ある日突然、自分が“他人”になった経験はあるだろうか。自分が生まれてからずっと信じ続けた常識が、世界ごとひっくり返された経験はあるだろうか。
ほとんどの人はこう言うだろう
『そんなことあるわけがない』、と。
そう思う方が健全だ。だってそんなこと私たちの常識では“ありえない”のだから。
しかし今、私の前にはその“ありえない”が現実として横たわっていた。
宙には星間船と称する鉄塊が浮かび、
SF小説と歴史小説を足して二で割ったような不可思議なこの世界には覚えがあった。
『銀魂』という漫画作品をご存知だろうか。
終わる終わる詐欺や
そして何より問題なのは、
「幽、お茶を淹れてくれますか。」
私の前に座っている男性、灰がかった茶色の長い髪を持ち顔の半分を烏の仮面で隠しているその人が、『銀魂』と言う漫画で主人公の前に最後に立ちはだかる、最凶最悪の敵『虚』であったことだ。
私の名前は
気がついたら愛読していた漫画の世界に生かされていた、ただの一般人だった人。
そして今は
「…はい、
なぜか『虚の弟子』なんてものをやらされている。
本当に、どうしてこんなことになってるのだろうか。
ここが銀魂の世界だと気づいた時からずっと抱き続けてる疑問を改めて問い直す。
*
始まりは十数年前のことだ。
ある日、眠りから目を覚ますと自分が見知らぬ場所に居ることに気がついた。
「…は?」
真っ先に口から飛び出たのは、なんとも間抜けな一言だったことを覚えている。
混乱したまま周囲を見渡す。目に入ったのは座敷牢の様な空間だった。
おかしい、どう考えてもこんな場所に覚えはない。
そう思って体を動かそうと試みた、はずが体のバランスが上手く取れずに頭から地面に勢いよく突っ込んだ。
二つ目の違和感に気がつく。
「身体が、縮んでる?」
そう、某名探偵よろしく自分の体が小さくなっていたのだ。25歳だったはずの私の体はどう考えても5歳かそこらのつるぺた女児体型へと変貌していた。ついでに言うと着ていた服も、パジャマからボロボロブカブカの着物に変わっていた。
意味がわからない。
こんなことがあり得るのか?否である。考えられる可能性としては、酒による幻覚、手の込んだ誘拐、夢オチくらいくらいだが、そもそも昨日は飲酒していないので幻覚説は消える。誘拐説、これもあり得ないだろう。だって現代化学で人の体を縮ませる方法はない。ならば夢オチだろうか?これも違う。なぜならさっき転んで擦りむいた額から血が出てとても痛いから。
八方塞がりである。ここはどこなのか、私はどうなったのか、これからどうしたら良いか、何一つ分からない。
圧倒的無力感に打ちひしがれる。体が縮んだせいで精神も幼くなったのか、涙が溢れ出てきた。
こんな状況で泣いて体力を消耗するのは悪手であると頭では分かっているものの、子供の体は言うことを聞かない。
大声を上げてわあわあ泣いた。大の大人がである。見た目子供なので許されると信じたい。
暫くの間そうして泣いていると、誰かの声が聞こえた。
「こんなところに童がいるとは」
頭上から突如降ってきた声に驚き、声の方を仰ぎ見る。
そうして目に写った、被り笠と烏の仮面で素顔を隠した黒装束の“青年”の姿を見て、私は硬直した。
そこに立っていたのは、青年にこそ見えるがその実龍脈の巨大なエネルギーにより不死となり500年に渡り殺戮の日々を生き続けている、かつては主人公達の師として彼らを導き、自身の死によって彼らの道を別った『吉田松陽』でもあった、天照院奈落先代首領にして天導衆の一角、『虚』であった。
読んでいた漫画のラスボスが目の前にいた件について。
そんな最早使い古された小説のタイトルみたいな状況に自分が置かれるなんて、誰にも予想できなかっただろう。勿論、私にも。
顔を引き攣らせて自分の顔を見上げる子供のことを一体どう思ったのか、師匠は私の眼前に片手を差し出した。
「生きたければ、共に来なさい」
藁にもすがる思いだった。知らぬ間に見知らぬ場所へ飛ばされ、おまけに自分の体は縮んでいるときた。あり得ないことが起こりすぎて、頭がキャパオーバーを起こしている。今となってはラスボス(予定)の手を借りるなんてとんでもないなと思うけど、その当時はとてもじゃないけど冷静な判断なんてできなかった。
座敷牢の檻越しに伸ばされた手を掴む。
その日から私と師匠の奇妙な師弟関係が始まった。
*
「…幽?ぼうっとして、どうしたんですか」
「うわびっくりした。なんでもありません師匠、今お茶をお持ちしますね。」
「なんでもないことはないでしょう、熱でもありますか?」
気がつくと、師匠の顔が目の前にあった。
昔のことを思い出していたら、手が止まっていたようだ。立ち尽くす私を心配して、様子を見に来てくれたらしい師匠が眉をハの字に寄せながら、私の額に手を当てた。
「いえ体調に問題があるわけではないんです。師匠に拾って貰った時のことを思い出していました。」
「ああそういうことですか。そうですねぇ、君も昔は随分小さかったのに、大きくなりましたね。」
正直に事実を白状すると、私の返答に合点が行ったとばかりに目元を緩める師匠。そして師匠はそのまま額に当てていた手を私の頭に移動させて、わしゃわしゃと掻き回すように撫でた。親が子にする様なその仕草に少し面はゆさを感じながらも、心地よい手の温度にすり寄った。
「そう仰る師匠こそ随分とーーーーー、」
「私が、どうしましたか?」
「ええとその随分と、お優しくなられたな、と。」
“随分と人間らしくなられましたね。”
軽口の延長線で言いそうになったその言葉は、すんでのところで飲み込むことに成功した。
後に続けた言葉が、苦しい言い訳になったのは自覚している。しかし飲み込んだ言葉を直接伝えるよりは万倍マシだろう。
師匠が人間らしくなったというのは、事実だ。
私を拾ったばかりの時の師匠は、倫理観というものを軒並み欠落させたような性格をしていた。
当時五歳(推定)ほどの見た目をした私を暗殺組織奈落に加入させて人殺しの術を学ばせたり、修行の一環とはいえボコボコに殴ったり蹴ったり、血反吐吐いても修行続行させたり。はたまた食事を抜かれたり睡眠時間を与えられなかったりするなど、血の通った人間であれば躊躇う様なことを平気で行ったし、根本的に人間の考え方というのを理解していなかった。あの頃に比べたら随分と人の倫理を学んだし、慮れる用になった。人間らしいものの見方を学んだ。
ただ、人間らしくなったと伝えることは、元々は人間ではないと言うことと同義だ、どれだけ模倣をしようと
「優しく、ですか?優しくなったつもりはないのですが…。嗚呼でも昔の私が科した修行を乗り越えた君にとっては、今の私は優しく感じるのでしょうか?」
「師匠お言葉ですが、アレは修行ではなく虐待と言うと思いますよ私は。私はなんとか耐えられたから良いですが、私以外の子に教えるときはあんなことしちゃいけませんからね。」
「おや、まるで私が君以外の子供を教えることになるとでも言いたげな物言いですね?」
そうだ、とは言えない。貴方がこれから数多の子供達を導く師となるのだと知っているのだ、とも言えない。だって本当にそうなるかは私もわからない。
師匠の問いに面と向かって返す言葉がない私は、曖昧に笑うことで誤魔化した。
師匠に拾われてから十数年が経った。しかし未だに分からないことだらけだ。辛うじてここがかつて私が読んでいた漫画『銀魂』の世界であることは理解できたが、それ以外のこと、例えば令和日本を生きていた私はどうなったのかや、死んだ記憶もないのになぜ今漫画の世界に生きているのか、なんてことは理解の糸口さえ見当たらない。
一つだけ幸運なのは、私が以前の人生に全く頓着していないところだろうか。
よく転生モノの小説なんかでは、主人公が以前の人生に想いを馳せて荒んだり、元の世界に残してきた人を想い涙したりするシーンがある。しかし私に限ってはこれまでの人生にそれほど感じるものがないので、そう言った葛藤をしなくて済む。
過去に想いを馳せるより、折角記憶ありの異世界転生モドキをしたんだから、どうせなら私も転生小説の主人公みたいに前世知識で無双とかしてみたかったとか思う情緒無しタイプの人間なのだ私は。まあそもそも私が生きている今この時が原作でいうどの部分なのか、そもそも私という異物が存在する世界で原作が機能しているのかは分からないのだけど。
私が今所属している奈落という組織は、その性質上、表立った活動をすることがほぼない。
原作でも主人公やストーリーに直接関係したことは数えるほどしかなく、その上関係した話の殆どが物語の最も後半、最終決戦的な部分に偏っている。詰まるところ主人公陣営と全く接点がないので、現在主人公がどうなっているかなんて分からない。知る由もない。
故に今この世界がどの時間軸にあるのか、ストーリーの通りに進んでいるのかを確かめる術が全くないため、折角持っている原作の展開知識も、活かせず無用の長物を極めている。
(せめて今が原作のどの時期かだけでも知れたらなぁ…。)
そんな願いが遠くない未来、叶ってしまうことをこの時の私は知らなかった。