人間と獣人を分ける最大の障壁は、人間のみが持つ創造性にあった。300年前、勇者はその壁にぶち当たり、獣人を教化することを断念した。代わりにブレイブランドの干拓事業へと切り替えたわけだが、しかしレオナルドに言わせれば、彼はいきなり干拓を始めたわけではなかったらしい。
勇者は干拓事業を始める前に、実はもう一ステップを挟んでいた。それが何かと尋ねたら、なんと冒険者ギルドの設立だった。
「冒険者ギルドを作ったのは、勇者だったんだ」
「左様。儂は創立メンバーでもあるが、元々はいわゆるパトロンというやつじゃった。どんな事業を始めるにあたっても、何はともあれ金が必要じゃ。儂はその頃、スクロール魔法を世に産み出し、巨万の富を持て余しておった。それで次の投資先を探していたところ、勇者が話を持ちかけてきたのじゃ。あやつの人類に対する貢献度を考えれば、乗らない手はないじゃろう?」
「確かにそう思うけど……どうして冒険者ギルドだったんだ? あんま儲かりそうには思えないんだけど」
「お主の言う通り、公共事業的な側面はあった。しかし何よりもその頃の世界には、冒険者ギルドを作って、それを維持していくことが出来るだけの需要があったのじゃ」
魔王が襲来するまでは、神聖帝国には小競り合い程度の争いはあったが、国軍を組織して戦うような大戦争は存在しなかった。そのため、魔王が帝国領内に侵入した時、神人たちは泡を食って兵隊をかき集め始めた。
そうして集められた軍隊を、帝国は魔王討伐後に何の保証もせずに解散する。このような軍隊がその後どうなるかは推して知るべしであろう。
国民国家でもない限り、徴兵は強制出来るものではない。元々、徴兵に応じるような人間は農奴だったり、次男や三男などの家督相続には関係なかったり、一攫千金を狙う荒くれ者だったりと、そういう食い詰めた男子ばかりだった。
彼らは戦争が終わって家に帰ってもやることがないわけで、そんな彼らが武器を持って野に放たれたら、野盗に転身するのは時間の問題である。
勇者の活躍により魔王が討伐され、驚異が去ったにも関わらず、帝国内では野盗が横行し、魔王襲来時なんかよりも、もっと胸糞が悪い事件が多発するようになっていた。
人間社会ではこんな時、野盗を取り締まるための傭兵が誕生するものである。例えば、英仏百年戦争の大元帥ゲクラン、ドイツ30年戦争の傭兵王ヴァレンシュタイン。彼らは食い詰めた野盗を束ねて、その野盗から国を守る傭兵として自分たちを売り込んだ。こうして彼らが作り上げた軍隊は、やがて国軍として組織されるようになり、中世の軍隊から近代国家の軍隊へと変わる礎となっていく。
しかし、言うまでもなくこの方法には問題がある。野盗がいる間はともかく、いなくなってしまったら、今度は食い詰めた傭兵が野盗になってしまいかねない。そうならないためには、傭兵が働く職場、つまり戦場が必要となる。
するとおかしなことが起きてくる。戦争が起きて傭兵を雇っても、傭兵たちが談合して働かなくなるのだ。傭兵たちは狭い業界でみんな顔見知りだから、敵味方に別れてもお互いに傷つけ合わずに、戦争を長引かせようとするのだ。このような姿勢を、マキャベリはその著書の中で痛烈に批判している。
結局、有事の際に国が滅びないためには、国家が軍隊を組織していくしかないのであるが、しかし、言うまでもなく軍隊を維持するには金がかかる。300年前、神聖帝国は中世に毛が生えた程度の文化レベルしか保持しておらず、そんなお金は荒廃した世界のどこにも存在しなかった。
勇者はその現状を変えるために、冒険者ギルドを作った。
誰だって最初は野盗になりたくてなったわけじゃない。もちろん、中にはそういう不届きな連中もいるだろうが、殆どの場合は食い詰めた人間が仕方なく野盗に身を転じるのだ。そんな彼らに、ちゃんと働く場を与えてやれば、悲しい事件が起きずに済むのではないか。
幸い……と言っていいか分からないが、魔王は討伐されても、どさくさに紛れて侵入してきた魔族が、まだ神聖帝国のあちこちで暴れていた。また、帝国の南にはワラキアの大森林が広がっており、その鬱蒼と茂る森の中には、今後いつまた帝国を脅かすかわからない魔族が潜んでいた。そして、そのせいで玉突き事故のように、大森林の獣人が帝国へ逃れてきており、彼ら難民が元の生活に戻れる保証はどこにもなかった。
これら全てを一挙に解決する方法が、勇者による傭兵組織、冒険者ギルドの設立だったわけである。
彼はレオナルドからの投資を受けると、まずはその金で傭兵を雇い、野盗や魔族を倒すための組織として冒険者ギルドを発足した。そしてその傭兵がまた野盗に転落しないように、職業安定所の役目を果たすべく、各地にギルド支部を設置していった。
そしてその支部を中心としたネットワークを作り、情報を共有し、誰でも自由に依頼を受けることが出来る、掲示板のシステムを作り上げた。こうして帝国内での野盗の発生を抑えつつ、彼は魔族の駆逐に成功したのである。
やがて、帝国貴族として迎えられていた、かつての勇者パーティーの一員であるヘルメス卿とオルフェウス卿の二人が協力を申し出て、大森林の魔族を一掃するキャンペーンが始まり、そして彼の作った冒険者ギルドは、民間企業であるにも関わらず、帝国に無くてはならない組織になっていく。
しかし、そうして組織が大きくなっていくと、勇者にかかる責任も重くなっていく。彼は魔族の一掃後を見据え、冒険者達が食いっぱぐれないように、新たなる“戦場”を用意しなければならなくなった。
そのために、彼は大陸西部の干拓事業と、新大陸への冒険航海を始めたのだ。
「それじゃあ、勇者はワラキアの切り取り自由と言った帝国への当てつけで、干拓事業を始めたわけじゃなかったのか?」
「いかにも。あやつはそもそも、国を作ろうだとか、大企業を組織しようだとか、そんなことは少しも考えてはおらんかった。ただ単に、人々が野盗や魔族に苦しめられておったから、それをなんとかしようとしただけじゃ。それがどんどん大きくなっていって、気がつけば
ワラキアの大森林に手を付けなかったのは、獣人をそっとしておくためだった。新大陸航路の開拓も、戦争難民となった人たちに生きていくための土地を見つけてやるためだった。
まるで私利私欲のない、その聖人のような姿は、なんだか今まで聞いてきた勇者像とはガラリと違った。そんな彼が、どうしてあんな末路を辿ることになってしまったのだろうか……
「勇者ってのは、一体、何者だったんだ? 冒険者ギルドなんてものを作ろうとしたところからすると、俺達と同じ
するとレオナルドは炎を見つめたまま黙って首を振って、
「さあのう……それは儂にもわからぬ」
「わからない……? 彼がどこから来た何者か、爺さんは気にならなかったのか? そういや、勇者勇者ってみんな言うけど、肝心のその勇者の名前ってなんていうんだ?」
「それもわからぬ」
「わからないって、どういうことだ……?」
以前、メアリーに同じ質問をしたところ、彼女も勇者の名前は知らないと言っていた。彼女は勇者の名前が後世に伝わってないと言うのだ。その時は、まあそんなもんかと思ったが、いくらなんでも、伝説の勇者パーティーの一員が知らないなんて言い出すとは思いもよらなかった。
そんなわけはないだろう。何かよっぽど言いたくない理由があって、はぐらかされているんだろうか? 鳳は最初そう思ったのだが、どうやらこの老人は本当のことを言ってるらしかった。
「儂らは勇者の名前を聞いたことがない。というのも、恐らく勇者自身が自分の名前を覚えていなかったからじゃ。あやつは、この世界に召喚された時点で、記憶を失っていた」
「記憶喪失だったってのか?」
「そのようじゃ……あやつは魔王と戦うために召喚され、そしてなんらかの方法で神に匹敵する力を得た。おそらく、その後遺症ではないかと儂は思っておる」
「後遺症……どうしてそう思うんだ?」
すると老人は難しい顔をして、
「例えば鳳よ。これは儂の体じゃが……その前は誰のものだったのじゃろうか?」
「……え? いや、あんたの体はあんたの物だろう? まさか、お父さんお母さんの物なんて言い出すんじゃないだろうな」
鳳がそう言うと、レオナルドは何がそんなにおかしいのか、暫しの間、クツクツと腹を抱えて笑ったあと、涙目になりながら、
「そうではない。儂らは放浪者じゃろう? 儂ら放浪者はある日突然、前世の記憶に目覚めるわけじゃが……実はそうなる前の記憶もちゃんと持っておる。名前もあるが、ややこしくなるから彼と呼ぶことにするが……儂は、儂になるまでは、彼としてこの世界で生活しておった。それがある日突然、地球の、フィレンツェの、ヴィンチ村で生まれたレオナルドの記憶に置き換えられて、今のこの儂として生まれ変わったわけじゃ。するとこの体は誰のものなんじゃろうか。儂じゃろうか。彼じゃろうか」
「それは……」
鳳は返答に窮して押し黙った。
「言うまでもなく、儂は儂じゃ。彼の記憶はあっても、それが自分であったという自覚はない。つまり、彼の体の中に、儂の精神が乗っかってるというのが正しい認識じゃろう。すると、彼の精神はどこへ行ってしまったのじゃろうか……彼の人生は、そこで終わったと考えられないか? つまり儂ら放浪者は、誰かの人生を奪ったから存在するわけじゃよ」
鳳はレオナルドと違って、普通に暮らしていた人が、ある日突然、前世の記憶に目覚めたわけじゃない。しかし、勇者召喚のために、誰かが犠牲になったというところは同じである。
「勇者も同じようなことだったんじゃろう。あやつは神の力を得る代わりに、何かを奪われた……おそらく、儂はそれが記憶だったんじゃないかと思っておる」
「どうしてそう思うんだ?」
鳳が尋ねると、レオナルドは一瞬だけ昔を懐かしむような優しい目をしたかと思うと、すぐに悲しげに首を振って、
「何故なら、いつからか、勇者は性格がどんどん変わっていってしまったんじゃよ。初めて会った時、あやつはなんというか、バンカラな男じゃった。女にはモテるが、鈍いと言うか、粗野と言うか、女性にアプローチを掛けられてもさっぱり気づかない。え? なんだって? ってなもんじゃ」
いわゆる難聴系主人公みたいなものだろうか。
「しかも、それはわざとじゃない。あやつは本気で自分が女にモテるだなんて思ってもいないようじゃった。良く言えば硬派な男、悪く言えば……まあ、
ところが、勇者領を作り、冒険者ギルドも軌道に乗ってくると、その性格が逆転してしまった。いつ頃からか、あやつは女を取っ替え引っ替えしだし、あちこちに子供を作り始めた。明らかにおかしくなっていたわけじゃが……あやつの人類に対する貢献度を考えれば、欲に溺れるのも悪くないと、誰も何も言わなかった。
しかし、見るものが見ればおかしくなっていることは明白じゃった。儂はある日、あやつをとっ捕まえて小言を言ったことがある。昔のおまえはもっと真面目じゃった。
するとあやつは目を泳がせて言い訳を始めた。自分は女を求めていない、女が自分を求めるのだと。断りたくとも、求められてしまったら断れない。そしてあやつは苦しそうに、女を抱いていないと耐えられないんだとも言っておった。
儂はそれをバカバカしいと一蹴してしまったのじゃが……その後のことを考えると、もっと真剣に聞いてやれば良かったと後悔しておる。恐らく、勇者が言ったことは半分本当じゃったんじゃろう。今にして思えば、あれは明らかにセックス依存症じゃった。儂は、あやつがおかしくなっていたことに、気づいてやれなかったんじゃ……」
レオナルドはその時のことを思い出しているのか、青ざめた顔をして俯いていた。
彼の言う通り、その後の勇者の転落ぶりを考えると、この老人が後悔するのも仕方ないことだろう。勇者は晩年、あちこちに子供を作りまくり、帝国貴族の恨みを買った。そしてそれが切っ掛けで暗殺されてしまったわけである。
鳳は初めてそれを聞いた時、割としょうもない人物だったんだなと感想を得たのだが、もしもその原因が、人類を救うために、神の力を得たための代償だったのだとしたら、見方は180度逆転する。
おまけに彼の死後、その落とし胤は蛇蝎のごとく嫌われて、ついには根絶やしにされてしまったのだ。これでは、彼の仲間であったヘルメス卿が、帝国に反旗を翻すのも無理ないだろう。せめて、勇者の名誉だけでも回復してやることは出来ないだろうか。
いや、根絶やしではなかったか……鳳は、そのヘルメス卿が匿っていたメアリーのことを思い出して、言った。
「そう言えば、メアリーは? 勇者が沢山の子供を作ったという話は聞いたけど、メアリーの母親のことは聞いたことがなかった。彼女は誰の子供だったんだ? もし、親戚が生き残ってるのなら、協力することは出来ないんだろうか」
するとレオナルドは、今日何度目かの同じセリフを言った。
「わからぬ……」
鳳は、まさかそれもわからないと返ってくるとは思わず、
「わからない? 母親が誰かわからないんじゃ、メアリーが本当に勇者の子供かどうかもわからないじゃないか。それなのに、どうして彼女が勇者の子供だって信じてるんだ? もしかして、爺さんは知らなくて、初代ヘルメス卿だけが知ってることがあるとか?」
「いや、そうではない。実はメアリーは、あやつがおかしくなる前のこどもなんじゃ」
「……どういうことだ?」
レオナルドに言わせるとこういうことらしい。
魔王討伐が成功し、帝国がその開放感からお祭り騒ぎをはじめ、人類がようやく落ち着きを取り戻そうとしていた頃、勇者はふらりとどこかへと消えてしまった。お陰で仲間たちは突然の失踪に、右往左往する羽目になったのだが……そんな彼が、ある日突然、ふらりと帰ってきた時に連れていたのが、メアリーだったのだ。
メアリーはまだ小さく、生まれて間もない赤ん坊だった。神人の子というだけでも珍しいのに、それが勇者の子供だと言うので、仲間たちは突然いなくなった彼を責めるのも忘れて喜んだ。
もちろん、その母親が誰かは気になったが、彼は勇者召喚で呼び出された手前、皇帝一族と仲が良かったから、てっきり皇族の誰かの子供だと思い、誰もそのことを追求しなかったのだそうだ。
「しかし、その後の展開を考えると、どうやらそうではなかったようじゃのう。もしも、皇族の血を受け継いでいるとしたら、神聖帝国は何が何でもその血を根絶やしにしようとしたじゃろう。しかし、奴らはメアリーの存在をつい最近まで知らなかったようじゃ」
「それじゃ結局、母親が誰か分からずじまいか……勇者は一体、誰との間に子供を作ったんだろうか……」
そう呟いたところで、鳳は首を大きく振った。
「いや、そうじゃないだろう。さっきも言った通り、メアリーは本当に勇者の子供なのか? 爺さんが言うには、おかしくなる前の勇者は童貞チキン野郎だった。そんなやつが、ある日突然、子供が生まれたなんて連れてくるのはおかしいだろ」
「かも知れん」
「だったら! 帝国にそう教えてやればいいんじゃないか? メアリーは勇者の娘じゃない可能性が高いんだから、もう追っ掛けるなって」
するとレオナルドは言った。
「それで帝国の追求を交わしたとして、メアリーに何と伝える?」
「え……?」
「お主は勇者の娘ではない。母親も分からぬ。しかし、ヘルメス卿が300年も閉じ込めていたから、儂らが助けてやる……とでも言うかの?」
鳳は黙るしかなかった。老人はそんな彼に向かって、少し意地悪だったかといった感じに苦笑しながら、
「勇者が自分の娘だと言ったのじゃから、メアリーは勇者の娘じゃよ。少なくとも、儂はそう思っておる。あやつは晩年、どんどんおかしくなっていったが、それでもメアリーのことは気にかけておった。暗殺される前、最後に会った時、あやつは言った。アイザックが見つからないように娘のことを隠してしまったが、もしも将来彼女が望むなら、おまえが助けてやってくれと。儂はそれを遺言と受け取り、こうして今ここにおる。その約束を違える気はない」
気がつけばいつの間にか、空が白み始めていた。レオナルドは、うっかり眠りそこねたとあくびを噛み殺していたが、今日はもう寝床につくつもりはないらしく、鳳の前で焚き火の炎をかき混ぜていた。
メアリーは本当に勇者の娘なのだろうか。もし違うなら、それじゃ誰の子なのだろうか。しかし、レオナルドが言う通り、仮に違ったとしても、それで何かが変わるわけでもないのだ。聞きたいことはまだまだあったが、彼女が起きてしまわないように、二人は黙って夜が明けるのを待った。