ラストスタリオン   作:水月一人

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主客合一

 身動きが取れずに運ばれた先の病院で鳳一は検査を拒否した。自分の体を調べられたく無かったからだ。その態度にカチンと来た医者と押し問答を繰り広げていると、子飼いの政治家がやってきて話をつけてくれ、彼は300人委員会の息のかかった病院へと移送された。

 

 移送先の病院で各科をたらい回しにされた一は、いくら調べても何も出てこないことに業を煮やし、ただの疲労だと言って退院を強行しようとした。しかしその最中にもまた立ちくらみを覚え、自分の体がおかしくなっていることを受け入れざるを得なくなった彼は、むっつりとした顔のまま検査を受け続け、医師や看護師たちを怖がらせた。

 

 結局、その態度が誰にも何も言わせなくしてしまったのだろう。散々待たされた後、全ての検査を終えた彼の所には、かつて彼を復活させた時に居合わせた医者がやってきた。あの場で唯一日本語を喋れた日本人医師で、今でも付き合いがあったから、わざわざ彼が呼び出されたのだろう。

 

 だがそんな彼でも一の症状を伝えるのは躊躇せざるを得なかったようだ。彼は長い沈黙の後に、重苦しい口調で病名を伝えた。

 

「ウェルナー症候群……?」

「はい。実年齢よりも肉体年齢が早く老化してしまう早老症の一種です。何故か日本人に多いそうですが……そんな話は今はいいですよね。検査の結果、あなたは見た目は30代のようにしか見えませんが、肉体年齢は70歳を越えていると出ました。内蔵の衰えが著しく、筋力も見た目ほどもう強くはありません」

「いや、しかし……俺はまだ若いつもりだが? ジムでの運動も欠かさないんだぞ?」

「……あなたは、出会った時から数々の奇跡を見せてくれたじゃありませんか。2メートルをジャンプしてみせたり。あれはどうやっていたんですか?」

「あ……」

 

 一は生まれつき身体強化魔法のような異能が使えた。光球を作り出すなんて芸当は全く役に立たないから、今ではもうそんな力があることすら忘れてしまっていたが、仕事柄何日も徹夜をしたり長距離移動を繰り返すため、身体強化魔法は日常的に使っていた。

 

 それを使わなかったどうなるのか……? 彼はほんの少しだけそれを止めて、唐突に襲ってくる倦怠感と疲労と動悸と目眩で意識が吹っ飛びそうになった。

 

「……確かに、最近はやたら疲れやすいと思ってはいたが、不摂生のせいだと思っていた。そうじゃなかったのか……」

「今からでも遅くはないからご自愛ください。そうすれば、進行を留めるくらいのことは出来るでしょう」

「……そんなわけにいくか」

 

 しかし、彼はもう後には退けなかった。もちろん医者もそのことが分かっていた。

 

 東欧の新粒子加速器、そしてシンギュラリティを目指すAI開発。これらは鳳グループが手掛けているが、実際には鳳一が一人で始めたものだった。その彼が手を引けば、こんな金食い虫でしかないプロジェクトはあっという間に中止されてしまうだろう。

 

 だが今、一がこれらのプロジェクトを完遂し人類を導かなければ、やがて人類は魔族を生み出して滅んでしまうのは間違いないのだ。彼にはその未来が見えていた。何故なら、彼はそのためにこの世に復活したからだ。

 

 この世に復活してまだ何も分からなかった頃、自分の頭の中に最初からあった知識を頼りに、大金をせしめていい気になって、実際に金持ちになったところで虚しくてしょうがなかった。

 

 だが、そんな時に彼は思い出したのだ。彼はかつてこの世界が滅びた先で、誰かと約束を交わしたはずだった。それは翼の生えた天使だったか、それともたった一人の女の子だったか、よく思い出せないけれど、彼はそのためにこの世界に帰ってきたのだ。

 

 それを思い出した瞬間、彼は自分の方向性というものが定まった気がした。

 

 彼の知る未来では、世界で初めて汎用AIを作り出した鳳グループが、その後第5粒子を発見した人類のエネルギー問題を解決したのだが、人類はその使い方を誤って獣人を誕生させてしまった。それが神人、魔族と続く不幸の連鎖の始まりだった。

 

 だから今度こそは、そうならないようにしなければならない。そのためには、自分がこれらの技術を、絶対に独占しなければならないのだ。

 

 実は前世では、汎用AIを作り出したのは鳳グループだったが、第5粒子を発見したのは世界各国が集まって行ったプロジェクトだったのだ。そのため、その利用法には各国の思惑が絡み合い、その結果、獣人が誕生してしまったのだ。世界は、石油依存のエネルギー問題から早く脱却したくて焦っていたのだ。

 

 だから今回は、鳳グループがどちらの技術も独占し、一がその正しい使い方を人類に教示しなければならないのだが……

 

「ウェルナー症候群の平均寿命は40代です……あなたも、長くてあと20年生きられるかどうか……」

 

 医者はそう言っているが、最初10年と言いかけたことを一は聞き逃さなかった。医師との付き合いは長く、彼が嘘をつくとは思えない。だからこのまま放置したら、本当にそうなる可能性が高いのだろう。無理を続ければ10年、仮に養生をしても20年……その年数は短すぎた。

 

 前世で汎用AIが登場したのは、今から約15年後のことだった。第5粒子が発見されるのはもっと後の話だ。つまり、一が手を引いて人類にプロジェクトを任せるなら、これだけの年数が必要だということだ。それでは遅すぎる。

 

 かと言って、一であってもこれだけのことを10年で成し遂げるのは不可能と思われた。

 

「どうして、こんな大事な時に、謎の奇病にかかるんだ……」

 

 鳳一は頭を抱えた。彼は決断しなければならなかった。

 

**********************************

 

 鳳一は退院してすぐ妙なことをやり始めた。東南アジアやアフリカの途上国へと渡り、密かに代理母になる人物を探し始めたのだ。

 

 彼は自分の寿命を知って、もはや絶対に夢を叶えることは不可能だと判断すると、自分の代わりに夢を叶える後継者を作ろうと考えたのだ。

 

 しかし、後継者と言っても、それは普通に女性と恋をして子供を作るという意味ではなかった。そして優秀な遺伝子を持つ女性との間で出来た受精卵を、代理出産してもらおうというものでも無かった。

 

 彼は自分のクローンを作ろうとしていたのだ。

 

 もちろん、人間のクローンを作ることはどの国家でも違法であり、研究自体が禁止されているからその手法は確立されていなかった。だが、彼には彼を作り出した科学者たちがいたので、彼らに自分のクローンの受精卵を作り出させることが出来たのだ。

 

 ただし、それは殆ど数撃ちゃ当たる方式で、殆どの子供は生まれてくることも出来ず、仮に生まれてきても殆どがまともに育たなかった。代理母には莫大な口止め料を支払い、時には口封じのために殺しも厭わなかった。

 

 そんな中で数人のクローンが生き残り……

 

 そして最も健康的に育った子供を鳳一は引き取り、(つくも)と名付けた。

 

 こんなことをせずとも、アークからまた自分の体を作り出したらどうかと試しもしたが、その方法ではもう細胞分裂が起こらなかったのだ。恐らく、あれは一度きりのことで、二度は起こらないのだろう。もしくは、一が死んだら起こるかも知れないが、流石にそれは試すわけにいかなかった。

 

 ところで、彼は何故、白を作ったのだろうか……? それは同一遺伝子の人物の精神ならば、乗っ取ることが可能だということを彼は知っていたからだ。

 

 実はこの世には、放浪者と呼ばれる前世の記憶を持つ人間が、たまに生まれてきていたのだ。殆どが思春期特有の妄想か、悪魔憑きと呼ばれるのを恐れて隠れてしまい、そのうち忘れてしまうのだが、彼は自分もまたその一人であり、それがどういう仕組みで起きているかを知っていた。

 

 現代魔法の使い手である一は、生まれつき、この宇宙の果てにある、神の叡智に触れていたのだ。

 

 ……白はいずれ一と同じ肉体を持つ青年へと成長するだろう。その時、彼はアーカーシャを通じて、自分の記憶を白のものと入れ替えてしまおうと考えていた。そうしたら自分はもうこのボロボロの体を捨てて完全になれる。一と九十九を合わせて100パーセントだ。

 

 彼は最初から、白を自分の容れ物として育てていたのだ。

 

 ただ便宜上、彼は一の後継者として育てられており、その話は都市伝説のようにじわじわと広まっていった。中には白が父親のクローンだという情報をリークする者もいて、一はそれを潰すのに躍起になった。

 

 成功者の常として、彼には敵も多かった。もしこの醜聞が知れ渡ったら、失脚もあり得るだろう。彼の足を引っ張って、そのポストを奪おうと手ぐすねを引いている者などいくらでも居た。だから絶対に知られるわけにはいかなかった。せめて自分の記憶を白に継承……いや、奴の身体を乗っ取るまでは。

 

 こうして一は人知れず病と戦い続けながら月日は流れ……

 

 そして白が生まれてから13年が過ぎようとしていた。

 

 鳳一は敵との戦いにいささか疲れていた。類まれな精神力で激務に立ち向かい続けていたが、肉体の衰えはもう周囲に隠し切れない程になってきていた。彼はまだ40代だというのに、顔には老人のように深い皺が目立ち、身体はやせ細っていた。医者はそれでも彼の生存を奇跡だと喜んでいたが、そんなことは魔法を使わなければもはやまともに歩けない彼にはどうでもいいことだった。

 

 彼が病気と知って300人委員会の力関係も変わりつつあった。彼が死んだ後の鳳グループのポストを巡って、野心の高い連中がこそこそ暗躍し始めていたのだ。彼らはちゃんとした後継者がいない一が死ねば、自分たちにお鉢が回ってくると信じていた。そのために、一の足を引っ張り、白の命すら狙っていた。

 

 一はそんな連中の始末でまた要らぬ苦労を背負い込み、そのせいで彼の身体は日に日に弱っていった。野心の高い連中の志が高いのであれば後を任せることも考えられたが、金持ちとは所詮金を持っているだけの人間だ。使っていればそもそも金持ちとは呼ばれていない。彼らが鳳グループの実権を握ってしまえば、せっせと私腹を肥やすことを優先し、シンギュラリティが遠のくのは目に見えていた。

 

 人類はただ承認欲求を満たすためだけに、他人の足を引っ張る者が多すぎる。そして奪うだけ奪って与えようとしない為政者も。大衆が変革を望まないのは、今日がこれ以上悪くなることを恐れるからだ。その結果があの未来に繋がるのだとしたら、彼にはそれも当然のことのように思えてならなかった。

 

 どうして自分は、ここまでして人類を救おうとしているのだろうか……? 誰かの命を奪ってまで……

 

 白とはまともに会話をしたことすら無かった。もう何年も一緒に暮らしているのに、一度としてその顔を真正面から見たことすら無かった。自分の顔なら毎日鏡で見て見飽きているから? いや、そんなわけはない。単に、彼を見れば罪悪感に襲われるからだ。彼はそれを恐れていた。

 

 たとえそれが偽物だったとしても、息子がいると知ると、やたらとにこやかに話しかけてくる者たちがいた。その人達からすれば家族の話は鉄板で、一も当然子煩悩だと思いこんでいるのだ。中にはそんな一と家族ぐるみの付き合いをしたがる者もいた。だが、そんな話が出る度に、一は不機嫌にならざるを得なかった。

 

 なのに彼は、白のことを自分の後継者だと紹介して回らなければならなかった。そうしなければ、自分が身体を奪ったあとで苦労するからだ。残念ながら自分の身体はもうそれほど長くはもたない。その時、白はまだ中学生か、せいぜい高校生くらいだろう。そこからのし上がっていくには、少なからぬ後見人が必要だ。その種を蒔くために、彼は息子との良好な関係を演出していた。そんな嘘が、余計に彼の精神を蝕んでいた。

 

 そうして心身ともに弱っていく中で、それは起きた。ある日、一の元に警察から連絡が入った。白が逮捕されたのだ。

 

********************************

 

「この大事な時期に、あの馬鹿はなんてことをしでかしてくれたんだ!!」

 

 警察署に向かう車の中で、一は秘書に当たり散らした。これまで白を後継者とするために、嘘を吐き続けて来たというのに、その苦労が全ておじゃんになってしまった。警察などに捕まっては、一の死後に白を任された後見人たちはあまりいい顔をしないだろう。少なくとも、こちらに負い目がある状況では、一が白の身体を乗っ取ったあと動きづらくなってしまう。

 

 一はボロボロの体で、頭痛と目眩を押し殺して、いつも自分が死んだ後のことばかり考えていた。だから、どうして白がそんなことをしたのかなんて、これっぽっちも考えが及ばなかった。そんな父親とは呼べない父親に向かって、秘書が怯えながらも淡々と報告した。

 

「白様は学校でいじめを受けていたようです。ですが、流石に一様の息子と申しますか……いじめを受けているフリをしながら相手に取り入り、油断したところで一気に復讐を果たしたとのことです。元々いじめの原因は、白様のガールフレンドがいじめ相手に凌辱されたことが切っ掛けだったようですが……」

「なにぃ……?」

 

 穏やかでない言葉が出てきたことで、流石の一も怒りを忘れて耳を傾けた。

 

「どうやら白様の通う学校に、あなたの敵企業の社長の腰巾着の取り巻きの一人息子が通っていたようです。無能を絵に描いたような男ですから、全く危険視されていませんでしたが、おべっかと賄賂で出世したような男ですから、白様と息子が同じ学校にいるとわかると、白様に取り入るように息子に言い含めていたようなのです。

 

 この息子がとんでもない悪でして、子供の内からギャングみたいな組織を束ねて、近隣の子供たちを震え上がらせていたようなのです。傍若無人な輩で、これが年をとっていっちょ前に性欲が芽生えると、気の弱い女の子などをその性欲のはけ口にしていたようですね。白様のガールフレンドはそれで目をつけられて酷い目に遭い……それで白様が抗議に行ったところでいじめが始まってしまったようです」

「……何故、あいつは俺に言わない?」

「あなたが白様と話をしてこなかったんじゃないですか」

 

 秘書の言葉に一は黙りこくった。

 

 そこからの白の行動は我が事ながら圧巻だった。彼は教師を頼るでも親を頼るでもなく、道化に徹して敵に取り入ると、完全にその手の内を握ってしまった。おべっかと賄賂を駆使して集団の情報を収集すると、一人ひとりの行動パターンを分析して、一人ずつ確実に仕留めていき、最後に残った首謀者を見事に陥れ、とどめを刺そうと跨ったところで止まったらしい。

 

「いや流石あなたの息子です。これだけの仕事を単独で計画し、実行に移し、成功するなんて、とても中学1年生のすることとは思えません。最後に憎い相手を前にして踏みとどまった勇気も立派です。もし、ここで彼のことを殺してしまっていたら、示談は不可能でしたでしょう。そこまで計算して冷酷に徹する……あなたの後継者として、白様は申し分ない力を発揮してくれたと私は思いましたよ」

 

 秘書はそう言って絶賛していたが、一はその話を聞いてムカムカしていた。

 

 何故、止めを刺さなかったのか? そこまでやったのであれば、そのクソ野郎を殺したところで何も変わらないだろう。せいぜい少年院に行くくらいで、相手の抗議などいくらでももみ消せる。

 

 秘書は示談は無理だと言っているが、そんなことはなく、自分なら十分にやってやれるだろう。この国の政治家にはいくらでも貸しがある。なんなら法律でも変えて見せてやろうか……

 

 一はどんどんムカムカしてきて、だんだんどうしようがなくなってきた。どうしてこれから自分の身体になるはずの白が、そんなゴミみたいな連中に弄ばれねばならなかったのか。そのことにもムカついたが、白になった後、自分はそいつらに馬鹿にされた過去があると思うともっとムカついた。

 

 やるんならとことんやるべきだ。この世には明確に殺してもいい人間というものがいるのだ。いや、そもそも世界は救う価値がないやつの展示場みたいなものじゃないか。

 

 一はバカバカしくなってきた。一生懸命救おうとしていたこの世界が……息子の命を奪ってまで救おうとしていたこの世界が……本当にどうでもいい場所のように思えてきてならなかった。

 

 弱者を守ろうとする法律(ルール)は、強者を縛り付ける鎖にしかならない。それは現在、ルールを破るフリーライダーの生存を寧ろ助けてしまっている。人類なんて増えすぎてしまってみんな困っているんだろう? こんな誰も彼もを生かしておくだけのルールなんてもう捨ててしまって、強者生存の世界を目指したほうが、真に実力のある人間にとっては生きやすいのではないのか?

 

 それで世界が滅びてしまうというのなら、それでいいではないか。どうせ人類はいつか滅びるのだ。宇宙だってどうなるか知れたものじゃない。大体、そんな先のことまで考える必要があるほど、人間は長生き出来ないのだ。自分なんてたった50年なのだぞ? もう殆ど生きていられない自分が宇宙の終焉を憂えて、一体何になるというのか。

 

 彼を乗せた車は滑るように警察署の玄関前に止まった。何故か新聞記者が大勢すでにスタンバっていて、無遠慮にパシャっとシャッターを切った。一はそんな記者をひと睨みすると、イライラしながら警察署の中に入っていった。

 

 受付に秘書が走っていき、すぐに案内の刑事がやってきた。刑事は白に好意的なことを言っていたようだが、一の頭にはもうそれが上手く入ってこなかった。彼はダルマみたいに顔を真っ赤にしながら、案内されるまま刑事課にたどり着くと、その隅にあった取調室の開いたドアから覗く白の姿を見つけるなり、カッとなって走り出した。

 

 スローモーションの世界の中で、一は背後で叫ぶ秘書と刑事の声を聞いていた。怒りに任せて飛び込んだ部屋の中で、白が怯えた表情で自分のことを見上げていた。

 

 息子の顔を真正面から見るのは、この時が初めてだった。彼はそんなことより、ただ耐え難く湧き出てくる怒りをこの息子にぶつけたくて仕方なかった。この軟弱者は、敵を仕留めることすら出来ないのだ。そんなことで、どうして自分の息子と言えるのか。甘やかして育てたせいだ。いや、ほったらかしで育てたせいだ。何にしろ、この馬鹿息子の根性を叩き直さなければならない。

 

 彼はそんなことを考えながら、腕を振り上げた。

 

 と……そんな時だった。

 

 彼は目眩がしたかと思うと、急速に視界がブレていくのを感じた。まるで水の中にいるかのように振り上げた手が押し戻され、そしてブレる視界の中で、目の前の少年の顔が、だんだん醜く歪む老人の顔へと変貌していく……

 

『何故仕留めそこなった! どうして殺さなかったんだ!』

 

 一はそんな老人の顔を見上げていた。老人の振り下ろした腕が、彼のほっぺたに吸い込まれていく。

 

『何故仕留めそこなった! どうして殺さなかったんだ!』

 

 フラッシュバックするかのように、同じ言葉と同じ光景が、何度も何度も彼の脳裏をよぎった。その言葉はまるで実体を持つかのように、彼の身体を縛っていく

 

『何故仕留めそこなった! どうして殺さなかったんだ!』

 

 言葉の鎖で雁字搦めになった彼は、身動きも取れずにその老人の怒りを一身に浴びていた。悔しくて、悔しくて、たまらないのに、だけど彼はその言葉を否定することも、泣くことも出来ないのだ。

 

『何故仕留めそこなった! どうして殺さなかったんだ!』

 

 その老人は自分の父親だった……そして今、一は白の記憶を見ていた。

 

 同じ人間は記憶を共有することがある。それを利用して自分は白になろうとしているのだから当然、彼はそのことを知っていた。いつか自分が白になるように、つまり、自分は今、白の記憶を見ているのだ。

 

 ああ、そうだ。自分はかつて鳳白だった。鳳一が鳳白になるんじゃなくて、鳳白が鳳一になったのだ。そんなことも忘れて、自分は馬鹿みたいに猛進していたのだ。世界を救うのは、鳳一じゃない。鳳白なのだ。どちらも自分自身に違いないが、今の自分じゃないのは間違いなかった。

 

 またブンとテレビが切れるかのように視界がブレる。すると今度は自分の目の前に、幼い頃の自分の顔があった。

 

 ああ、そうだ。まだ擦れてなかった頃は、こんなあどけない顔をしていたっけ……鳳一はそんなことを思いながら、振り上げた手をそっと息子の肩に下ろし、力いっぱい叫んだ。

 

「おまえはよくやった! おまえは正しいことをした! 誰が何と言おうと、俺はおまえの味方だ! だから後のことは俺に任せろ! 俺がどんな手を使ってでも、あの連中を追い込んでやる!!!」

 

 鳳一がそんなセリフを叫ぶと、騒がしかった警察署内がしんと静まり返った。それは下手をすると犯罪予告のようなセリフだったが、刑事たちは誰もその言葉を咎めようとはしなかった。

 

 まもなく、まだ中学生のあどけない顔をした男の両目から、ポロポロと涙が零れ落ちて、彼はワンワン声を上げて泣き始めた。その父親もまたワンワン泣きながら、息子のことを抱きしめた。

 

 生まれたての赤ん坊のみたいに、その泣き声はいつまでたっても止まなかった。彼らはこの日、初めて親子になれたのだ。

 

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