胡椒を供給しているという兎人の部族を発見した晩、鳳たちは歓迎の宴を終えた後、彼らの隠れ家から少し離れたところにキャンプを張った。兎人たちの家が狭すぎて泊まれそうもなかったというのも理由だが、宴会後、族長と今後のことについて会話をしている間にも、あっちでチュッチュ、こっちでチュッチュと兎人たちが盛りだしてしまって、とてもじゃないが長居しづらかったのだ。
食欲を満たしたら今度は性欲とは、兎が性欲が強いというのはどうやら本当のことのようである。昼間、胡椒の木のところまで案内してくれた兎人が軽い調子で言っていたが、死んだらまた増やせばいいというのは、もしかするとこの部族では当たり前の感覚なのかも知れない。
考えても見れば、仲間の死を悲しむ動物というのは、哺乳類でも一握りでしかない。他の生物はもっとドライに生きている、例えば猛獣に襲われたら、群れの一部を犠牲にして全体を助けるとか。そういう判断は人間にも出来るが、そこには常に苦渋の選択がつきまとう。兎人はそれを本能的、自動的に行う。違いはそれしかないのである。
人間の豊かな感情は選択の幅を広げるが、間違いを犯す原因にもなる。そんな当たり前のことを再確認したような気分になった。
取り敢えず、勇者領の商人たちと連絡を取り合うように言って、鳳たちは兎人たちと別れた。彼らはまた別の当番を決めて対応すると言っていたが、死んだらまた忘れてしまいそうだから、帰りがけに近隣の部族に相談しておくのもいいだろう。
そのつもりで最後の補給を行った集落を目指し、もう間もなく日が暮れるという時間帯になってからキャンプを張った。兎人の集落からはそれほど離れていないので、一体何をやってるんだと言う感じではあるが、それはそれである。野営のために火をおこし、ギヨームとジャンヌの二人で周囲1キロばかりを巡回してから、その晩は何もない森のど真ん中にテントを張った。
深夜……
このところの移動疲れからか、はたまた、目的を達したことでホッとしたのか、寝床についた瞬間、泥のような眠りに落ちていた鳳は、まだ周囲が静かな時間帯にハッと目を覚ました。
うっかり何も言わずに寝こけてしまったが、キャンプ中は寝ずの番が回ってくるはずだった。彼は慌てて飛び起きると、テントから出ようとして手探りで進んだ。
テントの中が真っ暗なのは、まだ夜が明ける前だからだろう。眠るのが早すぎたから、意外と早く目が覚めたのかも知れない。時計がないから確認のしようがないが、一体どのくらい眠ってしまったのだろうか……もしかしたらみんなに迷惑をかけているかも知れないと思った時、ふと、テントの外から声が聞こえてきた。
「……元々、魔族が多かったこの地域にはオアンネスはいなかった。すると彼奴らは他の魔族を避けて北上してきたわけじゃ。考えられる理由は何か? 激戦区を避けていることからして、彼奴らは南部の弱者であるのではなかろうか。人間が新天地を求める場合を考えよ。人間が移動するのは、例えば食料が尽きた時、仕事がなくなったときと考えても良い。それから天変地異で住む場所がなくなった時。それから戦争などで敵から害される危険がある時じゃ。もし、南半球の食料が少なくなっておるなら、北上してくる魔族はオアンネスだけに限らない。同じく、天変地異でも他の種族がまんべんなくやってくるじゃろう。つまり、彼奴らは難民なのじゃ。南半球で何か争いごとが起きて、オアンネスだけが北へと追いやられている……こう考えれば、この激戦区とも呼べる地域に魚人が少ない理由になるのではないか」
聞こえてくる声はレオナルドのようだ。どうやら彼は、今回の遠征の総括を誰かと話しているらしい。魚人共が難民だと言う仮説は、鳳も中々説得力があると思った。元々危険に晒されている難民であるなら、危険な山越えルートを選ぶ理由にもなるし、この南部流域のような紛争地帯を避けて通る理由もわかる。しかし、そうするとやってくるのが妊婦だらけなのは何でなんだろう?
それにしても……気になるのは老人の声は聞こえてくれど、相手の声がまるでしないことだった。一体誰と話をしているんだろう? そう思いながらテントを出ると、レオナルドは一人で焚き火にあたりながら、退屈そうに火かき棒でかき混ぜていた。周囲には彼以外の誰の姿も見当たらない。
どうしたんだろう。まさかボケちまったんだろうか……そんな失礼なことを考えていると、テントから出てきたその不届き者の姿を見つけたレオナルドが声をかけてきた。
「おや、鳳よ。起きたか。いや、起こしてしまったかいのう?」
「いや、別にそんなことないと思うけど……すまねえ、つい何も言わずに寝こけちまったけど、火の番は大丈夫だったろうか」
すると老人は傍らにあった砂時計をトントンと叩きながら、
「儂の番が過ぎたら起こすつもりじゃった。もう暫く寝ておって構わんぞ」
「いや、それならもう起きてるよ」
鳳は、誰にも迷惑をかけずに済んで良かったとホッとしながら、焚き火にあたりに出ていくと、
「……今、誰かと話してなかったか? 俺の気のせいだろうか」
「ふむ。気のせいではないぞ。儂は確かに話をしておった」
それにしては誰の姿も見当たらない。もしかして独り言をしゃべっていたと言うことだろうか。鳳がそう思っていると、
「精霊じゃ」
「……精霊?」
レオナルドは独り言ではなく、精霊と交信していたと言う。
「本当かよ……?」
「うむ。見えなければいないのと変わらん。信じないならそれも良いじゃろう」
「いや、そんなつもりはないんだけど……」
とはいえ、実際問題、見えないものを信じろと言われても、見えないんだからどうしようもない。老人のアドバイスは的確だと悟った鳳は肩を竦めて、
「……精霊って、あの五精霊ってやつ?」
「左様。儂がいま話しておったのはマイトレーヤ……俗にミトラと呼ばれるものじゃ」
「ふーん……それがいま、ここにいるの?」
老人はそれは違うと頭を振って、
「精霊はどこにでもおる。単に人間がそれに気づかないだけじゃ。それに気づけば、お主にも見えるようになるじゃろう。ほれ、お主の後ろにも……」
レオナルドはそう言って、ぼーっとして焦点の合わない視線を鳳の背後に投げかけた。彼が振り返ってそちらを見ても、そこには暗闇が広がっているだけで何も見えない。ただ、そう言われてしまうとその暗闇から何かが出てきそうで……
鳳はブルブルと震えると、老人の言う通り、見えないものは居ないと考えたほうが賢明だと、話題を変えた。
「爺さんは、南の方で魔族の戦争みたいなことが起きてるって考えてるのか?」
「……聞いておったのか? まあ、それに近いことを考えておるが……お主は違うと思うか?」
すると鳳は首を振って、
「概ね同意だけど……南の方で、オアンネス族だけを追い立てる何かが起きていることは確かだと思う。けど、それが戦争とは限らないと思ってる」
「ほう……では、お主はなんじゃと?」
「それはわからないけど……ただ、逃げてくるのが妊婦だけってのが不可解でね……普通、難民と一口に言っても、老若男女が揃っているものだろう? 戦争してるなら若い男は少ないかも知れないけど、子供は絶対にいるはずだ。それが見当たらない」
「……なるほど」
「だからそうなる理由があるんだと思うけど……魔族って、南半球でどういう生活をしてるんだろうか? そういう生態学みたいなものってあるの?」
「無いのう……魔族を研究しようなどといって、南半球に行くような無謀なものは……この300年間はいなかったじゃろう」
鳳は、老人が一瞬見せた間が気になって、
「300年前ならいたのかよ?」
「おった……オルフェウス卿アマデウスじゃ」
オルフェウス卿とは、確かモーツァルトのことか……あの
「元々、旅芸人であった彼は未知なる世界への冒険を好んでおった。それで戦後、切り取り自由と言われた勇者がワラキアを調査する際、一緒についていって、南半球の様子を確かめにいったのじゃ。やつは、魔族の故郷ネウロイに興味があったようで、そこで何が起きているのか、どうしても確かめたかったのじゃな」
「それで、どうだったんだ?」
すると老人は目をつぶり、ゆっくりと首を振って。
「分からぬ」
「分からない……? どうして?」
「あやつは帰ってこなかったからじゃ」
ネウロイは魔族発祥の地と言われている。現に、鳳たちはこうして南に下るにつれて、魔族が増えていくのを肌で感じていた。
「……殺されたのか?」
「そう考えるのが妥当じゃろう。商人たちが言っておったように、勇者はこのあたりまで来て、胡椒を発見してから北へ戻った。ところが、戻ってきた勇者の隣にはもう、オルフェウス卿はいなかった。勇者の目的はあくまでワラキアの調査。ネウロイではない。じゃから、途中で別れたのじゃな。勇者は彼が殺されるとは考えていなかったようで、最後まで、そのうちひょっこり帰ってくるんじゃないかと言っておったが、今となってはそれももう望みはなかろう」
「どうしてそんな、勇者でさえ躊躇するような危険地帯にわざわざ行くような真似をしたんだ?」
「それはもう、個性としか言いようがない。カリギュラという言葉を知っておるか?」
鳳は頷いた。親や教師など目上の者に、やってはいけないと言われることほど、やりたくなるという心境のことだ。暴君と呼ばれた古代ローマ皇帝カリギュラの名前をとって、そう名付けられた。
オルフェウス卿は好奇心旺盛で、特に冒険心に満ちていた。若くして死に、死後に自分がどのように評価されたかも知らず、父親に最後まで小言を言われていた反動があったのかも知れない。一説によると、彼は友達に借りた部屋の壁一面にうんこを塗りたくって返したと言われている。まあ、そのくらい無茶なところがなければ、あの壮大な音楽性にはたどり着けなかったのだろう。
きっと彼は、見に行きたいという好奇心に勝てなかったのだ。
「今、人類が分かっている世界は、この南の河川流域までじゃ。ここから先の土地で、魔族たちがどのような世界を作っているかは断片的なことしかわからぬ。お主の言う通り、戦争以外の何かが起きているとしても、想像するしか無いのじゃ」
「ここが人類の最前線ってわけか……」
鳳はふと疑問に思って、
「なあ? ぶっちゃけそんな場所に、兎人のような弱い部族が暮らしているのはおかしな話だよな……? もっと北の安全な場所で暮せばいいのに、どうしてあいつらはこんな危険地帯に、わざわざ隠れるようにして暮らしているんだろうか」
「それは逆転の発想じゃな」
鳳の疑問に、老人は間髪入れずにそう言った。
「北部と南部では魔族と獣人の生息域の
しかし兎人の視点に立ってみれば、見方はガラリと変わる。彼らはここから南へ行けば魔族に捕食され、北へ向かえば他の部族に獲物を奪われる。丁度その中間点に居たほうが、生きていく上では都合がいいのじゃ」
「なら、人間の生息域に行けばいいじゃないか。勇者領なら獣人を差別することは無いだろう?」
「しかし、奴隷にされる」
レオナルドにピシャリと言われて、鳳はウッと言葉を飲み込んだ。言われてみれば確かに、人間の生息域に住んでいた獣人たちは、みんな粗末な扱いを受けていた。蜥蜴人の商人ゲッコーも、人足として他種族の獣人を連れていた。逆に、狼人の農場主が人間を働かせていたり、猫人の商店が繁盛したりといった光景はお目にかかったことがない。
どうして彼らは粗末な扱いばかり受けるのだろうか? 新規参入を人間が阻んでいるからだろうか? ……そう考えた時、鳳はハッと昼間の光景を思い出した。
昼間、胡椒の木を挿し木で増やそうと提案した時、兎人は何度教えてもその方法を覚えることが出来なかった。こちらとしては、ことさら難しい言葉を使ったり、意地悪した覚えはない。やってることも非常に簡単だったはずだ。なのに、あの兎人は何回言ってもその簡単なことが覚えられなかったので、鳳も段々頭がカッカッとしてきて、こいつは馬鹿なんじゃないのかと内心思っていたのだが……
「なるほど……獣人が人間の世界で奴隷をやらされている理由が分かったよ」
鳳は言った。
「彼らは根本的に頭が悪いんだ。それは学力が低いとかそういう意味じゃなくって、純粋に、単純に、人間と獣人では脳の作りが違うんだ。だから彼らは、人間が当たり前にやれることが出来ない」
鳳のその言葉を引き継ぐように、レオナルドは大きく頷いてから、
「左様。実を言えば、勇者は神聖皇帝にワラキアの大森林を切り取り自由と言われた時、最初は南部の獣人たちを教化しようと考えた。しかし無理じゃった。お主も感じた通り、獣人たちは創造性というものが欠如しておる。
獣人は村を作り、畑をやり、家畜も飼うが、料理を作ったり、家を作ったり、芸術品を作ったり、そういう加工品を作ることが出来ないのじゃ。とてもではないが、そんな連中に人間社会の複雑な経済の仕組みなぞ、理解出来ようはずがない。
じゃから勇者はワラキアから手を引いたのじゃよ。それでも無理矢理にでも大森林を開墾したら、行き場を失った獣人たちがどうなっていたことか……そして獣人社会を失った大森林で、魔族がどんな伸長をしたかは未知数じゃが、ただで済んだとは思えんじゃろう」
「それで、勇者は干拓事業に切り替えたのか。神聖帝国に対する当てつけではなく」
「いかにも。そして勇者が干拓事業を始めたら、そこに大森林の生存競争に破れた獣人たちが集まってきた。しかし、彼らは人間と混じっても通用せんから、唯一、生き残る方法として奴隷を選んだ。荷物持ちや単純作業のような、言われたことだけをするなら、獣人にも出来るからのう。それが今でも続いておるのじゃ」
勇者のところへ行って、人間の言うことを聞いていれば飯は食える。神人とは違って、そこまで粗末な扱いは受けない、そして何より何も考えないでいいから楽だ。しかし部族の誇りはどこへ行ったのか。それじゃまるで家畜ではないか……
鳳は思った。
いや……そんな人間、いくらでもいたではないか。言われたことしか出来ない指示待ち人間など、自分が生きていた前の世界で、嫌というほど見てきたはずだ。そんな人間は、獣人たちとどこが違う? 一体、人間と家畜を分けたのはなんだったのか?
「人間と獣人、それを分けたのは創造性じゃ。人間は何もないところから物を創造し、未来を作ることが出来る。そしてついには世界を変えてしまったのじゃ。儂はそれを、