およそ一週間という長い時間をかけ、国境の街からどうにかこうにか、難民キャラバンは勇者領へとたどり着いた。
見上げれば青空が見えるとは言え、360度どこを向いても森しか見えない大森林の街道を進み続けるのは、終わりの見えない砂漠を歩いているかのようで、非常に気が滅入る行程であった。
幸い、ここ暫く難民が続き、街道を行き来する人が増えたおかげか、戦闘の機会は少なくて済んだが、普段はその倍から三倍はいるであろう魔物が襲ってきていたら、もしかするとキャラバンは持たなかったかも知れない。その点では幸運であった。
ところが、そんな彼らの視界を奪っていた木々が少なくなり、ようやく平野が見える森の出口まで来たとき、安堵する彼らを待ち構えていたのは、新生活への希望ではなく、アルマ国からの退去勧告だったのである。
街道を抜け、平原へ入ったところ、キャラバンの先頭を歩いていたスカーサハは、道の先に複数の騎馬がいるのを見つけた。その背中にアルマ国の旗が翻っていることに気がついた彼女は、中央のひときわ立派な騎馬に跨ったアルマ国王の姿を見つけた。
新大陸の行政長官とも知己がある彼女は、以前に参加した連邦議会で国王たち全員との面識を得ていた。その懐かしさもあって、彼女はきっと国王がわざわざ自分のことを出迎えてくれたのだと思い、喜び勇んで駆け寄っていったのであるが……
「……え!? 今すぐここから出て行けですって?」
難民キャラバンを離れ、駆けつけた彼女にかけられたのは、そんな連れない言葉であった。
何を言われているか分からなくて、ぽかんとしている彼女を前に、壮年のアルマ国王は眉間に皺を寄せ、難しい顔をしながら言った。
「私にとっても、我が国にとっても、古き友人であるあなたに、こんなことを言うのは忍びないのですが……あなたがここに来る間に、状況が変わってしまったのです。もはや我々アルマ国は、難民を受け入れることは出来ない。もし、ここに留まるというのであれば、彼らを捕らえ、帝国に引き渡さなければならなくなるでしょう」
見た目は国王の方が断然年上に見えるが、実際には彼よりもよっぽど高齢であるスカーサハは、建国間もない頃から彼の先祖と付き合いがあった。アルマ国王はそれこそ子供の頃から彼女のことを尊敬しており、彼女をがっかりさせるようなことは言いたくなかったようであるが……
スカーサハの様子がおかしいことに気づいたヴァルトシュタインが、白馬を駆って近づいて来る。アルマ国王の親衛隊員がその行く手を遮るように馬を回すと、彼はその前で馬を止め、
「何があった? トラブルか?」
「それが、私達がここに来るまでの間に、勇者領の事情が変わってしまったようなのです。連邦議会は帝国の要求を受け入れ、難民を引き渡す方向に政策を変えてしまったらしく、今すぐここから退去せよと……」
スカーサハが顔面蒼白になりながらそんな事情を説明すると、ヴァルトシュタインは首を捻り、
「妙だな……」
彼女は困惑しているようだが、今更そんなことを言われても、はいそうですかと出ていくわけにはいかない。ならば開き直るしか無いだろう。それよりも気になるのは、突然こんな事態になってしまったことの方だ。
連邦議会が帝国の要求に屈したと言うのなら、そういう要求が出されていたということだろう。しかし勇者領と帝国との間には、自分たちが通ってきた街道しか道がない。早馬が通ったのなら、確実に自分たちが目撃していたはずだ。ところがここに来るまでの一週間、キャラバンはそんなものを見かけなかった。それじゃ、帝国はいつ、その理不尽を突きつけたのか?
キャラバンは、ヴァルトシュタインがカリギュラに直談判しに行った翌日に出発している。つまり、彼らが出発した後に、そんな要求を勇者領に押し付けにいく時間的余裕はなかったはずだ。大体、いつ来るか分からないスカーサハを、アルマ国王がこうして出迎えているのは何故か。彼は最初から、今日あたりに難民キャラバンが到着することを知っていたのだ。
「こりゃ、嵌められたか」
つまり、ヴァルトシュタインが文句を言いに行った時点で、こうなることは決まっていたのだ。カリギュラは、それを知っていながら敢えて黙っていた。12世を支援するため仕方なくという体を装っていたが、実際は難民を取り逃がすどころか、寧ろヴァルトシュタインに勇者領まで安全に送り届けて欲しかったのだ。
ヴァルトシュタインはギリギリと歯ぎしりをした。正直、頭にきていたが、だがそれ以上に疑問が勝った。それは一体どうしてだ? あいつは自分に何をやらせたがっているのだろうか。
「国王様。出ていけというのなら、もう少し詳しい事情を話していただけませんか。俺たちが来るまでの間に何があったのか。連邦議会はどう決議したのか」
アルマ国王は、いきなり割って入ってきて、そんなことを問いただすヴァルトシュタインに少々戸惑っていたようだが、スカーサハではなく、彼がキャラバンのリーダーだと判断すると、これまでにあった出来事を話し始めた。
どうやら今から二週間ほど前、帝国から連邦議会に、宣戦布告とも取れるような過大な要求が突きつけられたらしい。
帝国は先のヘルメス戦争のことを、アイザック11世の謀反という位置づけで処理しているのだが、そもそも彼の叛意を煽ったのは、勇者派などと呼ばれる存在があるがためである。そこで、後を受け継いだアイザック12世は、分断を防ぎ一つの帝国を取り戻すために、甥を担ぎ上げた勇者領の氏族たちを厳しく非難し、勇者派を根絶するために軍を差し向けると迫った。おまえたちは帝国からの難民を受け入れているが、それは反乱の芽を育てているのと同じことだぞと。
これにリベラルが激しく動揺した。
勇者領は300年前、反帝国を掲げて建国された勇者派の国であるが、長い年月を経てそれは形骸化しつつあった。今となっては13氏族の大半が勇者派とは言っても、帝国との協調路線を掲げるリベラルだった。故に彼らは、アイザックを唆したなどと言われるのは心外であり、なんとか帝国に機嫌を直してもらいたかったのだ。
そもそもヘルメス戦争が起きたのは、そのリベラルが帝国と独自に国交を結ぼうとしていたことをアイザックが察知し、使者を捕らえて殺したのが切っ掛けだった。
彼らとしては今回のようなことが起こらないように、帝国との経済的な結びつきを強くしようと思っていた矢先だったというのに、それを潰したのはアイザックではないか。もはや、そんな彼の仲間だと思われるのは我慢ならない。かくなる上は恭順の姿勢を示してでも、なんとしても話し合いで解決しよう。リベラルたちはそう主張した。
無論、保守派の氏族たちは、国を売るようなその行為に断固反対した。特にアルマ国は帝国に最も近く、帝国軍を招き入れるようなことがあったら、まず無事では済まない立場にあった。しかも現在、ヘルメスから多くの難民が押し寄せてきていて、現状の厳しさを一番理解していたのだ。
しかし、少数派が反対したところで、多勢に無勢、彼らの忠告は取り入れられることは無く、議会はついに帝国の言うことを最大限聞き入れると決定してしまった。
「待て! それじゃ、難民を捕らえるために、帝国軍の通行を許可すると言ってるようなものだぞ?」
それを聞いたヴァルトシュタインは、話の途中であるにも関わらず、思わず大声を上げてしまった。それは国王相手に不敬であったが、近衛兵すら誰もそんなことに気づかないくらい、彼らは困惑してしまっていた。
「しかし、議会で決まったことはどうしようもないのだ」
「……どう考えてもこちらに落ち度は無い。地理的にも圧倒的に有利なのに、一戦もせずに敵を招き入れるなどと……まともな人間が考えることとは思えん。バカの所業だ。13氏族はそんなバカの集まりなのか?」
「貴様、我らを愚弄する気か!」
ヴァルトシュタインが呆れてそんな言葉を口走ると、ようやく近衛兵の一人がいきり立って叫んだ。しかし、そんな彼を、国王自らが制し、
「私もそう思う。だが、その程度の判断すら出来ないくらい、我々は平和に慣れすぎてしまったのだろう。リベラルの連中は、一緒に酒を飲んで、とことん話し合えば分かってくれるはずと言って聞かないのだ。それが夢物語だと気づいた時には、もう国が無くなっているかも知れないのに……」
ヴァルトシュタインは、流石に一国の主にそんな自虐的なことを言わせてしまったことを恥じ、ガリガリと自分の頭皮を引っ掻いた後、胸に手を当てて深く頭を下げた。
「申し訳ない。つい興奮してしまい……それで、国王様。俺たちにどうして欲しいんですか?」
「……すまないが、即刻、難民を連れて出ていって欲しい。一度は受け入れると約束した手前、無理は承知しているが、今のままでは、帝国軍を受け入れる口実にされてしまう。奴らは、難民を理由に軍を派遣しようとしている。その難民がいなくなれば、彼らに大義名分はなくなる」
「それで諦めてくれるほど甘い連中じゃないでしょうに……」
「しかし、他に方法がないのだ」
国王ともあろう者にこんなに頼まれたら、断ることは出来ないだろう。ヴァルトシュタインはため息をついた。しかしそんなことを気にする以前に、国王の言っていることは不可能なのだ。
彼が出て行けと言っている難民とは、今回キャラバンが連れてきた500人のことではない。今までに勇者領へ逃げてきた1万人全員のことなのだ。そんな人数相手に、単に出て行けと言ったところで、まともに動けるはずがない。そもそも、一体どこへ行けばいいと言うのか。
「なら新大陸へ向かうのはどうでしょう。まだまだ過酷な土地ですが、帝国に戻るよりはマシだと、難民たちも納得してくれるはずです」
スカーサハがそう提案するが、ヴァルトシュタインはすかさず首を振った。
「いや駄目だ。新大陸も勇者領だ。帝国は相変わらず軍を派遣しようとするだろうよ」
「そうでしょうか……?」
「今、あいつらが欲しているのは、難民の身柄じゃあない。ここに軍を派遣する理由だろう」
「では、あなたはどうするのがいいと思うのですか?」
ヴァルトシュタインは渋面を作り、忌々しそうにフンッと鼻を鳴らした。正直、自分にそこまでする義理はないのであるが、乗りかかった船である。何より、あのカリギュラとかいう不気味な神人に嵌められというのが気に食わなかった。彼はムスッとした表情で言った。
「ならば国王様……とにかく金だ。金を用意して欲しい」
「無論、君たちには相応の礼をするつもりだが」
「そうじゃない。それじゃ足りないんだ。具体的には、一万人が当面生活出来るだけの、保障をよこせって言ってるんだ」
「……なに?」
その言葉には、流石の国王も厳しい表情を見せ、
「それはいくらなんでも虫が良すぎるのではないか。難民を受け入れていたのは連邦議会の要請もあったが、人道的な良心に従ったためもある。今までこんな面倒なことを無償で引き受けてやっていたというのに、その上、まだ金を寄越せというのか。どうして私がそんなことまでしてやらねばならんのだ。逆にこちらが請求したいくらいなんだぞ」
国王の言うことはもっともであったが……ヴァルトシュタインは表情を変えず、努めて冷静に、
「おっしゃる通り。俺も同意見ですよ。実際にそうしたところで誰もあなたのことを責めたりしないでしょう」
「そうだろう。なら……」
「だが、本当にそんなことしたらどうなるか、少し考えてみてください。難民に出ていけというのは簡単だ。しかし、彼らには行く当てがない。それを無理矢理排除しようとしたり、ましてや帝国へ帰れなんて言おうものなら、彼らは進退窮まり発狂するだろう。今は大人しく従っているが、すぐ脱走者が相次いで、野盗に身をやつす連中が続出するはずだ」
「う、うーむ……そうかも知れん」
「そうなったらもうおしまいですよ? 帝国軍は野盗討伐という理由をつけて、領内を好き勝手に荒らし回るだろう。もちろん、野盗になった難民を捕まえるためではなく、勇者領を支配するために」
彼の話を聞いて、国王のみならず、それを取り巻く近衛兵たちにも動揺が走った。勇者領は平和で、経済的に豊かな理由もあって、基本的に平時の兵力を殆ど持っていないのだ。無論、各国に憲兵は居るが、彼らは憲兵だけで、それだけの人数を取り締まれる自信がないのだ。
「大体、一万人もの野盗が現れたら、あんたたちに対処出来るのか。もう逃げる場所も無い人間というものは、それこそ死ぬ気になって無茶苦茶しますぜ。しかも、自分たちを追い詰めた相手とあっては、いくらでも残忍になれるだろう。だから、あんたたちにやれることはただ一つ。金を出してこっから出ていってくださいって言うことだけだ」
「それじゃまるで脅迫ではないか!?」
「そう受け取ってくれて構いませんよ。どうせ、ほっときゃそうなるんだから」
ヴァルトシュタインは、しれっとそう言い返した。これには温厚なアルマ国王も、顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。それを見ていた近衛兵たちが、いよいよこの無礼な男を切ろうかと、腰の物に手をかけた。そんな一触即発の事態に、スカーサハが慌てて口を挟もうとした時、今度は一転して、彼はトーンを下げ、柔和な表情を作って諭すように、こう続けた。
「ですが、難民に金を渡して、兵隊として雇うと言えば話は変わります。元々、彼らは受け入れてくれたあなたに対し、迷惑を掛けているという負い目を感じているんです。そのあなたが、彼らのせいで窮地に立たされていると知り、あなたのために立ち上がれと言えば、おそらくみんな賛同するでしょう。そして一度、兵隊として雇われた人間は、多少過酷な要求であっても指揮官の言うことを必ず聞きます。一万人の人間に、速やかに行動させるには、これが最善の方法なんです」
こうして提案された言葉は、最初の要求と何一つ変わっていなかったが、不思議とアルマ国王は受け入れやすくなっていた。彼は暫し、難しい顔をしながら唸り声を上げていたが、最終的にはため息混じりに、その提案を受け入れた。
「……確かに、君の言うとおりかも知れん。無理矢理追い出したところで、その後どうなるか分かったものではない。ましてや、彼らを帝国に引き渡すなんてこともしたくない。それなら……整然とここから去ってくれるのであれば、多少金を渡してもいい気がする。いや、その方が断然マシだ」
「よろしいのですか? 国王様」
横で聞いていたスカーサハが問いかけると、国王は頷きながら、
「しかし、それで君たちはどこへ行くと言うんだ? 新大陸は駄目、帝国に戻るなんてことももちろん却下だ。結局、勇者領に留まるのであれば、私は金を渡す意味が無いのであるが……」
「ボヘミアです」
聞かれてヴァルトシュタインは答えた。
「大陸北西部にそびえ立つ高山地帯ボヘミアです。あまりにも平地が少ないため、帝国にも勇者領にも編入されていない、空白地帯です。ここは殆ど人が住んでいませんが、あちこちに鉱山があるから、全く人がいないというわけでもない。つまり、あんな土地でも行商人は来るってことです。当面はそれら行商人から物資を調達し、行く行くは砦を築いて自給体制に移行します。アルマ国には、そのための支援を期待したい」
「なるほど……そのための金が必要なのか。君に言われると、なんだかその気になれるな。いいだろう、可能な限りの資金援助を約束しよう」
「ならば早速、難民たちに事情を話して説得するところから始めましょう。帝国軍が動くまでどのくらいの猶予があるのか分からないが、早いに越したことはない」
こうしてヘルメス領から勇者領へ、難民を連れてきたヴァルトシュタインは、話の流れでそのまま今度は、1万人もの難民を引き連れて、長い旅を続けることになった。
正直なところ、元帝国将兵である彼にそんなことをする義理はないし、一体誰の思惑に乗せられているのか分かったものじゃなかったが、彼は不思議とそうするのが自然と受け入れていた。
傭兵の家系に育ち、ずっと軍隊で過ごしてきたのだ。司令官を更迭されて、勢いで軍を抜けてきたはいいものの、ぶっちゃけ、これから何をすればいいのか分からなかったのだ。どうせ自分は軍人にしかなれっこないのだから、ならば、難民とは言え自分の兵隊を持てると考えれば、悪い話でもないだろう。
こうして稀代の用兵家であるヴァルトシュタインに率いられた難民は、義勇軍と称してボヘミアへと向かうことになった。正直、ただの一般人の寄せ集めであり、軍隊と呼べる代物ではなかったが、これが間もなく勇者領で起きる戦争の勝敗を決定づける戦力になるとは、この時は誰も気づいていなかった。