ラストスタリオン   作:水月一人

44 / 384
レベル3

 ガクリ……

 

 体勢が崩れて目を覚ました。よろける体を慌てて立て直し、暫し呆然とする。小川のせせらぎの音が心地よくて、ついうたた寝してしまったらしい。一枚岩の上から転げ落ちていたら、今頃その中にドボンだった。心臓がバクバク鳴っている。まだぼやけている目蓋をゴシゴシ擦ると、水面の照り返しがキラリと光った。

 

 太陽は中天に差し掛かり、そろそろお昼の時間のようだ。そう考えたら何だかお腹が空いてきてしまい、現金な胃袋がグ~と鳴った。そのお腹に押し付けるようにして立てていた釣り竿の先を見たら、釣り糸が風にゆらゆらと揺れていた。どうやら眠っている間に餌だけ持っていかれてしまったらしい。がっかりしながら針を引き上げて、改めて餌を付け直して放り込む。

 

 餌は一昨日食べた謎生物の肉……を、放置してたら湧いた蛆である。そう言うと普通の人はギョッとするかも知れないが、釣り餌としては割りとメジャーなもので、サバムシとかサシという名で釣具店で普通に売っている。ハエの幼虫のことなのだが、生き物が生きているうちはまったく姿形も見せないくせに、死んだら一日もしないで湧いて出てくるのだから、不思議なものである。一体、こいつらはどこに居たんだろう?

 

 そんなことを考えていたら、釣り針にツンツンと何かが触れる感触がした。竿の尖端が不規則に揺れる。どうやら獲物のお出ましのようである。慌てず騒がずじっと獲物が食いつくのを待ってから、鳳が釣り竿をパッと引き上げると、パシャンと水音を立てて水面から魚が飛び出した。

 

 体長は20センチくらい。黒い斑点と黄色い縞模様があり、ヤマメに似ているが、見たことのない種類である。この川では他にピラニアみたいな魚も釣れるが、味はどっちもどっちである。ヤマメのほうが若干泥臭く、ピラニアの方は肉がパサパサしている。しかしまあ、とにかく食えれば良いので、味の方はあんまり気にしないことにしていた。

 

 鳳は釣り針から魚を外すと、中洲に穴を掘って作った生簀に魚を放り込んだ。生簀の中には先客が4匹、いまのと併せて人数分を確保したから、そろそろ釣りはおしまいだ。後は川べりを散策して山菜でも見つければ、今日の献立はより豪華になるだろう。

 

 そう言えば、ここに来る前に土手で自然薯……いわゆる山芋を見つけたのだった。山芋は地下茎が深くて掘り出すのが大変だが、斜面に生えているなら話は別だ。仲間が帰ってきたら手伝わせようと思っていたが、時間も余ったし、今から手を付けておこうかな……そんなことを考えつつ、生簀の魚を捌いていると、

 

「ツクモー!! いま帰ったわよー!!」

 

 川の向こう岸からキンキラの髪の毛がひょっこりと現れた。勇者の娘にして、鳳の幼馴染にそっくりな神人、メアリーである。彼女は鳳が釣りをしている間、ギヨームと共に森林で狩りをしているはずだった。

 

 森の中には鳥や爬虫類を筆頭に、その他あらゆる野生動物が棲息しており、うまくすれば鹿や猪などの獲物にありつける可能性があった。ギヨームは元カウボーイだから動物を追うことに慣れており、更に武器が銃であるから釣りをするよりもこっちの方が向いていると役割分担しているのだ。

 

 因みに、野生動物を狩るという性質上、必ずしも毎日獲物が取れるとは限らないのだが……

 

 戻ってきたメアリーはその可愛らしい顔のあちこちに乾いた泥をひっ付けたまま、真っ黒になった手を無邪気にブンブン振り回し、満面に笑みを浮かべていた。その様子を見るからに、どうやら今日は上手くいったようである。間もなく、そんな上機嫌なメアリーの後ろから、

 

「おい、鳳。解体するから手伝え」

 

 と、ギヨームが顔を覗かせた。

 

「鹿か? やるじゃないか」

「まあな。これでもう暫くは飯に困らないぜ」

 

 二人は前後になって、丸太を肩に渡し、モッコみたいに担いでいた。その中央にはギヨームが仕留めたらしき子鹿が前後の足を縛られて吊り下げられている。因みに子鹿と言っているが、実際には鹿っぽい何かであり、きっと別の名前があるのだろうが、見た目も生態も似たようなものだから、面倒くさいので鹿と呼んでいる。

 

 吊り下げられた鹿は子供で体長は1メートル弱くらい。角がないから生まれてまだ半年かそこらだろう。きっとそばに親鹿もいただろうが、ギヨームがわざわざこっちを仕留めたのにはわけがある。純粋にこの人数では食べきれないのと、解体が大変だからだ。

 

 二人は鳳のいる中洲まで子鹿を担いでくると、彼が魚を捌いている横に獲物をどっかと下ろした。下ろす瞬間、ビクリと体をよじらせたところを見るからに、子鹿はまだ死んでいないようだ。しかし、つぶらな瞳に力なく、絶命寸前といったところだろうか。

 

 鳳は横たわった子鹿に近づいていくと、すきを見計らってその後ろ足の付け根辺りに全体重を乗せてギュッと押さえつけた。すでに前足にはギヨームが同じように体重を乗せており、つまり、二人がかりで暴れないように押さえつけているのだ。

 

 鳳たちが鹿を押さえつけたのを見ると、今度はメアリーが小刀を手に獲物に近づいていった。野生の勘だろうか? 何をされるか悟った子鹿は、最後のあがきとバタバタと暴れようとしたが、そこは二人がかりでしっかりと押さえつけられてて身動きが取れない。そしてメアリーは、そんな哀れな鹿の眉間に小刀の尖端をしっかり当てると、持っていた木槌で、コーン……っと叩き、額に穴を開けたのだった。

 

 眉間を穿たれた子鹿は一瞬だけビクビクと全身を震わせてから動かなくなった。脳をやられた鹿はこれで絶命したわけだが、体を押さえつけている鳳たちはまだその力を緩めなかった。何故なら本番はこれからなのだ。

 

 メアリーは鹿が動かなくなったことを確認してから、今度はその首に刃を当てて、動脈を狙って体の奥まで一気にそれを突き立てた。すると、まるで蛇口をひねるかのように血液がドバドバと溢れ出し、次の瞬間、驚いたことに死んだはずの子鹿がビクンビクンと暴れだしたのだ。

 

 その力は凄まじく、鳳とギヨームは顔を真っ赤にしながら、子鹿の体を押さえつけるので精一杯になった。やがてその動きが止まったときには、二人は全身汗でびっしょりになっていた。子鹿の目は閉じられて力はなく、鳳たちはこれ以上は流石にもう動かないだろうと判断すると、ゆっくりとその体から離れて、地面に大の字に寝っ転がった。

 

「美味しいお肉のためとは言え、めちゃくちゃ疲れるな」

「こういう力仕事はジャンヌが手伝ってくれれば助かるんだが」

 

 ゼエゼエと荒い息を吐きながら二人が会話を交わしている間も、子鹿の首からは相変わらず血がダラダラと流れ続けており、それは全身の血が抜けるまで続くように思われた。メアリーはその様子をしげしげと好奇心一杯の目で眺めていた。

 

 三人がたった今やっていたのは言うまでもない、血抜きである。

 

 血のついた肉は臭いし不味い。だから焼く前に血抜きが必要だ。しかし、お肉になってしまえば牛乳にさらすだけで済むかも知れないが、まだ全身の血管に血液が流れてる生きた獲物ではそうはいかない。この血をすべて抜くには工夫が必要である。

 

 具体的には、全ての動物は心臓のポンプで血液を循環させているのだから、これを利用して血管から血だけを排出させてしまえばいい。しかし、生きた獲物の動脈を傷つけたりなんかしたら、大暴れして大変なことになるから、なんらかの方法で動けなくしなければならない。

 

 そこで普通は脳死を狙う。眉間から刃物を脳に突き刺して出血死させ、いわゆる植物状態にしてしまうのだ。

 

 こうして脳が傷つけられた生き物は、もう生き物としての生命を終えているわけだが、体の機能はまだ少しの間動き続ける。人間だってそうだが、心臓は意識して動かしているわけじゃなく、オートマチックに動いているからだ。

 

 脳死した動物なら動脈を傷つけても暴れることがないから、安全に血抜きが可能である。そんなわけで現代の屠畜場でも電気ショックでそうしているわけだが……ところが、これでもまだ完全とは言えないのだ。

 

 というのも、脳死したばかりの生き物は、まだ心臓も動けば神経も繋がっているので、反射で動き出すことがあるのだ。反射とは、死んだカエルに電気ショックを与えると、ビクビクと動き出す、あれである。この時に発揮される力は、意志の力ではなく筋肉の反射であるからか、思った以上に強力だったりするのだ。

 

 生きているときよりも、死んだあとの方が強い力を発揮するとは皮肉な話であるが、大型の獣の場合、人間を一撃死させるくらいの力を発揮する可能性があるから、生きているときよりも寧ろ気をつけねばならないのは死んだ後なのだ。

 

 因みに、本来ならそうならないように、脊髄にワイヤーを通す、いわゆる神経締めという手順を踏むのであるが……追われるようにして森に逃げてきた鳳たちが、そんな道具を都合よく持っているわけもないから、ギヨームは可能な限り小さな獲物を狙っていたというわけである。

 

 そりゃ出来れば子鹿なんかじゃなくて、もっと大きな獲物を倒して、逃げる子供たちに向かって、大きくなって帰ってこいなんて言えれば格好いいだろうが、背に腹は代えられない。

 

 そんなこんなで血抜きを行ったギヨームは、その場でさっさと解体を始めてしまった。もう昼過ぎだし、ジャンヌたちも待ってるから、帰ってからにすればいいと思いもするが、動物の皮は時間が経つほど剥きにくくなるそうだから、そういうわけにも行かないらしい。肉を駄目にしたらもったいないから、素直に応じることにする。

 

 鳳はその間、目をつけていた自然薯を掘りに行くことにした。食材は沢山手に入ったのだから、これ以上は不要なのだが、山菜は保存が利くからあるだけあった方が良いだろう。そんな鳳の後をメアリーがフラフラとくっついてくる。彼女は解体の方にも興味があったようだったが、山菜集めも気になるようだ。

 

 300年もの間、結界の中に閉じ込められていたメアリーは、解き放たれた反動からか、まるで子供のようにやたら好奇心旺盛な姿を見せていた。普通の女子なら嫌がりそうな狩りや動物の解体にも嫌がること無く挑戦し、今日もギヨームと共に森を駆けずり回り、鹿を仕留めて屠畜まで手伝っていた。

 

 本来ならこんな力仕事はSTR23がやった方が効率がいいのだが、ジャンヌは生き物を殺すことは出来ても、解体の方は駄目らしい。ギヨームが獲物の首をかき切って、皮をベリベリ剥がしていたら、それを見ただけで気分が悪くなって、げえげえと吐いてしまうのだ。

 

 だもんで、使えないオカマは馬と老人の世話をさせておいて、鳳とギヨームとメアリーの三人で食料の調達をしているわけである。

 

 ところで、力も弱くて戦闘スキルの無い鳳が居ても、役に立たないと思うかも知れないが……

 

「……ツクモー? これは食べられる?」

「ああ、それはヘビイチゴだな。食べられなくはないが味がしない。見た目が似ている木苺の方は美味しいんだけど」

「じゃあ、これは?」

「それはヤマゴボウ。見た目はぶどうみたいだけどヤマゴボウ。食べられそうな気がするけど猛毒だ。最悪の場合死ぬぞ」

「そ、そうなんだ……じゃあこっちの可愛い花は? これも食べられないの?」

「それはハルジオン、そっちのはタンポポだな。どっちもアク抜きすれば食べられるぞ。花が咲いているってことは、今が春先だってことだ。他の植物が繁茂している夏の間は種で過ごし、秋になるとまた咲くんだよ」

「ふーん……他に食べられそうな草はある?」

「そうだな。そこにあるのはドクダミだ。別名十薬と言う万能薬だぞ。いくつか摘んで帰ろう。そっちはヨモギ。これも薬草だが、そのまま食べても美味い。汁に入れて食べよう」

「わかったわ……あれ? このしわしわした変な草は見たことがあるわね」

「それはスギナ、草じゃなくてシダ植物だ。そいつは美味くないが、胞子体の方はツクシと言って、山菜の代表格だな。地下茎で繋がってるから、すぐ近くに生えてるはずだ。美味いぞ」

「つくしって……あのつくしんぼ?」

 

 メアリーは地面をキョロキョロ、草の根をかき分け山菜を探した。やがて目的のものが見つかるや、パーッと輝くような笑顔を見せた。その笑顔が幼馴染の顔とダブり、鳳はなんだか切なくなった。しかし、彼女はこんな顔をしていただろうか? いつも他人の顔ばかり気にしていた幼馴染の顔をいくら思い出そうとしても、どうにも上手く思い出せなかった。

 

 もし、あの時の彼女も何のしがらみも無かったのなら、こんな風に笑っていたのだろうか……

 

 鳳たちがそんな具合に山菜採りをしていると、鹿の解体を終えたギヨームが、血の臭いをプンプンさせながらやってきた。こんな生活をしている以上、慣れるしかないが、その独特な死の匂いはなかなか慣れない。

 

 鳳が鼻をつまんで出迎えると、ギヨームは彼の頭をひっぱたきながら、メアリーの持っている竹ひごで作ったザルいっぱいに乗せられた山菜を見て、

 

「……これ全部食えるのか? すげえな」

「まあな」

「こっちの方はさっぱりだから助かったぜ。正直、意外だったけど、おまえどうしてこんなに食べられる草に詳しいんだ?」

 

 鳳の意外な特技を見たギヨームがそんな疑問を呈すると、彼はほんのちょっぴりバツが悪そうな顔をしてから、手近にあった葉っぱをちぎりブーブーと草笛を鳴らし、

 

「……昔、親に追い出されて路上生活してた時期があったんだよ。その時に必要だから覚えちまった」

「何やってんだ、おまえ?」

 

 思いがけない言葉に半ば呆れつつギヨームがそう返すと、鳳は草笛のやり方を教えてくれというメアリーの相手をしつつ、

 

「死んでも謝りたくなかったんだよ。親父に頭を下げるくらいなら、草食って死んだほうがマシだって。でも、いざやってみたら案外食えたんでさあ」

「ふーん……そうか。何があったか知らないが、お陰で今こうして助かってんだから別に良いか。そろそろ帰ろうぜ、腹減ったよ」

 

 自分から聞いてきたくせに、ギヨームはそれ以上突っ込むことなくあっさりと引くと、メアリーからザルを受け取って来た道を戻り始めた。ジャンヌに聞いた話だが、彼も家出をしてアウトローになったらしいから……鳳の話にも共感するところがあったのだろうか。

 

 尤も、彼の場合、母親を侮辱したやつを射殺したのが家出の原因らしいが……

 

「それにしても、妙な話だよな」

 

 そんなギヨームの後に続いて歩いていると、彼が誰ともなしにつぶやいた。

 

「何が?」

 

 鳳が尋ねてみると、

 

「おまえに言われるまで気づかなかったけど、この世界の生き物はどいつもこいつも見慣れないもんばかりだ。なのに、植物の方は地球とほとんど同じと来ている……」

「ああ……」

「これってなんか意味があんのか?」

「さあ。意味があると言えばあるのかも知れないけど、自然界のことだからなあ……あの爺さんにも分からないことが、俺に分かるとも思えないし」

「違いない」

 

 ヘルメス領から逃げて来て1ヶ月。鳳たちは大森林の中で潜伏していた。当初はすぐにでも新大陸へ向かうつもりだったのだが、思ったよりも帝国の追撃が厳しくて、ほとぼりが冷めるのを待っていたら、こんなに時間が過ぎていた。

 

 その間、少ない物資でどうにかこうにかサバイバル生活をしなければならなくなったのだが、敏腕冒険者のギヨームはともかく……

 

 世間知らずの神人、300歳を超える老人、オカマ、レベル3という役立たず4人を抱えていては、そう長くは持ちこたえられないだろうと、ギヨームは頭を抱えていたのだが……

 

 蓋を開けてみればそのレベル3は、役立たずどころか、誰も知らないような知識が豊富で、日々の生活のサポートをしてみせたのだった。

 

 彼は何故か山菜の知識が豊富で、火の起こし方も知っており、木の皮や枯れ枝なんかで即席のテントをこしらえてみせた。蔦植物から繊維を取り出し、より糸を作ったり、手持ちの鉛を叩いて伸ばして釣り針を作ったり、魚も捌けば小動物の解体まで、とにかく何でも器用にこなした。

 

 お陰で、当初は3日も稼げればいい方だと考えていたサバイバル生活は、気がつけばその十倍の日数が経過していた。生活は思った以上に安定しており、現代人のジャンヌ以外からは、少しも文句が上がっていない。

 

 元々、新大陸を目指しているのは、メアリーを帝国の魔の手から逃がすためだったが、そのメアリーは寧ろ現在の生活をエンジョイしており、いっそこのまま暮らしていてもいいとすら思えてくるのだが……

 

 ギヨームがそう思ってしまうくらい、快適な生活が続いていたが、流石にいつまでもこうしてはいられないだろう。森に潜伏して一ヶ月、その間の帝国の動向も全くつかめていない。相手がまだ探しているにしろ、もうとっくに追跡を諦めているにしろ、何の情報もないのでは落ち着かない。

 

 せめてそれが分かる程度には、ぼちぼち人里に近づいてもいいだろう。そんなことを考えつつ、ギヨームは、まだ熱の残る生肉を背負いながら森の中を進んでいった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。