ラストスタリオン   作:水月一人

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生と死の分水嶺

 五精霊の一人ミトラに誘われ、地球での寿命が尽きると、レオナルドはこの世界に転生した。こうして新たな肉体を得た彼は、第二の人生でついに悲願の幻想具現化(ファンタジックビジョン)を完成する。そして前世の記憶とその力でもって、勇者とともに魔王を退治することに成功したのであるが……

 

 それで目的を達したかと思えば、実はそうでもなかったらしい。確かに魔王はいなくなったが、相変わらずこの世界は、魔族、神人、人間、獣人に分かれて争いを続けており、終わる気配がなかったのだ。

 

 だから精霊が消えたあとも、彼は完全な人間というものを模索していた。精霊の話によれば、少なくともこの世界の争いごとは、神々が完全な人間を作ろうとしたことで起きたのだ。もしかすると完全な人間とは即ち、高度な文明社会のことではないかと考えた彼は、勇者と協力してこの世界の人々を導きはじめた。しかし、それはすぐに頓挫する。

 

 以前も言及した通り、獣人は頭が悪いのだ。中世のように識字率が低いとかそういうレベルの話ではなく、創造性がない彼らを教化することは不可能だった。だから、この世界を近代化したら、恐らく獣人は淘汰されるだろう。

 

 それも自然の摂理と言えばそれまでだが、元から邪な魔族はともかく、獣人まで滅ぼしてもいいのだろうか? それでは、魔王と同じではないか?

 

 そうして悩んでいるうちに勇者がおかしくなっていった。それまで女には殆ど興味を示さなかったくせに、あちこちに女を作りまくり、それが火種となって、後の大戦争につながったのだ。

 

 勇者は暗殺され、共に戦った仲間たちが次々と倒れていく中、独り生き残ったレオナルドは、その後どうすることも出来ず、この世にとどまり続けていた。神人ではなく、普通の人間がこのように長寿なわけがないから、彼が生き続けているのは恐らく精霊の影響だろう。彼にはまだ果たしてない役割があるのだ。

 

「精霊はなんて言ってるんだ?」

 

 鳳が尋ねる。レオナルドは黙って首を振りながら、

 

「わからぬ」

「どうして? 爺さんは精霊と話が出来るんじゃないのか?」

「精霊は高次元の世界の住人じゃ。どこにでも居るが、それを見るにはコツが要る。精霊は何にでも答えてくれるが、複雑な答えは期待できない。せいぜいイエスかノーかしか返ってこないのじゃよ。それは出し惜しみしているわけではなくて、恐らく向こうが伝えたくとも、儂らには理解できないのじゃろう。儂らが彼らのことを理解するには、まず高次元に関する理解が必要なのじゃ」

「なら爺さんは、どうして精霊の名前とか、その目的とかが分かったんだ? 精霊と対話したからじゃないのか?」

 

 鳳がそれでも納得いかず、その点をしつこく尋ねてみると、

 

「それは儂があの時、棺桶に片足を突っ込んでおったからじゃろう。意識は朦朧としていて、気も大分弱っておった。もう死んでも構わないとそう思っておった。そんな時、熱に浮かされた人間が幻覚を見るように、精霊が儂に神秘を見せたのじゃろう」

「つまり、頭がイカれてるほうが精霊と対話するには都合がいいってことか……」

「そうじゃな。丁度、先程のお主のように」

 

 鳳はうなずき返すと、

 

「そうだった……あれは一体、なんだったんだ? キノコで意識がぶっ飛んだかと思ったら、まるで映画でも見てるかのように、次々と頭の中に映像が流れ込んできた。いつの間にか、その内容をみんなに向かって喋ってたみたいだし……でも、俺にはあんな記憶は無いし、いきなり思いつく理由もない。俺は未来でも見せられたとでも言うんだろうか?」

「話の内容からして、恐らくはな」

「そんなことってありうるのか? 俺は預言者でもなんでもないんだぜ?」

「キリスト教的な預言者であるかどうかと問われれば、お主はそんなものとは違うじゃろう……だが、未来を知ることは、お主が思ってるほど特別なことではない」

「まさか! なら爺さんは、未来を知ることが出来るっていうのかい?」

 

 鳳が驚いてそう聞き返すと、レオナルドはさも当然といった感じに、

 

「簡単な話じゃ。未来を知りたければお主に聞けば良いじゃろうが」

「……え?」

「お主は儂の知らぬ未来からやってきた人間じゃろう。この世界は、儂やギヨーム、そしてお主のように、違う時代からやって来た者が一堂に会しておる。なら、お主の知らぬ未来を知っている者がいてもおかしくなかろう。ましてやそれが精霊であるなら尚更じゃわい」

「……確かに」

 

 鳳は黙るしかなかった。当たり前の話だが、自分が居なくなったからといって、世界が無くなるわけじゃない。人類が滅びない限り、未来はいつまでも続いていく。しかし、彼は先程の神秘体験を思い出し、唸り声をあげずにはいられなかった。あれが未来の出来事だとしたら、その内容が悪すぎる。

 

「もし、さっき見たあの映像が本当なら……それじゃ、人類は自らが作り出したリュカオンによって滅ぼされたってことなんだろうか……?」

 

 しかしレオナルドはそれを否定した。

 

「……それはどうかのう」

「え……?」

 

 彼はたくわえたヒゲを引っ張りながら、

 

「もしそうなら、この世界の人間はどこから来たというのじゃ。神人は? 魔族は? それに、この世界で淘汰されそうになっているのは人間ではなく、寧ろ獣人の方ではないか」

「……言われてみれば」

「恐らく、お主が見たものには、まだ続きがあるのじゃろう。精霊がそれを見せる前に、お主の精神がこっちに戻ってきてしまったのじゃろう」

「なら、もう一度キノコで飛んだら続きが見れるんだろうか……?」

「かも知れぬ。しかし、今日はもうやめておいた方が良いじゃろう」

 

 鳳はうなずき返した。あのトランス状態は強烈だった。クスリで無理矢理なったわけだが、あんなことを続けていては、本当にジャンキーになりかねない。それに今、疲労困憊していることは、自分が一番良くわかっていた。

 

「後日、長老に事情を話して、また試してみよう。獣人は融通が利かないけど、爺さんからも頼んでくれれば、素直に聞いてくれるかも知れない。お願いできるか?」

「その程度なら構わぬ。儂も気になるからな」

「後はメアリーにも話を通しておきたいとこだが……そう言えば、そのメアリーはどこに行った?」

 

 クスリで飛ぶ前は家にいたと思ったが。気がつけばジャンヌの姿も見あたらない。

 

「そう言えば……儂もお主に気を取られて、あの子のことをすっかり忘れておった。確か、お産が始まるからと言ってソワソワしておったはずじゃが……」

 

 二人がそうしてメアリーの姿を探している時だった。朗々と昔話を続ける長老の声に混じって村の外から、

 

「きゃあああああーーーーっっ!!」

 

 っと大きな悲鳴が聞こえてきた。丁度その人を探していたところだったから、二人にはその声の主が瞬時に分かった。

 

「メアリーの声だ!」

 

 ちょっと目を離したすきに、いつの間に村の外になんて出ていってしまったのだろう。いや、そんなことより、今はその悲鳴の方だ。鳳たちは慌てて悲鳴の聞こえた方へと駆け出した。

 

*******************************

 

 鳳がキノコでトランスしてしまう少し前……メアリーは朝からずっとソワソワしていた。マラリア騒動で死にかけていた妊婦のお産が今日にも始まりそうなのだ。もしかするとお腹の中の赤ちゃんに何か影響があるかも知れない。彼女は気がかりで仕方なかった。

 

 村の女達は出産に慣れているせいか、メアリーと違って気楽そうだった。彼女が不安を漏らすと、もし無事じゃなくても平気だからと軽く受けあっていた。何が平気かよく分からなかったが、きっとメアリーの緊張をほぐそうとしてくれていたのだろう。彼女は気もそぞろに家の中でウロウロしていた。

 

 もしもの時のためにギルドに行ってレオナルドを呼んでおいた。本当は鳳よりもずっと医学に通じているので、こういう時に頼りになるのだ。彼は村にやってくると、広場で始まってしまった鳳の儀式を面白そうに眺めていた。

 

 その鳳はまるで本物の神官にでもなったかのように、何だか難しい話を朗々と謳い上げていた。目が血走っていて別人のようである。神人のメアリーにはわからない感覚であったが、余り魔法の素養がない人間がMPポーションを過剰摂取したりすると、ああなることがあるらしい。こうなると何を言っても話が通じないので困ってしまうのだが、傍から見てる分には面白いので、お産さえ無ければメアリーも一緒に眺めたいところだった。

 

 と、そんなことを考えていると、村の女達がソワソワし始めた。どうやらお産が始まるようだ。女達は鳳の話に夢中になっている男たちから隠れるように、こそこそと妊婦を連れて村から出ていった。こんなプライバシーもない村で、出産なんてどこで行うんだろうか? と思っていたが、やはりと言うか、どうやら村の中では出来ないらしい。メアリーは彼女たちの後を追った。

 

 出来ればレオナルドにもついてきて欲しかったが、あまり無理を言うのも悪いだろう。いざという時が来なければその方がいいのだし、それまで好きにさせておこう。代わりにジャンヌがついてきてくれたが、村の女達に拒否されてしまった。多分彼が男だからだろう。メアリーは、しょんぼりするジャンヌをそこに残して、みんなと一緒に森の中へと入っていった。

 

 お産はその森の中で行われた。いつの間に用意してあったのだろうか? 分娩のために開けられたスペースに、粗末な布と枯れ葉で簡易ベッドが作られていた。運び込まれていた水瓶には、近くの川の水がたっぷり入っており、村中からかき集められた布が、焚き火で熱せられた鍋の中でグツグツと煮沸消毒されていた。

 

 お産が始まり、妊婦の苦しげな声が周囲にこだまする。もっといきんでと言う声と共に、ラマーズ法だかなんだかの特徴的な呼吸音が続き、気づかぬ内にメアリーもそれと同調するように体に力が入っていた。間もなく女達が忙しそうに動き出し、メアリーはそんな彼女らに端っこに追いやられてしまった。

 

 もう女達もメアリーに構っていられる状況ではないのだろう。彼女からは出産の様子は見えなかったが、順調に進んでいることだけは雰囲気でわかった。妊婦は初めてのお産ではなく、何度か出産の経験があるようで、思ったよりも早く決着がつきそうだった。

 

 そして、メアリーがハラハラしながら見守っている前で、妊婦の苦しげにあえぐ声がだんだん大きくなり、と同時に、彼女をサポートする女達の動きが忙しくなって、ついに待ち望んでいた赤ん坊が誕生したのであった。

 

 妊婦につきっきりで励まし続けていた助産婦が、さっと赤ん坊を取り上げ、へその緒を切り、逆さまに吊り上げた赤ん坊の尻をパンパンと叩くと、赤ん坊はおぎゃあおぎゃあと泣き声を上げた。

 

 その瞬間、周囲を取り巻いていた緊張感がパッと解れ、さっきまで怒号のように飛び交っていた女達の声と、妊婦のうめき声が止んだ。助産師が取り上げた赤ん坊を妊婦に手渡す。母になった妊婦はその子を受け取ると、慈しむような表情でその泣き顔を見つめていた。

 

 感動的な光景だ……

 

 メアリーはその母子の姿をうっとりと眺めていた。

 

 獣人の赤ん坊は人間よりも一回り小さく、その頭は猿というよりモグラみたいな印象だった。おぎゃあと泣いている姿は、さっきまで母親のお腹の中に居たなんて信じられないほど元気である。獣人は成長が早く、これがほんの10年ほどで、ガルガンチュアみたいに大きく育つのだと言うから想像もつかない。

 

 300年も生きた彼女からしてみれば、10年なんてあっという間の出来事だ。これも何かの縁である。この子が大きくなった姿を、いつかこの目で確かめたいとメアリーは思った。そしてその時のために、今日が何月の何日であるか覚えておこうとして、すぐ隣にいた女の方を振り返った時だった。

 

 さっきまで忙しそうにしていた女性たちが、彼女の後ろで深刻そうな表情で佇んでいた。彼女らは生まれたばかりのわが子を抱く女性を遠巻きに取り囲むように、半円状に広がっていた。

 

 獣人の表情は分かりづらいとはいえ、その雰囲気が出産を祝うものとは到底思えなくて、メアリーは困惑した。もしかして、元気そうに見えるあの赤ん坊に、何か違和感でも見つかったのだろうか……? メアリーは不安にかられて、母親が抱きしめる赤ん坊の姿をじっと見つめた。しかし、赤ん坊におかしなところは見当たらない。

 

 それじゃあ一体、何故この女性たちはみんなお通夜みたいな雰囲気を漂わせているのだろうか。困惑しているとその母親に、助産師が何かを耳打ちするように囁いた。

 

 それを聞いた母親は、まるで羽虫を払うような仕草で助産師のことを遠ざけた。しかし、一度追い払われた助産師が、すぐにまた彼女に耳打ちすると、それまで赤ん坊のことを慈しむように見つめていた母親の顔が、どんどん暗い表情へと変わっていった。

 

 そして助産師が最後に、分かってるだろうね? と言わんばかりに彼女の肩を叩くと、母親は無表情でこっくりと頷き、それまで命よりも大事そうに抱き上げていた赤ん坊を、そっと地面に下ろした。それを見て助産師が彼女から離れる。母親は離れていく助産師の方を……そしてメアリーたちのいる方を見ず、じっと地面に寝かせた自分の赤ん坊のことを見つめていた。

 

 メアリーは何故そんなことをするのかわけが分からず……どうして母親が、泣いている赤ん坊を抱いてやらないのかと首を捻った。彼女は近づいてきた助産師に、一体何があったの? と尋ねてみた。しかし助産師は黙って首を振るだけで、他の女性たちと同じように、母親のことを取り囲む半円の中に入るのだった。

 

 なんだろう……嫌な予感がする……

 

 メアリーはその雰囲気に当てられ、嫌な気分になってきた。何が起ころうとしているのか、彼女はこの期に及んでも分からなかったが、ただ、非常に嫌なことが起きそうな予感だけがしていた。

 

 と、その時……女性たちに注目されるように取り囲まれていた母親が、ふいに動いた。彼女は地面に横たえていた赤ん坊をひょいと持ち上げた。そしてメアリーが何をするんだろう? と見ている前で、その子の首をクイッと横に捻ってしまった。

 

 それは一瞬のことだった。気持ちを整理する暇も無かった。あっという間の出来事だった。クイッと、まるで捕らえた小動物を絞めるような気安さで、母親はたった今自分が産み落としたばかりの赤ん坊の首をへし折った。

 

 メアリーはその光景を見て、何が起きているのかさっぱりわからなかった。しかし、理性が考えることを拒否しても、体の方は目の前でたった今起きた出来事を理解していたようである。

 

「きゃああああああああーーーっっっ!!!!!」

 

 気がつけば、メアリーは叫び声を上げていた。

 

**********************************

 

 メアリーの叫び声を聞いた鳳たちが駆けつけると、そこはまるで戦場のようだった。いつの間にいなくなっていたのか、そこに村中の女達が一堂に集まり、ヒステリックな叫び声を上げ、顔を真っ赤にしながら、滅茶苦茶に腕を振り回している。

 

 一体、彼女らは何に怒っているのか? と戸惑っていると、その中央でジャンヌが揉みくちゃにされていて、足元にはメアリーが蹲っていた。女達はそこに殺到しているようだった。

 

 たった今、出産を終えたばかりなのか、下半身裸の女がそのメアリーに狂ったように飛びかかろうとしている。ジャンヌはそんな攻撃から彼女を守ろうとして、必死に母親のタックルを受け続けている。

 

 何が起こっているのかさっぱりで困惑していると、地面に伏せるように蹲っているメアリーの下で、小さな命が冷たくなっていることに気がついた。あれは、生まれたばかりの赤ん坊か? 流産してしまったのだろうか……いや、違う。

 

 鳳はそれを見た瞬間、全身の血の気が引いていくのを感じた。

 

「何をやっている!」

 

 と、少し遅れて今度はガルガンチュアと村の男達が駆けつけてきた。

 

 彼らはメアリーと女性たちが揉めていることに気づくと、大慌てで彼女たちの間に入って喧嘩を止めようとした。

 

 しかしヒステリックに叫ぶ女性たちは興奮して手がつけられない。下手に止めようとすると返って滅茶苦茶に暴れられ、男たちの身がもたないほどだった。普段は大人しいメアリーも、もはや何を言ってるのかわからない絶叫を続けている。

 

 こんなに興奮しているメアリーを見るのは初めてだ。困惑して動けずにいた鳳たちは、ガルガンチュアに、とにかく彼女を連れてどこか行けと言われ、号泣して暴れまくる彼女を羽交い締めにして、村とは反対方向へと逃げ出した。

 

 振り返ると興奮している女性たちに、ガルガンチュアが袋叩きにされていた。男たちは必死に彼女らを宥めようとしていたが、打つ手がなく、最後はただ殴られるままになっているようだった。

 

 暴れるメアリーを引きずるようにして、鳳たちはどうにかこうにか村から離れた河原までやってきた。

 

 叫び疲れて喉が乾いていた彼女はふらふらと川に近づくと、水面に口をつけるようにしてゴクゴクとその水を飲んだ。それで少しは頭が冷えたのか……河原に大の字になって呆然としている彼女に向かって、鳳は何があったのか尋ねてみた。

 

 彼女はその時のことを思い出したのか、暫く無言のまましゃくりあげるようにヒックヒックと泣いていた。まだ時期尚早だったかと鳳が諦めかけた時……ようやく絞り出すような声で、彼女はあの場で起きた出来事を話してくれた。

 

 そして彼女が話してくれたのは、現代人の鳳たちにはショッキングな出来事だった。

 

 出産は順調に終わった。しかし、せっかく生まれた赤ん坊は、その場で殺されてしまった。メアリーはびっくりしてその赤ん坊を抱き上げ蘇生しようとした。すると母親が赤ん坊を取られたと言わんばかりに急に暴れだし、メアリーは揉みくちゃにされたのだった。

 

 たった今、自分自身が殺したくせに……彼女は死んでしまった赤ん坊を抱いて、ジャンヌが駆けつけるまで、その攻撃を受け続けていた。

 

「どうして、あの人は生まれたばかりの自分の赤ちゃんを殺したの? どうして?」

 

 メアリーの悲痛な声が胸に突き刺さる。だが、鳳はその言葉にショックを受けながらも、なんとなくその事実を受け入れている自分がいることに戸惑っていた。

 

 メアリーが目撃したのは、おそらく間引きだ。

 

 考えても見ればこんなジャングルの奥地で、考えなしに子供をポンポン産んでいたら、いつか食料が尽きて、とっくの昔に村は立ちいかなくなっていただろう。そうならないためには出産調整が必要だ。

 

 しかし、この世界の技術力では、避妊も堕胎も難しい。コンドームもなければ、医者も居なけりゃ内視鏡もない。それでも妊娠してしまった場合、母体を傷つけずに済む一番マシな方法は何か……?

 

 それが嬰児(えいじ)殺しだったのだ。

 

 思い返せば鳳も、あの村に受け入れられた時、長老から妻帯と10人の家族を持つことを許されていたはずだ。その時はなんとも思わなかったが、よくよくその意味を考えてみれば、わかるはずだった。ここでは、当たり前のように口減らしが行われていたのだ。

 

 だが、鳳は特別彼らが醜いとは思えなかった。実際問題、地球でも、世界中どこでも、昔は当たり前のように行われていたことなのだ。21世紀にもなって、まだそうした風習が残っている未開の部族は存在する。

 

 人間は、将来を悲観するがゆえに、自分の心に反してそういうことをしてしまう動物なのだ。

 

 ガルガンチュアの村の女性達だって、まさか生まれたばかりの自分の赤ん坊を殺したいなんて思うわけがないだろう。だが、そうしなければ村が全滅してしまう可能性がある。村で生きていく限り、それが掟と言われたら、彼女らは逆らう事ができないのだ。だからそんな彼女らを非難するのは酷だと、鳳はやんわりメアリーを諭そうとした。

 

「でも、そんなのセックスしなきゃいいだけの話でしょう?」

 

 しかし、メアリーはピシャリと言い返した。

 

「子供が出来たら村が立ちいかなくなってしまうなら、我慢すればいいだけの話でしょう? どうして彼らの自堕落の因業を、何の罪もない生まれたばかりの赤ちゃんが受けなければいけないのよ! そんなのおかしいわ。私は間違ってるかしら!?」

 

 鳳は何も言い返せなかった。

 

 三大宗教はどれも邪淫を禁じており、その業は自らが償わなければならない罪である。親の一時の快楽のために、何故子供がその罪を背負わねばならないのか。子供は親の所有物ではない。少なくとも、鳳自身がそうやって生きてきたはずではないか。

 

 大体、快楽のためだけにセックスをし、結果的に子供を殺した彼らと、あの先輩たちとどこが違うと言うのだろうか? それは鳳が一番嫌った行為じゃないか。この世界に来て、好きなだけ女を抱いていいと言われて自分たちは喜んだ。でも、その結果、子供が生まれたカズヤたちは、負けると分かっていながら戦いに身を投じたのだ……その行為は馬鹿げているのか? 彼らが生まれてくる子供たちのためにとった行動を、鳳は笑うことなど出来なかった。

 

 だが、それなら自分たちが今までさんざん殺してきた魔族はなんだったのだろうか? あれも妊婦だったではないか。魔族はお腹の中にいる子供ごと殺しておきながら、今は生まれたばかりの子供が殺されたことに、こんなにも心をかき乱されている。その分水嶺は何なんだ?

 

 メアリーの言ってることは正しい、理解も出来る。だが、鳳はそれに素直に賛同することが出来なかった。彼には村の人たちの気持ちも分かるような気がしたからだ。

 

 でも実際にはそのどちらのことも分かっていなかったのだ。

 

「いいえ、メアリーちゃん。間違ってるのは彼らだわ! 色んな事情があるのは分かるけど、やっていいことと悪いことはちゃんとあるはずよ。だって、生まれたばかりの赤ちゃんが殺されるなんて、悲しすぎるもの!」

 

 ジャンヌがそう言って、はっきりメアリーを肯定すると、彼女は顔をくしゃくしゃにしてまた泣き始めた。ジャンヌはそんなメアリーを、覆いかぶさるように抱きしめると、彼も一緒になってワンワンと泣いた。

 

 鳳はそんな二人の姿を、ただただ困った表情で眺めていることしか出来なかった。何故なら彼は、メアリーと村人たち……どちらの立場に立ったとしても、ジャンヌみたいに一緒に泣くことが出来なかったからだ。

 

 レオナルドがやってきて、そんな彼の脇腹を肘で突いた。彼はそれに呼応するように踵を返すと、抱き合って咽び泣く二人に背を向けた。

 

 鳳はジャンヌのように、メアリーが正しいと言い切れなかった。

 

 それは自分が子供を産むことが出来ない男だからか……それとも、単に自分が冷たい人間だからか……どんなに考えても、彼にはそれが分からなかった。

 


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