。殆どソクラテスみたいな状況になってしまうのだが、彼は一つだけ間違いを犯してしまった。イエスは異邦人が救われないという状況を見かね、どうしても律法を変えたくて自分こそが神が遣わした救世主であると言ってしまう。ところがユダヤ人たちにとって救世主とはヨシュアのことだから、慈愛の人であるイエスは似ても似つかない。これが原因となって彼は逮捕されてしまうのだ。
裁判が始まってもイエスは自分が神の子であるという主張を曲げなかった。それに対してインテリ連中は、そいつを殺せとキレ散らかす。この裁判を任されたローマ総督のピラトは、人気者のイエスを殺したくないから助けようとして、極悪人のバラバという男を連れてきて、「こいつとイエスとどっちを殺して欲しい?」と群衆に尋ねた。するとユダヤ人たちは「イエス」と答える。ピラトは「本当に?」と念を押したが、それでもユダヤ人たちが主張を変えなかったから、ピラトは諦めてイエスを処刑することにする。
しかしその際ピラトは、「俺は責任を負いたくないから、イエスを処刑したいならおまえたちで責任を負ってくれ」と告げる。するとユダヤ人たちは、「子々孫々まで自分たちが責任を負う」と受け合ってしまう。(マタイ伝27-24.25)
この言葉が後にキリスト教がローマ帝国の国教になると、ユダヤ人たちを締め付ける呪いの鎖になってしまった。彼らは先祖の言葉のせいで、神を殺した悪魔になってしまったのだ。これが2000年もの長きにわたってユダヤ人を苦しめ続け、そしてあのホロコーストが起きてしまう発端だった。2000年前の、本当に言ったかどうかわからない言葉なのに、聖書の言葉というのは、我々日本人が思っている以上に重いものなのだ。
ともあれ、かくして十字架にかけられてしまったイエスであったが、3日後に復活を遂げて天に召される。彼は本当に神の子だったのだ。これを目撃した使徒たちは、だらしなかった態度を改め、以降はキリストの教えを広めるべく奔走していく。悲しいかな、こうしてキリスト教はキリストの死によって成立したのだ。
ところで、彼が本当に3日後に生き返ったかどうかはさておき、その死を確認するよう命じられた聖ロンギヌスは自分の槍で脇腹を刺してイエスの死を確認した(それが13本とか作られてサードインパクトでなんかすげえことになるわけだが)。このとき、彼の血が地面に落ちることを嫌った母マリアは、飛び出していって彼の血を杯で受け止めたという。何故なら、死んだ息子の血の一滴まで、全て母のものだからだ。
このイエスの血を受けた杯は、最後の晩餐の時にイエスが使ったものであり、彼はその杯から「これは私の血」と言って、いくらでもワインが出せたという奇跡の器でもあった。この不思議な杯が後の世の人々に奇跡の聖杯と呼ばれるわけだが、彼はこのときワインだけではなく、パンもどこからともなく出している。
実はイエスがパンを出してくるのはこのときだけではなく、彼は度々その奇跡の力を見せている。彼が付き合う人々は大体貧乏人だったからいつもお腹を空かせていた。その度にイエスは、僕の顔をお食べよと言わんばかりにパンをばら撒いているのだ。つまり、聖杯とはイエスが初期から所持しているマジックアイテムだったわけだ。
彼はこれをどこで手に入れたのだろうか。いや、そもそもこの正体はなんだったのだろうか。
十戒の入った契約の箱アークはヘブライ人たちによって新たな王国の神殿に収められた。この地にある限り神が王国民を守ってくれるというアークは、バビロン捕囚を最後にその行方がわからなくなる。
しかし元々アークとは、神が救世主に授けた奇跡の力の断片なのだから、持ち主のところへ返ってくるのが筋だろう。案外それは後の救世主であるイエス・キリストの手に渡り、聖杯へと化けたのかも知れない。
ところでこの聖杯も、イエス・キリストが処刑された後いずこかへ消えている。聖書の言葉が間違いないなら、それは母マリアが所持しているはずだが、彼女自身もその後どうなったかはよく分かっていないのだ。
一説には迫害を恐れたマリアは使徒ヨハネとマグダラのマリアと共にトルコのエフェソスで暮らし、そこで没したとされている。その遺体は後にコンスタンティノープルに移送されたと言われているが、だとしたらそれは東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国か、もしくはそれに先立ち行われた第4回十字軍によって奪われたのかも知れない。