ONEPIECE FILM NIGHTMARE OF JOKER ピエロの見せた悪夢 作:鈴見悠晴
深海、学術的な面ではなせば水深200メートル以上の海のことを指し、人間の瞳でとらえられる光の波長はほとんどない。100メートルを超えれば太陽の光は一切届かず、深海魚と呼ばれる魚はその環境に適応して視覚が退化している生物も多い。
魚人と呼ばれる種族はその海がつながる場所であればどこまででも行けるが、彼らの多くは一か所にとどまってその人生を終える。彼らは知っているのだ。この深海に魚人島以上に過ごしやすい場所などないと、だから彼らはここを離れない。この環境に適応している自分たち以外は生存することすら難しい環境に守られているのだから。
ではそんな魚人たちを育み、守ってきた環境は人類にとってはどのような環境なのだろうか?
もし深海に人間が来た場合、その水圧には耐えられない。全身の臓器が圧迫されて、肺がつぶれる。もっともそれ以前に水中では酸素を確保できずに窒息してしまうが…
そんな環境で人間であるツーフェイスが生きていける理由は、コーティングという特殊な技術で船を包み込んでいるからだ。船という巨大な物質を巨大なシャボン玉のようなモノで包み込むことで、深海でも水を寄せ付けず、人間が生存可能な状況を作っていた。もしこのコーティングが割れでもした日にはツーフェイスは死んでしまうだろうことは想像に難くない。
目の前で壮絶な殺気をたたきつけるジンベエを前に、ツーフェイスはまるで相手にもしていなかった。
「マクロ、浮上だ。JOKERの指示を果たしている以上、ホーディが返ってこないならこんな場所にいる意味はない」
「ここから逃げれると思うとるんか?」
マクロに淡々と指示を出していく様子にジンベエが怒りを押さえつけたような声を絞り出す。
「そうだな。この船が上がり切れば逃げられるだろうが、さすがに水中では逃げられないだろうな」
まるで今日の朝食を尋ねられたかのような熱量で話すツーフェイスにジンベエがついにしびれを切らす。無造作に伸ばされた手がツーフェイスの着ているスーツの襟をつかむ。
そのまま勢いのままに投げ飛ばそうとしていたジンベエだったが、バランスを崩していたのはジンベエだった。
「武道に身をささげたものでありながら襟をつかむことの危険性を理解していないとは、残念だよ」
襟をつかまれたツーフェイスは体の角度、姿勢、その他いくつものわずかな変化でジンベエの術理を封じていた。そうなるといくらジンベエでも腕力だけで投げ飛ばすのは難しい。一瞬の硬直の後、宙を舞ったのはジンベエだった。
姿勢を崩しながら無理やりにでも投げ飛ばそうとしたジンベエの腕を掴んだツーフェイスは、ジンベエの力を利用してジンベエを投げていた。
一瞬極められた腕を、何とか逃がそうとするジンベエの力を利用し浮かび上がらせたジンベエの体は空中で更に加速させられ、地面にたたきつけられた。常人なら死んでいてもおかしくないジンベエだったが、すぐさま起き上がるとその瞳には理性が戻りつつあった。
「今のが、合気ちゅうやつじゃな。不思議な感覚じゃ」
「何難しいことじゃない。君たちが水をつかみ、水を操るように力をつかみ、操るだけさ。もっとも人間は山ほど試したからわかるんだが、魚人の筋肉の動きはどうなっているんだ?私の感覚では君はもう死んでいると思ったんだが」
多くの海兵が勘違いしているが、海兵は海賊であれば問答無用で殺して良いわけではない。それどころか殺すべきではないと言われている。しかし、赤犬を筆頭にその考えを受け継いでいる海兵はほとんどいない。だが、そんな少数派の理想主義者の彼らのために作り出された一つの武術があった。
合気道、無謀な理想を掲げた一部の海兵が生み出したとされるこの武術を現在、海軍では完全に絶えてしまっており、唯一受け継いでいる人間こそ、ツーフェイスことハーヴィー・デントその人だった。
彼らを乗せた船は全速力で浮上を続けており、普通の人間の海賊ではできない操船で海流を捕まえている。
そうして戦う彼らを魚人海賊団は必死に探していたが、彼らの意識は地上に向いており、見つけることはできていなかった。
数度の様子見のような殴り合いで互いの技術や身体的な能力を理解し始めていた。この均衡を破らんと最初に動いたのはジンベエだった。
魚人空手は多くの魚人の子供や、戦士に人気があり魚人島でも探せばいくらでも道場が見つかる。しかし、そんな魚人空手とは対象的に魚人柔術はあまり人気がない。
その一番の理由として、わざわざ習わなくとも魚人族は水心を理解できる。魚人空手を収めればその応用で再現できてしまうのだ。
しかし、それは付け焼き刃以下の側だけのものに過ぎない。ジンベエは魚人柔術を収めていたため、柔の概念を理解していた。眼の前の男の行う事のレベルの高さを見て取った彼は距離を詰めることなく、攻撃を始めた。
『唐草瓦正拳』
型をなぞった様な美しい正拳が音を立てて放たれる。
数m先にいたデントはなんの反応も示さなかったが、周囲で必死に操船していたマクロが声を上げる。
「全員構えろぉ!!衝撃が来るぞ!!」
その言葉が通るが早いか、衝撃波が激しく船を叩いた。船が大きく軋み、準備ができていなかった船員は気を失っていた。
大きなダメージを負ったのはデントも例外ではなかった。
確実に負ったダメージに少しふらついたデントを見逃さないとばかりに、ジンベエが距離を詰めてくる。
ジンベエが放つ正拳突きがまっすぐにデントの腹部に突き刺さった。
水分を振動が伝播していき、体を内側と外側から破壊していく。ホーディのように体内の水分をコントロールできないデントは、いくら覇気で守ろうとも内側からの破壊は止められない。
人体の70%を構築する水分が、筋肉と骨格で守られた人体の急所すべてを揺らし、異常信号が脳に到達する。強烈な痛みがデントの脳内を支配して、その脳みそすら振動の海に包み込まれる。
必殺と言わんばかりの一撃にデントの意識は完全に刈り取られ、全身から力が抜けていき、生理的な反応か口元から大きく血を吐き出す。
ジンベエの体にもたれかかるようにして倒れてくる、デントにジンベエがとっさに防御姿勢を取る。
クロスされた両腕をデントの右腕が叩く。ジンベエがデントの体を振り払えば、彼の体は簡単に数メートル飛んだが、叩かれた腕は何か刃物を突き刺されたような傷口になっていた。
「まさかここまでのものとは。魚人空手を侮っていた。謝罪しよう」
ゆっくりと立ち上がるデントの体は確実に壊れかけているはずだが、彼は武道のお手本のような脱力を見せながら一本の芯の通った立ち姿を見せていた。
ジンベエは無言のまま戦いの影響でコーティングの中に入ってきた海水を両腕にまとった。
『群鮫』
限られた水で放たれたため、数体のみになったが鮫をかたどった水弾がデントに迫る。
それを回避することなく、足を強くたたきつけたデントの目の前で甲板に使われていた木材が跳ね上がり、即席の盾になる。鮫は木材に大きな穴をあけるが、その奥にいるデントの体に到達することなく水に戻ると、デントは穴だらけになった盾を大きくジンベエに向かって蹴り飛ばした。
その光景を見て船長のマクロが悲鳴を上げながら頭を抱える。
「俺の船がぁ‼」
そんなこの船の持ち主をよそに戦闘は続く。
迫ってくる壁の向こう側にぴったりとつけて、デントがこちらに迫ってきていることを見聞色で見切っていたジンベエが迎え撃たんと正拳突きを放つ。今度こそ確実に息の根を止めるように全力で放たれた一撃は、壁をぶち破り、見事に流された。
何もない空間をさまよう自らのこぶしに引きずられるように、姿勢を崩してしまったジンベエが壁の向こう側から除く真っ赤な目をした悪魔のような顔が見えていた。
『指銃 鉄貫』
本来指銃というものは指一本で人体を貫くという技で、部分的な鉄塊と速度を必要とする。
完全な脱力の状態から鞭のようにしなって、通常の指銃以上のスピードを出していく。さらに指一本ではなく、すべての指を立てた状態、貫手で放たれた指銃はすさまじい破壊力を持っている。そこに武装色をまとったものが壁をぶち抜いて、ジンベエの首元に迫った。
完全に致命の一撃だったが、ジンベエは首の間に肩を入れることで一命をとりとめた。
ぼたぼたと赤い血が傷口から流すジンベエに追撃を加えようとするデントだが、彼らの乗っていた船に異常が起こる。大きく揺れて、彼らを包んでいたコーティングがはがれる。
水面に浮かんだマクロ一家の船はもうすでにボロボロだったが、何とか無事にタイヨウの光を浴びることができた。
地上に出てきたことを確認したデントはそのままジンベエの下に歩いていき、戦闘を続行する意思を見せていたが、そんな彼らの戦いに横やりが入る。
「そのあたりにしておいてもらおうか。お前はもう包囲されている」
タイヨウの海賊団副船長のアラディンの言葉を証明するかのように何人もの魚人が水面から顔を出す。
「俺の勘も捨てたもんじゃないな」
そういって笑うエースや、周囲を囲う魚人。自分が絶体絶命のピンチに陥りながら、デントからは追い詰められたような気配がなかった。何げない様子で歩いていく彼にエースの笑みが消える。
『炎上網』
エースの放った炎が網目状に広がって、デントを包みこんだ。
「メラメラか、まさか生きていたとはな。…この人数を相手にするのは骨が折れるな」
そういったデントが右腕を振ると、つけられていた手袋に引火し人一人が通れるぐらいの穴ができた。
月歩で空に浮き上がったデントは懐から一本のナイフを誰もいない海に放り投げた。ぼちゃりと沈んでいくそれを横目にジンベエが声をかける。
「逃げるんか?」
挑発的なその声音に一切動じることなく彼はうなずいた。
「ああ、逃げるとも。何せ私はただの連絡係だホーディのわがままに付き合っていただけで君たちと戦う必要性なんてない。せいぜい生き残れ、終わりはすぐそこまで迫ってきているぞ」
そういった彼はそのまま振り返ることもなく立ち去って行った。