ラストスタリオン   作:水月一人

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ルーツ

 1989年。ベルリンの壁が崩れた。戦後、東西に分割統治されていたドイツはこれを機に再統一へと動き出し、更には東西の雪解けムードの中、ゴルバチョフが留守のモスクワでクーデターが起きると、世界を二分していたソビエト連邦も崩壊して、ついに冷戦が終結する。

 

 これにより共産主義による計画経済という壮大な実験は失敗に終わったわけだが、それで平和が訪れたのかと言えばそうでもなかった。世界は相変わらず独裁者だらけであったし、民主主義を採用していない近代国家とは呼べないような国はいくらでもあった。

 

 そんな中で空気が読めないイラクが暴走気味にクエート侵攻を行うと、国連は多国籍軍という平和維持軍を派遣してあっという間に解決し、一時は世界は正しい方向へ向かっているのだと人々は酔いしれたものだったが……ソマリア、ルワンダ、コソボと続く紛争の果てに911同時多発テロが起きて、アメリカ人たちは自分たちのことを快く思わない勢力が、まだごまんとあることに気づいたらしい。以降、世界は対テロ戦争の時代に突入する。

 

 時を同じくして、インターネットは人類に新たな集合知を与えた。これ以降、世界中の研究者たちが集まることなく、様々な場所から一つのプロジェクトに参加することが出来るようになった。こうして数多くの取り組みの中から新たな技術も生み出され、そして驚くような発見もなされた。

 

 ビッグバンの余熱から再現された宇宙の地図や、宇宙が思いがけず加速膨張しているなんてことも判明した。そして人類の遺伝子の秘密に迫るべく始められたプロジェクトでは、ヒトゲノムの全ての解読がついに実現した。それによって劇的に世界が変わったということはなかったが、確実に人類は自らの誕生の秘密に迫ろうとしていた。

 

 そんなある日……旧ソ連の軍事施設に、密かに黒い箱が運び込まれた。第二次大戦時、総統地下壕でヒトラーの死体と共に見つかった謎の箱である。箱の解析を行ったアラン・チューリングは、これをノアズ・アークであると断定したが、彼からこの功績を奪った結社は、その後この発見を有効活用出来ずにいた。

 

 箱の中には彼が指摘したように4種類からなる遺伝子のコードが刻まれているようだったが、それが何を意味しているのか、どの部分が人間の遺伝子なのか? どこからが他の動物のものなのか、全てがごちゃ混ぜで何もわからなかったのだ。チューリングが生きていればこんなことにはならなかっただろうに、彼らはご馳走を前によだれを垂らしていることしか出来ない哀れな犬の気持ちだった。

 

 そうして黒い箱は放置され続けて、およそ半世紀が過ぎ去り、誰もが記憶からその存在を消し去ろうとしていた時だった。ヒトゲノムが解析され、遺伝子工学は新たなフェーズへと移行した。それにより、バイオ関連だなんだと投資家たちが騒ぎ始めると、300人委員会を構成するとある金持ちが、箱のことを思い出した。そして彼の発案により、半世紀ぶりにその箱の謎を解いてみようと集まった委員会は、既に解読されていたヒトゲノムの情報を使って、ひとりの人間の遺伝子を取り出した。

 

 クローン羊ドリーが世間を騒がせていたころ。彼らはシベリアの旧ソ連施設の中で、あろうことか人間を作り出そうとしていたのである。これが世間に知れたら大騒ぎは間違いないだろうが、あいにく彼らはそんな道徳心を持ち合わせちゃいなかった。こうして、こっそりと最初の人間は復活したのである。

 

 アークに記録されていた情報から新たに染色体を作り上げた彼らは、ES細胞の核に移植して電気ショックを与えた。こうして出来た胚細胞が、成長すればよし、失敗しても別に構わないといった程度の試みであったが、その胚細胞は血清の中で驚くほどの速さで成長していった。

 

 最初は様子見のつもりでシャーレで培養していた物を、慌てて大きな器に移し替え、それでも足りなくなさそうだから浴槽のようなポッドへ移した彼らは、何の栄養も与えていないのに、どうしてこの細胞が増殖し続けているのかわけがわからなかった。

 

 ただわかっていることは、謎の黒い箱に収められていた遺伝子から、何か得体の知れないものが誕生しようとしているということだけだった。

 

 統括する科学者のリーダーは、このままこれを成長させ続けていいか悩んだ。今ならまだ引き返せる。今のうちに細胞を殺し、無かったことにしたほうがいいのではないか? しかし、そんなことを言い出そうものなら、300人委員会に何をされるかわからない……それに結局は、彼も好奇心には勝てなかった。

 

 こうして、あり得ない速度で成長し続けた胚細胞は、普通なら母親のお腹の中で280日掛かる成長をたった一日で遂げてしまい、それでオギャーと誕生するかと思いきや、成長はまだまだ続いた。そしてその成長がようやく止まった時、そこには既に成人したと思しき一人の男が眠っていたのである。

 

 黄色い肌に黒い髪の毛、見た目は日本人にそっくりな彼は、本当に現代の日本人に極めて近い遺伝パターンを持っていた。最初の人間がまさかこんな極東の猿に似てるとは思わず、彼らは肩透かしを食う思いだったが、そんなことを言っていられるのもそれまでだった。

 

「う……うーん……」

 

 復活した男が唸り声を上げたと思うと、当たり前のようにぱっちりと目を開けて、彼を取り囲む周囲の人々を見回した。そして、

 

「ここは、どこだ……? 俺は何をしてるんだ? っていうか、俺は一体……」

 

 彼が何か言葉を発したということは、その場にいる殆どの人々はわかっていた。だが、その言語が日本語であることに気づけたのは、たまたまその場にいた日本人の科学者だけだった。彼は悲鳴を上げ、同僚たちから冷ややかな視線を頂いた。だが、そんな彼が、目の前の男が発した言語は日本語だと告げると、現場は一転して騒然となった。

 

 見た目日本人にしか見えないその男は、生まれた直後だというのに、最初から言語を習得していたのだ。主に日本語を喋ったが、それ以外にも十数ヵ国語を話すことが出来、意思疎通には困らなかった。

 

 驚くのはその身体能力で、垂直跳びでは2メートルを飛び、100メートルを10秒以下で走った。しかしこれは彼の純粋な力ではなく、魔法の力だと言って、彼は光の玉のようなものを作り出して、それを自在に操り始めた。

 

 科学者たちはその不思議な現象を目にして好奇心に駆られ、それをどうやっているのかと質問した。まともな返事は返ってこないだろうと思いきや、男はあっさりとその秘密を語りだした。第5粒子エネルギー……この未知なる力を手に入れることによって、人々は人を超えた存在、神人になるのだ。その主張は、かのアドルフ・ヒトラーの狂った演説内容に酷似していた。

 

 このような荒唐無稽な話は普通ならば無視してしまうのが一番だろうが、困ったことに彼は現実に魔法のような力を操り、おまけに科学者たちも未だ知らないような科学技術の知識すらも、当たり前のように持っていたのだ。

 

 彼はこれから数十年の間に起こる未来について語り、そしてそれは科学者たちの想像する未来と比べても妥当であるように思われた。

 

 しかし、それじゃあ、何故彼はこんな誰も知らない未来のことを知っているのか?

 

 ……これらのことを遠巻きに見ていた300人委員会の金持ちは、今の状況をあまり思わしくないと思っていた。

 

 もしもこの男が本当に最初の人間なのだとしたら、人間とは一体何だったのであろうか? ヒトラーの与太話はともかく、これがチューリングの言うノアズ・アークという説は概ね正しいと思われる。アークには彼以外にも地上のあらゆる生物の遺伝子が記録されており、そのいくつかは既に突き止めていたからだ。

 

 もちろん、ノアの方舟と言っても、あの洪水伝説が現実にあったというわけではなく、要はこの場違いな出土品(オーパーツ)が大昔に地球に落ちてきたことで、人類は誕生した可能性があるということである。人類は最初、猿だった。それが何百万年もかけて進化していって、今のホモ・サピエンスになるわけだが、もしもその進化の過程に彼が混じっていたのだとしたら、彼は人類の祖先アダムにほかならないという話だ。

 

 だが、本当にそんなことがありうるのか?

 

 この男がただのペテン師なら問題ないが、科学者たちの反応からするに、彼が本当のことを言っていることは間違いないだろう。つまり彼は太古の昔から存在しながら、現代人である我々の知らない情報を持っていて、我々よりも知恵が回るのだ。そして先ほど見せた身体能力と魔法の力……もしかしてこの男こそが神なのではないか? そう思わせるような何かがあった。

 

 自分たちの好奇心から、このような者を復活させてしまったが、果たしてこの選択は正しかったのだろうか……300人委員会の金持ちは後悔していた。やはり、この男は早めに始末しておいたほうがいいのでは……

 

 しかし、彼が不安に駆られている時、そんな男が一言漏らした。

 

「ところで、今はいつなんです? 出来れば、今日の日付と株価を教えてもらえませんか?」

 

 300人委員会の金持ちは、その言葉で彼のことが一発で好きになってしまった。未来を知っているということは、これから株価がどう変動するかも知っていると言うことだ。彼にはもう不安は無く、目の前の男がアダムだろうが神だろうがペテン師だろうが、とにかく仲良くやっていこうと心躍らせていた。

 

********************************

 

 911から始まる2000年代が終わり、2010年代に突入した。この年代も東日本大震災という未曾有の危機で始まってしまったが、あの事件と丁度日付が半年違いであることは何の偶然なのだろうか。

 

 新興IT企業・鳳グループは、この地震が起こった直後に1000億円もの寄付を発表し、まるで予期していたかのように救援物資を被災地にばら撒き、喝采を浴びた。だがこの企業が3月11日の大引けにかけて、東京証券取引所で記録的な取引を行っていたことはあまり知られていなかった。

 

 そのおよそ10年前。黒い箱の中の遺伝子から誕生した男は、彼を蘇らせた300人委員会の者たちに鳳(はじめ)の名前を与えられた。

 

 無理な復活を遂げた彼の記憶には曖昧なところがあり、彼は自分が何者であるかがよくわかっていなかった。ただ、自分のことを聞かれると記憶の中から『フェニックス』の文字が浮かんで来ると言うので、それと初めの人間であることを加味して、鳳一と呼ばれるようになった。

 

 日本に戸籍を与えられた彼は早速とばかりに株式市場を荒らしていった。

 

 当時、誰も聞いたことのないような新興株を中心に連日連夜莫大な利益を上げ続けた一は、ITバブル絶頂期に掛けて、瞬く間に世界有数の億万長者になっていた。国外への投資も積極的に行い、自分自身で設立した持株会社鳳グループを使ってまだ上場前のgoogleに多額の出資をし、そうして得た巨万の富を惜しみなくアップルに突っ込んだ。

 

 常にその周囲には唸るような金が飛び交い、世界中のセレブを惹きつけてやまない彼の回りには、各国の重要人物がいつも腰巾着のように付き纏っていた。彼はそうして得たコネクションを自在に操り、世界中に網の目のような権力のパイプを構築すると、それを使って鳳グループを更に大きくしていった。

 

 300人委員会は元々戦中戦後に共産主義者の台頭を警戒し、金持ちが集まって密かに作った秘密結社であったが、その結社も長い年月を経て、また、ソ連が崩壊して以降は結束が崩れてきており、一が復活した頃にはもうだいぶ形骸化しつつあった。殆どの会員はお互いの家族のことしか興味がなく、これからまた世界大戦のような危機が訪れるなんてこれっぽっちも考えていなかった。

 

 故に鳳一がGAFAを乗っ取った頃には、300人委員会は巨万の富を与えてくれる彼のことをリーダーとして迎え入れていた。秘密がバレたら何が起こるかわからないのに、誰もこんな面倒くさい組織を率いたくなんて無かったのだ。こうして人知れず世界のフィクサーとなった鳳一は、フェイスブックの創始者であるマーク・ザッカーバーグを追い出し、イーロン・マスクからはEV事業と宇宙開発を奪ってしまった。

 

 2000年代に彗星のごとく現れ、常に王道を行く彼の行動はいつも注目を浴びていた。やること成すことが全て成功するのだから当然だろう。やがて彼に嫉妬する者、彼の秘密を暴こうとする者、彼のおこぼれに与ろうとする者たちが彼の行動を阻み始め、鳳一は一時期よりも身動きが取り難くなっていた。彼の正体は、絶対に何者にも知られてはならなかったのだから、過去を詮索するような連中は容赦なく排除していった。

 

 そんな嫌な雰囲気が流れはじめる中で、彼が次に着手したのは、意外にもLHCに代わる巨大粒子加速器の建造だった。

 

 2011年にヒッグス粒子が発見されて一躍有名になった素粒子物理学の巨大施設は、その後も稼働し続けていたが、科学者たちが期待する超対称性粒子の発見には未だ至っていなかった。鳳一はこれ以上の発見をするには、更に強力なエネルギーを生み出す装置が必要であると、LHCに代わる施設を東欧に建設することを提案した。

 

 彼の提案を科学者たちは喜んだが、300人委員会は不満を示した。宇宙開発はまだしも、粒子加速器なんてものに何の価値があるのか、彼らには理解できなかったのだ。だがもちろん、一には勝算があった。彼はこの加速器を作ることで、強引に第5粒子エネルギーの発見を急ごうとしていたのだ。

 

 それは少し曖昧な記憶であったが、彼にはこの第5粒子エネルギーの発見以降、世界が激変して戻れなくなるという記憶があったのだ。何故そうなってしまったのかはいまいち判然としないが、石油エネルギー依存から脱却した人類が、より多くの富を求める過程で、AIに人間同士が殺し合う未来を願ってしまうのだ。

 

 恐らく、働かなくても生きていけるようになった人類が、ギリシャのソフィストみたいに互いに傷つけ合い始めたのだろう。人類とはかくも愚かなものなのかと嘆くのは簡単であるが、彼はこれを絶対に阻止しなければならないと強く感じていた。

 

 何故なら、今は彼がこの世の王なのだ。

 

 彼は自分が何者であるかはよく分かっていなかったが、300人委員会を率いて、世界の富のほぼ全てを手に入れた自分には、この秩序を守らなければならない義務があるのだと、そう思っていた。

 

 ところが……そんな時、ロシアのウクライナ侵攻が起こってしまう。

 

「何故だ!!!!」

 

 鳳一は自分の執務室の中で怒鳴り声を上げると、その強靭な肉体で数百キロもあろうかという執務机を蹴り上げた。信じられないことにその机は天井で跳ね返って反対側の壁へと激突した。その怒鳴り声を間近に聞いてしまった秘書が恐怖で身を竦めている。彼はそんな秘書のことすら見えていない様子で、テレビから流れるロシア軍侵攻のニュースを聞いていた。

 

 ロシアのウクライナ侵攻は、本来なら2014年のソチ五輪中に起きたウクライナの政変が切っ掛けのはずだった。今回は、その時よりもだいぶ遅れていたが、それは他ならぬ一がそれを阻止しようとしていたからだった。彼は長い年月と巨額の資金を投入して、ウクライナを懐柔し、プーチン大統領を失脚させることまでしていたのだ。

 

 後継者は自分で選び、たっぷりと金を掴ませておいたのだが、傀儡のはずの彼が何故こんな凶行に走ってしまったのか……ウクライナできな臭い動きが起きた時、彼には絶対に戦争をしないことを何度も確認していた。欧州各国の首脳も動かして念押しまでした。だが、その彼は今、電話に出ようともしない。

 

 第5粒子発見後の世界を救うためには、今戦争をやっている場合ではないのだ。一はこの戦争を止めて東欧に粒子加速器を作る予定だったが、これで全てがオジャンになってしまった。

 

 新たな粒子加速器の建造には、アメリカと日本も候補として名乗りを上げていた。だが、そんなところに建てたら、安全は保証されてもコストは莫大になってしまう。それでは鳳グループが単独で資金を賄うことが出来ず、世界各国から予算を引き出さなければならなくなる。一が口を利けば各国は喜んで計画に乗ってくるだろう。だが、それでは駄目なのだ。

 

 世界の破滅を阻止するには、鳳グループが第5粒子エネルギーを独占しなければならない。その粒子を発見する汎用AIもグループが開発しなければならず、その2つが揃って、初めて鳳一が世界をコントロール出来るようになるのだ。

 

 彼はそれが実現出来るよう、ここまで急ぎ足でプロジェクトを進めてきたのだ。それがこんな下らないことで足止めを食うことになるなんて……民族問題にいくら部外者が首を突っ込んだところで無駄ということか、それとも、歴史は変えられないということなのだろうか?

 

 思えば、汎用AIの開発も既に遅れが生じてきており、今中国が猛烈な勢いで追いかけてきていた。googleの技術者が中国に負けるなんてまるで考えもしなかったが、自分がGAFAを乗っ取ったことで、その技術者が流れてしまっていたのだ。

 

 彼は本物のイノベーターを甘く見ていたのだ。彼らは世界最先端の技術を既に持っている鳳グループで働くよりも、鳳グループと戦ったほうが面白いと考えて、彼が追い出した投資家たちの元へ集っていた。

 

 このままでは、いずれ300人委員会の支配も弱まってしまう……

 

 彼は繋がらない電話を叩きつけるようにして切ると、直接モスクワに乗り込むつもりでカバンを取った。

 

「……あれ?」

 

 しかし、その時、彼はズルっと足をすべらせ、無惨に破壊された机が転がっている床に、自身も転がってしまった。書類に足でも取られたのかと思いつつ、立ち上がろうとするがまるで力が入らない。

 

 そんな上司の姿を見て、ようやく我を取り戻した秘書が話しかけてくる。しかし、一はその言語が上手く理解できずに、まるで異国人でも見るかのように、秘書を見上げていることしか出来なかった。

 

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