翌日。出立する前に兎人の隠れ家を再訪した一行は、胡椒の件をくれぐれもよろしくと念を押してから帰還の途についた。兎人たちは新しい当番を作ったから大丈夫大丈夫と請け合っていたが、その軽いと言うか、イージーと言うか、高田純次みたいな態度には不安しか覚えなかった。
当番と言っても、複数人によるローテーション制などを取ってくれれば安心なのだが、相変わらず一人しかおらず、その点を口を酸っぱくして言っても理解してもらえないからどうしようもなかった。聞けば今までのやり方は、一人が適当に川の向こうで胡椒を集めて、適当に沢山集まったら、適当に川を下って、適当に商人に渡して帰ってきたら、適当な誰かに役割を交代してもらう。今まで上手く行っていたのが奇跡みたいな方法だった。
そんなわけで帰り際、兎人たちの隠れ家に近い集落に立ち寄った鳳たちは、今後は兎人たちと連絡が取れなくなったら、ギルドに報せてくれとお願いしておいた。彼らは約束を守らないわけではないが、当たり前のように忘れてしまう(責任者が死んでしまうため)欠点が浮き彫りになってしまったから、応急処置である。
そんなこんなで……帰りも行きと同じように、補給のために点在する部族の集落を巡りながら北へと向かった。行きにオアンネスのコロニーを潰して回っていたから、帰りは殆ど魚人共に悩まされずに済んだが、それでも、行きに潰したはずのコロニーが帰りがけに復活していたり、中には補給に立ち寄った村がオアンネスの侵出によって全滅していたりと、南部の魔族による被害はやはり相当深刻なものがあるようだった。
そして、およそ一ヶ月半に渡る南部遠征を追えた鳳たちは、懐かしのガルガンチュアの集落へと帰ってきた。思えばこの遠征中、ずっと戦闘ばかりしていた気がする。メアリーに至ってはレベルが23から26へと3つも上がり、高レベルになると倒す敵がいなくなって、レベルが上がりにくくなるという定説を覆していた。魔族は思った以上に数が多く好戦的で、倒しても倒して湧いてくる羽虫のようだった。その繁殖力、成長力、生活習慣など……ネウロイという土地がどうなっているのか、消えたオルフェウス卿じゃなくても気になるところだ。
ガルガンチュアが出掛けていたので代わりに長老に挨拶し、ジャンヌとメアリーを久しぶりの我が家に残して、冒険者ギルドに報告へと向かったら、珍しく駐在所の前でミーティアが待っていて、ルーシーを見つけるなり駆け寄ってきて旅の無事を喜んでいた。南部遠征に行くにあたって、自分が焚き付けた手前、なんやかんや気になっていたらしい。
単にクエストで長期出張していただけなのに、そんな大げさな……と思いもしたが、涙目で再会を喜び合っている二人を見ていると、野暮なことはいいっこなしだろうと、黙ってギルドの中に入った。
元々、駐在所で暮らしているギヨームとレオナルドが長らく開けていた部屋を見に行ってしまったので、ギルド長への報告は鳳が請け合うことになった。そんなわけで彼の執務室へと向かっていたら、丁度来客だったらしく、ギィっと扉が開く音がして、中からマニが出てきた。
狼人の村でただ一人の兎人のマニである。
彼はやってきたのが鳳だと気づくと、一瞬だけギョッとした顔をしてみせたが、すぐに平静を取り繕うと、
「あ、お兄さん。帰ってきてたんですか。南の方はどうでしたか? 何か収穫ありましたか?」
「ああ、話すと長くなるけど……ギルドに報告する前じゃ、とにかく大変だったとだけしか言えないなあ」
「そうですか。それじゃ仕方ないですね。お疲れさまです。失礼します」
マニはそう早口に言って去っていった。なんだか避けられているような気がする。ハチとの一件があって、嫌われてしまったのだろうか……
それにしても、どうして彼がこんなところから出てきたんだろうか? と思いながらギルド長の執務室へと入ると、中にはギルド長とガルガンチュアが居て、
「おお、少年。帰ったか」
「あ、どうも、ガルガンチュアさん。来てたんですか? ギルド長と何か話でも? あー……お邪魔でしたかね? 出直してきましょうか」
「いや、いい。俺は行く。フィリップ、邪魔したな」
「いやいや、こちらこそお構いもせず。困ったことがあったら何でも相談してくれ。君にはいつもお世話になってるからな」
ガルガンチュアは入り口に佇む鳳を押しのけるようにして去っていった。彼はその背中を見送ってから、
「……なんかあったんすか? マニも来てたみたいだけど」
「ああ、そのマニ君がね。勇者領へ留学したいと言い出して」
「留学!?」
どうやら鳳たちが居ない間に、何か色々あったらしい。
マニの留学も気になるとこだが……まずはハチが成人したらしい。
鳳との決闘で力を示したハチは、獲物を取れるようになったのだからと、一人前の大人の仲間入りをしたらしい。外周部に家を与えられ、今後の活躍次第では妻帯も許されるからと、本人もやる気になって日々を過ごしているようだ。
同い年のマニは、そんなハチに触発されたのか、自分も独り立ちをしようと奮起したらしい。かと言って、狼人とは違って牙も爪もない兎人では、他の大人みたいに獲物をとってくることが出来ないから、代わりに彼は村のために知恵をつけようと、勇者領への留学を決意したようだ。
その相談をされたギルド長は、驚いて族長であるガルガンチュアに報告した。というのも、知っての通り、獣人は人間のような生活を送ることが困難なのだ。だから仮に勇者領へ行ったとしても、奴隷働きしかさせてもらえないだろうから、そんなことをして何になるのか? とギルド長は思ったのだ。
マニはそれでも人間の社会に触れてみたいと、奴隷働き上等だと食い下がった。しかし、とてもじゃないがそんなこと勧められないギルド長は、族長が許してくれるならと言って、ガルガンチュアを呼び出した。
話を聞いたガルガンチュアは当然反対の意見で、マニに馬鹿なことは考えるなと諭した。それでも納得できないマニとの間で暫く押し問答が続いたが、結局は族長命令に逆らえないマニが悔しそうに部屋を飛び出していったところに、鳳が偶然やって来たらしい。
「そっかあ……あのマニがねえ」
「同い年の友達が成人したから焦っているんだろう。そんなことより、鳳くん。よく無事に帰還した。南部は大変だったろう。早速だが、話を聞かせてもらってもいいか?」
「あ、はい」
鳳はそれ以上マニのことは気にせず、南部遠征の報告をギルド長にした。
*********************************
一通り旅の話をした後は、どうせ細かい事は今夜にでもレオナルドとするだろうからと言うことで、鳳は帰還の挨拶を済ませてから、すぐに駐在所を出た。
去り際、ルーシーが駆け寄ってきて、今回は誘ってくれてありがとうと言っていた。結果的に大変な旅路になってしまったから、寧ろ誘ったことを申し訳なく思っていたのだが、見た感じ本心で言ってくれてるようだったから、素直に応じてギルドを後にする。
帰る途中、村外れに差し掛かったら、帰ってきたばかりのメアリーが、もう子供たちに囲まれて遊んでいた。今回の冒険の武勇伝を話したり、覚えたばかりの魔法を実演してみせたりして、今や彼女の人気はうなぎ登りである。
しかし、人に当たらなければ大した威力はないとはいえ、ファイヤーボールを地面にぶっ放しているのは流石に危険すぎるからやめろと言ったら、子供たちの不興を買ったらしく、背後に回りこんでいた子供に尻を蹴られた。
同じ面倒を見てやった仲だと言うのに、メアリーと自分とでどうしてこうも扱いが違うのだろうか。ムキーッ! っと両手を上げて怒りを表明したら、子供たちはきゃあきゃあと笑いながらバラバラに逃げていった。メアリーも一緒になって駆けていく。まあ、楽しんでいるなら良いのだが、お陰ですっかりカミナリおじさんポジションである。
そう言えば、子供たちの中にハチとマニの姿はもう見当たらなかった。ギルド長の話では成人したということらしいが、獣人は成長が早いから勘違いしそうになるが、実際には二人ともまだ9歳、人間にしてみれば小学校低学年のはずである。
あいつら、本当に大丈夫なんだろうか……
村に戻って話を聞けば、ハチは近場のうさぎのような小動物を狙って、毎日朝から出掛けているらしい。まだまだ狩りは苦手らしく、獲物をとれたりとれなかったりだから、よく腹を空かせているそうである。だったら見てないで助けてやればいいのにと思ったが、この村では大人はみんな自分のことは自分でやるのがルールであり、逆に手を出せば、大人の誇りを傷つけることになるから、しちゃいけないことらしい。
鳳は腕組みしてうーんと唸った。どう考えてもお人好しとしか言いようがないのであるが、自分との決闘が原因でまだ子供のハチが無理をしているなら後味が悪い……彼はそう思い、ハチが居るだろうと思われる近所の森まで、散歩がてら様子を見に行くことにした。
家に戻って愛用の銃に弾を込め、ジャンヌは旅の疲れからから爆睡していたので、起こさないようにそっと家を出た。最近、メアリーと仲が良い隣の妊婦に行き先を告げて、村外れから森へ入る。
時間的には日が暮れるまで小一時間といったところで、行って帰ってくるくらいの余裕しか無い。まあ、狩りにいくわけではないのだから、それでも十分だろうと考えて、足を早めた。
しかし、実際にハチと会ったらなんて声をかければいいのだろうか? よく考えれば、彼は鳳のことを恨んでいるだろうし、下手なことを言ったら逆上されかねない。また、あの時みたいに襲いかかってきたら、今度は助けてくれる大人もいない。その時は銃で撃つしかないんだろうか……いや、流石にそれは……ちょっと……などと考え、やっぱり行くのはやめとこうかなと思っていた時だった。
視界の片隅にぴょこぴょこと動くうさ耳が見える。こんなところでそんなものが見えるとしたらマニしかいない。どうやら、ギルドですれ違ったあと、彼もハチのことが気になって様子を見に来たようである。
ならば丁度よいとばかりに、鳳はマニに声をかけようとした。同い年で普段から仲がいい二人だから、もしかしたらハチの居場所を知っているかも知れない。そう思い、彼がマニの方へと足を向けた時だった。
ガサガサと、そのマニの居る方から、草をかき分けて何か小動物でも暴れてるような音がする。おや? と思って彼の背後へ黙って近づいていくと、マニの前で罠にはまった小さなウサギが必死に逃げようとしているのが見えた。
足首を縄が食い込むように締めあげていて、それが近くの木に結ばれてピンと張っていた。ウサギは身動きが取れなくて藻掻いている。恐らく、くくり罠だろう。
へえ……こういう狩りもするんだなと感心していると、マニは罠に掛かったウサギを鷲掴みにして、その首を躊躇なくクイッと捻った。キキィッ! っと聞き慣れない悲鳴を上げて、ウサギは血を吐いて絶命した。
兎人がウサギを絞めているという、なんとも言えない光景ではあるが、弱肉強食の世界でそれもないだろう。鳳は咳払いをして自分がいることをアピールしつつ、
「へえ、いつの間にこんな狩りの仕方覚えたんだ?」
「えっ!?」
彼が近づいていくと、マニは文字通り飛び上がって驚きの声を上げた。手にしたウサギの死骸がボトッと落ちて地面で跳ねる。鳳はそんなに驚かなくてもいいじゃないかと思いながら、まだ生暖かいウサギの死骸を拾い上げ、マニに差し出した。
「成人になると一人で狩りをやらされるって聞いたから、大丈夫なのかと思ったけど、おまえの方は大丈夫そうだな」
「え!? いや、その……」
「ハチのことが気になって様子を見に来たんだけど、あいつしっかりやれてるの?」
「え? その……どうでしょう。大丈夫だと思いますけど」
「だと良いんだけど……この罠っておまえが作ったの? よかったら俺にも作り方を教えてくれないか?」
するとマニはまるでブラウン運動みたいに黒目をあっちこっちに飛ばしながら、しどろもどろに腰が引けるような情けない声を出しつつ、
「いや、お兄さんは、僕なんかよりずっと上手に狩れるんだし、教わることなんてないでしょう。上手い人にはこういう小さい獲物は遠慮してもらわないと、僕みたいな弱い獣人が生きていけませんから」
「別におまえらの獲物を奪おうだなんて考えてないよ。単純にその構造が気になっただけだ。より糸から全部自分で作ってるのか?」
「いや、だから、僕はこういうのは別に得意というわけじゃなくて……すみません。失礼します!」
マニは吐き捨てるようにそう言うと、文字通り脱兎のごとく駆けていってしまった。明らかに鳳のことを避けている印象である。彼はぽかんとしてその後姿を見送ると、
「……ハチのことで嫌われちゃったのかな」
と独りごちた。
考えても見れば鳳が来なければ、ハチとマニはまだあの子供たちと一緒に、日々のんきな生活を送っていられたはずだ。なのに、友達と決闘をしたり、あまつさえ、それを見張らせる役を押し付けたりと、マニからすればあまり良い印象はないのだろう。
ハチだけではなく、マニにまで嫌われてしまうとは……鳳はがっくり項垂れると、もうハチを探す気力もなくなってしまい、もと来た道を戻り始めた。
頭の中は、どうやったら挽回できるかと言うことで占められて、たった今マニが見せた……そこに転がっている違和感に、彼はまだ気づいていなかった。