ラストスタリオン   作:水月一人

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神人は生まれつき見目麗しく

 ヘルメス卿アイザックの叛意を察知した神聖帝国(デウス・エスト・エミリア)は、総司令官に傭兵王ヴァルトシュタインを据えて、軍をヘルメス領へと派遣した。

 

 その数はざっと10万人。勇者領に比べ人口の少ない帝国において、それは破格の数字であったが……対するヘルメス卿は、帝国軍の侵攻に当たって禁呪・勇者召喚を持って迎え撃った。

 

 神人を犠牲にすることによって、異世界から放浪者(ヴァガボンド)を呼び出すというその禁呪は、代償の大きさからか、現れる勇者は非常に強力な者たちばかりであり、ヴァルトシュタインは数的に圧倒的に有利であったにも関わらず、たった3人の勇者を前に苦戦を強いられた。

 

 味方の神人はプライドが高すぎて言うことを聞かず、練度の低い農兵からは脱走が相次ぎ、あらゆる面で指揮官の足を引っ張った。対する敵は背水の陣で士気が高く、屈強で戦意も旺盛と、なかなか崩しきれない。

 

 それでも、切れ者の軍師・利休の献策もあって、辛くも勝利をもぎ取ったヴァルトシュタインであったが、勇者を討ち取るという勲功を上げながらも、肝心の大将アイザックを取り逃がしてしまう。

 

 更には、国境の街で難民軍を取り囲みながらも攻めあぐね、賠償金を条件に引き分けに持ち込まれてしまうという失態を重ねたのであった。

 

 これら一連の出来事を重く見た帝国は、司令官の能力を疑問視しヴァルトシュタインを更迭。後任にオルフェウス卿カリギュラを据える。

 

 新たに帝国軍総司令官となったオルフェウス卿は、領内を平定するにあたって、アイザックの叔父ロバートを支持。ここに帝国の息がかかったヘルメス卿アイザック12世が即位したのであった。

 

 アイザック12世は本流である甥っ子の影に隠れ、無聊をかこっていた50がらみの男であった。兄であるアイザック10世と比べられて育ち、彼が本家を継いだ時に無理矢理出家させられ、殆ど軟禁状態の人生を送っていた。

 

 彼はヘルメス公の地位を得るや、これまでの鬱憤を晴らすかのごとく、すかさず領内の粛清を始めた。棚ぼた的に権力を手中に収めた12世は、領内の求心力に乏しく、権力掌握のための恐怖政治を敷いたのである。

 

 かつてアイザック11世に味方した貴族達は、種族を問わず身分を剥奪され追放の憂き目に遭い、そして、勇者の子を身ごもった女達は、見つけ次第まるで虫けらでも殺すかのように惨殺された。女を知らぬ彼は、汚らわしくも権力に取り入ろうとする女どもを、酷く憎んでいたのである。

 

 無論、その政治体制には不満が続出したが、背後にちらつく帝国の影を前に、誰も声を上げることが出来なかった。帝国の目論見通り、ヘルメス国の勇者派はどんどんと勢力を削がれ、12世に媚びへつらう者たちだけが生き残った。領内で勇者の名を口にすることや、11世の治世を懐かしむ声は封殺され、そしてその魔の手は、ついに国境の街まで伸びてきたのである。

 

 国境の街には帝国との戦争を恐れて逃げてきた難民たちが集まっていた。元々はただの烏合の衆で、帝国軍の力に抗しきれるような勢力ではなかったが、たまたまそこにあった冒険者ギルドの活躍によって、帝国軍と対等に渡り合い、前帝国軍総司令官ヴァルトシュタインに安全を保証された人々である。

 

 ところが、その前任者が更迭され、アイザック12世の統治が始まると、これが問題になった。

 

 ここへ逃げてきた殆どの難民は、ヘルメス領内でも特に勇者派の強い地域の人々だったのだ。元々、帝国の攻撃が予想されるから逃げてきたのだから、当たり前である。そしてその勇者派の貴族たちは、12世による粛清を受け、領地を没収されていた。つまり領民である難民たちは、今や新たな領主である12世の臣民としての義務があるというのだ。

 

 当然、難民たちはそんなところには帰りたくない。ところが、農奴制を敷いている帝国にとって、領民は領主の財産であり、その流出は避けなければならなかった。彼らは新しい領主のための無償の労働力であり、土地に縛られなければならないのだ。

 

 従って、新しいヘルメス公となった12世は難民を取り返すために詭弁を弄した。

 

『国境の街との取り決めは、功を焦るヴァルトシュタインが帝国を通さず勝手に決めたものである。卑しくもその窓口となった冒険者ギルドはただの民間企業であり、そもそも国家である帝国と対等の条約を結ぶ立場にはない。従ってその約束は無効である。

 

 国境の街の責任者は、速やかに難民を帝国に引き渡さなければならない。第一、このような場所に街があることを、帝国は認めていない。勝手に作られたスラムは、景観のために掃除するのが帝国のルールである。返事がない場合、近い内にそれを実行する』

 

 こうして、一度は復興の機運に沸き立っていた国境の街は、また戦前に逆戻りしてしまった。まだ勇者領へと逃れず、ここで踏みとどまっていた難民は、慌てて荷造りを始めたが、その時にはもう、国境の町は帝国軍によって取り囲まれていた。

 

 その数は前回の比ではない、一万人以上である。帝国軍総司令官は、アイザック11世を攻めたときの兵力を、今度は難民を捕らえるために差し向けてきたのだ。

 

 まるで罪人のように扱われる難民は恐れおののき、闇夜に乗じて逃げようとした者たちは、悉くが捕らえられ元の領地へと送還されていく。今度こそ命の保証はないと絶望する人々が街の中で項垂れる中、抗議のために司令官に面会を求めた冒険者ギルド長代理スカーサハは、兵士たちに行く手を遮られて声を上げることも許されなかった。

 

 かくして、再び窮地に立たされた国境の街であったが……

 

 そんな中、一人の男が冒険者ギルドの前に颯爽と現れた。前・帝国軍司令官ヴァルトシュタインである。指揮権の剥奪後、帝国の将軍職を辞した彼は、自分の最後の仕事を見届けるべく国境の町に滞在していたのである。

 

 彼は愛用の白馬にまたがって街のゲートをくぐると、兵士たちが止めるの聞かず、かつて自分が滅ぼしたヘルメス卿の居城ヴェルサイユを目指した。

 

 今、そこには後任の司令官が陣を張り駐留している。彼はスカーサハに代わって、自分の仕事にケチを付けた後任者に、一言文句を言ってやろうとしたのである。

 

*******************************

 

 国境の街のゲートから一頭の白馬が飛び出してきた。難民の逃亡を阻止していた兵士たちは馬を止めようとしたが、その上に跨っているのがかつての上司であることに気がつくと、自分たちの方が足を止めた。

 

「ご苦労! ご苦労!」

 

 もはや主従関係がないにも関わらず、兵士たちは通り過ぎるヴァルトシュタインを敬礼して見送った。更迭されたとは言え、かつてこの世界唯一の国家の総司令官まで上り詰めた男のカリスマは、未だに健在のようである。ヴァルトシュタインはそんな元部下たちに、軽く手を挙げて挨拶を返すと、もう片方の手で手綱を叩いて器用に馬を走らせた。

 

 彼は街道を通らず、草原を一本の樫の大木がそびえ立つ丘へとまっすぐに突き進むと、その稜線で一旦立ち止まって、眼下に広がる景色を見下ろした。かつての美しかった宮殿はもうそこには無く、その宮殿から放射状に伸びていた街も壊されて、瓦礫が撤去された殺風景な平地が延々と広がっているだけであった。

 

 そんな中、城から少し離れた場所に建てられていたために、唯一戦火を避けられた離宮が、北に広がる運河の畔にぽつんと佇んでおり、現在は帝国軍総司令官の拠点として活用されていた。

 

 ヴァルトシュタインはそれを睨みつけると、フンッと鼻息を鳴らし、気合を入れ直してまたまっすぐに馬を走らせた。

 

 丘を駆け下り、以前は城の練兵場として利用された広場までやってくると、またも帝国兵に囲まれた。今度は新司令官の手勢で融通が効かなかったが、そこは丘の上で入れ直した気合を駆って強引に突破し、目的地である離宮へと乗り込む。

 

「お、お待ち下さい! ヴァルトシュタイン閣下!」

 

 離宮へ入ると流石に司令官付きの従者が押し寄せて来て、彼を物理的に止めようとしたが、それでもかつて剣でならした武人である。ヴァルトシュタインは彼らの制止をものともせず、まとわり付く兵士たちを引きずりながら、無理矢理目的の部屋までやってきた。

 

 引き継ぎのために後任の部屋には一度訪れたことがあった。ヴァルトシュタインは従者が止めるのも聞かずに、ズカズカとその中へ入った。

 

「邪魔するぞ」

「何です、騒々しい……おや、あなたでしたか」

 

 バタン! っと大きな音を立てて扉が開かれると、中にいた一人の白髪の男が顔を上げた。目は落ちくぼみ、片耳がちぎれ、頬には大きな傷が走っている。それだけ聞くと歴戦の兵のようであるが、実際は老人のようにくたびれただけの、一度見たら忘れない、異様な風貌の男であった。

 

「も、申し訳ございません! 司令官殿。何とか止めようと頑張ったのですが……どうしても聞いていただけず……申し訳ございません!」

 

 闖入者の突破を許してしまった従者が、その異様な男を前にして、真っ青になって弁解する。その恐縮の仕方からは、彼がどれほどこの部屋の主に恐怖しているのかが、如実に伝わってきた。

 

「そのように萎縮せずとも良いのです。ここは良いですから、あなたはお客様にお茶でもお出ししなさい」

 

 司令官と呼ばれた男は不敵な笑みを浮かべながらそれを制すると、出来るだけ優しく……それでも奇妙に嗄れた声で、来客に茶を出すように命令した。

 

 その言葉に畏まりながら従者が部屋から去っていくと、彼は未だ入り口に佇んで、じろりと睨みつけているヴァルトシュタインに向かって手招きした。

 

「どうぞ、お入りください。こちらから出迎えもせずにも申し訳ないですが、私はこの通りでしてね」

 

 男はそう言うと自分の体を指差した。

 

 彼の背中は老人のように曲がっており、肩甲骨の辺りの背骨がコブのように上に向かって突き出していた。そのせいで腰が曲がってしまい、前かがみにならなければ歩けないのである。いわゆる傴僂(せむし)という病気であるが……奇妙なのはこの男が、神人であることだ。

 

 神人は生まれつき見目麗しく、余程のことがない限り死ぬことがない。例え事故で傷ついても、その傷はすぐ塞がってしまうし、仮に片腕が吹き飛んだとしても、時間が立てばそのうち元通り生えてくるのだ。

 

 だから神人に奇形はありえない。だが、目の前の男の顔は傷だらけで、額には黒いシミが広がっており、神人の特徴を表す耳の片方は、先っぽがちぎれて醜い傷跡を遺していた。髪の毛が真っ白なのも、おそらく生まれつきの色ではなくて、老化が原因に違いない。そんな神人など、居るはずがないのだ。

 

 だが、その居るはずのない神人が、今、ヴァルトシュタインの目の前に座っていた。

 

 この奇妙な男こそが、彼から軍の指揮権を奪い取った、新たな帝国軍総司令官オルフェウス卿カリギュラであった。

 


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