熱病の特効薬を貰いに来た鳳たちは、レイヴンの村でハチの妨害を受けた。そのせいで薬の入手手段を絶たれた一行は、失意の中で対策を練る羽目になる。焚き火を囲み喧々諤々の議論の中、途中、鳳やギヨームの昔話で脱線していると、キャンプに近づいてくる人の気配を感じた。
やってきたのは狼人の女性で、なんとマニの母親だと言う。昼間、鳳たちがリーダーの家の前で揉めていたのを見かけ、マニが病気であることを知って追いかけてきたそうだ。
彼女は、もしマニが死にそうなら助けて欲しいと言って薬を手渡してきた。しかし、彼女はどこからどう見ても狼人である。とても兎人のマニの母親には見えない。鳳は驚きながらも薬を受け取ると、その辺りの事情を聞くために、彼女に落ち着くように促した。
「マニのお母さんっておっしゃいますが……失礼ですけど、ガルガンチュアの集落にいる、兎人のマニのことですか? 人違いではなく?」
鳳が戸惑いながらその点を確認すると、彼女はこっくりと頷き返して、
「そうです。そのマニです。間違いありません。あの子は元気なんでしょうか? 村でちゃんとやれているんでしょうか?」
「え、ええ……あ、いや、病気だから大丈夫ってことはないけど、暫く前までは元気でしたよ。つい最近、長老から成人と認められてましたし」
「まあ……なんて嬉しい!」
女性はそれを聞いた瞬間、我がことのように喜びを顕にしたが、すぐにそのマニが病気で苦しんでいることを思い出すと表情を曇らせ、
「なら、尚のこと、あの子のことをよろしくお願いします。せっかく大人になれたのに、こんなことで死んでしまったらと思うと、私は居ても立っても居られません。もっと薬が必要なら、すぐ取ってきますから……どうか、どうか……」
鳳は、どうやらこの女性は本当にマニの母親なのだなと判断すると、薬のことは一先ず置いておいて、さっきから気になっていることを尋ねてみた。
「とにかく落ち着いて……まさかこんなところでマニのお母さんに出会うなんて、正直とても驚いてます。でも、ちょっと聞いてもいいですか? どうしてマニとあなたは一緒に暮らしていないんですか? それに……失礼ですけど、あなたが彼のお母さんって言われても、信じられないんですよ。だって、あなたは狼人でしょう? 兎人のマニとは種族が違うじゃないですか」
鳳はそこまで言いかけたところで、昨日始めて知った獣人の混血問題を思い出し、
「あ! もしかして、お父さんが兎人だったんですかね? きっとそうだ……だからあいつ、あんなに流暢な言葉を話したり、罠を使ったり、まるで人間みたいに振る舞うことが出来たんだな……なるほどなるほど」
鳳がそう言って一人で納得していると、その答えがよほど想定外だったのか、彼女はドギマギしながらほんの少し押し黙り、それから恐る恐るといった感じに、
「それは……ガルガンチュアからは何も聞いていないんですか?」
「ガルガンチュアさんに? ええ、聞いたことないですけど……」
「そうですか……なら、私からこんなことを言って良いのかわかりませんが……」
彼女は何かを決意するような眼差しでじっと鳳の目を見ながら、
「あの子の父親はガルガンチュアです。マニは、彼と私の息子です」
と言い出した。
狼人と狼人の子供が兎人のマニだという。鳳はもはや何が何だかわからなくて、黙って彼女の話を聞くしかなかった。そうして彼女が聞かせてくれた話は、とても複雑で、とても悲しい物語だった。
ガルガンチュアとマニの母親が出会ったのは今から10年ほど前、勇者領でのことだった。
当時、まだ族長じゃなかった彼は、父の名代として冒険者ギルドの依頼を受けに勇者領へやって来た。
若い頃の彼はやんちゃで荒々しく、腕は立つがトラブルも多い冒険者として知られていた。その頃は兄が跡目を継ぐと思っていた彼は、宵越しの金を持たない主義で、報酬を貰ってもすぐに遊びにつかってしまった。仲良くなった冒険者と呑んだくれたり、博打を打ったり、女を買った。そこで出会ったのが、マニの母親だったのだ。
マニの母親は狼人と兎人のハーフで、見た目は狼人の混血だった。先に言及した通り、獣人の混血は繁殖能力が殆どなく、避妊の必要がないため男娼や娼婦になることが多かった。
ガルガンチュアは娼館にちょくちょく通っている内に彼女と出会い、次第にのめり込んでいった。貰った報酬の殆どを彼女につぎ込み、やがて彼女のことを真剣に愛するようになっていった。そんな時に、彼女が妊娠したのである。
自分の子供だと確信したガルガンチュアは彼女を身請けしたいと言い出した。こういう場合、普通は雇用主が渋るものだが、絶対出来るはずのない子供が出来たことと、狼人は娼婦としてあまり人気も無かったために、話は意外とすんなり進んだ。
ガルガンチュアはそれまでの荒んだ生活を改め、真面目に働きお金を溜めた。ところが、ようやく彼女と一緒になれそうになった時、兄のパンタグリュエルの成長が止まってしまったのである。
彼らの集落において族長は最も高レベルの男子がなるものだった。ガルガンチュアは村に呼び戻され、族長として家を継ぐことになった。寝耳に水の出来事だったが、彼は既にお腹が大きくなっていたマニの母親を連れて村へ帰還する。
本来なら、族長の嫁は村の中から選ばれるものだが、マニの母親は特例として婚姻関係のないまま村に迎え入れられた。元々、ガルガンチュアは族長になる予定がなかったから、致し方ないという理由もあったが、彼女の妊娠は、彼が不能ではないことの証となり、好都合なこともあった。
ガルガンチュアの集落に限らず、大森林の部族はどこもかしこも近親交配を繰り返しているため、子供が生まれにくいのだ。妊娠しても流産してしまったり、生まれてきても中々大きく育たない。先代も結局二人しか子供を残せなかったくらいだった。
ところが、そうして一度は受け入れられたガルガンチュアとマニの母親の関係であったが、月日が過ぎ、いよいよその子供が生まれてくると、一転して立場が危うくなった。ここまでくれば分かるだろうが、生まれてきたのが兎人のマニだったからである。
「私があの子を産んだら、村人たちの態度は豹変しました。それはそうですよね、狼人が兎人を産んだんですから。それに私は元娼婦でしたから、彼らはこれは誰の子供だといって糾弾します。私には半分兎人の血が流れていると言っても、誰も聞いてはくれませんでした。唯一、ガルガンチュアだけは信じてくれましたが、しかし彼は族長という立場上、私に肩入れが出来なくなっていたのです。こうして私は村から追放されました。いまさら元の生活に戻ることも出来ない私を見かねて、ガルガンチュアが子供に罪はないからといって、生まれた子供を引き取ってくれましたが、そのせいであの子に苦労をかけていると思うと、私は不憫で不憫で……」
「それであなた達は別々に暮らしていたんですか」
「はい。村から追放された私は、その後、リーダーに拾われました。ガルガンチュアと彼は、袂を分かった後も交流があったみたいです。ただ、この件もあって彼は完全に生まれ故郷の人たちを憎むようになりました。それで、あなた方が来た時も、冷たくあしらってしまったのです」
「そうだったのか……」
揉めた時はケツの穴が小さいやつだと思ったが、こうして理由を知った今は、彼の気持ちも分かる気がした。もしかすると、ここにマニの母親が薬を持って来れたのも、案外、彼が見逃してくれているお陰なのかも知れない。
何の保証もないこの世界で、生まれたばかりの子供を抱えた母子が暮らしていくのは不可能だ。もし彼が救いの手を差し伸べてくれなければ、母子は死んでいたかも知れない。仮に、彼女が娼婦に戻りマニを育てたとしても、それで彼が幸せだったかどうかもわからないだろう。鳳は、どうしてマニと一緒に暮らさないのかと、責めるようなことを言ってしまったことを反省した。
「事情も知らず、無神経なことを言ってすみませんでした。あなたに貰ったこの薬は、必ずマニに届けると約束します」
「いいえ、お気になさらず。私はあの子さえ幸せなら何を言われても良いのです。薬はそれだけで足りるでしょうか? もしもまだ必要なら、取りに戻りますけど……」
鳳は首を振って、
「いえ、これだけあれば十分です。後は自分たちでなんとかしますから」
彼がそう言うと、マニの母親はまだ不安げな表情をしたまま、くれぐれもマニによろしくと言って、何度も振り返りながら去っていった。
鳳がそれを笑顔で見送っていると、その隣で黙って彼らの話を聞いていたギヨームが、
「なんとかするって、どうするつもりだ? もしかして、おまえにはそれが何なのか分かるのか?」
すると鳳は自信満々に頷いて、
「ああ、スキルのお陰で見た瞬間分かったよ。これはキナ皮を乾燥させたものだ。あの熱病の正体はマラリアだったんだよ」
マラリアは古くはアレキサンダー大王がアジア遠征で罹患し命を落とし、帝国崩壊に繋がったと言われる人類に猛威を振るった感染症である。彼に限らず、これまでに多くの偉人や名もなき人々を葬ってきた疫病だが、現在では治療法が確立されている。
紀元前から知られている病気であるが、キナの木の皮が特効薬になると判明したのは、かなり後の話で、大航海時代、南アメリカのネイティブが解熱剤として利用していたのを、征服者たちが発見してからだった。
19世紀、ケシから薬効成分モルヒネが抽出され、世界初の化学薬品が開発されると、早速キナ皮からも薬効成分キニーネが抽出され、以来、マラリアの特効薬として使われていた。しかし20世紀に入り、ベトナム戦争で米軍の備蓄が枯渇すると、キナの皮が暴騰し、それ以降は工業的に生産されるようになった。科学の進歩には、いつも戦争がつきまとうのは皮肉な話である。
さて、キニーネの抽出と言うが、要はMPポーションの高純度結晶を作るのと同じことで、鳳はこれまでに何度かその経験があった。それどころか、新しく覚えたスキル、アルカロイド抽出は、正にこの操作のことであり、今の彼に出来ないことはないと言えた。
キナの木も、一度その実物を見たなら、彼に見つけられないわけもなく、彼らはレイヴンの街からの帰り際、首尾よくそれを見つけてキナ皮を大量に確保することに成功した。こうして鳳たちは、目的を果たして、ガルガンチュアの集落まで帰ってきたのであった。
出発から一週間、予定通り帰還した鳳たちのことを、村の外でガルガンチュアが出迎えてくれた。彼は村人たちのことを心配して、鳳たちが薬を持って帰ってくるのを、今か今かと待ち構えていたのだろう。彼らが目的の薬をちゃんと持って帰ってきたことを伝えると、彼はホッとした表情ですぐに村人たちに分けてくれと頭を下げた。
こうして村を襲った疫病は終息し、鳳たちは村の救世主となった。心配していた長老は、約束通り隣村の長が薬を届けてくれたお陰で大事無く、鳳たちが帰った頃にはすでに回復基調に入っており、完治した今となっては元通り昔話を村人たちにしていた。
鳳は持ち帰ったキナ皮からキニーネを抽出し、いざという時のためにギルドに備蓄することにした。インドではイギリスの植民地時代、防疫としてトニックウォーターが飲まれていたというから、レシピを研究してミーティアに託し、他にもいる大森林の駐在員に気をつけるようにと伝えた。
それから鳳はガルガンチュアに言って村の大掃除をした。考えても見ればここは熱帯雨林、どこにどんな病原菌が潜んでいるかわからないのだ。鳳たちが無事だったのは、プライバシーの確保のために、たまたま蚊帳を吊っていたからだろう。迂闊だったと反省し、村人たちにもせめて商人から仕入れた薄布を吊るすように推奨した。
その他、虫よけにハーブを植えることも提案したが、狼人は鼻が良すぎて耐えられないらしく却下されてしまい、結局今まで通りやっていくしかなかった。唯一、マニだけはハーブが平気なので、まだ病床についていた彼の枕元に置いてやった。
狼人と比べて体の弱いマニは、他の村人たちが回復した今も、まだ病床に臥せっていた。族長の家の中で倒れていた彼を発見した時は不思議に思ったが、ガルガンチュアの息子であると知った今は何の不思議も無い。気が付かなかったが、彼はずっとこの家で暮らしていたのだろう。気が付かなかったのは、多分、彼が未だに村の腫れ物だからだ。
鳳は彼を見舞った後、去り際に思い立って、彼の母親に会ったことを伝えた。本当は言ってもいいか迷ったのだが、
「そう言えば、マニ……レイヴンの街で、おまえのお母さんに会ったよ。実は、先方に意地悪されて、もう少しで薬を貰いそこねるとこだったんだ。それをおまえのお母さんがなんとかしてくれたんだ」
「……お母さんに会ったんですか?」
「ああ。村の人達やおまえが助かったのは、お母さんのお陰だよ。感謝するといい。お母さんはおまえのことを、今でも気にかけていたよ。元気になったら、いつか会いに行けるといいな」
鳳がそう言って立ち去ろうとすると、床に臥せっていたマニがシクシクと声を上げて泣き始めた。鳳はその声に立ち止まり振り返ると、マニは涙で濡れた顔でぼんやりと天井を見ながら、
「……僕も……お母さんに会いたい。村から出ていって……お母さんと一緒に暮らしたい……」
マニはそう呟くように繰り返すと、何もかも諦めたような表情で涙を流していた。鳳はその顔が、なんだか昔の自分と重なって見えるような気がして、居た堪れなくなって部屋から逃げるように立ち去った。
勇者領に留学したい……お母さんと一緒に暮らしたい……多分、マニはこの村のことが嫌いなのだろう。出来るなら、早くここから出ていきたい。でもそれが出来ないのは、彼がまだ子供で、そしてガルガンチュアの唯一の子供だからだろう。その姿は不憫で、鳳は彼に深く同情していた。
マニが生まれた時、こんな村を捨てて、親子三人で暮らすという選択は出来なかったんだろうか……?
出来なかったんだろうなあ……
鳳は族長の家から外に出ると、手を翳してまだ明るい空を見上げてから、ジャンヌとメアリーが待つ自分の家へと帰っていった。