ラストスタリオン   作:水月一人

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軍師

 ヘルメス卿の居城は燃えていた。あの白く美しかった城は煤で真っ黒く覆われ、ところどころ剥がれ落ちた外壁と、大砲で空けられた穴とで、見るも無残なものだった。城を最後まで守っていた近衛兵たちは、かつて練兵場と呼ばれた広場に集められ、容赦なく処刑されていった。悲鳴が轟き血しぶきが舞う。いくつもの頭が転がり、賽の河原みたいに積み上げられていた。

 

 あまりの凄惨な光景に耐えきれず、新兵が練兵場の隅で胃の中身をぶちまけている。帝国軍総司令官ヴァルトシュタインはそれを見ながら忌々しそうに舌打ちした。死んだのは敵兵だけじゃない。味方も大勢死んだのだ。おまけに、ここまで犠牲を払ったにも関わらず、敵の総大将ヘルメス卿に逃げられたのは痛恨だった。

 

 勇者派との最終戦争から、かれこれ数十年。平和に慣れ親しみ過ぎて戦乱を忘れてしまった将兵に代わって、帝国軍総司令官として抜擢された彼は、大勢の神人を従えて行軍していた。しかし神人はプライドが高く、その上全員がヴァルトシュタインよりも爵位が高いせいで言うことを聞かず、いざ決戦となった時、まともな戦力として機能しなかったのだ。

 

 あの役立たずの神人どもは人間を見下しきっていて、いくら人間を倒しても誉れにならないなどと言い、戦おうとしないのだ。本陣が脅かされたことで渋々腰を上げたはいいものの、散々文句を言った挙句の果てにその人間に殺されているのだから始末に負えないだろう。お陰でヘルメス卿との市街戦は、農民出身の新兵を中心に戦わねばならなくなり、おまけに神人が殺られたせいで士気が下がりきっていて、幾度も潰走させられた。

 

 相手も寄せ集めの農兵が多かったことと、何よりも彼我の兵力差でどうにか押し切ることが出来たが、何度も本陣を脅かされてヴァルトシュタインも生きた心地がしなかった。なにか一つでも歯車が噛み合わなかったら、彼も今頃戦死を遂げていたかも知れない。終わりよければ全てよしなんて言えっこない。正に薄氷の勝利だった。

 

 それにしても勇者と呼ばれていたあの三人の戦士……あれは凄かった。

 

 尋常でない能力の持ち主であることもさることながら、何というか、戦い慣れていた。

 

 実は今回の戦争は、彼らの抹殺がその使命の一つであったのだが……帝国情報部の話では、対神人用に異世界から勇者召喚されたという彼らは、ここぞという場面で本当にその神人を破り、帝国軍の動揺を誘った。

 

 勇者召喚とは、放浪者(バガボンド)を無理やり呼び出す儀式のことのようだが……彼らは人間であるにも関わらず、神技にそっくりな魔法を操り、驚き戸惑っている神人を次々と屠っていったのだ。

 

 もしこのような人材を自由に呼び出せるのだとしたら、確かに、戦争を起こしてでも食い止めねばならないだろう。

 

 一人は激戦地に飛び込んでいくや、銃弾の雨あられを物ともせずに獅子奮迅の活躍をし、一人はどこからともなく現れては、こちらの指揮官クラスを的確に暗殺していく……そして最後の一人は、なんと魔法レベル5のライトニングボルトを連発するのだ。人間が古代呪文を使うなんて聞いたこともなければ、その魔法の威力たるや、あの神人すらも一撃で焼き殺すのである。こんな連中にどうやったら勝てるというのか?

 

 ところが、寄せ集めでは到底太刀打ちできないと思った彼らも、軍師の勧めで銀製の武器を使ってみたら、思わぬ形でその一角が崩れ、一人が死んだらあとはあっけないものだった。

 

 その直前までは、死を恐れない敵だと評していたはずの彼らが、たった一人の仲間が死んだだけで動揺し、突然崩れるのだから分からないものである。一体、彼らは何者だったのだろうか……?

 

 ともあれ、今回の戦争の目的は一応達成したが被害は甚大、ヘルメス卿にも逃げられ、戦果は最悪としか言えない。自分を売り込むつもりで引き受けた戦だったが……これでは帝国に帰っても芳しい評価は得られないだろう。忸怩たる思いだ。

 

 幸い、今回の戦でいくらかの知己を得た。これらの戦力を結集して、またどこかで一旗揚げられればいいのだが……

 

「伝令! 総司令官殿にご報告申し上げます!」

 

 そんな取らぬ狸の皮算用をしていると、彼のもとに一人の伝令の兵士が駆け込んできた。ヴァルトシュタインが不機嫌と見て取ったか、兵士は彼と目を合わさないように、わざとらしく気をつけをして空を見上げていた。

 

「なんだ?」

 

 ヴァルトシュタインが不機嫌を隠そうとせずに短く答えると、伝令の兵士はさっと敬礼をしてから、

 

「はっ! 現在周辺を警戒中の警備部隊によりますと、ここより10キロ先、近隣の街を落としにいった分隊が、街を占拠する難民から思わぬ抵抗を受けており、未だ落とせず苦戦しているとのことです! 分隊指揮官がおっしゃるには、落城まで今暫くかかりますが増援は無用とのことであります!」

「これ以上俺に恥をかかせるなよ……」

 

 彼が忌々しそうに手近にあった石を蹴飛ばすと、伝令の顔の横あたりをかすめて飛んでいった。それでも彼は微動だにせず、直立不動の姿勢で相変わらず空を見上げていた。見上げた胆力である。

 

 ヴァルトシュタインはすれ違いざまにその彼の肩を叩き、

 

「ご苦労さん……おまえはここで待機していろ」

「はっ!」

「軍師殿! 軍師殿はいるかっ!!」

 

 彼は陰気臭い練兵場から出ると、瓦礫の山と化した城前広場まで歩いていった。落城後は、戦後処理のための本陣を置いていたのだが、その天幕の直ぐ側に、瓦礫で作ったベンチに腰掛けながら、独特の黒い茶器で茶を飲んでいる男がいた。

 

 傍らでは彼の黒い愛馬が草を食んでいる。ここは戦場のど真ん中だと言うのに、何故かこの一体の空気だけが一変して見えるのは、その男の持つ雰囲気のせいだろうか。

 

 ヴァルトシュタインが総司令官として軍勢を預けられた時、軍師……というか監視役としてつけられた男である。総司令官に声をかけられるとその男は手にしていた茶をぐいっと飲み干し、手早く茶器をしまうと、彼が近づいてくる前にベンチから立ち上がり、背筋をピンと伸ばした姿勢で、軽くお辞儀をしてみせた。その動きは緩慢で決して素早くはないのだが、見る者を少しも苛立たせないのは、きっとその流れるような一連の所作が洗練されて見えるからだろう。

 

 黒尽くめの服を来て、目も頭髪も真っ黒。年の頃は30半ばと比較的若いはずだが、異様に貫禄があるというか、迫力があるというか、落ち着き払っている姿は、老練の武術家を思わせ妙に近寄りがたい。噂では皇帝の相談役として、唯一、一対一で対面が許された『放浪者』であるそうだが……

 

 その性質から、恐らく中身は見た目通りの歳ではないのだろう。名前はなんと言ったか……確か、そう、利休宗易(りきゅうそうえき)

 

「軍師殿! よろしいか?」

「……あちらの街のことですかな」

「話が早くて助かるよ。それを落としに行った馬鹿が、未だに手間取っているらしい。増援は要らんと言っているそうだが、現場を見なければ話にならんよ。大体、足りんから苦戦してるんだろう。これからひとっ走りするから、ついてきてくれないか」

「御意に」

 

 軍師と呼ばれた男……利休は愛馬の手綱を引いて、ヴァルトシュタインのあとをついていった。

 

*********************************

 

 城からほど近く、峠に樫の大木があり、だいたい街との中間点にあるその小高い丘の上に、側近の兵隊およそ100騎を引き連れたヴァルトシュタインが現れた。隣には黒鹿毛の愛馬にまたがった利休がおり、彼らは馬上から遠くに見える街の様子を観察していた。

 

 街の広さはおよそ10町歩、外周1キロ強といった範囲に、トタン屋根のバラック小屋がすし詰めにされている。中には長い煙突が伸びている建物もあることから、鉄の精錬なども行われていたのだろう。ヘルメス卿の城下町とは対象的に薄汚い街だった。

 

 遠目から臨む街の中には着の身着のままの難民たちがひしめき合い、かなりの人数があの中で立ち往生しているようだった。恐らく、戦争が始まるや否や逃げ出した近隣の住人が、森を前にして行き場を失い、あそこに集まったのだろう。

 

 人数は目測で1万くらいだろうか。対する帝国軍分隊は3千と、人数の上では負けているが、ろくな装備もない難民相手に苦戦するような数ではない。

 

 街の周囲は、恐らく外壁を引っ剥がして作った即席の木の防壁で覆われており、その前方には比較的浅い塹壕が掘られていた。防備らしい防備は他には見当たらず、何故あんなものに手こずっているのかと首を捻っていると、その街の方から数騎の兵隊が飛んできて、ヴァルトシュタインの前に滑り込んできた。

 

「こここ、これは司令官様! このようなみすぼらしい場所に何の御用向きで!?」

 

 彼の前に、片目で出っ歯の小太りな男が揉み手をしながら現れた。

 

 盗賊上がりの傭兵隊長で、連れている兵隊の質はそこそこだった。ただし、始めから略奪を目的として従軍しているのは明白だったので、重用する気にはなれなかったのだが……決戦前、周辺の街を無力化しておいたほうが良いと具申してきたので、汚い仕事は薄汚い連中にやらせておけばいいと任せてみたのが、この有様である。

 

 ヴァルトシュタインはギリギリと歯をむき出しにしながら怒鳴り散らした。

 

「おい! いつまで手こずってるんだ!? お前、大口を叩いた割には、たかがあれしきの街一つ落とせないのか!!?」

 

 未だ何一つ戦果を挙げられていない彼は青ざめながら言い訳の言葉を口にした。

 

「ももも、申し訳ございません! 私も必死にやっているのですが、敵の反撃が思ったよりも堅固で。おまけに、街の中に潜んでいた神人が大暴れしていて、中々近づけないのです」

「言い訳は聞きたくない! おまえは俺に周囲の脅威は全て自分が払ってみせると言ったんだ! なのに、おまえは未だにこんなところでお遊戯してやがる。見ろ! おまえがまごついている間に、本体の方はとっくに片付いているんだぞ!? つまりおまえは、俺たちの背後を守ると言いながら、何一つ役に立っていなかったんだ! これは軍法会議もんだよなあ!?」

 

 総司令官が当たり散らすと、彼の部下たちが分隊長を取り囲むように馬を進めた。その迫力に圧迫された分隊長は冷や汗を垂らしながら土下座の格好で地面に這いつくばる。

 

「なにとぞ! なにとぞ、お許しを~!!」

 

 その哀れな姿を見下ろしながら、ヴァルトシュタインはチッと舌打ちをした。プライドがあるならこんな真似は絶対に出来ない。これが出来るから、こ汚い連中というのは始末に負えないのだ。生き残るためにプライドをかなぐり捨てられては、こちらはもう何も出来ないではないか。

 

 彼は腹立たしげにぼやいた。

 

「クソったれ……たかがこれしきの仕事も出来ずに、俺に尻拭いなんかさせやがって……大体、あんなのは手持ちの兵力で突撃してったら一発だろう? 何を躊躇してやがるんだ。防壁だってあんなに薄くて、軽く小突いたら倒れてしまいそうじゃねえか。塹壕も浅くて子供にだって乗り越えられる……なのにお前は何をやってる? あんなの、誰がどう見たって無防備じゃねえか……?」

 

 無防備……? ヴァルトシュタインは自分の言葉を反芻して、はたと気づいた。

 

 そうだ。いくらなんでも無防備すぎる。まるで突撃してくれと言ってるようなものじゃないか。塹壕は浅くてせいぜい3メートルくらい。街を取り巻く壁は薄くて、銃弾は突き抜けてしまう。あれじゃ視線を切るための遮蔽物にしかならないだろう。本当に、子供にだって簡単に乗り越えられるはずだ。

 

 だが、あそこに大群で押し寄せていったらどうなる? あの塹壕は、簡単によじ登れるが、駆け抜けられるほどには低くない。つまり、必ずあの前で渋滞を起こす……

 

「ありゃあ……ザルだな」

 

 ヴァルトシュタインがそうポツリと呟くと、もはや彼の言葉をオウムのように繰り返すしか出来なくなった分隊長が、

 

「おっしゃるとおりで。そうです、あんなのはザルです。すぐに、この私はどうにかしてみせましょう。だからどうか総司令官様、もう一度私に突撃命令を……」

「馬鹿野郎!!」

 

 ヴァルトシュタインが癇癪を起こしたように怒鳴り散らすと、分隊長はついに丸くなって縮こまった。その哀れな姿に周囲から失笑が漏れる。しかし、総司令官はそんな物などすでに目に映らなくなっていた。

 

 あの目の前に立ちはだかる壁は、文字通りザルだ。小さな粒なら簡単に通すが、大きな物は引っかかって通れない。人間で言えば、少人数ならすきを見てそれこそ子供でも突破できるが、軍隊は基本的に数十人という大人数で動く。すると、あの手前の塹壕で必ず足を止めねばならず、そこを狙い撃ちにされて近づけないのだ。

 

 あれは無防備に見えて、意外にも理にかなった備えなのだ。

 

「あれは惣構(そうがま)えですな」

 

 ヴァルトシュタインが街の周囲を取り巻く防壁を見て唸っていると、そんな彼の横に馬を寄せてきた軍師がそう発言した。

 

「……知ってるのか?」

「はい。あれは我が国独特の城郭であります故、大陸の方には馴染みがないのでしょう。総構え、総曲輪(くるわ)とも申します。我が祖国は山がちで平地が少なく、昔から山に依って戦う戦術が発達してきました。山の切り立った断崖の上に土塁を乗せ壁で囲う。こうすれば上から一方的に攻撃が出来ます。この陣地のことを(くるわ)と申しました。それが平和な時代が続くようになり、為政者が平地に降りてくると、だんだん形を変えてあのような構えになっていったのでございます」

 

 惣構えは利休の住んでいた堺の街が有名で、昔は街の外周を取り巻くように堀が張り巡らされていたが、織田信長が上洛すると埋められた。

 

「ふーん……そんなものがあると言うことは、あそこにあんたと同郷(バガボンド)がいるかも知れないわけだ」

 

 城の捕虜を尋問して聞いた話では、あの勇者と呼ばれる連中の一人が逃げ出したと言っていた。それにさっき、この分隊長は街の中で神人が一人大暴れしてるとも……

 

 つまり、あの中に、あの勇者と同格の人間がいるかも知れないというわけだ。

 

 ヴァルトシュタインは低い唸り声を上げた。

 

「攻めるのは簡単だ、数を揃えればいい。だが落とすのは容易ではない、必ず犠牲が出るだろう……そんな犠牲を払って手に入るのが、あのゴミ溜めみたいな街じゃあ割に合わねえよなあ」

「兵糧攻めはいかかでしょうか。見ての通り、あの街は多くの難民を抱えております。糧食もそう長くは持ちますまい。このまま街を包囲し、投降を呼びかけるのがよろしいかと……いや、その必要もなくなりましたか」

 

 軍師の言葉に促され、街の方を見ると、街の中心にある大きな建物の上で白旗が翻っていた。

 

「どうやら、先方は話し合いを所望のようですな」

「受けるべきか拒否するべきか……どう思う?」

「受容するのがよろしいかと」

 

 ヴァルトシュタインは溜め息を吐くと、

 

「城攻めでは虎の子の神人を失い、町の外じゃ難民に舐められる……踏んだり蹴ったりだな。俺のキャリアはボロボロだよ。受け入れよう。話し合いの席を設けろ」

 

 総司令官がそう命令すると、彼の子飼いの部下たちが忙しそうに散っていった。彼はその姿を見送ると、未だに地面に這いつくばってる分隊長の尻を蹴り上げ、

 

「命拾いしたな、おい」

 

 と言って、悔しそうに街を睨みつけた。

 


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