ラストスタリオン   作:水月一人

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中世の魔術師たち

 キリストの死後、ユダヤ人からの迫害を恐れた使徒たちは、イスラエルの地を離れて地中海世界で細々と布教活動をしていた。とは言え、結局のところ一神教はローマ帝国内でも異端であったから、彼らの安住の地はどこにもなかった。

 

 最悪と言われたティベリウスの治世が終わり、皇帝ネロの時代になってもキリスト教徒の受難は続いた。皇帝は人気取りのためにサーカスの余興としてキリスト教徒を虐殺した。これは彼の悪行として広く知られている事実だが、この時の彼が特別残虐だったというわけではない。奴隷制を敷く社会では、市民はとにかく暇を持て余していたらしく、キリスト教徒の虐殺は彼らにとっての娯楽に過ぎなかったのだ。

 

 風向きが変わってきたのはこの巨大帝国に対してユダヤ人たちが蜂起したユダヤ戦争が切っ掛けだった。ユダヤ教はユダヤ人に危機が訪れた時、救世主が現れて力強く彼らを導くと謳っていた。そう考えると、支配されて虐げられている今こそがその時であると、信仰に篤いものほど思い込む傾向があった。

 

 そういった者たちが度々反乱を起こすので、ついにローマ帝国は業を煮やして彼らユダヤ人をイスラエルから追い払ってしまうことにした。こうしてユダヤ人たちは厄介者として帝国のあちこちに散らばっていき、キリスト教者と立場が逆転していくことになる。

 

 その後、五賢帝時代が終わり戦乱の時代が幕を開けると、暗い社会に絶望した民衆の救いを求める声に応じるかのように、コンスタンティヌス帝はキリスト教を国教に認定した。その総本山であるローマ教会は自分たちの権威をより強固にするために、バラバラだった教えを一本化しようとして、乱立していた宗派を異端であると言って次々追い出してしまった。

 

 やがて巨大な領土を維持しきれなくなったローマ帝国が東西に分裂すると、以降東ローマでは皇帝が、西ローマでは教皇がその教えの最高責任者になる。教会の権威はこのとき最高潮に達したが、まもなくやってきたゲルマン民族の大移動に耐えきれずに、ついに西ローマ帝国は滅んでしまう。

 

 しかし、教会にとって幸運だったのは、こうして外からやってきたゲルマン人たちがみんなキリスト教徒だったことだ。彼らはかつて教会が追い出した異端者たちから教えを授かっており、その総本山である教会に敬意を払っていた。以降、教会は王権を守護する秩序の守り手として君臨することとなる。

 

 ヨーロッパはこれより中世入りし、ルネッサンスが興るまでの間、長い暗黒時代が続いた。

 

*********************************

 

 フランスはアンボワーズ、クロ・リュセ城、その一室で今、稀代の万能人レオナルド・ダ・ヴィンチが死出の旅へ赴かんとしていた。彼の命の炎はまさに風前の灯火であり、もはや彼の耳にはどんな言葉も届いていないようだった。

 

 そんな彼の病室に、二人の怪しげな男たちが訪ねてきた。二人共黒いローブを纏い、明らかに人目を避けている様子が窺えた。

 

 闇夜に紛れて二人が近づいてくると、扉の前にいた警備の兵士は辺りを警戒しながらそんな二人を手招きし、周囲に見咎められないように慎重に音を立てず扉を開くと、サッと二人のことを通して、また何食わぬ顔で扉の前で歩哨を務めた。

 

 室内に入った二人は暫くの間耳を澄ませて警戒し、誰も居ないことを確かめてからロウソクに火を灯した。窓一つない、暗くて広い部屋の中で、それは蛍の光みたいに心細かったが、何もないよりはマシだった。二人はその頼りない灯りを頼りに、レオナルドの眠るベッドへ近づいていった。

 

「レオナルド……レオナルド……」

 

 彼らはレオナルドの枕元に立つと、二人のうち年配の方がそっと彼の耳元に話しかけた。しかし、死の淵に喘ぐ巨匠は何の反応も返さず、今にも死にそうに寝息を立てていた。

 

 男はそれを見て諦めたように顔を離すと、今度は懐からなにやら黒い箱を取り出してきた。この真っ暗な室内にあって、その暗闇よりも漆黒に見える箱は、あまりの存在感に見る者を不安にさせた。男はその箱を手に取ると、そっと横たわるレオナルドの胸のあたりに置いた。

 

 すると箱は一瞬だけキラリと電気のような光を放ったが、すぐにまた元の黒い箱へと戻ってしまった。男たちはそのまま暫く様子を窺っていたが、やがてもう何の反応も返ってこないことを確認すると、箱をしまってまた来た道を戻り始めた。

 

 扉から抜け出し、歩哨の脇をすり抜け、二人は城の中庭にある木立の影に忍び足で潜り込んだ。息を殺して周囲に誰の気配も感じられないことを確かめてから、彼らはようやく安堵の息を吐くと、若い男の方が年配の男に向かって言った。

 

「……また、外れでしたね、ピーコ」

 

 ピーコと呼ばれた年配の男はため息交じりに言った。

 

「残念だが、レオナルドほどの者でも器には程遠いようだ。それもそうだ。この霊性に耐えうる肉体を持つような者が、果たして普通の人間でいられるものか」

「これだけ探して器が見つからないとなると、やはりまだ時期ではないでしょうか」

「……かも知れない。だとしたら、神はこの時代をお見捨てになられたのだ。我々、神秘主義者はまもなく歴史の闇に消え去る運命でしかないのかも知れない。アグリッパよ」

 

 年配の男はまたため息を吐いて肩を落とした。

 

 男は名をピーコ・デッラ・ミランドラと言った。かつてメディチ家にあったプラトンアカデミーで、主催フィチーノの一番弟子として異彩を放った人物であった。彼は師、フィチーノのヘルメス学に習熟し、自ら古代の文献にあたってカバラを学ぶとともに、ついに失われた古代魔術をも再現するに至った。しかし、その力を王侯貴族化していた時の教皇イノケンティウス8世に危険視され、異端審問にかけられてしまう。

 

 幸い、パトロンでもあったロレンツォ・デ・メディチの尽力により解放された彼は謹慎生活を送っていたが、教皇が死んでも続く教会からの執拗な敵視に、やがて命の危険を感じるようになり、師フィチーノの勧めもあって死を偽装すると、以降、死人として歴史の表舞台を去った。

 

 その後、師匠もこの世を去って後ろ盾を失った彼は、旧交を頼って弟子のアグリッパと知り合い、二人は行動を共にしていた。彼はなんとか自身の復権を目論んでいたが、そうしている間も時代はどんどん悪い方向へと向かっていき、異端者狩り、魔女狩りが横行する中で、もはや自身の魔術は封印するより仕方がなくなってしまった。

 

 ところがそんな時、面白い話を聞く。かつてコンスタンティノープルを襲った十字軍が持ち帰った宝物の中に、かのキリストの血を受けた聖杯が紛れ込んでいるというのだ。そして彼は昔の伝を頼ってバチカンへと潜り込むと、宝物庫の隅っこの方にその黒い箱を見つけた。

 

 美術的価値無しとされ、粗末に扱われていた箱は、しかし見る人によってはとんでもなく価値のあるものだった。ピーコはその中に明らかに強い霊性を感じ取り、これが噂通りの聖杯であることを確信した。するとこの力の正体が気になった。果たして箱の中には何が収められているのか……

 

 聖書の言葉が確かであるなら、この杯はキリストの血を受けたという。するとこの強い力はキリストの命そのもの……即ち神なのではなかろうか? もしもそうなら、この混沌の時代、教会の腐敗を父は許さないであろう。キリストもまた、ユダヤの救世主である。この世が乱れていれば、神は我々人類を救うために立ち上がるはずだ。

 

 ピーコはそう考え、キリストの復活を目論んだ。しかし、復活させると言ってもどうすればいいのだろうか。キリストは神であったが、人を救うには肉体を得て地上に降りる必要があった。つまり神が降臨するなら、その器となる肉体が必要なのだ。その肉体として相応しいのは、やはりその時代をリードする才能の持ち主に違いない。彼はそう思って、この時代の様々な有力者と接触を果たしたのであるが……

 

 レオナルドですら器にならないのだとしたら、この方法は間違っているのかも知れない。もしくは、アグリッパの言う通り、神はまだ復活する時期ではないと考えているのだろう。もしもそうなら、彼にやれることはもうない。

 

「……仕方ない。これ以上の器探しは我々の生活に支障を来す。いつか現れる救世主のためにも、我々は正しい者を集めて聖杯を守ろう。教会はもうダメだ。これほどの霊性を感じ取れる者が、あそこにはもういない。まずはパトロンを募って金を集め、教会に代わる結社を作り上げるんだ」

「そんなに上手くいくでしょうか……」

「上手く行かせるしかない。これは考えようによっては、人類存亡の危機に繋がるような重大事だぞ」

 

 二人はそんなことを言い合いながら、隠れていた木立の影から外に出た。自分たちの会話に酔いしれていたせいか、彼らは周囲の警戒を怠ってしまった。その時、不用意に姿を現した彼らの耳に、コツン、コツンと言う地面を叩く音が聞こえてきた。見れば前方から何者かが彼らの方へと歩いてきていた。

 

 また木陰に隠れるのは簡単だったが、その不審な行動を見られたら、そっちの方がまずそうだった。不審な行動を取るよりは、ここにいるのが当然という顔をしていたほうがまだマシだろう。二人は冷や汗をかきながらそう考えると、十字を切って人影の来る方へと歩き始めた。

 

 もしも兵士に見咎められでもしたら、一巻の終わりだったろう。幸いなことに、やってきたのは兵士ではなく、一人の神学生だった。粗末な杖で地面を叩きながら、神学生のローブを纏ったその学生は、前方から二人がやってくるのに気づくと目深にかぶったフードを下ろして、人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「ごきげんよう!」

 

 そんな風に陽気に会釈する学生に、二人は呆気にとられながらもゴニョゴニョと会釈を仕返すと、その柔和な笑みを浮かべた学生は何事も無かったかのように二人の横を通り過ぎていってしまった。ピーコは通り過ぎる学生の顔を横目でちらりと見送ってホッと溜息を吐いたが、アグリッパの方は何故か彼のことが気になり、振り返ってその後姿をまじまじと見つめていた。

 

「どうした、アグリッパ。余り目立つ行動はしないほうが……」

「いえ……あの学生、どこかで見たことがあるような……」

 

 アグリッパは彼を置いてさっさと立ち去ろうとしている師匠を追いかけながら記憶を辿っていた。確かあれは、最近占星術師を名乗り金儲けをしている詐欺師まがいの学生ではなかったか。アヴィニョンで派手に稼いでいると聞いていたが、その彼が何故こんな場所にいるのだろうか。

 

 あんな詐欺師の若造に、レオナルドとの伝があるとは思えない。彼はどうやってここに入ってきたのだろうか。アグリッパは気になったが、何しろ自分たちだって、こっそりとここへ忍び込んできた身の上だ。彼はこれ以上の詮索は無駄だと思うと、今見たことを忘れることにした。

 

 そんな二人が立ち去った後で、神学生は悠々と中庭を通り抜けてレオナルドの病室へと近づいていった。すると先程の歩哨が立ったまま壁に体を預けてスヤスヤと寝息を立てていた。立ったまま寝るなんてそんな器用な真似が出来る人間などいるはずがないのだが、どう見ても彼は熟睡していた。神学生はそんな歩哨にお努めご苦労さまと話しかけると、鼻歌交じりに扉を開けて中へ入っていってしまった。

 

 彼が部屋の中に入ると、突然、真っ暗な部屋の中に明るく輝く光球が現れた。それは部屋の隅々までを照らしていたが、不思議とその光は外には漏れなかった。神学生がその光で室内を照らしながら歩いていくと、部屋の中央にはレオナルド・ダ・ヴィンチが眠っていた。その姿は見る影もなくやせ細っており、神学生はそれを見てほんの少しばかり悲しげな表情を見せたが、すぐに気を取り直したかのように微笑を浮かべると、そんな老人の元へと歩いていった。

 

 すると突然、そのレオナルドの瞳が薄っすらと開いた。彼はそこに立っている神学生を虚ろな瞳で見上げるなり、言った。

 

「マイトレーヤ……」

「そう、僕だ。僕だよ、レオ」

 

 神学生は嬉しそうにそう答えると右手に持っていた杖を左手に握り直し、彼に向かって手を差し伸べた。

 

「君を誘いに来たんだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、たった今まで虚ろだったレオナルドの瞳が輝きを取り戻し、彼はまるで若い頃に戻ったように力強く神学生の手を握り返した。神学生に引っ張り上げられた彼は、ベッドから立ち上がると腰をしゃんと伸ばして彼の瞳を見つめた。

 

「行こう、僕たちのニルヴァーナに!」

 

 神学生がそう言うなり天井から二人の天使が降りてきて、彼らの周囲をグルグルと回り始めた。レオナルドがその奇跡の光景を呆然と見上げていると、今度はその天井に真っ白く光る穴が開いて、次の瞬間、二人の体がふわりと浮かんでその穴の中に吸い込まれていった。

 

 レオナルドたちが天井に吸い込まれると同時に、まばゆい光に包まれていた部屋には一瞬にして静けさが戻り、部屋はまた元の暗闇に戻った。いや、まったく元通りではない。ずっと聞こえていた苦しげな寝息はもう聞こえず、そしてベッドの上には巨匠レオナルドの亡骸が眠るように横たわっていた。

 

********************************

 

 巨星が落ちてから100年後。カトリックとプロテスタントの対立は深刻化し続け、17世紀についに始まった戦争は30年もの長きにわたり、ヴェストファーレン条約の締結をもって終結する。世にいうドイツ30年戦争であるが、この戦争によってドイツ国内は完膚なきまでに荒廃し、これを切っ掛けとして長く続いた神聖ローマ帝国の歴史は幕を閉じることとなる。

 

 戦争末期には死体を食べなければ生き残るのは不可能だとさえ言われたこの戦争の教訓は、人は心の中までは何人たりとも縛ることは出来ないということに尽きるだろう。この悲劇を繰り返さないよう、以降、宗教を理由に他国の内政干渉をしないというルールが設けられ、これが世界初の国際条約とも言われている。

 

 さて、戦争は終わったが、それでヨーロッパに平和が訪れたかと言えばそんなことはない。長らく神聖ローマ皇帝として君臨していたオーストリア・ハプスブルク家は、この戦争によって大損害を受け徐々に力を失っていく。

 

 同じく、大航海時代に植民地帝国を築き上げたスペイン・ハプスブルク家も、植民地であったオランダが独立したことで財政が傾き、以降は鳴りを潜めて行く。世界の覇権は地中海から離れて、大西洋と太平洋を巡ってイギリスとフランスの二大国が争う構図になっていった。

 

 そんな覇権争いの中、オランダ東インド会社との争いを制し、フランスが後援していたムガール帝国をも破って、インドを手中に収めたイギリスは、更にインドの風俗を研究し始めた。要するに、外からやってきたイギリス人がイギリスの生活を押し付けるのではなく、出来るだけ現地の風俗に沿った政策を行った方が、抵抗が少ないと学んだのだ。これが功を奏して植民地支配が回りだすと同時に、イギリス人のインドへの興味がどんどん増すという思わぬ副産物を得た。

 

 こうしてイギリス国内でインドブームが起きている中、言語学者のウィリアム・ジョーンズは嬉々としてベンガル地方へとやってきた。元々はアメリカに興味があったジョーンズだったが、好きだからこそ独立戦争ではアメリカを支持してしまい、お叱りを受けてアメリカに行くことが許されなかった。

 

 失意の彼が次に興味を抱いたのはイスラム文化であり、またインドの風俗だった。多分、アメリカのことを忘れたいから真逆のことをやったのだろう。そんな染まりやすい彼はインドへやってくると、物凄い熱意で現地の風俗研究に取り組み、膨大な報告を本国へと送った。

 

 中でも圧巻なのは、当時のインド人にすら忘れ去られていたサンスクリット語の翻訳に取り組み、あっという間にその翻訳を完成してしまったことである。ところが、こうして失われた古語を復活させたジョーンズであったが、ここに思わぬ秘密が隠されていた。

 

 サンスクリット語は文法が驚くほどヨーロッパの言語と似ており、発音にも同じ言葉から派生したものとしか思えない物が多く含まれていた。今となってはインド・ヨーロッパ語族は同じ言語から派生した仲間であることが知られているが、当時のイギリスではこのことが知られているはずもなく、この発見が本国に伝わると、イギリス政府は2つの民族は元々は同じ民族・アーリア人であったと言ってインド支配の正当性の根拠としてしまったのだ。

 

 またその頃、インドに端を発するオリエントブームは、かつて肥沃な三日月地帯と呼ばれたチグリス・ユーフラテス川流域にまで向けられていた。肥沃であった土地は現在では砂漠と化しており、中世時代以降は誰からも見向きもされない土地になっていた。古代メソポタミア文明の遺跡の数々は、そんな砂漠の中で日の目を見ず、何千年もひっそりと眠り続けていた。

 

 イギリスとフランスは植民地戦争に飽き足らず、世界中の遺跡収集でも競争していたわけだが、エジプトのファラオなどに混じって古代アッシリアの(くさび)形文字の石版もまた、盗掘によって大映博物館に集められていた。

 

 当初、石版に刻まれた模様は謎とされていたが、後に研究員によってそれが言語であると判明すると、徐々に翻訳が進んで19世紀中頃には全ての解読に成功した。石版に書かれていたのは殆どが徴税官がつけていた帳簿みたいなもので、今となっては殆ど意味のないものばかりだった。そのため、この不思議な文字は暫くの間、人々の間で忘れ去られてしまっていた。

 

 そんな中、大英博物館に勤めていたジョージ・スミスは何故かこの奇妙な文字に興味が惹かれ、石版を扱っている内に徐々に読みこなせるようになっていった。ある日、彼が新たな石版を調査していると、半分になった石版に気になる文字を発見した。彼が何気なく翻訳してみると、それは『船がニシルの山に止まった』『鳩を放した』『それが止まるところがなくて帰ってきた』と続いていた。

 

 どう見ても聖書の大洪水伝説の雛形としか思えない話が、聖書が誕生する数千年前の石版から見つかったことは、当時センセーショナルをもって迎えられた。すぐさま残りの石版に懸賞金が掛けられ、幸運なことに、現地に飛んだジョージ・スミスが残りの石版も発見した。

 

 現地でそれを手にした彼は、食い入るように石版を翻訳した。そこにはこんなことが書かれていた。

 

 ギルガメッシュがある日、父ウトナピシュティムに昔のことを尋ねた。父は息子に秘密を明かそうと話し始める。ウトナピシュティムはその昔、彼の主神エアに洪水が来るから船を作るように言われた。持ち物を諦めおまえの命を求めよ。品物のことを忘れおまえの命を救え。全ての生き物の種子を船に運べ。その船は定められた寸法通りに作らなければならない。

 

 殆ど聖書の大洪水と同じような描写が続き、その後も似たような展開が続いた。7日目に船を作りあげたウトナピシュティムが動物とともに乗り込むと、雨が降り始め洪水が始まった。また7日かけて嵐が収まると静けさが訪れ、彼の乗った船はニシルの山に漂着した。彼はそこでまた6晩を過ごし、7日目に鳩を放してみたが、鳩はすぐに帰ってきた。続いて燕を離したがそれも帰ってきてしまい、最後にカラスを放ったところ、それは帰ってこなかったので、彼は船から降りて神に感謝した。

 

 この発見をしたジョージ・スミスは、こうしたギルガメッシュ叙事詩の残りの石版も発見するため、3度に渡る遠征を行ったが、現地の風土に馴染めず遠征先のシリアで病没する。

 

 功労者の死は残念ではあったが、ともあれ、神の言葉であるはずの聖書の内容が、異国の、それも聖書成立のずっと以前に書かれていたことは、驚きを持って迎えられると同時に、欧州人たちの選民意識をくすぐったに違いない。

 

 ギルガメッシュ叙事詩と聖書の内容に被りがあるのは、これを書いたカルデア人もまたアーリア人の末裔であり、2つの宗教は同じ出来事を語っているからだ。つまり、白人こそが神に連なるこの世の正当な支配者なのだと……

 

 かつてモンゴル帝国の脅威に晒されたヨーロッパ人は、この頃台頭してきた中国を警戒して、しきりに黄禍論を説いていた。それは日清戦争の頃に始まり、日露戦争で日本がロシアを破ると、事さらに黄色人種を嫌う者が増えてきた。そういった者たちがアーリアン学説を持ち出してきて、自分たちの優位性を説こうと躍起になった。

 

 時は20世紀。電気技術の発達と内燃機関の登場によって第二次産業革命が始まり、世界人口は驚くほどの勢いで増殖しはじめる。そんな中で各国はそれぞれ自国の優位だけを喧伝し、国民のナショナリズムをくすぐり、世界は取り返しのつかない大量生産と大量殺戮の時代へ転げ落ちようとしていた。

 

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