ラストスタリオン   作:水月一人

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第二章・大森林に幻のマジックマッシュルームを追え
思い出と記憶違いに関する考察


 歳を取ると物忘れが激しくなる。ついさっきやったことすら思い出せなくなる。高齢者がそれを深刻に捉えて、しょんぼりしている姿を、誰しも一度くらいは見たことがあるだろう。歳を取ったのだから仕方ないと言ったところで、彼らには何の慰めにもならない。

 

 ところが、話題を変えるつもりで子供の頃の思い出について尋ねてみると、途端に彼らは生き生きと語りだす。何十年も昔の話を、まるで昨日の出来事みたいに、事細かに話してくれるのだ。

 

 不思議なもので、高齢者達はついさっきの出来事を思い出すのにも苦労していると言うのに、昔あった事ならいくらでも思い出すことが出来るらしい。本当にそんなに詳しいことまで覚えているのか? と、驚異的な記憶力には舌を巻いてしまうが、彼らはまるで映画でも見ているかのように、当時の状況をありありと思い出すことが出来ると言うのだ。

 

 そして、それを聞いた我々は、無条件にその話を信じてしまう。なぜなら、自分たちも何となく身に覚えがあるからだ。

 

 高齢者と比べれば、我々はまだ人生の入り口に差し掛かった程度の年齢に過ぎないかも知れないが、それでも、そんな我々だってつい最近の出来事よりも、子供の頃の出来事の方を、よく覚えているものだ。

 

 無論、他愛もない日常の出来事は覚えていないが、例えば交通事故に遭ったとか、受験に合格したとか、好きな子から告白されたとかとか……そういう人生の節目と呼べるような一大イベントのことは、まるでビデオ映像が脳内で再生されているかのように、鮮明に思い出すことが出来るだろう。

 

 こういう一大事の記憶を、フラッシュバルブ記憶と呼ぶ。トイレのバルブのことではなくて、写真のフラッシュを焚いた時のように鮮明な記憶という意味なのだが……我々は記憶を映像として脳に保管しており、好きな時に再生したり巻き戻したり出来ると思っている。そしてこうして定着した記憶は強固であり、歳をとって、それこそボケてしまっても忘れないと考えているのだ。

 

 でも本当にそうか? 高齢者の昔話なんて、今となっては誰も確かめることが出来ないものだ。なのに彼らが言ってることを、鵜呑みにしてもいいんだろうか?

 

 フラッシュバルブ記憶は、我々が絶対に忘れることが出来ない正確な記憶であり、そこに間違いなど存在しないと思いがちである。映像を再生するように、当時の状況をありありと思い出せるのだから、そこに間違いが潜んでいるなんて、誰も思いもよらないからだ。

 

 しかし、この先入観こそが、とんでもない間違いなのだ。我々が映像として持っている、その強固な記憶というものは、実は全然あてにならないものなのである。

 

 あなたが今すぐにでも思い出すことが出来る、人生の一大事の記憶だって、実は嘘が混じっているかも知れないのだ。

 

 2011年9月、とある心理学者が研究室で仕事をしていると、テレビで報道特番が流れ出した。今から丁度10年前の9月11日、あの忌まわしいアメリカ同時多発テロが起きたのだとニュースキャスターは言った。

 

 あの日も研究室で仕事をしていた学者は、同じく仕事をしていた同僚に当時のことを覚えているかと尋ねてみた。米国人にとって同時多発テロ事件は、言うまでもなく人生の一大事であり、忘れたくても忘れられない出来事だ。当然、同僚も昨日のことのように覚えていると返した。ところが、そんな二人が当日のことを思い出しながら会話していると、どうにも話が噛み合わないのだ。

 

 二人の当日の行動を大雑把に説明すると……研究室で仕事をしていると、大学院生のAが駆け込んできて、大変なことになったと第一報を伝えた。驚いてネットで情報を集めていると、二機目がビルに突っ込んだと聞いて慌ててテレビをつけた。そして、研究室で学生たちと一緒にテレビを見た後、今日はもう仕事にならないからと、学生たちを家に帰し、自分たちも帰途についた。

 

 二人共あの日の出来事はこのような流れで間違いないと大筋では意見が一致していたのだが、ところが細かいディテールが違った。例えば事件の第一報は伝えた院生Aは、研究室に駆け込んできたんじゃなくて、別の部屋で叫び声を上げたのだと記憶していたり……ネットで情報を調べていたら飛行機が突っ込んだのではなく、テレビで飛行機が突っ込んだ場面を学生たちと一緒に見たのだと思っていたり……家に帰ったのは全員ではなく、何人かは夜まで研究室に残っていたと主張したりと、どうしても噛み合わない部分がいくつも存在したのだ。

 

 これは妙なことになったと考えた学者は、出来るだけ正確に事件のことを思い出し、それを書いたメールを当時の教え子たちに送った。

 

「君たちはあの日のことを覚えてるだろうか?」

 

 すると返ってきたメールの中身は、てんでバラバラであり、おまけに誰も彼もが自分の記憶こそが正しいと主張したのだ。

 

「先生はそうおっしゃるかも知れませんが、私は当日の出来事を映画を見るように思い出すことが出来ます」

 

 彼らの意見が一致しないのは、その映画のように思い出すことが出来る記憶が間違っている、ということに他ならない。つまり、彼らは間違った出来事を、あたかも現実に起きた出来事のように、脳内に映像として保存しているのだ。

 

 これは何もこの研究室の人々が、特別愚かだったというわけじゃない。実は多くのアメリカ人が、あの911の出来事を間違って記憶している。

 

 例えば、サラリーマンBの場合。彼は2001年9月11日の朝、マンハッタン島から遠く離れた通勤電車の中にいた。すると突然、周りの乗客が騒ぎ出し、誰かがたった今WTCビルにジャンボジェットが突っ込んだと言い出したのだ。まさかと思って携帯電話でニュースを検索していると、今度はなんと二機目が突入したと言うではないか、彼はショックでその日は仕事に行けなかった。

 

 例えば、主婦Cの場合。彼女は3人の食べざかりの子供たちを学校へ見送った後、朝食の残りをつまみながらテレビをつけた。するとニュースキャスターが、WTCに旅客機が突っ込んだ、どうやらテロらしいと告げ、例のビルに旅客機が吸い込まれていくCGみたいな映像が何度も何度も流れた。あまりに非現実的な出来事に、もしかして騙されてるんじゃないかと思っていると、間もなくニュース番組は現場の映像に切り替わり、なんと二機目の旅客機がビルに突撃したではないか。これはとんでもないことが起きたと思った彼女は、崩れ行くビルを見ながら、一日中あちこちに電話をかけて、身内の無事を確かめることに費やした。

 

 もしかすると、この話を読んでいる間に、あなたも同じように、当日のことを思い出していたかも知れない。ところで、この話にはすでにいくつかの間違いが紛れ込んでいることに気づいただろうか。

 

 まず第一に、WTCビルに一機目の旅客機が突っ込んだ時、サラリーマンが乗っていた通勤電車の乗客が騒ぎ出したと言っているが、実は一機目が突入した時点では、世界はおろかアメリカ人も殆ど騒いじゃいなかった。

 

 というのも、一機目が飛び込んだ直後は、まだ誰も何が起きたかわかっておらず、情報自体が少なかった。現場に駆けつけたマスコミも、WTCで何かあった、くらいにしか情報が入っていなかったのだ。

 

 おまけに、以前からWTCでは爆弾テロ騒ぎなんかもあって、あそこで事件が起きたとしても、みんな深刻には捉えていなかったのだ。飛行機が突っ込んだという正確な情報もちゃんと流れていたが、まさかそれが『乗客が乗ったジャンボジェット』だなんて思いもよらず、殆どの人が、操縦ミスした小型セスナが突っ込んだくらいにしか思っていなかった。騒ぎ出したのは、二機目が突入した後、あの有名な映像が全世界に流された後なのだ。

 

 と言うわけで、二人目の主婦が見たというニュース、これも大嘘だ。というのも、実は一機目がビルに激突する映像は、事件当日には存在しなかったからだ。

 

 そんなことはない、自分は確かに一機目がビルに直撃する映像を見たことがあるという人もいるだろうが、それは事件が起きてから何週間か経った後に見つかった映像のはずだ。当日、それを見たという事が間違いなのだ。

 

 考えてみれば当たり前の話だろう。もしも誰かが狙って一機目を映像に収めようとするなら、テロリストが飛行機をハイジャックし、ビルに突っ込もうとしていることを予め知っていなきゃならない。そんなことを知っているのは実行犯とビンラディンしか居ないのだから、映像があるとするなら(現にあるのだが)それは偶然撮られたものに違いない。そんなものを、あの大混乱する現場でマスコミが手に入れることは不可能だった。

 

 そんなわけで、一機目がビルに突入した映像は当日にはどこにも存在しなかった。

 

 ところが、多くのアメリカ人が、事件当日、その映像を見たと記憶違いしているのだ。あの日、テレビを見ていたら、突然WTCに飛行機が激突したというニュース特番が始まって、一機目がビルに激突する映像が繰り返し流されているところで、リアルタイムで二機目が突っ込んだのだと……なんと、あのブッシュ大統領までそう思っている。

 

 アメリカ人は当事者であり被害者だ。忘れたくても忘れられない出来事だ。なのに何故、こんなあり得ない記憶違いをするのだろうか?

 

 それは彼らの記憶が間違っていたとしても、そこで語られる出来事は真実だからだ。

 

 アメリカ同時多発テロ事件は、起きた当日に全てが終わったわけじゃない。その後、犯人探しが始まり、現場検証が行われ、アフガン戦争が起きたりして、一年くらいは事あるごとにあの映像が流れ続けた。その中で一機目の映像も発見され、世界中の人々は、あの日の出来事を、時系列順に、正確に知ることが出来るようになった。

 

 この状況で当日の出来事を思い出そうとすると、すでに判明している情報と本当の記憶とでごっちゃになる。どっちの記憶が本当だったっけ? と考えた時、人間は時系列がバラバラの記憶よりも、整合性の取れた情報の方を真実と思い込む。そして多くの人達が、繰り返し報道を見聞きしているうちに、それが事件当日に起きた出来事だとして、自分の記憶をアップデートしてしまったのだ。

 

 そんなバカな。自分はあの日のことをありありと思い浮かべることが出来る、この記憶が間違っているわけがないと言うむきは、あの心理学者の研究室で起きた出来事を思い出して欲しい。彼らは当日、同じ研究室にいて、同じことをしていたはずなのに、その記憶はてんでバラバラだった。なのに、みんな自信満々に、自分が正しいと言いきった。全員がフラッシュバルブ記憶を持っていたのだ。

 

 もう一度言おう。映像のように生き生きと当時のことを思い出すことの出来るフラッシュバルブ記憶であっても、人間の記憶と言うものは当てにならない。

 

 考えても見れば、それは当たり前のことではないか。誰だって、テストのために一夜漬けをした経験くらいあるだろう。我々は短期記憶にあれだけ苦労しているというのに、どうして長期記憶のほうが楽に思い出せるなんて思うのだろうか。

 

 我々の記憶は例えそれがどれだけ鮮明であっても正しいとは限らない。どうやら記憶というものは、脳内にデジタルデータの如く、何から何まで正確に刻まれているのではなくて、断片的な情報があちこちに散りばめられているだけのようなのだ。

 

 それはせいぜい、腹が減った、飯を食った、美味かった、程度のものらしい。

 

 そして記憶を再生する時に、脳がその不完全な記憶(データ)を繋ぎあわせて、一つの整合性のある物語を作り出し、そのつど状況再現しているらしいのだ。

 

 言い換えれば、脳にはクオリアという役者が住んでいて、それが記憶という台本を渡されると、その都度、情感を込めた舞台を演じているのだ。

 

 我々には、それが脳内のスクリーンに、映像となって現れる。そしてその映像があまりにも生々しいから、そこに間違いが潜んでいるなんて思わないのだ。しかしそれは、ひとりひとりの物の見方が違うように、人によっててんでバラバラなのである。

 

 誰が言ったか知らないが、人生とはあなたという役者が演じている映画みたいなものである。それはあながち間違いではないかも知れない。同じ出来事であっても、人によって処理の仕方は違い、そしてそれは時と共に変化してしまう。すると最後には、全員が別々の記憶を持つことになってしまう。

 

 そんな、ひとりひとりの記憶を、誰が正しいとか誰が間違っているとか言っても、結論なんて出ないのではないか。それこそ、当日の映像でも残ってない限りは。

 

 思えば、高齢者が子供の頃の記憶をいつまでも覚えているのは、実はこうして思い出をアップデートし続けているからなのだろう。その証拠に、彼らはいつも、昔はよかったと言っているではないか。

 

 思い出がいつも美しいのは、人が忘れてしまう生き物だからだ。我々は自分に都合のいい記憶だけを残して、嫌なことは忘れてしまう生き物なのだ。もしも逆なら、今頃生きてはいられないだろう?

 

 そんな我々の不完全な記憶を、クオリアは整合性のある物語に変えて再生している。私という個性は、こうして生まれたわけである。

 

 もし、私のクオリアを別の人のクオリアと入れ替えたら、そのクオリアは私の脳の記憶から、また別の経験を作り出すはずである。つまり、同じ経験をしながら、まるで違った記憶を持った別人が生まれるわけだ。

 

 私という人間は、これまで生きてきた記憶が作り出したのではなく、クオリアがたった今作り出しているのである。

 

 人間は記憶を大事にする生き物だから、そう言われてもまだしっくり来ないかも知れない。だが、記憶喪失の人を思い浮かべたらなんとなく分かるのではないか。彼らは記憶を失っても、個性までは失わないだろう。私達の記憶は、実は個性に左右されているのだ。

 

 果たして、私の中にあるこの記憶は、他の誰かが覗いたら、一体どんな風に見えるのだろうか。その時、私はどこへ消えてしまうのだろうか。

 

 もし、私の中に私とは違う2つ目のクオリアがあったとしたら……私は私なんだろうか。それとも、別の何かになるのだろうか……私は……私は……

 

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