ラストスタリオン   作:水月一人

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言っておきたいことがある

 川べりの鬱蒼と茂る雑草をかき分けて、森の奥へ入ってくると、身の丈ほどもあった草がどんどん低くなってくる。雑草は言わば日照権の取り合いで上へ上へと伸びるのだが、森林の中ではどれだけ伸びても結局大木の影に隠れてしまうから、はじめから生えてこないのだ。そんなわけで、森の中は意外と歩きやすかった。

 

 小鳥のさえずりの大合唱の中、数少ない木漏れ日を奪い合うようにして咲く花を愛でながら、のんびり獣道を歩いていると、やがて前方の方からパチパチと火が爆ぜる音が聞こえてきて、焚き火の匂いが鼻をくすぐった。

 

 大木から拝借した蔦をロープ代わりにして、木の皮をかぶせて作ったテントの前で、齢300歳のレオナルドが火に焚き木をくべていた。彼は鳳たちが帰ってきたのに気がつくと、焚き火にかけた鉄鍋をカンカン叩きながら、

 

「待ちくたびれたわい。狩りの調子はどうじゃった? ほほう、これは中々、大漁じゃないか」

「ああ、これを捌いてたら時間を食ったんだ。すぐ飯にしよう」

 

 鉄鍋の中ではすでにお湯が沸いており、野生のシメジでじっくり出汁が取ってあった。ギヨームはその中に、取ってきたばかりの鹿肉を投入して塩をパラパラと抓み入れた。これだけでも既に十分美味そうだが、肉に火が通った頃を見計らって、更に下処理した山菜を投入する。最後に数滴酒を垂らしてアルコールを飛ばしたら完成だ。

 

 鳳はその間、釣った川魚に塩をすり込み、木を削って作った串に突き刺して、焚き火に当たるように地面に突き立てた。そうして両面をじっくり焼き上げると、表面の皮がこんがりとしてきて、香ばしい匂いが立ち込める。

 

 そんな匂いに釣られたのか、暫くすると馬を引き連れたジャンヌが、お腹をグーグー鳴らしながら帰ってきた。彼は鳳たちが食料調達をしている間、馬の放牧をしていたのだ。

 

 森の中は食料が豊富とは言え、草食動物の食欲は旺盛だから、キャンプ周りの草はとっくに食べ尽くしていた。だから遠出をしなければならないのだが、森には猛獣も潜んでいるから、放し飼いをするわけにはいかない。その点、ジャンヌは猛獣相手でも遅れを取らないから、馬の世話をするにはもってこいだった。

 

 向こうから寄ってくるから、ジャンヌもたまに獲物を狩って帰ってくることがあったが、彼は解体が出来ないので、いつも戻ってくる頃には肉が固くなっていた。ギヨームがそれを手斧で解体するのだが、肉に皮が張り付き、毛や血が取り切れないので、焼いてもあまり美味くない。それで結局、獣脂を取ったあとに放置され、森の昆虫や小動物に食べられた挙げ句、鳳に魚の餌にされるのが常だった。もったいないような気もするが、なんやかんや何一つ無駄になっていないから、食物連鎖とはかくも偉大なものである。

 

 残念ながら今日は獲物がないようだが、馬の方はたらふく飯が食えたのか、見るからに元気いっぱいの様子である。適度な運動も出来て、危険もないから、馬にとっては快適な環境なのだろう。いつの間にかジャンヌに懐いている姿を見ると、彼のことをリーダーと思っているのではなかろうか。

 

「あら、美味しそう。今日はお野菜もあるのね。これはメアリーちゃんが摘んでくれたの?」

「うん」

 

 馬から鞍を下ろしたら、彼はキャンプファイヤーを囲んでいたメアリーの隣に、当たり前のように腰掛けた。メアリーはジャンヌがやってくると、火の番をしているレオが暇にかまけて木材をくり抜いて作ったお椀にスープをよそって差し出した。

 

 ジャンヌは受け取ったお椀に鼻を突っ込み、その匂いを堪能した後、スープを一口飲んで、にっこりとメアリーに笑いかけた。すると彼女もニコニコと笑顔を返す。それを見ていると、まるで本物の兄妹のように見えた。まあ、見た目と年齢は逆なのだが……

 

 出会いが最悪だったから、最初はジャンヌのことを恐れていたメアリーも、この生活をしているうちにどんどん仲良くなっていった。男やもめの中で、心の中だけは女性のジャンヌが最も人当たりも良かったからか、紅一点のメアリーも安心したのだろう。最近、キャンプでは一緒にいることが多く、寝るときも彼が壁になってくれるから、意識しないで済んでいる。

 

 そんな感じで、何不自由なく、思った以上に快適な暮らしを続けていた一行であったが……

 

 その日、食事を終えた後、残った鹿肉で燻製肉を作りながらギヨームが突然言いだした。

 

「ところで提案なんだが、そろそろここから離れたいと思うんだ」

 

 その言葉が意外だったのか、ジャンヌと遊んでいたメアリーが驚いて声を上げる。

 

「え? なんで? まだ来たばかりじゃない。私はもう暫くここで遊んでいたいけれど……」

 

 ギヨームはそんなメアリーを手で制しながら、

 

「神人の時間感覚で言わないでくれ。一ヶ月ってのは俺たち人間にとっては結構な時間なんだよ。そろそろほとぼりも冷めた頃だし、当初の予定通り、新大陸に向けて移動したいと思うんだが」

「そうね。確かにいつまでもこうしてはいられないわ。メアリーちゃん、人間はやっぱり人の街で暮らした方がいいと思うの。私も冒険者稼業に戻りたいところだし」

「そ、そう……ジャンヌもそう言うなら」

 

 ジャンヌが追随すると、最近仲良くなったメアリーも、彼も言うなら仕方ないのかなといった感じで同意した。本当はもう暫くここで暮らしていたいのだろうが、我儘を言ったところで、まだ一人で生きていけるほど、彼女に生活力はなかった。

 

 もしかすると、新生活に対する不安もあるのかも知れない。レオナルドがそれを見越してか、

 

「なあに、新大陸でも森の生活は続けられるわい。あっちにはお主を傷つけようとする輩もおらぬし、儂らもずっと一緒におるから、何も心配ないぞ。メアリーもすぐに慣れるじゃろう」

「本当?」

「もちろんよ……そうだわ! あなたさえ良ければ、私と一緒に冒険者をやらない? 新大陸にもギルドがあるそうだから、神人のあなたなら、きっと引っ張りだこよ」

「そうね。みんながそうしたいなら、私もそうしたくなってきたわ。冒険者っていうものにも少し興味が湧いてきたし」

 

 二人にそう言われて安心したのか、メアリーはそれ以上特に何も言わずにギヨームの提案を受け入れたようだった。どうせいつかはここを離れなければならない。それが遅いか早いかの違いでしか無いなら、新生活の不安を抱えているよりも、さっさと行動したほうがいいと彼女も思ったのだろう。

 

「それじゃあ、明日から移動のための準備をしよう。幸い、今日狩った獲物もあるから、数日は飯の心配をしなくて済むが、問題はそれが無くなったあとだな。水の確保も必要だから、俺は出来るだけ川沿いを移動したほうがいいと思ってるんだが……」

「いや、ちょっと待ってくれ」

 

 そんな感じで話が決まったとばかりに、ギヨームが今後の方針について提案しはじめた時だった。それまで何も言わずに黙って聞いていた鳳が、意外なことに待ったをかけた。元々、ジャンヌを逃がす作戦を考えたのは彼だし、前世の縁からメアリーのことを気にしてもいたから、誰も彼が反対をするとは思っていなかったのだが……

 

 ギヨームは一瞬虚を突かれたようにポカンとしてから、

 

「……どうした? 何か気になることでもあんのか?」

 

 すると鳳は珍しく深刻そうな顔をして、

 

「実は移動をする前にみんなに言っておかなきゃならないことがある……本当はずっと黙っていようと思っていたんだが、この一月、一緒に暮らした仲間を騙すような真似はしたくないから、ここらで一度、ちゃんと話しておこうと思ってさ」

 

 突然の鳳の告白に驚いて、その場にいたみんなはきょろきょろとお互いに目配せをしていた。その仕草から察するに、誰も鳳が何を言おうとしているか見当がついていないらしい。

 

「あ、ああ……なんだよ?」

 

 一体何を言い出すつもりだろうか……ギヨームが少し困惑気味に話の続きを促すと、鳳はほんの一瞬だけ躊躇してから、言いづらそうに先の言葉を続けた。

 

「実は……俺は人間じゃないらしいんだ」

 

 鳳は彼がこの世界に召喚されたときの出来事を仲間に言って聞かせた。

 

 曰く、異世界召喚されるまえ、自分一人だけがキャラクリ直後でレベル1だったこと。適当に作ったキャラだからろくにステ振りしておらず、それがそのまま適用されてしまったこと。最近まで無職だったこと。そしてなによりも深刻なのは……

 

「BloodTypeCだって?」

 

 ギヨームが目をパチクリさせながらそう聞き返すと、鳳は複雑そうに眉間に皺を寄せながら頷いて、

 

「ああ。俺は最初その意味が分からずに、ヘルメス卿に正直に話してしまったんだ。お陰で一度殺されかけたことがあって、もしその時ジャンヌやメアリーがいなかったら、今頃この世にいなかったかも知れない」

 

 メアリーは鳳の話を聞いて、ああ、あの時のことかと言った感じにふんふんと鼻を鳴らして首肯していた。鳳はそんな彼女に頷きかえしながら、

 

「だから、俺がメアリーを助けるのは当たり前のことだし、これから先もそうしていくつもりだが……ギヨームたちがそれに付き合う必要はないだろう? だからここらで一度ちゃんと話しておこうと思ったんだ。もし、元の生活に戻りたいんであれば、そうしてくれて構わない。なんなら、俺をこのパーティーから排除してくれても構わない。俺みたいに得体の知れない奴といるより、そうした方がいいんじゃないかと思って」

 

 以前までの鳳だったら、こんなこと正直に話したりせず、取り敢えず生活が落ち着くまで黙っていただろう。だが、人里離れた大森林の暮らしは一蓮托生、誰かが失敗すればあっという間にパーティーごとジリ貧になりかねない。そんな時に、自分の都合だけ考えて、黙っているのは心苦しかったのだ。

 

 そんなわけで、自分の身が危険に晒される可能性もありながら、彼はパーティーメンバーに自分の秘密をカミングアウトしたのであるが……その反応は彼が思っているほど深刻なものではなかった。

 

 思い返せば、ジャンヌとメアリーははじめから知っていたことである。何も知らなかったギヨーム一人だけがほんの少し眉をひそめていたが、レオナルドに至っては困惑すると言うよりも、寧ろ珍しいものでも見たかのように目を丸くしながら、

 

「ほう……やはりのう。お主は色々とおかしな力を持っておるから、ただの人間ではないと思っておったが……まだ隠し玉があったか。人間ですら無かったとは。こりゃ驚いたのう」

「ああ、だから爺さん。俺みたいなのと一緒に居たくないなら、そう言ってくれて構わないんだぜ」

 

 本人としてはよほど後ろめたいのだろうか、鳳がそんな思いつめたような言葉を吐くと、老人は少々困ったように苦笑いしながら、

 

「まあまあ、待て待て。そう先走るでない。お主はおそらく、自分が魔族なんじゃないかと思って、そんな卑屈なことを言っておるのじゃろう……?」

「あ、ああ……少なくとも、その可能性があるんじゃないかと思って」

「そうじゃの、無くはないじゃろうが……その可能性は限りなく低いと思うぞ?」

「……そうなの?」

「うむ」

 

 レオナルドはポカンとした表情の鳳に向かって頷くと、何から話せばいいだろうと言った感じに言葉を選びながら、

 

「その、BloodTypeというステータスは、非常にあいまいな物なのじゃよ。というか、そもそも人間の能力を、数値で表すこと自体が間違っておるのかも知れぬ。そのステータスとやらは、お主ら人間や神人たちが考えているほど重要なものではない。現に、ステータスの高い神人は絶滅の危機に瀕しており、低い人間の方が繁栄しておるではないか……そうじゃのう。何から話そうかのう……? まずはお主が一番気にしているであろう、BloodTypeCというステータスが何を意味するのかを明らかにしたほうが早いか」

「あ、ああ……これって俺が魔族だって意味なんじゃなかったの?」

「そうではない。まず、儂の知っておるBloodTypeCの種族には、獣人がおる。しかし、獣人と一口に言っても、どのくらいの種族がいるか、お主は気づいておるか?」

 

 そう問われて鳳は首を振った。言われてみれば、種族なんてものは気にしたこともなかった。以前、ギルド酒場で狼男に詐欺られそうになったことがあるが、街に住んでいたのは彼らだけではない。商人が連れている奴隷の中には、猫型や兎型の獣人もちらほら見かけた。

 

「まず、人間の街でも会うことが出来る狼人(ウェアウルフ)猫人(キャットピープル)、お主はまだ見たことがないじゃろうが、蜥蜴人(リザードマン)は商人が多く、勇者領では頻繁に出会うことが出来る。兎人(ヴォーパルバニー)は臆病で、森の奥でひっそりと暮らしておるから、人間の領域で見かけることは滅多にない。そして新大陸には翼人(バードマン)という、こちらの大陸では見かけない獣人が住んでおる。

 

 このように、一口に獣人と言っても、そこには多くの種族が存在するのじゃ。ところがステータスを見ると、これらはみんな一緒くたにBloodTypeCと来ておる。こんな乱暴な話はないじゃろう? 彼らは獣人という一つの種族ではなくて、それぞれ違った種族じゃ。なのに、全てが同じと言うなら、考えられることはステータスの方が曖昧ということじゃろう。つまり、あのBloodTypeというものは、人間と神人とそれ以外を分ける指標でしかないということじゃ」

 

 理路整然としたレオナルドの説明に、鳳はだいぶ救われた気がした。確かに老人の言う通り、それなら鳳のBloodTypeがなんだろうとも、そんなに深刻に考えないで良いのだろう。しかし、それじゃあ、どうして彼だけが他のみんなと違っているのか? 未だにそれがネックとなり、鳳は続けざまに疑問をぶつけてみた。

 

「そ、そうだったのか……じゃあ、俺のBloodTypeCってのも、魔族とは限らないってことなんだな?」

「左様……というか、魔族のBloodTypeが何なのかなんて確かめようが無いからのう。案外、BloodTypeAやBかも知れぬし、未知のDやEという可能性もある。そんなの気にするだけ馬鹿馬鹿しいじゃろう」

「でも、それじゃあ、俺って何なんだ? 俺も獣人なのかな?」

「いや、お主は見るからに人間じゃ。儂の知る限り、どの獣人にも似ても似つかぬ。無論、魔族でもない。儂らと食べるものも同じなら、神人の耳のような特に変わった特徴も無い。お主は誰がどう見てもただの人間じゃ。現に、これまで人の街で暮らしていて、お主のことを人間じゃないなどと言って騒ぎ立てる者などおらんかったじゃろう?」

「そうだけど……それじゃあ、なんで俺だけみんなとBloodTypeが違ったんだろうか。違うというなら、そこに何か理由が存在するはずだろう? それが身体的な特徴じゃないとするなら、一体何なんだ」

「それならば、大方予想はついておる」

「え!? 爺さんにはその理由が分かるのか?」

「うむ……」

 

 自分が人間ではないかも知れない……この世界に来たときから絶えず付き纏っていた問題を、レオナルドはまるで問題ではないかのように言い切った。まさかこんなところで、懸案事項が解決するとは思いもよらず、鳳は思わず耳をそばだてるようにして身を乗り出したが、ところが、そんな老人から返ってきたのは、思いも寄らない言葉だった。

 

「お主と他の人間との違い……それは信じる神の違いじゃろう」

「か……神……? 神だって?」

 

 それほど長くは生きちゃいないが、それでも生まれてこの方一度として神の存在など信じたことなかった鳳は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

 この老人……一体何を言い出すんだ? まじまじと見つめる彼の視線は、まるで珍しい生き物でも見るかのように、胡散臭げに歪んでいた。

 

 しかしそんな感じの悪い態度を前にしても、レオナルドは表情を一切変えずに、黙って透き通った目で鳳を見つめ返していた。どうやら彼はふざけているわけでもなく、その言葉に確固たる自信を持っているらしい。

 

 鳳は正直戸惑っていたが、自分から尋ねておいて頭から否定することも無いだろうと、黙って老人に話の続きを促した。

 


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