ラストスタリオン   作:水月一人

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番犬

 真っ暗な森の中を、鳳は迷いもなくずんずんと進んでいた。

 

 高さ50メートルは下らない巨木の森は、はるか上空で鬱蒼と茂る葉に遮られて光を殆ど通さなかった。光合成が出来ないせいで下草は殆ど生えず、地面はシダ類とコケ類に覆われている。お陰で非常に歩きやすくはあったが、草が生えないと言うことは土壌がゆるいということだから、ところどころに水たまりのような泥濘が発生しており、森の暗さも相俟って、時折足を取られることもあった。

 

 土壌の弱さや雨季の影響からか、中には長い年月の末に根っこがマングローブみたいに露出している木々もあり、そんな巨木の一本がある日突然耐えきれなくなって倒壊し、行く手を遮るように横たわってる場面にしばしば遭遇した。外周10数メートルはあろうかという巨木が倒れている姿は圧巻であったが、それより驚くのは、その巨木が倒れたことによって出来た陽だまりに、競うように密集して生える雑草たちだ。

 

 一体、これだけの種子がどこに埋まっていたのだろうかと呆れるくらい競り合うように伸びた雑草は、倒れた巨木の上にまで根を張っている。その花の蜜を吸うために昆虫が集まり、鳥がさえずる。雑草の密集地だけが周囲に比べて一段高い位置にあるのは、これらの根っこのお陰で土壌が流されないからだろう。それはまるで動物の死に群がる微生物のようで、植物も動物も変わらない、生命の神秘というものを感じさせた。

 

 しかし、こうしてシダ類コケ類を駆逐し、倒れた巨木までをも栄養として力強く生える雑草たちも、やがて時が過ぎて上空の穴が塞がったら、またいずこともなく消え去ってしまうのだ。まるで沸騰する水の気泡のように、現れては消え、消えては現れる。生命はその閉じた円環の中で、何もないところから生まれ、また何もないところへ還っていくのだ。

 

 そんな自然の摂理をぼんやりと考えつつ、時折見つかるキノコや薬草を摘みながら森の中をずんずんと進んでいると、背後からガルガンチュアが声をかけてきた。

 

「少年……おまえは狩りに慣れているのか?」

「え? いや、全然」

 

 すっかり彼の存在を忘れていた鳳は、突然の声に慌てて首を振った。ついアルカロイドの匂いに釣られて忘れてしまっていたが、今はハチとの狩り勝負の真っ最中で、ガルガンチュアが同行しているんだった。獣王は迷いなく進む鳳の姿を見て勘違いしたようだ。

 

 鳳が否定すると獣王は首を傾げて、

 

「その割には歩き慣れているように見える」

「それは、山菜摘みに慣れてるからですよ」

「そうか。だが、動物を狩るのは草木を取るのとは違う。気をつけないと、逃げられてしまうぞ」

 

 相変わらず必要最小限しか喋らない男であるが……要は、もっと慎重に行動しないと、獲物が逃げてしまうと窘めているのだろう。鳳があんまりにも無警戒にあちこち歩き回るから、それじゃ駄目だと助言をしてくれてるのだ。

 

 鳳はそれに感謝しつつも、

 

「いや、いいんです。今はまだポイントまで移動しているだけで、獲物を探しているわけじゃないんですよ」

「なに?」

「この勝負、出来るだけ大きな獲物を獲ってこないといけないわけでしょ?」

「そうだが……どうするつもりだ?」

 

 鳳は少し迷ってから、どうせいつかは説明しなきゃならないのだからと思い直し、カラクリを披露することにした。鳳は獲物を探す手間を省き、ギルドの依頼を利用しようとしているのだ。ガルガンチュアは少々戸惑いながら、

 

「それは、ズルではないのか?」

「獲物を見つけるところから競い合う勝負ならそうですが、そう言うルールではなかったでしょう? それに、獲物の種類も問わないって言うなら、出来るだけ大物がいる場所を事前に調べてから向かうのは普通のことじゃないですか」

「……そうかも知れない」

「もし、それでもズルだと言うなら、今すぐ戻ってハチにも同じ方法を取るように助言してもいいですよ」

「むぅ……」

 

 ガルガンチュアは言葉を失った。確かにそれなら公平だが、実際にそうしたら、ハチは鳳への対抗心から、間違いなく依頼を受けて無謀な狩猟を行おうとするだろう。しかし、今のハチではそんな獲物を狩ることなど出来るはずもなく、失敗するだけならともかく、最悪の場合、死んでしまう可能性だってある。それはいくらなんでも寝覚めが悪い。

 

「だからここに来るまで、狩りの仕方は言いませんでした。しかし、獣王。これが人間の狩りなんですよ」

「……分かった。おまえのやり方を認めよう」

 

 ガルガンチュアは鳳の方法を認めざるを得なかった。しかし、それならそれでまた別の疑問が浮かぶ……

 

「しかし、少年。おまえなら、そんな獲物が狩れるというのか?」

 

 その質問に答えずに先を進む鳳は、相変わらず道草ばっかり食っている。狩猟経験が無い、つい最近まで街で暮らしていた彼はいかにも貧弱で、いくら森を歩き慣れていると言っても、とても猛獣を狩れるようには思えなかった。

 

 自身も冒険者であるガルガンチュアは、ギルドの討伐依頼の凶悪さをよく知っている。そもそも、森での依頼は獣人でさえ危険に思うから回ってくるのだ。ベテラン冒険者である彼でも苦戦するような相手を、初心者である鳳が倒せるわけがないだろう。

 

 仕方ない……ガルガンチュアはため息を吐いた。もしも失敗した場合、自分が代わりとなって依頼の獣を倒すしかないだろう。彼はそう決心し、のんきに鼻歌なんかを歌いながら先を歩く鳳の後を黙ってついていった。

 

***************************

 

 そんなこんなで鳳たちは、彼らの村から川を挟んだ隣村までやってきた。そこは獣人の足なら、小一時間しかかからない距離にあったが、ただでさえ足がのろい鳳が、道草ばっかり食っていたせいで、到着したときには日は大分傾いてしまっていた。

 

 早朝に出発したというのに、初日からこんなのんきで大丈夫なんだろうか……

 

 獣王が不安に思っていると、依頼した村の族長が出迎えにやってきて、そこにいる彼の姿を見つけて目を丸くした。

 

「むむむ! ガルガンチュアだと? 何故、貴様がここにいる」

 

 この村はガルガンチュアの集落と隣同士だけあって、普段から交流がある。だが、交流があるからと言って仲が良いわけではない。すぐ隣にあるということは、縄張りが被ることもあるということだ。おまけに同じ狼人で対抗心が強い。

 

 そのため、この村からギルドに依頼があったとしても、普段ならガルガンチュアが応じることはない。その逆もまた然りなのだが……今日は何故かライバルであるはずの彼が居るのだ。隣村の長が不審がるのは当然だろう。

 

 獣王は少し面倒くさそうにそっぽを向いて言った。

 

「俺は依頼を受けない。受けたのはこの少年だ」

「少年……だと……?」

 

 隣村の長はそう言われてはじめて獣王の隣に鳳がいることに気がついた。長年のライバルにばかり目が行っていて、そこにひ弱な人間がいても目に入らなかったのだ。しかし、依頼を受けたのはその人間だと言う。彼はなにかの間違いじゃないかと思いつつ、

 

「人間よ。おまえが依頼を受けたというのは本当か?」

「はい。それで早速、ご依頼の魔獣がどこにいるのか教えてほしいんですけど」

 

 族長は眉を顰めて、

 

「う、うーん……おまえは全然冒険者に見えないが、ガルガンチュアも居るなら大丈夫か」

 

 隣村同士、対抗意識はあるが、なんやかんや獣王の実力は買っているのだろう。隣村の長は鳳だけでは不安だが、最悪の場合、ガルガンチュアが倒してくれるだろうと思って依頼内容を話すことにした。

 

「なに……グリズリーだと!?」

 

 討伐対象はグリズリー……の愛称で知られている、この世界固有のクマらしい。正式名称はハイイロドウクツクマ。大陸中央部にそびえる高山に住んでいる巨大クマで、体長は大きい個体で3メートルを超えるらしい。雑食で昼行性、現在は冬眠から目覚めたばかりで、かなり食欲が旺盛な時期と考えられる。

 

 生息域が高山であるから、普通ならばこんな低地の森の中に現れるわけはないのだが、なんらかの事情で食料が足りない場合は、山から降りてきて里を荒らすこともあるらしい……だが、それでもこんな北部にまでやってくるのは相当珍しいことだそうである。

 

 隣村では、縄張りにクマが住み着いてしまってその対処に困っているようだ。村人にこれほどの巨大クマと戦えるほどの力を持つ者はおらず、大勢で戦えば勝てるだろうが無傷とはいかず、非常にリスクが高い。かといって、狩場をクマに奪われたままでは、いずれ食料が不足して犠牲者は出るだろう。

 

 そこで彼らはギルドに依頼し、遠方から凄腕の助っ人を頼もうと思ったのだが……思いもよらず隣村の高ランク冒険者が来てしまって、隣村の長は面食らっているようだ。

 

「村の恥を晒すのは悔しいが、おまえなら大丈夫だろう。さっさと倒して、さっさと帰ってくれ」

 

 なんやかんやライバルを信頼しているらしい隣村の長が、ツンデレみたいに、ふいっと横を向きながら、そんなセリフを口走った。ガルガンチュアも不機嫌そうな顔を隠そうともせずに、

 

「元より、そのつもりだ」

 

 と返した。しかし、慌てて鳳がツッコミを入れる。

 

「ちょっとちょっと、勝手に二人で話を進めないでくださいよ。依頼を受けたのは俺でしょう? ガルガンチュアさんは、絶対に手を出さないでくださいよ」

「しかし少年。被害が出てるから、早く駆除しなければ」

「だからそれを俺がやるって言ってるんじゃないですか。ガルガンチュアさん。これは俺の獲物です。ハチとの勝負に勝つために、俺はこいつを一人で倒さなきゃならない。あなたが手を出してしまったら不正になってしまうでしょう?」

「う、むぅ……しかし」

「しかしもかかしもないですよ。けどまあ、心配なのはわかります……だからもし、俺が殺られそうになったら手を出してもいいですけど、それまでは我慢してください」

「……おまえがそこまで言うのなら。だが、本当に平気なのか?」

「大丈夫ですってば。まずそんなことにはならないと思いますね」

 

 鳳が自信満々にそう言うと、隣村の長は少し興味を持ったらしく、

 

「おまえは自信がありそうだ。何か秘策でもあるのか?」

 

 鳳は頷いて、

 

「秘策ってほどじゃないですけど、俺にはこのライフルがある……それに、番犬もいますからね」

「番犬?」

 

 ガルガンチュアが、そんなものどこに居る? と言いたげに首を捻っていた。鳳は内心で、おまえのことだよ……と思っていたが、もちろん口に出すことはしなかった。

 


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