ラストスタリオン   作:水月一人

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人として正しい姿

 レイヴンの集落で熱病の薬を首尾よく手に入れられそうになった一行は、あとちょっとのところで乱入してきたハチに邪魔され、受け取ることが出来なくなってしまった。

 

 なんと、レイヴンのリーダーはガルガンチュアの兄で、村から追い出されたことを今でも恨んでいるらしいのだ。出掛ける前にガルガンチュアが、レイヴンとは部族間の仲が悪いから、自分の依頼であることを勘付かれないようにしてくれと言っていた理由がこれである。

 

 無論、鳳たちは依頼人の言葉を守って、自分たちがガルガンチュアの村からやって来たことは言っていなかった。だが、そこにハチが居たのではどうしようもない。やはり同じく、自分の失態で村を追い出されたばかりのハチは、村のことを逆恨みしていたのだ。

 

 異常なほどに勝ち負けに拘るハチに威圧され、散々嫌味を言われた一行は、何も言い返すことも出来ずに退散するしかなかった。こっそり村人に分けてくれと頼んでも、リーダーが反対するからと言って取り付く島もない。身体能力に劣る彼らにとって、リーダーとハチは、危険から身を守ってくれる抑止力でもあるから逆らえないのだ。

 

 レイヴンの街から追い出された一行は、あまりの仕打ちに頭にきて、もう二度と行きたくないと思っていたが……かと言って手ぶらで帰るわけにもいかない。

 

 ガルガンチュアの村では、今でも熱病に苦しんでいる村人たちがいるのだ。それに隣村の長との約束もあった。なのに人の命が掛かっているこの状況で、仕事を投げ出して帰るわけにもいかず、彼らは仕方なく、街からほど近い森の中にキャンプを張って、対策を講じることにした。

 

 真っ先に思いつくのは、とにかく下手に出てでも何とか薬を分けてもらうことだが、ハチのあの様子を見る限り、多分何を言っても無駄だろう。付き合いが長くなってきたから分かるのだが、獣人は短絡であるゆえ強情でもあるのだ。

 

 近隣の集落を見つけ、事情を話して代わりに貰ってきてもらうことも考えられたが、タイムロスが痛いのと、確実とも言い難い。いっそ襲撃しようと、珍しくルーシーがキレていたが、あの二人はともかく、他の集落の人々は関係ないのでもちろん却下だ。盗みに入るという選択肢も考えられたが、これ一度きりならともかく、今後のことを考えると、冒険者ギルドの名に泥を塗るのは得策とは言えなかった。

 

 昨晩助けた男になんとか頼んでみることも考えられたが、街に到着した段階でまだ怪我がひどく、治療のためにすぐに別れてしまったことが悔やまれた。こっそり頼みに行こうにも、彼が今現在どこにいるのかがわからないのだ。頼みの綱は彼が事情を知っているということだが、気を利かせて薬を持ってきてくれるなどというファインプレーを期待しても望み薄だろう。

 

 そんなこんなで話がまとまらず、気がつけば日が暮れてきてしまった。夜営の準備をろくにしていなかった一行は、慌てて薪を拾ってきて焚き火を囲んだが、街で分けてもらうつもりでいたから食糧事情が乏しく、なんとも侘しい夕飯となった。

 

 空腹と怒りでみんなどんどん無口になり、いたたまれない雰囲気が漂っていた。時折交わされる言葉は愚痴ばかりで、もはや建設的な意見は何も出てこなかった。中でもハチに対する怒りの言葉は大半を占め、彼の評価は地に落ちていた。だが腹立たしいことに、悪口をいくら言ったところで、何の解決にもならないのだ。

 

 興奮のせいでみんななかなか眠る気になれず、特に建設的な意見もないまま、一行は焚き火を囲んで深夜を迎えた。火が爆ぜる音が響き、ずっと熱に晒されている顔が焼けるように熱かった。

 

 鳳はそんな頬を冷やそうと、顔を上げて水を含んだ手ぬぐいを取り上げようとした。その時、同じようにそれを取ろうとしていたジャンヌと目があって、お互いに先に使えと遠慮しあっている時、そのジャンヌが怪訝そうな表情で言った。

 

「……白ちゃん。あなた、何か気になることでもあるの? ここに来てから、ずっと青白い顔をしてるけど」

 

 鳳は突然そんなことを言われて戸惑った。自分ではそんなつもりはまったくなかったからだ。

 

「え? そんなことないけど」

「昼間ハチに言われたことを気にしてるの? あなた、あいつが追い出される時、マニ君と一緒に最後まで擁護していたものね。もしかして、それで責任を感じてるのかと思って……」

 

 鳳はぶるんぶるんと首を振った。

 

「あれはあいつの自業自得だろう。なんとも思っちゃいないよ」

「なら良いんだけど……」

 

 ジャンヌはまだ少し気がかりのようだ。実を言えば確かに、少し思うところがあって鳳は話の最中、ずっとよそ事を考えていた。そんなに顔に出ていただろうかと思って、彼は気を引き締めようとしたが、そんな彼の顔を覗き込むようにしながら、今度はルーシーが尋ねてきた。

 

「私も変だと思ってたんだ。鳳くん、何か気になることでもあるの? 普段の君なら、こういう時、もっとアイディアを出してくると思うし、少なくとも何か行動を起こそうとするでしょう?」

「確かにそうだな……」

 

 とギヨームが追随する。別にそんなことはないと思うのだが……何か知らないが、彼らの中の鳳の評価は最近高すぎやしないだろうか。鳳は勘弁して欲しいと思いながら、

 

「いや、ちょっとよそ事を考えてただけだ。すまない。だけど、別に手を抜いてるつもりはないんだ。純粋に、今の状況はお手上げだよ。成すすべがない。期待に応えられなくて悪いんだけど……」

「そう……ううん、こっちこそごめんね。でももし、君が何か困っているなら、私で良かったら言ってね。昨日、隠し事がバレちゃった時、君に話を聞いてもらったことで、私は救われた気がしたんだ。だから今度は私の番かなって、そう思ったんだよ」

 

 ルーシーはそう言って、彼女にしては珍しく真面目な表情をしてみせた。鳳は、その目を真っ直ぐ見つめることが出来ずに、ぷいっと視線を逸らしてしまった。

 

 なんだかずるいことをしているような気分だった。彼女は、否応なく自分の心境を吐露せねばならなかったというのに、自分は誰にも何も言わず、独りで悶々と悩みを抱え続けている……

 

 鳳はため息を吐くと、ガシガシと後頭部を引っ掻いてから、視線だけをルーシーに戻してバツが悪そうに言った。

 

「本当に、大したことじゃないんだよ……今の状況には何の関係ないっつーか。単に、昔の嫌なことを思い出して憂鬱になっちまったんだ。昼間、ほら、ハチが兎人の女の子のこと抱き寄せて、酔っぱらいのおっさんみたいにいやらしいことをしてただろう? でも、女の子はそれほど嫌がっていなかった」

「ああ、うん、あれは最悪だねえ! あんなのが良いなんていう子の気がしれないよ」

「あれ見て、嫌な気分になったっつーか……ちょっと思い出したんだよね。俺は、女の子の気持ちがわからないなあって……な? 関係ないだろ」

「ああ、本当に関係ねえな……ぐっ!?」

 

 頭の後ろで手を組みながら、ギヨームがツッコミを入れると、横にいたルーシーがそんな彼の脇腹に肘鉄を入れた。迷惑そうな顔を向けるギヨームを無視して、彼女は身を乗り出しながら、それからどうしたのと促した。鳳は苦笑しながら、

 

「本当に大した話じゃないんだよ。俺個人の問題だし、聞いてて楽しいもんじゃないと思う。それに説明が難しいんだよ。今まで誰かに話したこともないから。何しろ、俺自身もよくわかってないんだ。ただ、それが切っ掛けで俺自身の生き方っていうか、考え方とかが変わっちまったことが昔あってさ。あいつのあの、勝ち誇った顔を見た時に、俺はそれを思い出したんだよ。何から話せばいんだろうか……

 

 人間ってのは人によって価値観が違うだろう? 音楽でもファッションでも、あれが好きこれが好きとか、大人っぽい子供っぽいとか、人の受ける印象は千差万別だ。そんなばらばらの個人が集まってるのが社会ってやつだから、一つにまとまっているように見えて、実際にはその中には色んな価値観ごとのグループが形成されている。学校でも、会社でも、価値観の違う派閥ってものがあって、お互いに無視しあってるならともかく、牽制しあったり、馬鹿にしあったりしている。

 

 そして大多数が少数を踏みにじり、強いものが弱いものを威圧する。イジメが起きたり、闘争が起きたりするのは、派閥間のバランスが崩れたときだ。人間ってのは、自分とは違う価値観の者を忌み嫌う。何故なら誰も彼もが本能のまま生きていたら、人間は奪うことしか考えないからだ。

 

 例えば、友達とどういう付き合いをするかじゃなくて、単にその数だけを重視する人間がいる。相手のことが好きかどうかは関係なく、椅子取りゲームみたいに異性を求める人間がいる。俺はそう言う人達のことを、まるで動物みたいだなと思って見下してきた。野生動物みたいに、本能のままに生きるのは、人間として間違ってると……

 

 動物の繁殖について考えてみよう。発情期にツガイを同じ檻に入れておけば、相手が誰か関係なく、その動物は交尾する。それは本能だ。人間は家畜の本能を利用して、品種改良をしてきた。ところで、人間も動物であり、オスでメスだ。だから、例えば林間学校なんかで、中学生の男女を一名ずつ、ペアにしてテント泊をさせたら何が起きるかは言うまでもないだろう。表面上はまったく興味がない相手だとしても、同じ空間で寝ていたらムラムラして襲ってしまう奴が必ず出てくるだろう。本能がそう命令するからだ。

 

 でも全部が全部そうするわけじゃない。例えば日本のような先進国でそんな実験をやった場合、多くのペアが欲望に打ち勝つことが出来るだろう。彼らは理性を働かせて、いたずらに肉欲に溺れたりはしない。何故なら、好きな子を守ろうとして大事に扱うことが出来るのが、強い男の証だからだ。俺たちはそう言う教育を受けてきて、現実にそういう欲望に負けない人たちの方が好ましいと思い、尊敬もしてきた。理性は欲望に勝るんだ。

 

 しかし、本当にそうか? 例えば欲望に負けて襲ってしまう者と、女子を傷つけまいとして何もしない者。どちらがより人間のオスとして正しいんだろうか? いや、どちらが正しいとか正しくないとかではなく、単純に結果だけを見た時……より多くの遺伝子を残すのはどっちだ?

 

 適者生存の法則により、俺たち人類は絶え間なく訪れる地球規模の災害に打ち勝ち、ついに万物の霊長として地に満ちた。適者生存とは強い者が生き残るのではなく、環境に適応したものが生き残ってきたことを意味している。

 

 実際、戦争はそれを如実に表している。弱者を虐げる戦争犯罪ばかりが目立っているが、現実の戦争で真っ先に死んでいくのは、前線の勇敢で強い兵士からだ。そして言うまでもなく、卑怯なものほど多くの戦果を上げている。

 

 そう考えると……友達とどういう付き合いをするかじゃなくて、単にその数だけを重視する者。もしくは、相手のことを好きかどうかは関係なく、椅子取りゲームみたいに異性を求める者……人として正しいのは、果たしてどちらだ?」

 

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 エミリアは中学になって綺麗になった。彼女が通り過ぎれば誰もが振り返り、彼女が笑えばまるでそこに花が咲いているようだった。みんな彼女に好意を抱いており、お近づきになりたくてあれこれ画策した。でも彼女は本質がオタクだったから、引っ込み思案で誰に対しても愛想よく出来ず、それが返ってミステリアスな印象を与えていた。

 

 もちろん、先輩たちにも評判で、休み時間になると体の大きな先輩たちが、嫉妬と羨望の混ざった目つきで、彼女のことをジロジロ観察に来たものだった。彼女はそんな先輩の目に怯えて体を硬化させ、それがかえって彼らの庇護欲を誘った。

 

 鳳はそんな彼女の友達として、変なふうに目立ってしまっていた。それだけではなく、彼はお金持ちのボンボンだったから、お金の力で彼女のことを縛っているのだと言う、おかしな噂までが流れていた。

 

 そんな噂を打ち消してくれたのが先輩だった。先輩は鳳がまだ小さい頃、近所に住んでいたガキ大将で、子供会の集まりやお祭りなどで、いつも遊んでくれた兄貴分だった。カラッとした性格で人柄もよく、誰からも好かれており、だからもちろん、鳳も彼のことを信頼して、誘われるままに彼の所属する部活にも参加していた。

 

 そんな先輩だからこそ、エミリアを紹介してと言われた時、彼は何の抵抗もなく彼女のことを紹介してしまった。彼女が取られるなんて気持ちはさらさらなく、寧ろ先輩と彼女が付き合ったら、それはきっと素敵なことだとさえ思っていた。

 

 エミリアは不服そうだったが、鳳に勧められたこともあり、そして先輩に逆らうことなんて出来るわけもなく、彼女は学校のいわゆる一軍連中と付き合い始めた。それは今にして思えば、チャラい集団だったが、当時、まだ子供だった鳳には、凄く格好いいグループに思えた。だから、その中に自分の好きな人がいることは良いことなのだと単純に思っていた。

 

 どうしようもなくガキだった。

 

 間違いが起きたのは夏休みのことだった。

 

 どうやら、一軍連中が親や学校には内緒で、子供だけで海に泊まりに行ったらしい。海辺にグループの誰かの別荘があるらしく、そこに一泊したのだ。それは好意的に見れば、単に子供だけで楽しもうとしただけの他愛のない遊びだった。

 

 だが、きっと彼らの誰一人として分かっていなかったのだ。世の中には、本能に逆らえない人間がいることを。異性がそこにいるだけで、必要以上に馬鹿騒ぎをし、虎視眈々とセックスすることだけを目的とする、そういう人間が思ったよりも存在することを。

 

 案の定、連中の中から性欲に耐えきれなかった者が現れ、その日めでたく大人の階段を上り……そして無駄に騒ぎすぎたせいで近所の誰かに通報され、めでたく警察の厄介となり、彼らの企みとセックスは親と学校の知るところとなった。

 

 夏休み明け……問題となった連中は停学を食らった。

 

 その中にはエミリアも含まれていたが、連帯責任で全員が停学になっていたので、鳳はまだ彼女に起きたことを知らなかった。彼は先輩のことを信頼していたし、彼女がそういうことが嫌いなこともよく知っているつもりだった。

 

 ところが、数週間が過ぎて連中の停学が開けても、何故かエミリアだけがいつまで経っても学校にこなかった。次第に焦りが募る中、鳳の耳に聞こえてくるのは、あいつセックスしたんだぜという、クラスメートのうわさ話ばかりだった。

 

 絶対にそんなことはない。怒った鳳は、事件以降、彼を避けていた先輩を問い詰めに行った。

 

 一年の、体の小さな、ひょろひょろの子供が乗り込んできたところで、怖くなんてなかっただろう。しかし、先輩は鳳がクラスに乗り込んでくると、ものすごく狼狽して言い訳を始め、何が起きたのかを問い詰める彼に対し、

 

「分かった分かったちゃんと説明するから」

 

 と言って煙に巻いた。今にして思えば、多分、クラスメートの前で真実を告げることを避けたかったのだろう。彼はまだ外聞を気にしていたのだ。そして鳳もまた、そんな彼のことを信じていた。

 

 しかしそんなものは幻想だ。

 

 放課後、先輩に言われた通り、学校外の人気のない場所に事情を聞きに行った鳳は、そこで一軍連中に囲まれた。それでもまだ先輩のことを信じていた彼は先輩を睨みつけ、どういうことかと詰問した。

 

「どうもこうもないだろう……?」

 

 先輩は、馬鹿な鳳が、こんな場所まで一人で来たことに笑いが止まらない感じで彼に近づいてくると、まるで躊躇なく彼の顔面にパンチを入れた。まだ何が起きているか分からない鳳がぽかんとしていると、周りで見ていた連中が一斉に動き出して、彼はボコボコにされたのだった。

 

「海についてきたらどうなるか、わかりきってるじゃないか」

 

 パチンパチンと乾いた音が鳴って、体中に熱が走った。全く予期せず殴られると、人は痛いと感じるよりも、ただ熱いと感じるようだった。

 

「ついてきた時点で、あれは合意だったんだよ。エミリアは大げさなんだ」

 

 突然、体だけは大人みたいな連中にボコボコにされた鳳は、驚いて先輩に助けを求めた。しかし、そうして見上げた彼の目に飛び込んできたのは、あの時、ハチが見せたような、優越感に満ちたいやらしい表情だったのだ。

 

「悔しいか? 鳳。おまえがグズグズしてる間に、俺が奪ってやったんだ」

 

 目は釣り上がり、鼻がピクピクと膨れ上がる。こみ上げてくる笑いが堪えられず、口の端が奇妙に歪んでいた。興奮を抑えきれないといった感じの震える声が耳朶を打つ。

 

「おまえより、俺のほうが優秀だから、当然だろう?」

 

 抵抗したくても体力的に不可能で、鳳はただ滅茶苦茶に殴られ続けた。そのうち、その一発がよほどいいところに決まったのか、呼吸が出来なくなり、意識が遠のいていった。痛みが体を縮こまらせ、恐怖が心を締め付ける。涙で視界がぼやけて、嫌な奴の顔が見えないことだけが、唯一の救いだった。

 

 地面に転がる彼の体に、大勢の男達の足が突き刺さる。執拗に蹴り上げられる脇腹に、呼吸が出来ない。恐らく、骨も何本かいってしまっているはずだ。もはや意識を繋いでいるのは、ただ苦しみを長引かせるだけだ。鳳は抵抗を諦め、意識を手放し……そして心も閉ざした。

 


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