ラストスタリオン   作:水月一人

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あなたも大概おかしな人ですね

 真っ暗闇を歩いていた。視界は限りなくゼロに近く、自分がどこを向いているのかさえ分からない。東西南北、前後左右……もしかすると、上や下を見ているのかも知れない。

 

 自分が歩いている場所は何なのか、道なのか、広場なのか、運動場のような開けた場所なのか、登っているのか降っているのか、それすらよく分からない。意識して、重力の方向を確かめないと、いつの間にか宙に浮いててもおかしくないような、それくらい何もない空間だった。

 

 と、その時、彼の視界の中央付近に、白い点のようなものが見えた。目を凝らして見て見れば、それは一筋の光のように見える。もっと近づいて確かめようと、重い足を引きずりながら歩いていくと、やがてそれがトンネルの出口から差し込む光であることに気がついた。なんてことない。ここはトンネルの中だったのだ。

 

 目的地があれば足取りも軽く、彼は意気揚々とその光に向かって歩き始めた。しかし、行けども行けども、トンネルの出口にはたどり着けない。まるで彼が歩くのと同じ速さで、出口が遠ざかっているかのようだ。次第に焦り始めた彼は早足になる。やがてトンネルの出口がほんの少し大きくなってきたとき、彼はそこにまた別のものを見つけた。

 

 トンネルの出口に、エミリアが横たわっていた。彼女の顔は歪んでとても苦しんでいるように見えた。呼びかけても返事がないのは、彼女の意識がないからだろう。彼女は地面に力なく倒れており、つぶったままの目は光を通さなかった。

 

 彼は驚いて走り始めた。彼女は苦しんでいる。一刻も早く、彼女を抱き起こしてあげたい。そんな気持ちで一杯で、一心不乱に走り始めた。その時、彼は足元のなにかに躓き、たたらを踏んだ挙げ句に、地面に転がってしまった。倒れた拍子に擦りむいてしまったのだろうか、ズキズキと痛む膝小僧を覗き込もうとしたとき、どこからともなく声が聞こえた。

 

『何故、仕留めそこなった』

 

 ドキリとして周囲を見渡す。不吉な声は、なおも言った。

 

『どうして、殺さなかったんだ』

 

 視界は相変わらずの真っ暗闇で、その声がどこから聞こえてくるのかはわからない。音が反響してあちこちから聞こえてくるせいで、声の主が近くにいるのか遠くにいるのか、距離感もつかめない。ただ、ここにいては行けないと思った彼は、慌てて立ち上がると、またトンネルの出口に向かって歩き始めた。

 

 そうだ、エミリアを助けなきゃ……トンネルの出口では、まだエミリアが横たわっている。時折、何かを訴えかけるように、その顔が苦痛に歪んで見える。彼は早く助けてあげなければと足を早めた。しかし、いくら歩き続けても、いつまで経っても、彼が出口にたどり着くことはなかった。

 

 そんな真っ暗闇の中を、一体どれくらい歩き続けているのだろうか。空腹と喉の乾きに目が霞み、もはや時間の感覚はない。だいぶ前に痛めた膝はガクガクと震え、一歩歩くたびに激痛が走る。そんな酷い有様だと言うのに、他にやれることは何もないから、彼はただひたすらに歩き続けていた。

 

 目の前に、エミリアが倒れているのだ。あそこまで行けば、彼女を救えるのだ。だから行くのが当然なのだ。それに、立ち止まればまたあの声が聞こえてくるはずだから。『何故、仕留めそこなった』『どうして、殺さなかったんだ』。そんな言葉が、彼を責めさいなむ刃となって襲ってくるのだ。

 

 頭の中に直接響いてくる、それは誰の声だろう。そうだ、これは父の声だ。懐かしい父の声……思い出したくもない、あの最低な父親の……

 

 それを思い出した時、彼は寒くもないのにブルブルと体が震えてきた。それは怒りと怯えが綯い交ぜとなった、言いようの知れぬ不快感が原因だった。頭の中で、何匹ものゴキブリが這いずり回っているようだ。時折、鼓膜を引っ掻いて、ザーザーと音が鳴る。あまりの痛みと嫌悪感で、彼は悲しくもないのに涙が出てきた。

 

 だから歩こう。歩き続ければその痛みは和らぐから、だから彼は歩き続けた。歩き続ければ、過去は遠ざかっていくのだから。どうせ、人間は歩き続けねばならないのだから。

 

 しかし、どんなに歩き続けても、彼はエミリアの下へはたどり着けなかった。トンネルの出口は、ずっと前から同じ場所にある。彼女はずっとそこに倒れている。目の前にいるというのに、手を伸ばせば届きそうなのに、しかしいくら歩いても、彼は彼女に少しも近づけないのだ。

 

 それからどれくらいの時間が流れただろうか。それでも、彼は歩くことをやめなかった。俯きながら、ただ自分の足元だけを見て歩き続けた。

 

 目を上げれば、エミリアはそこにいる。でもどんなに歩き続けても、そこにはたどり着けない。しかし、諦めて足を止めれば、またあの声が聞こえてくる。彼を責めさいなむ刃となって、彼の胸をザクザクとえぐり刻むのだ。

 

 彼はわからなくなってきた。

 

 どうせもう、どんなに歩いても彼女のところへたどり着けないことはわかっているのに、それでも歩き続けているのは何故なんだろうか。

 

 それは立ち止まれば、あの声に責められるからじゃないのか。

 

『何故、仕留めそこなった』

 

 エミリアを助けたいと言いながら、本当は彼女に縋ろうとして歩き続けているんじゃないのか。

 

『どうして、殺さなかったんだ』

 

 どうして人は、歩き続けなければならないのか……

 

 彼はもう楽になりたかった。道半ばに倒れたとしても、それで楽になれるのなら、それでもういいんじゃないか。

 

 どうせエミリアを救えないのなら……どうせエミリアが救ってくれないのなら……ここで倒れても同じじゃないか。

 

 だからもう、楽になれと誰かに言って欲しかった。もう歩き続ける必要はないんだと、もう何もしなくていいんだと、言ってほしかった。

 

 だからきっと願いが叶ったのだ。彼が精も根も尽き果てて倒れた時、それは父親の声をしていた……

 

『お前には失望した。もう、何もしなくていい』

 

*********************************

 

「うわああああああああああぁぁぁーーーーーっっ!!!!」

 

 布団を蹴り上げ、鳳は飛び上がった。バタバタと振った手首がベッドの足にあたって、物凄い音が鳴った。手首に激痛が走り、起きたばかりだというのに、また意識が飛びそうになった。額から流れる汗が目に染みる。汗でびっしょりの背中がスースーとして、凍えるような寒気を感じた。

 

「ちょ、ちょっと、大丈夫?」

 

 はあはあと息を荒げて、呆然と自分の手のひらを見つめていると、耳元で人の声がした。ドキリとして横を見ると、そこにエミリアの顔があって、鳳は心臓が口から飛び出るんじゃないかと思うくらい驚いた。

 

「エミリア! 良かった……良かった! 無事だったんだな」

 

 感極まった彼が思わず彼女に抱きつくと、いきなりガバっと抱きつかれた彼女は目を丸くしながら体をくねらせて、

 

「わ! わ! ツクモ!? 何? 寝ぼけてるの? しっかりしてよ」

 

 彼女は鳳を突き飛ばすようにして離れると、顔を真っ赤にして距離を取った。非難がましい視線が突き刺さる。自分の好きな女の子にそんな目を向けられて傷つかない男はいないだろう。

 

「ご、ごめん、つい……夢見が悪くって」

 

 感極まって抱きついてしまったが、確かに自分らしからぬ行為だったと反省しつつ、鳳は面目ないと頭を下げた。そしてその夢の内容をかいつまんで説明しようと口を開きかけたとき、ようやくその違和感に気がついた。

 

 今、自分が抱きついてしまった相手……目の前にいる少女はメアリーだ。エミリアではない。ここは異世界で、彼女はよくわからないけど、神になってしまったのだ。

 

「……何をやってるんだ、俺は?」

 

 呆然としながら、鳳はそんなことを口走ると、

 

「それはこっちのセリフじゃないの」

 

 不服そうにメアリーが口を尖らせていた。その通り。まったくもって言い返せない。大体、何をやっている……ではなく、何をやっていた? が正しいであろう。鳳は額に手を当てて天井を見上げた。

 

 ここは一体どこだろうか? 周囲を見回せば、彼は見知らぬ壁と天井に囲まれていた。飾ってある調度品にも全く見覚えがない、質素な部屋の壁際にベッドが置かれていて、彼はその上に寝かされていたようだ。妙に体が軽く、フラフラするのは空腹だからだろうか? 目眩がして手をつくと、ベッド脇に置かれていたサイドテーブルに、水の入った洗面器と血のついた包帯がいくつも転がっているのが見えた。

 

 鳳はそれを見て、ここに来る前に何をやっていたかを思い出した。

 

「そうだ、ハチ! あいつにやられて、大怪我したんじゃないっけ?」

 

 ハッとして鳳は自分の腕を布団の中から引き出してみた。しかし、それをいくら矯めつ眇めつ眺めてみても、彼の両腕には大した傷も見当たらない。おかしいと思って、顔をペタペタ触ってみるも、やはりどこにも傷を負っている感じはなかった。

 

 もしかして、あの傷が治ってしまうくらい、長い間寝こけてしまっていたのだろうか。それって一体何日くらいだ? いくらなんでもあり得ないだろう。その間、飯はどうしたというのだ。

 

 そんな具合に鳳がパニクっていると、部屋のドアがバタンと音を立てて開き、外から冒険者ギルドの受付嬢、ミーティアが入ってきた。

 

「今、誰か大声で叫んでたように聞こえたのですが……あ! 鳳さん、目が覚めたんですか?」

 

 彼女は部屋に入ってきて鳳の顔を確認するなり、ホッとため息を吐いて脱力するようにその場にしゃがみこんだ。床に寝そべっていたらきっと見えるものが見えただろうに、ベッドの上からじゃ確認出来ない……そんな不埒なことを考えていると、自分の格好に気づいたミーティアが、スカートの裾を押さえながら立ち上がり、

 

「どこか痛いところありませんか? 体の不調は? おかしなことがあったら言ってください。あ、水! のどが渇いたでしょう、水を持ってきますよ。他に欲しい物があれば持ってきますけど、ありますか?」

 

 ミーティアはいつになく優しく、パンツを覗こうとしていたのが申し訳ないくらいだった。さっきから異様な空腹を覚えているが、それ以外にこれと言った不調は思いつかない。鳳は少々戸惑ったが、まずは状況の確認が先決だと思い、

 

「水と食べ物が欲しいけど……その前に、ここはどこなの? ミーティアさんがいるってことは、ギルドの駐在所なのかな? 俺はどうしてこんなとこで寝てるんだ?」

「覚えてないんですか? あなた、血だらけで運び込まれたんですよ」

 

 やっぱりそうか……鳳はその言葉を聞いて、ハチに襲われたのは夢じゃなかったと確認した。

 

「あれからどのくらい経っちゃったの? なんか傷が殆ど治っちゃってて、夢でも見てたんじゃないかと思ってたんだけど……」

「それも覚えていないんですか。あなたが運び込まれてから、まだ半日も経っちゃいませんよ」

「半日だって……!?」

 

 鳳は耳を疑った。記憶の中で、彼は結構ざっくりやられていたはずだ。仮にそれが間違いで、引っかき傷程度のものだったとしても、あれだけ血を流しておいて、半日程度で傷口が塞がるとは思えない。

 

 鳳が目をパチクリさせていると、

 

「私達も驚いているんですよ。あなたがここに運び込まれた時は、全身血だらけで意識がなく、生死の境を彷徨っている状態でした。すぐに私達で傷の手当を始めたんですが……驚いたことに、手当しているそばから次々とあなたの傷が塞がっていくんです。まるで神人みたいに……いえ、神人と比べればやはり遅いのですが、それでも普通の人とは比較にならないくらい、異常なほど傷の治りが早かったんです」

「そ、そうなの?」

「大君もどんなカラクリと驚いておりました。一体、あなたの体はどういう作りをしてるんです?」

「いや、そんなこと言われても、俺にもさっぱり……」

 

 彼の思いつく限り、傷の治りが早くなるような理由はなかった。思い当たる節があるとすれば、そういえば、元の世界からやってきた仲間のリロイ・ジェンキンスはステータス的には神人だったせいか、傷の治りが早かった。もしかして、鳳にもそういう隠しステータス的な何かがあったのだろうか?

 

 そうやって昔の仲間のことを考えていた時、彼はかつてカズヤの一撃で、練兵場で死にかけたことがあったのことを思い出した。あの時の自分は腕が引きちぎれ、完全に死んだと思っていた……ところが、次に目が覚めたら例の空間にいて、体は傷一つ負っていなかったのだ。

 

 だからあの時も、今みたいに夢だったんじゃないかと思っていたのだが……BloodTypeCのことといい、もしかしたら鳳のステータスにはまだ何か隠されているのかも知れない。

 

 彼はふと思い立ち、ステータスとつぶやいてみた。

 

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鳳白

STR 10↑       DEX 10↑

AGI 10↑       VIT 10↑

INT 10↑       CHA 10↑

 

BONUS 1

 

LEVEL 4     EXP/NEXT 45/400

HP/MP 100↑/50↑  AC 10  PL 0  PIE 5  SAN 10

JOB ALCHEMIST

 

PER/ALI GOOD/DARK   BT C

 

PARTY - EXP 0

鳳白

†ジャンヌ☆ダルク†

Mary Sue

William Henry Bonney

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「おっ……やっぱり」

 

 本当になんとなく思い立ったのだが、案の定というか、彼のレベルは上がっていた。以前、城で死にかけた時も、目が覚めたらレベルが上っていたから、もしかしてと思ったのだが……

 

 今回はあの時と違ってパーティー経験値は入っていないようである。それは最近、鳳一人だけが離れて暮らしていて、パーティーで行動していなかったからだろうか。レベルが上った理由も、あの時みたいに死にかけたのが原因だとするなら、正直ぞっとしない話である。

 

 出来ればレオナルドと話をしたいと思い、あの老人がどこにいるのか尋ねてみると、

 

「今はここに居ないんですよ」

「ありゃ、出掛けちゃってるのか。いつごろ戻ってくるの?」

 

 そんな鳳の言葉にミーティアはバツが悪そうに表情を曇らせながら、

 

「それが……実は、傷だらけのあなたがここに運び込まれた後、ジャンヌさんが怒って集落の方に殴り込みに行っちゃったんですよ」

「殴り込み……? 殴り込みだって??」

 

 それはまた、ジャンヌらしくない。鳳は冗談だろうと目をパチクリさせたが、どうやら本当のことらしい。

 

「ジャンヌさんは、鳳さんを半殺しにした犯人を出せと言って獣王に迫ったのですが、子供同士の喧嘩だからと断られてしまったんです。それで興奮するジャンヌさんと村の人達が喧嘩になりそうだったものですから、慌ててギルド長が仲裁に行って……それでも収まらないから、今は大君とギヨームさんも助っ人に行ってるんですよ」

「そりゃ穏やかじゃないなあ」

「だから、ジャンヌさんの気が済むまで、ここには誰も帰ってこないんじゃないかと」

 

 鳳はため息を吐いた。自分のことで怒ってくれることは嬉しいが、ギルドの仲間も巻き込んで、下手に村を刺激しないほうがいいだろう。きっと今頃、ギルド長も困っていることだろうし、ヘルメス領での汚名を雪ぐためにも、ここは一つ、行って止めたほうがいい。

 

 鳳がベッドから立ち上がろうとすると、ミーティアが慌てて駆け寄ってきて、

 

「ちょっと、ちょっと。何やってるんですか? 立ち上がって平気なんですか?」

「問題ない。少し血が足りなくて、体がスースーするけども」

「……あなたも大概おかしな人ですね……初めて会ったときは、ジャンヌさんのおまけにしか思っていませんでしたが」

「一言余計だっつーの」

 

 ミーティアはそう言って肩を貸してくれた。正直、必要なかったのだが、厚意を無碍に断るのもどうかと思い、そのまま甘えることにした。

 

「それより、ジャンヌを止めに行こう。見ての通り俺はもうピンピンしてるんだから、姿を見せりゃ落ち着くだろうよ」

「だと良いんですが……」

 

 二人は会話しながら部屋を出ると、ガルガンチュアの集落へと急いだ。

 


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