大森林から抜け出そうと移動を開始して三日目。打ち捨てられた集落を発見した一行がそこを調べていると、偶然、一ヶ月前の攻防戦の際に縁があった獣人の集団が現れた。
獣王ガルガンチュア。バルティカ大陸南部に広がるワラキアの森を仕切る獣人の部族の長の一人。その恵まれた体躯から繰り出される技の数々は
獣人と言うとどことなく未開の野蛮人を想像しがちだが、そんな中でも
特にガルガンチュアの部族は、300年前の魔王襲来時、勇者に助けられたことを恩に感じて、それ以来勇者領との交友関係を維持し続けており、部族長のガルガンチュアは冒険者ギルドに登録している冒険者でもあった。
ギルドはその誼を通じて、人の手が届かないワラキアの大森林で依頼を受ける窓口として、彼らの部族を利用しており、そんなわけでギルドの長であるレオナルドと、ガルガンチュアは顔馴染みであったようである。
「久しぶりだ、大君。ひと月前、戦場で会って以来だ。元気だったか」
「うむ。これと言って病もなく、ピンピンしとるわい。お主は相変わらず真っ裸じゃのう。風邪をひかんか心配になるぞ」
「行方不明と聞いていたが、何をしていたんだ?」
「帝国兵に目をつけられて、仕方ないので森で潜伏しておった。そろそろ
「大君の頼みであれば断る理由はない。だが、少し待って欲しい」
ガルガンチュアはそう言ってから、彼の背後に整然と並ぶ、部族の男たちの方をチラリと見た。屈強な獣人たちは、その表情からは何を考えているか窺えない。少なくとも、敵意が無いのはわかるのだが、その牙が剥き出しの大きな口と、眼光だけで人を殺せそうな目つきを見ていると、本能的に恐怖を感じると言うか、無駄に身構えてしまうから困ってしまう。
「大所帯のようじゃが、何かあったのかのう? ただの狩り……という感じではなさそうじゃが」
するとガルガンチュアは頷いて、
「ここを調べたなら気づいたか? ここは放棄されてからまだ間もない。ここに住んでいた部族は、魔族に追い出されたのだ。俺たちはそれを倒しに来た」
「なんじゃと? しかしここは大森林でも北部の方じゃろう。こんなところまで魔族が侵入してきたというのか……?」
「そうだ。このところ、南からの魔族の侵入が激しいようだ。やられた部族の話では、侵入した魔族は全部
「ふむ……大移動の兆候でなければ良いのじゃが……」
レオナルドは誰ともなしに呟いた。見ればこの老人には珍しく深刻そうな顔をしている。話が見えない鳳が、何がそんなに気になるのだろうかと尋ねてみると、
「お主もこの世界の歴史を聞いたことがあれば覚えてはおらぬか。300年前の魔王襲来前、まずはここワラキアの森に魔族の大量流入が起きたことを」
「まさか、魔王襲来の予兆ってこと?」
「それはまだ分からぬ。魔族は常に人間のテリトリーを狙っておるから、たまたまという可能性の方が高いじゃろうが……しかし、こんな人里近くまで魔族が進出してくるのは、かなり珍しいことじゃ」
そう言って眉間に皺を寄せる老人に向かって、獣王が言った。
「我らは奪われた土地を取り返しにいく。大君たちはここで待っていろ。すぐに戻る」
この獣人、口数が少ないから分かりにくいが、多分戻ってきたら案内してやるという意味だろう。その申し出は有り難かったが、ここまで話を聞いておいては黙っていられるわけもなく、
「いいや、儂らも共に行こう。少々気になるでな……ジャンヌ! ギヨーム! すまぬが頼まれてくれるか?」
二人には戦力として期待しているということだろう。ギヨームは黙って頷き、ジャンヌは獣王の元へ歩み寄ると、
「ええ、分かったわ。お久しぶりね、あなたと一緒に戦うのはこれで二回目よ。覚えているかしら?」
「お前の実力は知っている。ついてくるなら心強い。頼りにしているぞ」
二人がそう言ってガッチリと握手を交わすと、事情を知らない獣人たちが意外そうに目を丸くしていた。おそらく、所詮人間だから役に立たないと思っていたところ、彼らのリーダーの評価が思ったよりも高かったから驚いているのだろう。
実際、ジャンヌの強さはこの中でも最強に違いなかった。しかし、その強さは鍛えすぎた鋼のように、脆さも併せ持っていた。
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半魚人であるオアンネス族は、水場にコロニーを作り、その周辺のあらゆる動物を狩り尽くしてしまうという特徴の魔族であった。
言うまでもなく生き物は水が無ければ生きられないから、一日一度は必ずどこかの水場に姿を現す。オアンネスはそこへ巣を張り、まるで獲物がかかるのを待つ蜘蛛のように、水の中に潜んで動物を襲うのだ。
やがて水場にやってくる動物が少なくなってきたら、また別の水場に移動し、次々とコロニーを変えながら、ついにはその水域の動物を全部狩り尽くしてしまうという。水陸両生で、海水でも淡水でも、地上ですら問題なく適応するため、その生息範囲は広く、早めに対処しないとどんどん増えてしまうという、シロアリみたいな連中であった。
しかも、魔族というのは魔物と違って知恵があるから、始末に負えない。
鳳たちが見つけた無人の集落は、生活用水に利用していた水場にオアンネス族が入り込み、一網打尽にされてしまったらしいのだが……奴らは水場にやってきた集落の住人を捕らえると、拷問して村の場所を聞き出し、準備万端で襲って来たそうである。
突然の出来事に村人たちは対応することが出来ず、散り散りになって逃げるのが精一杯だった。野生動物や魔物と違って、魔族が厄介なのはこの点にある。奴らは会話し、情報交換し、人間のように襲ってくるのだ。
しかし、この厄介な連中を見つけるのは、ある程度の被害が出た後なら、さほど難しくはない。奴らは水場に棲息し、必ず川に沿って移動をするから、上流に向かって虱潰しに探していけば、いずれどこかで見つかるはずだ。
ところで、鳳たちは集落を探して川沿いを歩いていたわけだが……もしもあのまま、集落を見つけられずにまっすぐ川を遡っていたら、知らず識らずの内に魚人のテリトリーに入り込んでいたかも知れなかった。
鳳はそれを聞いてぞっとした。もし何も知らず、無防備にそんな連中と出くわしていたら、ジャンヌやギヨームはともかく、今頃自分は殺られてしまっていただろう。
ガルガンチュアの部族と合流した鳳たちは、彼らに協力してオアンネス族を追うことにした。森は広く、川も長いから、難航するかと思われたが、それは意外とすぐに見つかった。
彼らが村を出てから半日が過ぎ、そろそろ本日のキャンプをしようかという段になったころ、先行偵察に出ていた狼人の一人が目標を見つけた。狼人の、犬並みの嗅覚が、水の匂いと混じった、奴らの生臭い独特の悪臭を嗅ぎ分けたのだ。
日は傾いてすでに森の中は薄暗く、人間では足元もおぼつかないような状況だったが、朝を待たずにすぐに襲撃を開始しようという話になった。
逢魔が刻と言うが、オアンネスは元が水中生物であるせいか、他の魔族と違って闇には弱い。陸上では目も鼻もあまり利かないので、奇襲をかけるなら今が最善なのだそうだ。
そんなわけで慌ただしくはあったが、一行はすぐに襲撃の準備に取り掛かった。
斥候によると敵の数はこちらを大きく上回り100体に近くを確認したという。対するこちらはガルガンチュアの部族が30人に、鳳たちの5人を加えて35人。内、二人は役立たずだから数の上では完全に負けていた。
普通に考えれば、この人数差で勝負を仕掛けるのは無謀だ。しかし、出直そうにも、その間にオアンネス族がどこまで増えるか分からない上に、助っ人を呼ぼうにもこの大森林では他の部族と連絡が取りづらくて、とてもそんなことはしていられないそうである。
だから無理を承知で奇襲を仕掛けるのだと、重苦しい口調でガルガンチュアは言ったが……鳳は獣人たちの悲壮な決意を目の当たりしても、なんとかなるんじゃないかと漠然と思っていた。何しろこちらにはジャンヌがいるのだ。
襲撃は、そのジャンヌが切り込み隊長を務めることになった。ガルガンチュアは部族長の面子もあったが、適正を考えて彼に先鋒を譲った。その決定に、何も知らない獣人たちは難色を示したが、族長の決定だからと最終的には折れた。無論、彼らの不安が杞憂であったことは言うまでもない。
そして間もなく、対決の時が訪れた。
日が陰り、薄ぼんやりした紫色で視界が満たされた頃、獣人たちは切り込み隊長のジャンヌを中心に、半包囲を仕掛ける形で左右に広がった。
鳳は攻撃に加わらないため、少し離れた場所でメアリーとともに味方を見守っていた。遠くてよく見えないが、河原には無数の打ち上げられたマグロみたいなシルエットが見える。一瞬だけ、月明かりに光って見えたその姿は、正に異形の一言で、ぎょろりとした大きな魚の眼が動くたび、本当にこっちが見えていないのかと不安になった。
その生態はよく分かっていないが、魔族も哺乳類であるらしく、肺呼吸だから寝るときは陸に上がってくるらしい。川に入られてしまったら勝ち目がないから、出来れば陸上にいるうちにケリを付けたい……
一匹も川に逃がすな。そういうガルガンチュアの合図を皮切りに、いよいよ攻撃が開始された。
「紫電一閃……桜花襲双列斬刃っっ!!」
攻撃が開始されるやいなや、ジャンヌが叫びながら河原に躍り出た。彼は手にした剣を握りしめ、魔族たちが密集するコロニーの中央に突っ込んでいく。その彼の剣が振り下ろされた瞬間……
ザンッ! っと、風を切る音がして、河原のど真ん中に血の花が咲いた。
寝入りっぱなを突然襲われた魚人たちが逃げ出そうとして、慌てふためいて立ち上がる。
「逃がすな! 食いつけっ!!」
ガルガンチュアの声を受けて、獣人たちが地面を蹴って魔族の群れに飛び込んでいった。彼らは獰猛な唸り声を上げながら、逃げ出そうとしていた魚人の背中を鋭い爪で切り裂き、驚いて硬直している者の喉笛を噛み切っていく。不意を突かれた魔族たちは、為すすべもなく次々と倒れていった。
勢いは完全にこちらが押している。だが、数の上では負けている獣人たちのすきを突いて、何人かの魚人が包囲を抜けて川に逃げ出そうとしていた。
「ほれ、眠れ眠れ、スリープクラウドじゃ」
しかし、次の瞬間、河原にドライアイスのような霧が立ち込めて、それに触れた魚人がバッタバッタと倒れていった。
パンパンと乾いた音がして、それでも逃げ出そうとする魚人の眉間に、銃弾が次々と撃ち込まれる。
ギヨームの操るピストルから閃光が発するたびに、まるで連続写真のように周囲の光景が浮かび上がった。スローモーションのように流れていく光景は、映画でも見ているかのようだ。
「打ち砕けっ! 快刀乱麻!!」
ナマス切りのように、次々と魚人を捌いていたジャンヌが、追い打ちとばかりに大技をかける。
ズシンッ! と、地震が起きたみたいに地面が揺れて、魚人たちが紙切れのように吹き飛んでいった。
これが致命打となって、敵のコロニーは完全に制圧された。残った魚人は川に逃げるのを諦めて森へ向かおうとするが、陸上では獣人たちの足に敵うはずもなく、次々とその生命をちらしていった。
その時……
「きゃああああああーーーーっっっ!!!」
っと、女性の金切り声のような声が聞こえて、鳳はギョッとして固まってしまった。
驚き隣を確認すると、メアリーがポカンとした顔で戦場を見つめている。この場の女性は彼女一人だけのはずだ……それじゃあの声は誰が発したものなんだろうか……
そう思った瞬間、その声の発生源がオアンネスだと気がついた。奇妙な話であるが、相手は魚の頭をしているが、二足歩行の哺乳類なのだ。そして彼は、魔族が人語を解すると言っていたガルガンチュアの言葉を思い出した。
あの異形は、人の言葉を喋るのだ。
「ジャンヌッッッ!!!」
と、その時、今度はギヨームの悲鳴にも似た叫び声が辺りにこだました。
驚いた鳳が河原に目を戻すと、さっきまで敵を圧倒していたはずのジャンヌが、何故かその敵のど真ん中で棒立ちになっていた。彼はなにかに気を取られたように身動き一つせず、背後から迫りくる敵の攻撃にまるで気づいてないようだった。
「きゃあっ!」
そのジャンヌの背中に、オアンネスの鋭い爪が振り下ろされる。切り裂かれた彼の背中から鮮血が飛び散り、パシャパシャと雨のように降り注いだ。
「うおおおおぉぉぉーーーー……ふんっっっ!」
切り込み隊長がやられたことに気がついたガルガンチュアが、援護に回って敵をパンチで吹き飛ばした。そこにギヨームの追い打ちが入り、ジャンヌに一撃を入れた魚人はあっという間に絶命した。
ジャンヌは二人に助けられたことに気がつくと、ハッと我を取り戻したかのように、
「これしきの傷、大丈夫よ!」
と言って、またオアンネスの追撃に戻った。
味方に心配をかけたことを恥じたのか、その後のジャンヌの獅子奮迅の活躍があって、戦闘は間もなく、こちら側の圧勝で終わったのだった……
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河原は死屍累々だった。
月明かりを浴びて地面が黒光りして見えるのは、きっと川の水が反射しているのではなく、おびただしい血液が河原にぶちまけられているからだろう。
鳳は死体が山積みになった河原に足を踏み入れて、そのムッとする臭気に吐き気をもよおした。死の匂いというか、鉄分を含んだ血の匂いだけではなく、鼻がひん曲がりそうな臭いが混じっている。多分、糞便のような汚物も一緒に垂れ流されているからだろう。鼻のいい狼男たちが、そんな悪臭の入り混じる中、死にそうなくらい顔を歪ませながら地面に転がる魚人の腹を槍で突いて回っていた。
「……ひどい光景だわ。外は楽しいだけじゃないのね」
そんな凄惨な光景を前に、メアリーが簡潔な感想をポツリと漏らした。女の子にしてはかなりドライな反応だったが、泣いたり喚いたり大騒ぎされるくらいなら、こっちの方が気が楽だった。これまでも、獲物を狩って捌いたり、彼女は命を取ることにそれほど嫌悪感を持たないらしい。それは多分、人間はそうやって生きているのだということを、ちゃんと理解しているからだろう。あんな場所にずっと閉じ込められていたのに不思議なものだ。
そんなことを思いつつ、鳳は大岩に腰掛けて呆然としているジャンヌの元へと近寄っていった。
「ジャンヌ! 平気か? 傷見せてみろよ」
「あら、白ちゃん。心配してくれてありがと。これくらい平気よ。情けないところを見せちゃったわね」
「いいから見せろよ、感染症とかになったらどうすんだ」
鳳はそう言って多少強引にジャンヌの腕を引っ張って背中を向けさせた。ヌラヌラと光る傷口は広範囲に渡っていたが、彼の言う通り、傷自体はそれほど深くないようだった。しかし、わけのわからないものに傷を負わされたのだから油断は禁物だろう。鳳は切り裂かれてボロボロになった服をちぎると、煮沸消毒してある水筒の水で傷を洗い、薬を塗った。
「あいたたたた……染みる! 染みるわっ……魔族の攻撃より痛いわね」
数日前摘んでおいたドクダミとヨモギが役に立った。ドクダミには殺菌効果、ヨモギには傷を癒やす効果がある。あの時はなんとなく摘んでみせただけだったが、こんなに緊急に必要になるとは思わなかった。なんでもストックしておくものだ。
「それにしても、おまえがやられるなんてな。あの時、油断してたみたいだけど、何か気になるもんでもあったのか?」
鳳は薬を塗った後、傷口に布きれを当てて包帯でぐるぐる巻きにすると、涙目になっている彼にそう尋ねてみた。
「……れたのよ……」
「え? なんだって? 聞こえねえよ」
すると、ジャンヌは殆ど聞き取れない、絞り出すような声でボソボソと何かを呟いた。
傷が染みるんだと、大げさにアピールしているつもりだろうか? 戦闘中は悪魔も逃げ出すような強さのくせに、普段はいちいち乙女……というかおばさん臭いな、このおじさんは……などと気楽なことを考えていたのだが、次の瞬間、そんなおじさんの口から発せられた言葉に、鳳は唖然と固まってしまった。
「……助けて、お腹の中に赤ちゃんがいるって言われたのよ」
「え……?」
ジャンヌはその辺の地面に転がっている、魔族の死体を指差しながら、
「せめて子供だけでも助けてって言われたら、頭の中が真っ白になっちゃったのよ。その隙を突かれたの……人の言葉を喋るって聞いていたけど……まさか、こんなこと言うなんて思わなくって」
そう言われた鳳は、ハッとして彼の指差す先を見た。魔族なんて見たことが無かったから、そういう体型なんだとしか思っていなかった。だが、言われてみると、ここに転がる死体はどれもこれも、下腹部がボッコリと膨らんでいるように見える。
まさかと思い、目を凝らした時、たまたま通りがかった獣人の一人が、手にした槍で死体の腹を思い切り突き刺した。
突き刺した槍でお腹の中をグリグリとかき回したあと、切り裂かれた腹から引き抜かれたその穂先には、なにか妙な物体が突き刺さっている。
獣人はそれを確認すると、汚いものでも見るような目つきで顔を背けてから、槍を振り下ろすようにしてその切っ先に刺さった物を飛ばした。
点々と転がるその物体が、鳳の足元ではたと止まった。
嫌な予感を覚えつつ、それでも目を背けられなくて……目を凝らしてよく見れば、それはヒレの代わりに小さな手足のついた、魚の形をしたなにかだった。
その、真っ黒い穴のような魚眼に見つめられた時、鳳の背筋に痺れるような怖気が走っていった。一歩二歩と、本人の意思に反し、勝手に足が後退する。そこに転がっていたのは、紛れもなく魔族の子供……魚の形をした胎児に他ならなかった。