須賀京太郎の今日は昨日と変わらず、欠伸が出そうになるほどいつも通りだった。
「ロン! 立直一発ドラ5で親ッパネ!」
背後で優希が和了する声が聞こえる。チラッと見てみれば振り込んだのは和のようで、淡々と点棒を麻雀卓のポケットから取り出した。
横目に俺は再び読書に戻る。読書つっても、麻雀の教本だけど。
清澄高校麻雀部はインターハイ初出場で初優勝して一躍世間の注目を集めた。数々たる強豪からもぎ取った優勝という結果に俺も嬉しかった。何たって一緒にやってきた部員が日本で一番のメンバーと証明されたのだ。そんなの嬉しくないはずがない。
それから三週間ほど経ち、部長が染谷先輩となっても部室はインハイ前と変わらずゆるりとした空間で麻雀が行われている。まあ麻雀卓の様子は全然ゆるりとした雰囲気じゃないんだけどな。相変わらず咲の嶺上開花はバンバン飛ぶし東場は優希が手を付けられない強さになってるし和は俺の手牌を凄い当てて来るし染谷先輩は……良く分からないけど流れが悪いなとか言って副露して俺から直撃取ってくるし。まあ勝てないのは今に始まった話じゃないから良いんだ。男のプライド的には良くないけど、相手は全国トップのチームだし地方予選一日目で敗退した俺がどうにかできるはずが無い。その辺は割り切って納得してると同時に尊敬もしてる。
でも、だ。
何となくだけど、インハイを期に俺と皆には溝が出来た気がする。目には見えない、でも確かに目の前に横たわる溝。俺と他の皆じゃ性別も違うし、実力も違うし、溝が出来るのは仕方ない。理解は出来る。でも納得は別だ。
最近じゃあまり麻雀の勉強もしなくなった。雑用が忙しいというのもあるけど何よりあまりやる気が湧かないのだ。実力だけじゃない、才能の差。それが俺と皆の間に大いに屹立している。何時しか並び立つのを諦めてしまったのかもしれない。
「京ちゃん。今日も片付けお願い……」
「サボったら許さんじょ犬!」
「ああ、任せとけ! 麻雀牌をピッカピカにしてやるよ!」
心配を掛けないように俺は部員を見送って、雑用に勤しむ。他のメンバーは主力だから俺が一挙に雑用を引き受けるのは合理的なハズだ。
なのに何故か、俺の心は軋んでいた。
/★/
アラームの音で目が覚めた。布団を雑に除けて「ふわぁー」と自分でも気の抜けた可愛い声が出る。
平日の朝だ。今日も朝練があるから早く部室に行かないと……。
眠い眼を削るように擦って「んん?」と間抜けな疑問が浮かぶ。
アレ。俺、こんなピンク色の布団なんて使ってなかったハズなんだけど……それに何だこの部屋。知らない家具とかグッズばっかだ。クマの人形とか化粧台、カピバラさんはいつも通りらしいけど、どう見ても現状は異常だ。まるで女子の部屋みたいだ、いや女子の部屋とか上がったことないけど。何かあんな女子部員しかいない部活に入ってるのにそういう事は一切無いし悲しくなるな俺の高校生活。俺だって欲しいよお餅大きめの彼女とかッ!!
気を取り戻して、化粧台を覗いてみる。完全に俺の部屋ではないのは確定なんだけど、ならここは何処だという話になる訳で。
紛れもない男である俺にはどう使うのか分からない化粧品に眩暈がしながら鏡を見てみる。
普通の鏡のはずだ。なのに、どうしてだろう。全然知らない顔がある。
「───はえっ!?」
具体的に、鏡には金髪の女の子が映っていた。あべしっ。俺の精神は折れた。
/★/
親曰く「あらあら? まるで突然女の子になっちゃったみたいなこと言うわね? 京椛は昔から女の子だったわよ?」らしい。昔から女の子だった? 冗談じゃないって、俺は男だったって。
とすれば、俺は別の世界の自分に憑依してしまったのか? それも『
いや、どうなんだそれは。夢という線も全然ある、けど全然覚める様子は無いし頬を抓っても痛い。何というか、夢みたいだけど現実みたいな感覚なんだ。ふわふわとした浮遊感も無ければ意識もハッキリしてるし、明晰夢かもしれないけどそれでもこの感覚がとんでもなく現実みたいだ。
「にしてもこればっかりは慣れないなぁ……一体どうしちまったんだか」
女子の制服に身を包んだ自分の姿を見て溜息を吐いた。俺の姿は何と言うか、自分でも言うのもナルシストみたいで嫌だけど、控え目に美少女そのものだった。龍門渕高校の大将だった天江衣……よりは流石に大人びているし身長も大きいけど、例えるならそれが一番似ているかもしれない。しかも胸もある。流石にこんな道の真ん中で触る気は無いけど、てかそうじゃなくても敢えて触る気は無いけど。今まで中学の部活で出来た胸筋がちょっと残るくらいだった胸が富士山並みの山脈を築き上げている。K2クラスのお餅ホルダーの和には全然及ばないけどな。
「あ、京ちゃん~」
振り返れば咲が後ろから小走りでこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。良かった、咲はここでも何も変わっていないらしい。
「おう咲。おはよう」
「おはよう。……なんか今日の京ちゃん、いつもと違うね」
「えっ!? そ、そうか?」
「うん。なんか普段より若干言葉遣いが男の子っぽいかな」
そりゃそうだろ。男だし。と、素面で返せたらどれだけ楽なんだかな。にしてもこの世界の俺は見た目通り、女の子の言葉遣いで喋るんだろうか。でも若干って言ってるしなぁ。
咲はその辺疑問に思ったのか首を傾げると「でもまあ、京ちゃんだからしょうがないか」と何でか納得した。何その納得の仕方、嫌すぎる。
「べ、別にいつも通りだろ? そ、それよりどうなんだ最近?」
「どうしたのそんな親戚の不器用なおじさんみたいな聞き方して……。ただインハイ予選まであと三週間なんだよね……何だろう。今から緊張してきた」
「三週間? ……ああ、咲なら大丈夫だ。心配ないさ」
少し青い顔をした咲の頭をポンポンと叩く。大丈夫だろ。なんせお前ってインハイ全国大会制覇チームの大将なんだからな。
それよか気になることを聞いた。インハイまで後三週間? ってことはつまり、今はまだ五月の初旬ってことか? 勝手に今は九月と思ってたけどどうにも違うっぽいな。
「……むう。京ちゃんがいつもよりイケメンなこと言ってる」
「イケメンって……。別に事実だろ、咲はこの清澄高校でトップクラスの打ち手なんだから怖気づく必要ないさ。気軽に行こうぜ気軽に」
「そんな他人事みたいに……。そもそも京ちゃん私より強いじゃん」
「へ? いやいや無いって! 俺が咲より強いとかありえないって!」
ボソリと呟く咲に反論する。俺が咲に勝つ? 無いだろ常識的に考えて。こちとら天下無勝の初心者だぞ? 部内の対局で一位なんて取ったことが無い。勝てる要素が一ミリも無ければドベが俺の定位置なまである。実力では部内でも底を突き抜ける勢いで最下位、悲しきかな俺の雀力。
でも何故か頬を膨らませて咲は俺の頬を抓んできた。地味に痛いからなそれ!
「ほへ……!? コノヤロ咲、やったなこのー!」
「ちょっ、ひょおいじらひゃいでぇ……!?」
正当防衛だから法律的にもセーフ。だけど顔を赤くして少し涙目になるのは止めてくれ! 俺が虐めてるみたいになるから……!
「……京ちゃんの意地悪」
「先に仕掛けてきたのは咲が最初だろ? 目には目を、歯には歯を、頬には頬を。これは正当な権利だぜ?」
「ううっ。そんなこと言うならこっちだってこの件は麻雀に持ち越すから……覚悟してて?」
「ごめんなさい。本当に謝るのでまた焼き鳥にするのは勘弁してください……!!」
ヤバい、完全に捕捉された。魔王も斯くやといった腕前の咲によるボコボコ宣言に、清澄面子と打ち慣れたさしもの俺も直ぐに謝罪してしまう。そこに男のプライドなんてない。プライドじゃ点棒は守れないんだ。まあ今の俺男じゃないけど。
謝る俺に「やっぱり京ちゃん、なんかいつもと違うな……」とポツリと咲は呟いた。
/★/
特に何もなく放課後になった。
この姿の俺はやはり男とではなく女の子と仲が良くて、そこに戸惑うことはあれど何とか話題に付いていけたのは女としての記憶が体に染みついているからだろうか。思えば着替えとかでも戸惑わなかったし、そういうことなのかもしれない。
「何ボーっとしてるんだじぇ! 次は京椛が座る番だじょ!」
「あ、ああ。すまん」
促されて俺は麻雀卓に着く。いつもと違い、俺が女であるということもあるのか優希は俺を犬扱いしない。その事実に些か違和感を覚えながらも卓を見る。
部内での関係性は女となっても大して変わらないらしい。ただ、卓に着いた3人から剣呑と睨まれるのを除けば。ちょっと? 俺、そんな強くないッスからね?
何せこの豪華な清澄の面子。上家に部長、下家に和、そして対面に咲。いや~全く勝てる気がしない。微塵もしない。いつも通りながら宝くじで一等当てる方が簡単に思えてしまうほどだ。
既に引退した部長が座ってるのには違和感があるけど、今が5月なら当然だろう。全くもつて理解は追いつかないけど、それはそれてして。
咲は、珍しくニヤリと口を開いた。
「京ちゃん、朝のこと覚えてるよね?」
「俺謝ったよな!? 謝罪だけじゃ駄目なのか!?」
「そこはほら、点棒で語らないと」
点棒で語るってなに? もしかしなくとも俺からむしり取るって意味か? そんなのいつものことだろ!
反発していると部長が視線を此方に向けた。
「なになに~? 二人だけで面白そうな話してないで部長にも聞かせてくれないかしら?」
「そんな面白い話じゃないですって! ただ朝咲が頬を抓ってきたんでやり返したら咲が拗ねてるんですよ」
「あら。それで咲はあんなやる気なのね」
ふ~ん、と興味を失ったみたいに視線が外れる。助けてくれるわけじゃなかったんですかね!?
「あの、早く始めませんか? 染谷先輩はまだ今日一回も打ってませんし、まずは早く一周しましょう」
「ええ。和の言う通りね、じゃあ始めましょ」
部長のその言葉で場に熱が滾る。無機質な麻雀卓がさながら地獄の窯みたいにマグマで煮えて沸騰しているように見える。相変わらず恐ろしい熱量だ……!
だけど、不思議な事にいつもより俺の中では立ち向かう意思が高まっていた。ゴジラに襲来された都心みたいに蹂躙されるのに、倒産間近の銀行みたいに点棒を吐き続けるのに、俺の中で戦意が溢れる。加熱する卓とシンクロするように。
───あ、アレ?
東場一局、10巡目で俺は異変に気付く。いつもより思考が透き通ってて、何だかまるで牌が意識を持った一つの生物みたいに見えてきた。ツモ牌も不規則のはずなのにまるでその牌が手元に来る理由が存在するみたいにぬるぬると有効牌をツモる。おかしい。こんなの俺のいつもの対局じゃありえない。何だろうこれは。まるで強者相手に牌が獰猛な牙を剥いて呻っているようだ。
───そして、咆哮した
「……ロン!! 三色同刻三暗刻ドラ2、12000!」
「……初っ端からやるわね須賀さん」
あり得ないくらい珍しい役まで含めて軽快に和了してしまった。こんなの普段ならあり得ない。あり得ないけど……反面今の俺なら“当然”と思ってしまう自分もいる。なるほど、咲が朝俺の方が強いとか言ってた理由が何となく分かった。
これが須賀京椛としての、俺の実力……!
/★/
結果から言えば俺は負けた。一位は咲で、二位に俺。トップとの差は須賀京太郎なら考えられない、たったの2600点だけだ。三位に和、そして最下位に部長だった。
「うーん……」
「どうしたんですか宮永さん?」
咲は勝ったというのに、何故か不満げに河を見ていた。見兼ねて和が声を掛ける。
「は、原村さん……ううん。何でもないよ。ね、京ちゃん」
「あ、ああ。そうだな」
俺は微かに震えながら頷く。可憐に微笑む幼馴染だけどその目は語っていた。『次はツブス』と。……帰って良いですか?
「ええけぇ、次はワシじゃ」
「ええ、私はまこと交代ね」
部長と染谷先輩が変わるとそのままいつも通り、ローテーションで打ち続ける。いや、俺がいつも通りというのはちょっとおかしいかもな。俺はいつもこの輪には入ってなかった。入っても最初の一回二回で、実力不足で南場途中で飛んでしまう俺は次第に麻雀の基礎本を読みふけるようになったのだ。だからこの場で打てるのが少し楽しい、肩を並べられているという事実がこの上なく嬉しい。
「須賀さんはどうして今日はリーチをしないんですか?」
ローテで余った者同士観戦していると、さっきから気になっていたんですけど、と前置きをした上で和が俺に聞いてきた。どうして、と言われると困るけど……。
「何て言うんだろうな……、言葉にし辛いんだけど、リーチしたら折れる気がするんだよな」
「折れる、ですか?」
「オカルト的に言うと流れってやつなんだろうけど……それが俺の意図的なリーチで崩れる気がしたんだ」
「そんなオカルトあり得ません。宮永さんと違って須賀さんは初心者なんですから先ずは基本的な立ち回りをした方が良いと思います」
って言われても、その結果が個人の県予選敗退だからなぁ。それにこの打ち方は須賀京太郎、つまり俺のそれより圧倒的に強い。それは先程の対局で証明されてる。でも何なんだろうなコレ、まさか性別が変わったくらいで才能が芽生えるはずも無いし。
打っている内に下校時間となった。全員で片付けを行い、その中で牌譜を整理する。数えてみたら俺は今日の総合では二位、ありえない数字だ。一回の半荘なら偶然三位や二位を拾うことはあっても、総合だと絶対にドベだ。それは絶対に覆らない。実力的にも妥当なものだと思う、俺と違って皆は強いのだから。
「今日は須賀さん、振るわなかったわね」
「ぶ、部長……!?」
いつの間にか横から覗いていた部長がふんふんと俺の手元にある牌譜を読んでいた。必然的に俺と部長の身体が当たる、長い髪の毛が鼻孔に流れ込む。良い香りがする……けど、それだけだった。いつもなら絶対に動揺すること請け合いなのに、全く動揺することがない自分が少し気持ち悪い気もする。もしかして今の身体が女の子のそれだからなのか……?
「須賀さんいつもはもっと圧倒的じゃない。なのに今日はリーチすらしないし……もしかして何かあった?」
相談になるわよ、とサラリと言ってしまう部長にやっぱり学生議会長なんだよなぁと感慨すら覚えてしまう。無茶苦茶頼りになるんだよなこの人、ただ人使い馬鹿荒いけど……!
でも話すわけにはいかないだろう。まさか『今朝起きたら女の子になっててしかも時間も数か月戻ってましたどうしましょう部長!』なんて言う訳にもいかないよな。
「い、いやー、何にもないですよ。呆れるくらいに何にもないです、ハハハ」
「ふーーーーん、そう。ならいいけど……」
怪訝そうな表情をしながらも部長は麻雀牌を磨いている咲の方へ行った。誤魔化したか? ……うーん、部長勘が鋭いからな。
それから完全下校時刻になって途中まで同じ方向だった咲と帰路に着き、良く分からない内に一日が終わる。ベッドに潜りながら俺は暗い部屋であの感覚を思い出す。
麻雀の才能なんて俺は人並みにしかなかったはずなのに、感覚的に打っていた俺の指。知らない感覚なのにスルリと俺の心の中に染みていた。
正直打たされてる感もあったけど楽しかったのも事実。こんな能力が俺にもあればきっと県予選で敗退することもなかったんだろうな、とか流石にそれは無いものねだりでしかないか。
明日起きたら俺はどうなっているんだろう。またこの姿で一日が続くのか、それとも須賀京太郎に戻っているのか。
不安とも似た情動を抑えつけている内に俺は眠ってしまっていた。
麻雀はクソ雑魚物書きですので描写はナシ