ラストスタリオン   作:水月一人

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決着

 鳳たちがクマを仕留めた頃から、遡ること1日前。決闘相手のハチは獲物を捕らえるために、当て所もなく森の中を駆けずり回っていた。

 

 ハチは獲物が取れなくて焦っていた。よそ者をやっつけたせいで、思いがけず狩猟勝負なんてことになってしまったが、まだ大人と子供の中間であるハチは一人で狩猟した経験がなく、どうしていいか勝手がつかめなかったのだ。

 

 それでも自分の身体能力に自信があった彼は、鹿や兎だったら簡単に捕まえられるだろうと、考えなしに動物を追いかけては逃げられ続け、また、村から遠出するという経験も無かったため、準備不足で夕方には力尽きガス欠になってしまった。

 

 日没前、ハチは木陰に敷布を敷いて、ぐったり横たわっていた。まだ日が暮れてないのに、もうこんなに疲弊しきってしまっているのは何故だろうか……体が火照って動きたくても動けない。こころなしか頭もガンガンしてきたような……

 

 夜目が利くからまだ狩りは出来るが、いかんせん、体が動かなければどうしようもない。体を休めているはずなのに、一向に回復しないことに焦っていると、そんな彼の元へ、監視役のマニが戻ってきた。

 

「ハチくん。大丈夫かい? これ、食べる元気があるだろうか……」

 

 そんなマニの手元を見れば、捕まえたばかりの兎が必死に逃げようと暴れていた。兎人が兎を捕まえてくるとはなんとも滑稽な話であるが、そんなことを考えている余裕もないハチは、ただ目の前の美味そうな肉を見るや、引ったくるようにマニから奪ってその首にかじりつき、ごくごくとその生き血を飲み始めた。

 

 まだ温かい血液が喉を潤すと、ハチはみるみる力が湧いてきた。脱水症状が緩和された彼は食欲も湧いてきて、そのままウサギの皮を剥ぎ、獣のように貪り食った。ようやく落ち着いてきたハチは、口の周りを血でドロドロにしながら、

 

「これ、どうした?」

 

 村から食料を取ってきたのかと思ったが、マニが持ってきた兎はまだ生きていた。となると、その辺で捕まえたことになるが、一日中、ハチが必死になって追いかけても捕まらなかった獲物を、マニごときが捕まえられるとは彼には思えなかった。だからどうした? という意味で尋ねたのだが、

 

「ああ、ハチくんの様子からして、もしかして熱中症かもって思ったんだ。こういう時、水分と塩分を取らないといけないんだって。それを覚えてたから……」

「違う!」

 

 ハチはマニの声を遮った。何を言ってるかわからないが、聞きたいのはそんなことじゃない。彼はイライラしながら、

 

「これ、どうやって捕まえたんだ?」

「え? あ、ああ……それなら、罠で捕まえたんだよ」

「罠……?」

 

 ハチは思い出した。マニは時折、自分で撚った紐を使って、近場の獲物を罠にかけていた。大人たちはそんなマニのやり方を卑怯だと言ってあざ笑っていたが、それでかかる獲物の味が落ちるわけでもないので、ハチはよくマニが獲ってきた兎を、大人たちに隠れてこっそり食べたりしていた。

 

 そんな時、マニは自分が取ってきた獲物を半分取られているというのに、嬉しそうにしているのは何故だろうと思っていたのだが……今はそんなことはどうでもいい。

 

「おい、マニ。やり方を教えろ。それなら俺にも出来る気がする」

「え? ハチくんも罠猟をやってみたいの? もちろんいいよ」

 

 マニは喜んでハチに作り方を教えてやることにした。ハチの言う通り、村の大人たちは罠を使うことを馬鹿にしており、罠猟をする者は皆無だったのだ。

 

 実を言えば、マニは本当に小さい頃から、それこそ人間だったら自分で立って歩けるようになった頃から、罠を使って獲物を取っていた。たまたまギルドに来ていた冒険者に教えてもらって、きっと村人達に褒めてもらえると思って、彼は罠猟の仕方を覚えた。

 

 ところが結果は、子供のくせに生意気だとか、罠を使うのは卑怯だとか、男なら素手で捕まえないとな……などと言って、大人たちはまったく彼のことを評価してくれなかったのだ。彼はそれで非常に悔しい思いをしていたのだが……

 

 もしも友達であるハチが一緒に罠猟をしてくれたら、大人たちの見方も変わるかも知れない。それにこの方法なら、まだ獲物が上手に取れない小さな子どもたちも、大人たちに混じって狩猟を行えるかも知れないのだ。そうしたら村への貢献にもなる。

 

 マニは、勢い込んでハチに罠の作り方を教え始めた。ところが……

 

 日も暮れて、夜の森を歩くのは危険だった。罠を作るには丁度いい時間帯だった。だからマニは、最初はツタの繊維を使ってより糸を作るところから教えてあげようと思ったのだが……ところが、繊維の取り出し方や糸を撚る方法を何度教えても、ハチは一向にそれを理解してくれないのだ。

 

 2本の繊維糸を重ねて、くるくるして撚り合わせるだけだよと言っても、最初のうちは言われた通りにやるのだが、暫くするとまるで飽きたかのようにそれをポイと捨てて、他のことをやり始めてしまう。その点を指摘して、とにかく最後まで頑張ろうと言って、何度も同じことをやらせてみたのだが、結局ハチは一度として、最後まで糸を撚り合わせようとはしてくれなかった。

 

 挙句の果てに、マニがあまりにもしつこく言うものだから、ハチは癇癪を起こして暴れだし、結局、より糸作りは断念せざるを得なくなってしまった。しかしまあ、予め作っておいた紐を使って罠を作っても、それはそれでいいだろう。ハチはきっと、面倒くさい作業をしたくないのだ。罠を設置するだけなら出来るはず……マニは気を取り直して、続きを教えることにした。

 

 しかし、そう思って今度は罠の設置方法を教えても、ハチはどうしてもそのやり方を理解してくれなかった。罠は紐の先に輪っかを作り、餌を取ろうとした獲物がそこに足を入れると、木のしなりを利用して足を引っ張りあげるというものだった。初心者にも作れる、簡単なくくり罠だ。

 

 ところがマニがいくら懇切丁寧に教えても、ハチは罠を設置するどころか、そもそも紐の結び方からして覚えることが出来ないのだ。どうしてこんなに物覚えが悪いんだろう……半ば呆れながら何度も説明したのだが、結局、ハチがそれを理解することはついに無かった。

 

「痛いっ! 痛いっ! やめてよっ!!」

「うるさいっ!! おまえはおかしいことばっか言う!」

 

 そんなことを続けていると、最終的にハチはまた癇癪を起こして、マニのことを殴り始めた。鳳が死にかけたことから分かる通り、この男が怒り出すと手がつけられない。マニはどうして自分が殴られなきゃならないんだろうと理不尽に思いつつ、ハチの攻撃を必死に受け流し続けた。

 

「もういい! 罠なんて卑怯者がやることだっ!」

「え!? でも、獲物を捕らえないと、勝負に負けちゃうよ……?」

「ううぅぅー……うるさいっ! だったらお前がやれ! そうだ! マニが罠を仕掛ければいいっ! そして俺が獲物を捕まえればいいっ!」

「ええ!? でも、それってズルなんじゃ……」

「うるさいうるさいうるさいっ!!」

 

 癇癪を起こしたハチには、もう何を言っても無駄のようだった。マニが仕掛けた罠に嵌った獲物を、ハチが取るのは不正なんじゃなかろうか……彼はそう思ったが、とはいえ、このままでは自分の身が危ない。

 

 どうせ、自分の罠にかかるのは兎くらいのものなんだし、それなら明日一日必死に探せば、ハチにも普通に捕まえられるはずなのだ。そう、ハチに捕まえられる獲物がかかる分には、罪悪感も少ない。彼はそう自分に言い聞かせて、ハチに言われるままに、森のあちこちに罠を仕掛けていった。

 

 ……しかし、得てしてこういうときこそ予想外の事態と言うものは起きるのである。

 

 翌朝。子供だけの不安な夜を過ごした二人は、かなり日が昇ってから、ようやく起き出してきた。火の起こし方も知らなかった二人は、夜中に蠢く獣の気配で何度も目を覚ましてしまい、ろくに眠れなかったのだ。

 

 だが、中途半端に覚醒した寝ぼけ眼で、昨日仕掛けた罠を見に来た二人は、そこに掛かっていた獲物を見て、一気に目が覚めた。

 

 なんとそこには、体長1メートルはある、大きな鹿がかかっていたのだ。恐らく罠にかかった鹿の子供だったのだろう、その周りには小さな鹿もいて、ハチとマニの姿を見るや、ピューッと遠くへ逃げていった。

 

 捕らわれた鹿も同じように走りかけたが、すぐに足に食い込んだ紐に引っ張られて地面に転がった。バタバタと前後の足を動かしながら、横倒しになった鹿が地面をぐるぐる回っている。

 

「やった! やった!」

 

 ハチはその哀れな姿を見るなり、手を叩いて喜びの雄叫びを上げた。彼は勢いよく獲物に飛びかかると、その鋭い爪と牙で、あっという間に鹿を殺してしまった。

 

 何もこんな時に、こんな大物が掛からなくてもいいのに……

 

 罪悪感に駆られるマニを尻目に、ハチはぐったりとした鹿の首を片手で持ち上げ、まるですべてが自分の手柄であるかのように、その死体をマニに見せつけた。

 

「どうだ! 俺が仕留めたんだぞ?」

「で、でも、ハチくん……罠を仕掛けたのは僕だよ? これは不正なんじゃ……」

「黙れっ!」

 

 不正と言われたハチがギラギラとした怒りの目でマニを睨みつける。

 

「これは俺が殺した! おまえじゃ殺せなかった! だから俺が狩ったんだ! そうだろう!?」

「う、うん……」

「なら、やっぱりこれは俺の獲物。おまえじゃない。俺が狩ったんだ!」

 

 こうして首尾よく大きな鹿を狩ることに成功したハチは、手近に落ちていた木の棒に鹿の足をくくりつけると、反対側をマニに持たせて村まで運び始めた。凱旋気分のハチが鼻歌を歌う後ろを、マニは死刑の執行台に登るような心境でついていった。

 

 やっぱり、これは不正じゃないか? 罠を作ったのも、罠を仕掛けたのも、マニなのだ。ハチは自分じゃなければ仕留められなかったと言うが、そもそも、罠がなければ彼は鹿に近づくことすら出来なかったはずだ。

 

 それに、マニだって武器を使えば鹿を殺すことは出来ただろう。それどころか、自分なら獲物をこんなにズタズタに引き裂くような、下手くそな絞め方はしなかったはずだ。なのに、全てを自分の手柄みたいに言うハチは卑怯なんじゃないか……

 

 ああ、そうか……マニは意気揚々と先を進む友達の背中を恨めしそうに見つめながらため息を吐いた。

 

 本当は、不正だとか、勝負だとかはどうでもいいのだ。ただ、自分が捕まえた獲物を、何もしてないやつに横から掻っ攫われたのが悔しいのだ。本当なら自分の手柄なのに、その手柄を横取りしたやつに従っている自分が許せないのだ。でも、だからといって、その獲物は自分のだから返せとも言えない。この癇癪持ちの友達は、そう言えばまた大暴れするだろう。

 

 自分は、いつまでこんなことを続けなくちゃいけないんだろうか……

 

 どうして、自分一人だけ別の種族なんだろうか……

 

 陰と陽、プラスとマイナスみたいな二人は、同じ鹿を担いで森を歩いた。

 

 それから何時間もかけて、ようやく二人は自分たちの村まで帰ってきた。昼間なのに真っ暗な森を抜け、マングローブみたいな巨木が生えた苔の大地を踏み越えて、大森林の中にぽっかりと空いた陽だまりの中にある、小さな村である。

 

 その中央に生えている巨木が見えてくると、ハチはどんどん上機嫌になっていった。肩に食い込む木の棒の感触が、これだけの大物を取ってきた彼の勝ちを保証してくれてるようだった。きっと村の人達は、まだ子供であるハチがこんな大物を取ってきたことに仰天し、口々に彼のことを褒めそやすだろう。彼はそんな未来を夢想して悦に入っていた。

 

 しかし、現実は過酷である。

 

 人間は、どこまでいっても自分に甘くて他人に厳しい生き物である。だから、自分に都合のいい未来しか想像できない。ハチは自分の勝利を微塵も疑っていなかった。鳳が、これよりも大きな獲物を捕まえてくるなんて、夢にも思っていなかったのだ。

 

 村に近づくにつれ、ハチとマニはその村が今日はやけに騒がしいことに気がついた。ハチはもしかして彼の帰りを待ちきれない大人たちが、祭りの準備でもしてるのかと思ったが、しかしどうも様子が違う。

 

 見れば、村の中には見知らぬ大人がたくさんいて、村人たちと親しげに話している。風にのって届いたその会話に耳を傾ければ、なんと既に鳳が数百キロもある巨大なクマを仕留めて帰ってきているという声が聞こえてきた。

 

 見知らぬ大人たちは、その害獣を倒した鳳への礼を兼ねて、酒を持って駆けつけた隣村の人たちだった。まさかと思って見てみれば、村の中央の木に、まだ剥いだばかりの熊の毛皮が誇らしげに干されていた。

 

 ハチの負けは確実だ。

 

 彼は気が抜けたように、肩に担いでいた棒をどさっと地面に落っことした。せっかく捕らえた大物の鹿が地面に叩きつけられ、慌ててマニが獲物の状態を確かめる。獲物に傷などはついておらず、安堵すると同時に、彼は別の意味でもホッとしていた。

 

 不正にならなくて良かった。もし、このままハチの勝ちが決まっていたら、自分は一生その秘密を抱えて生きていかなきゃならなかった。鳳なんて一時的に滞在しているだけの旅人なんだから、そこまで負い目を感じることはないだろう。だが、自分が不正をした……それもハチに逆らえなくて、という記憶は一生残るのだ。

 

 そうならなくて、ハチが負けて、本当に良かった。マニは友達に対するそんな暗い気持ちを隠しながら、まだ呆然と立ち尽くしているハチに残念だったねと声をかけようとした。

 

 と、その時だった。

 

「痛い……痛い……痛い痛い痛い!」

 

 突然、ハチがお腹を抱えて地面に転がり、足をバタつかせてわめき始めた。

 

「だ、大丈夫? ハチくん」

「痛い痛い痛い! お腹痛い! おうちに帰る! 帰る!」

 

 それは子供が母親に向かってダダを捏ねるようなものだった。ハチは泣きながらお腹を抱えてジタバタと暴れまわり、家に帰ると繰り返した。恐らく、このまま村の中に入っていって、負けを認めるのが嫌なのだろう。

 

 ハチは大丈夫? と聞くマニの手を払って、帰る帰ると喚き散らした。往生際が悪いとか卑怯だとかそんな意識はないだろう、きっと彼はこういう処世術しか持ち合わせていないのだ。

 

 騒ぎに気づいた村の大人が、二人の元へと駆け寄ってくる。マニはお腹が痛いふりをしているハチを見ながら、大人たちにどう説明すればいいんだろうかと途方に暮れてしまった。

 

**********************************

 

 クマを倒し、川で内臓を処理した後、鳳とガルガンチュアの二人は報告も兼ねて依頼人の村へと戻った。驚異を排除したので安心して欲しいと伝えたかったのと、そのクマの肉をおすそ分けしたかったからだ。

 

 内臓を捨てたとは言え、クマの死体はまだまだ重くて、とてもじゃないが人間に運べるような物じゃなかった。ガルガンチュアは引きずってけば問題ないと言っていたが、そんなんじゃ村につくまでに肉が駄目になってしまう。だから自分たちの持てるぶんだけ持って帰って、後は依頼人に分けようと言ったのだ。

 

 隣村と仲が悪いからか、ガルガンチュアは少し渋ったが、結局は鳳が倒した獲物なんだから好きにしろと承諾した。ところが、二人が村に戻って事情を話すと、依頼人はとんでもないと言って獲物を受け取ろうとはしなかった。

 

 彼らが言うには、隣村から施しを受けるような真似はしたくないのと、依頼を完遂した冒険者に、寧ろ感謝の意として酒を振る舞おうと思っていたくらいなのだ。なのにこれは受け取れない。彼らはそう言って、予め用意していた報酬の酒樽をこっちに押し付けてきたのである。

 

 荷物を減らすどころか逆に増えてしまい、鳳は進退窮まった。依頼を受けたのはハチとの決闘のためであり、感謝してくれるのは嬉しいが、今日中に村に帰れなきゃ自動的に負けてしまうのだ。

 

 そんなことには絶対なりたくない鳳は、困った挙げ句に依頼人に向かって、村についたら肉を振る舞うから荷物運びを手伝ってくれと提案した。

 

 ガルガンチュアの集落と隣村は、仲が悪いが全く交流がないわけではない。丁度、族長が雁首揃えているのだし、それじゃ久しぶりに交流会でもしようかと言う話になって、隣村の男たちが数人、荷物持ちとして同行してくれることになった。

 

 そんなこんなで、行きは二人で出掛けたはずの鳳が、帰りに大所帯となって戻ってきたものだから、村人たちは最初は隣村が喧嘩でもふっかけに来たのかと大層驚いたらしい。しかし、その中にガルガンチュアの姿を見つけた彼らは、すぐに鳳が大物を取ってきたことを知ると、焼肉パーティーだと言って浮かれ始めた。

 

 クマの肉は部位を問わなければ全部で200キロ以上もあり、食欲旺盛な村人全員がかりでも、一日では食べきれないほどの量だった。ついでに隣村が差し入れた酒樽も大量にあって、村人たちの胃は煮えたぎる鍋のように刺激されていた。

 

 ハチがまだ帰ってきていないから勝負はついていなかったが、これはもう鳳の勝ちで間違いないだろう。大量の肉を前にして、その魅力に抗えなかった村人たちは、そう言い訳して、ついに勝手に宴会を始めてしまった。昼間っから酒を酌み交わし、普段は仲が悪い隣村の者たちとで肩を組み合い歌を歌う。

 

 食べても食べても減らない肉を前にみんな上機嫌となり、それを隣村の人々が、酒を振る舞いながら褒めちぎり、ガルガンチュアの村人たちも、まさか舐めていた鳳がこんな大物を仕留めてくるとは思わず、見直したとばかりに頻りに称賛の声をあげた。

 

 鳳は、いいのかな? ……と思いつつも、宴会の主役であるから、広場の中央に引っ張ってこられて、次々とやってくる村人たちの祝福の言葉を聞きながら、御酌される酒を機械的に飲み続けていた。

 

「おお、マニ! 帰ってきたかっ!」

 

 決闘の相手が帰ってきたのはそんな時だった。

 

 宴もたけなわ、村人たちがすっかり出来上がってしまった頃だった。いや、帰ってきたのは決闘相手ではなく、その見張り役だったが……この狼人の集落にいてただ一人、小柄な兎人の少年は、自分の体重よりも重そうな鹿を引きずりながら、宴会で賑わう村の中央広場にやってきた。

 

 その姿を見つけたガルガンチュアが、目を丸くして駆け寄っていく。彼は獲物の状態を確認し、彼を見上げるマニに向かって、

 

「これはハチが獲ったのか?」

 

 マニはほんの少し逡巡した後、

 

「そうです」

 

 と頷いた。途端にヤンヤヤンヤと村人たちが喝采をあげる。

 

「やるじゃないか」「これをハチが……」「初めてにしては上出来だ」「だが、負けは負けだ」

 

 ガルガンチュアはそんな村人たちの声を聞き流し、じっと彼のことを見上げているマニに尋ねた。

 

「ハチはどうした?」

「ハチくんは……怪我をしたから家で寝ています」

 

 怪我をしたと聞いたガルガンチュアが驚いて容態を尋ねようとすると、帰ってきた彼らを見つけて事情を知っている村人がニヤニヤしながら言った。

 

「ハチは怪我してない。負けるのが嫌だから、お腹が痛いと言ってるんだ」

「なにぃ!?」

「赤ちゃんみたいにキャンキャン泣いている。情けないやつ。馬鹿なやつ」

 

 その言葉に追随するかのように、他の村人たちも口々に不満の声を上げる。

 

「負けたからって逃げるのは卑怯だ!」「引きずってでも連れてこい!」「ちゃんとツクモに謝らせるんだ」

 

 せっかくの宴会に水を差すような村人たちの不満の声が広場に轟いた。ガルガンチュアはそんな村人たちに押され、無理矢理にでもハチを連れてくるかの決断を迫られた。やいのやいのと敗者をなじる村人たちの声を聞いていた鳳は、なんだかむしゃくしゃしてきた。みんな自分勝手なことを言って、これじゃまるでリンチじゃないか。

 

「来たくないなら別にいいじゃないですか」

「なに!? でも、決闘は絶対だ。敗者は勝者の言うことを聞く」

「だから、その勝者の俺がどうでもいいって言ってるんですよ」

 

 鳳はぶつくさと文句を言う村人たちに向かい、少し語気を強めて言った。

 

「元々、俺は負けるつもりは無いから、何の要求もしないって最初に断ったでしょう。それを無理にでも何か決めろと迫ったのはあんたたちだ。そのせいで、本当ならしなくても良かった謝罪を、ハチはしなくてはならなくなった。そんなあんたらにハチを責める資格なんてないでしょう」

 

 鳳のそんな言葉がよほど意外だったのか、村人たちは最初きょとんとした表情で彼のことを見ていたが、次第に自分たちが批判されてると思ったのか、段々と目がつり上がってくる。このままじゃ、鳳と村人とで衝突が起こる。族長であるガルガンチュアは、慌ててそれを収めようと焦ったが……

 

 しかし、せっかくの宴会気分が台無しだ。だが、そう思ったのは鳳だけじゃなかったようである。

 

「おお、皆のもの。ツクモの寛大な言葉に感謝しろ。ツクモはハチの……村の仲間の名誉を守った。おまえたちが怒るのはおかしい」

 

 鳳と一緒に広場の中央で酒を飲んでいた長老が立ち上がってそう言うと、村人たちはまるで母親に諭された子供みたいに大人しくなった。考えてみれば、ハチが謝ろうが謝るまいが、自分たちには関係ないのだ。村人たちはそう結論すると、

 

「そうだ、ツクモに感謝しよう」「ツクモは寛大。とても偉い」「ハチのことは忘れよう。せっかくの酒がまずくなる」「宴じゃ宴じゃ」

 

 そんな感じに、長老の機転で一触即発の雰囲気は収まってしまった。宴会を再開した村人たちは、もうすっかりハチのことなんか忘れて、ただ酒池肉林の大騒ぎに浮かれていた。ガルガンチュアはホッとすると、長老に感謝し、その中に入っていった。

 

*************************************

 

 日が暮れて、外は真っ暗になった。宴会は続き、酒を酌み交わす酔っぱらいたちの楽しげな声が、いつまでもいつまでも村中に響き渡っていた。肉を焼くジュウジュウという音と、香ばしい香りが辺りを包む。キャンプファイヤーを囲んで、大人も子供も輪になって踊っていた。

 

 そんな光景を、マニは一人、輪から離れて遠巻きに眺めていた。宴が始まってから、彼は一度もその輪の中に入ろうとはしなかった。誰もそんな彼を呼びには来なかったし、彼も自分から入ろうとは思わなかった。彼が獲ってきた鹿が解体されて、勝手に肉にされて焼かれても、彼には何の感慨も浮かんではこなかった。

 

 まるで他人事のようだ。自分の体はどこか別のところにあって、それを他人の目を通して眺めているような、そんな気分だった。

 

 この中に、自分の居場所はあるんだろうか? どうして自分はこの村にいるんだろうか? いつまでも村に馴染めないのは、きっと自分が一人だけ別種族だからなんだと思っていた……

 

 でも今、目の前にいる鳳を見て、彼は改めて思った。種族の違いは関係ない。自分が村で浮いているのはなんてことない。この村の連中が嫌いだからだ。

 

 宴はいつまでも続いている。彼にはその村人たちの楽しげな声が、まるで魔王の咆哮のように禍々しく聞こえた。

 


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