アラームで目が覚めると真っ先に部屋を見回した。あんまり寝付けなかったんだけど何時の間にか眠っていたらしいな。
部屋は俺の慣れしたんだ空間で、念入りに確認してホッとした。はっとして自分の身体を確認する。お餅が無い、つまり男だ。いや何言ってるんだ俺、とツッコミたくなるけどもそれ以上に安堵感が強い。
───アレは夢だったんだろうか?
思い返すのは昨日、じゃなくて夢の中の自分の姿。我ながら可愛かったな……ってこの思考マズくないか? 女装癖のあるナルシストみたいになっちゃってる。確かに可愛いかったけども、俺好みの美少女だったけども、って自画自賛してんじゃねえよ俺……!!
「……そういや今日も朝練あるっけか」
取り敢えず落ち着こう。朝飯を食べて、顔を洗って、考えるのはそれからだ。それから考えよう。
/☆/
九月上旬。激闘を制した(のは俺ではないが)夏休みが終わり、二学期。
周囲の麻雀部への評価とかは無茶苦茶鰻上りだったり入部志願者も数人来たりはしたけど、俺の生活には特に変化はなかった。全員新部長である染谷先輩が行った入部テストに落ちたからだ。その内容は、前部長を除いた女子部員4人と打って生き残るというもので志望者の誰もが焼き鳥&箱割れに終わった。後に聞いた話では染谷先輩は一回和了しても合格とする気だったらしいけどまあ無理だろうなと思った。
生き残る、という条件を最初に聞いてしまえば端っからオリ前提の打ち方をしてしまう。そもそも相手は全国優勝チームで、普通に打って和了するのだって難しいのに。
そんなこんなあって、朝練をして、授業を受けて、放課後にまた打ったり本を読んだりして、片付けをして終える。そんな変わらないルーティンが続いてるわけだ。
ただ、あの夏以来俺の中で麻雀への向上心というか、『強くなりたい』という気持ちがどこか薄れていたのは事実だった。俺は弱い。とんでもなく弱い。どうやったって皆とは対等の舞台に立つことは叶わない。枯れ葉が吹き込んで冷たくなった心は身体を包んで、部活動で強くなるため行っている練習もどうしようもなく作業的になってしまった。俺はただの機械だ、牌をツモって捨てるだけの存在。
───クソッ。
そう諦めていたのに、俺は皆のサポートに徹しようとしていたのに、あの夢はなんなんだ? まるで火薬の湿気った俺を嘲笑うみたいにあんな夢を見せられて今更なにをしろと?
十分に努力したとは確かに言えないのかもしれない。牌効率はまだ完全ではないし、相手の待ち牌を読むのだって俺は上手く行くことの方が少ない。だけどアマチュアならそれが普通だろ? そんなの出来たらプロレベル、咲たちと同じ舞台の登場人物だ。
けど、そんな不完全な俺でも一つ分かることがある。
仮に牌効率が上手くなってデジタル打ちを極めたとして、俺は絶対に皆に勝てない。勝てるビジョンが視えない。俺が年単位で努力したって皆は更に先へ行く。一生掛かっても追い付けない。北斗星は遠すぎてこの小さな右手じゃ掴めないんだ。
分かってる、努力の差だけじゃない。才能の差があるから余計に霞んで見えないほど遠いんだ。
なのに今更、皆と肩を並べて対等に打っている夢を見せられてもどうしろと? へこたれずに努力をしろと?
冗談じゃない。冗談じゃねえよそんなの。
「京ちゃん? どうかしたの?」
「……いや、悪い咲。何でもない」
休み時間だと言うのにわざわざ他クラスから来ていた咲に笑顔で返す。そんなに顔に出ちゃってたか……本当にしっかりしなきゃな。夢は夢だ。シャキリとしねえと……!
「それより何か用か? 違うクラスだろ咲は」
「う、うん。数学の教科書忘れちゃって……」
「数学? まああるけどさ……うーん、しょうがねえな……。俺も六限に数学あるから次の休み時間に返せよ?」
「ありがと京ちゃん」
ロッカーから数学の教科書を取り出すと咲は大事そうに受け取って、ひょこひょこと小動物みたいに人目を避けて教室から出て行ってしまった。何だ、ホントに教科書無かっただけか。
その小さな背中なウサギみたいな後ろ姿を彷彿とさせるけど咲の麻雀の実力は本物だ。俺の幼馴染の宮永咲は普段読書をしていて大人しめの女子高生なんだけど、一度麻雀卓に着けば全国トップの打ち手と変貌する。それこそ団体全国優勝の立役者であり個人戦でもベスト4入りしたその実力は誰しもが疑いようがないくらい圧倒的だ。我が幼馴染ながらその見た目とのギャップが凄い。中学時代は普通の文学少女だったんだけどな……。
当然というかあり得ないと言うべきか、俺は咲と同じ卓を囲んで咲より上の順位になった記憶が無い。麻雀、運要素大きいはずなんですけどねえ……。そんな彼女の得意役は嶺上開花。その和了確率は0.28%。それを1回の半荘で3回も4回も上がって来ちゃうのが咲だ。たま~に打ってると「アレ? 俺って咲とおんなじゲーム今やってんのか?」と疑問に覚えちゃうくらい咲の背中は遠大だったりする。
さておき。
これと言って何もなく時間は流れて、五限と六限が過ぎ放課後。
当番の教室掃除を終えると俺は普段と同じく部室棟に足を運ぶ。……おっ。アレは優希だな、よし。
「よ、優希。これから部室か?」
「ぎょわ!? 京太郎!? 背後から驚かすなんて犬畜生のくせに卑怯だじぇ!」
「俺は犬じゃねえよ!」
タコスを買ってご機嫌そうに前を歩いていた優希に声を掛けると意識外だったのか凄いビビったみたいで肩を大きく一度震わせた。
「あれれ~優希さん。今日もタコスって……先月はインハイ中に東京観光したりタコス食べすぎたりして金が無いから九月こそ間食はタコス禁するとか言ってなかったか~?」
「い、言ってないじょ! 言ってない言ってない! そんなことを言うなんて京太郎の脳味噌は70歳並みに老化しちゃってるな! そんな哀れな京太郎にはアルツハイマー対策にこの麻雀ドリルをオススメするじぇ! ほらやるじぇ!」
「何だと~! てかそれお前が染谷先輩から宿題で渡されてたやつだろ! 自分で解け!」
「げ、バレたじぇ。残念な京太郎なら嬉々として解いてくれると思ったのに」
「バレてなくても解かねえよ!!」
と、開き直る優希の頭頂部に軽くチョップを叩きこむ。「何するじぇ犬! 飼い主に逆らうなんて躾がなってないんだじょ」とか宣わってきたのを「飼い主云々以前に俺はペットじゃねえって何度言えばいいんだ俺!」とツッコミつつ、優希のことをザっと眺めてみる。
その身体は咲よりも小さく小柄だけど咲とは違って活発的で、そして麻雀に関しては清澄高校のポイントゲッターの一人を担っていた。特に東場の爆発力は全国一レベルで、それこそ全国レベルの相手でないと東場で箱割れさせられて他の追随を許さず勝ってしまうことも多い。俺はと言えばこの数か月打って優希の打ち筋に慣れたからか、聴牌気配を感じたらベタ下りをすれば何とか飛ばないくらいで相手することが出来る……勿論それでも4回に1回は飛ぶけど。というか全国以後はもっと頻繁に飛んでるし。タコスヤバい。ちなみに更に咲がその卓に入った場合4回に3回飛ぶ。大気圏とかそろそろ突破して宇宙に行っちゃうレベル。身内ながらパネェよ全国一位チーム……!
優希は叩かれた頭を軽く撫でて、取り出した麻雀ドリルを仕舞いながら口を開いた。
「まあ真面目な話、私は良いんだじぇ。この秋冬は京太郎の番だ」
「え? 俺? それ何の話だ?」
「勿論麻雀の話だじぇ。ほら、私たちは夏忙しくて京太郎のことを置いてけぼりにして練習してたから、京太郎は全然麻雀強くなれなかっただろ? だからこれからはこの天才雀士である優希様が京太郎を育ててやるんだじぇ。秋季大会は部長……じゃなくて、竹井先輩が引退しちゃったから団体は出場資格が無いしいい機会だじょ」
「あー。今女子部員四人だもんな。男子部員はもっと少ない一人だけど」
インハイだって一人でも欠けてたら団体では出れなかったんだよな。優希、染谷先輩、和、部長、咲というたった五人のメンバーで名立たる強豪相手に勝ち上がって行ったんだ。でも部長が公式に引退して四人。先鋒は不戦敗で次鋒から出場、なんてスポーツの団体戦みたいな小細工が麻雀で出来る訳もなく欠場が確定している。『この面子なら四人でも秋の中部大会で十分戦える思うたんじゃけど残念じゃのぉ』と新部長も嘆いていた。俺もそう思う。
「でも団体は出れないっつっても個人戦はあるだろ? 俺のことなんか次で良いって、いやー全国トップの選手から教えられるだけで俺は幸運だって」
「……京太郎は強くなりたくないのか?」
優希は立ち止まって俺の双眸をジッと見つめた。自然と身長差から優希は俺を見上げる形になる。
強くなりたくないか?
そんなのなりたいに決まってる。男女共同参画のこのご時世に古いかもしれないけど、やっぱり可愛い女の子に負けるのは応えるし、それに俺も皆と肩を揃えて並び立ちたいと思ってしまうのはきっと普遍的な願望だ。
でもそれをするには高すぎるハードルが間に挟まっている。それこそ努力では決して補えないような才能の差。天才と凡才。俺は間違いなく後者だ。だがそんな言葉を今この場で優希に吐き出すのは、なんか情けないとか思ってしまった。
「んなの決まってんだろ? 俺だって次こそは優勝して清澄唯一の雑魚野郎扱いから脱却してやるんだよ!」
「そう来なくっちゃ! だじょ! 今日から私がみっちりしごき倒してやるから覚悟するじぇ!」
快活に言い放つ優希に俺は笑みを浮かべる。優希は俺のことを思って言ってるんだろうな……心がもう折れているなんて知らずに。
果たして、今、俺は上手く笑えているだろうか。
/☆/
夢は所詮夢だった。
無意識に少し期待してたのかもしれない。もしかしたらあの夢は正夢で、あの感覚は本物で、俺には麻雀の才能が宿ったのだと。まあ現実は全然そんなことが無かった訳だけど。
本日の対局も呆れるくらいにはいつも通りだった。優希にはボコられ、染谷先輩にはバカスカと鳴かれ、和には両面待ちだった俺の待ち牌を全部ホールドされて、咲からは大明槓&嶺上開花からの責任払いでジ・エンド。飛びました。はい。勝てないだろこんなの。
その後も有言実行した優希が付きっ切りで教えてくれた……のは良いけど、言ってることが少し感覚的過ぎてちょっと俺には分からなかった。90%くらい分からなかった。見兼ねた和が優希の補足、というか通訳をしてくれたおかげで80%は理解出来たからもう一戦したんだけど今度は咲に嶺上抜き数え役満の直撃を喰らって普通に箱を割った。本人は優しいからそんなことは無いと思うけど、何だか嶺上開花すら俺には必要無いって言われてるみたいで凹む。いや実際必要ないんだろうけどさ。てか嶺上開花抜きの方が手加減ってなんかおかしくね? 今更だけどさ。
そんな経緯もあって俺は凹みながら下校の帰路に就いていた。午後七時、長野の田園風景は既に影に沈んでいた。
チャラけながら考えてみたけど、正直かなり心にくる。電動ドリルで岩窟を掘削しているみたいに心の表面にある外部装甲が壊れているのだ。自分で自覚できちゃうレベルって相当ヤバいところまで来てるんだろうな、これ。
麻雀は好きだ。といっても初めて数か月程度しか経ってないけど。しかし、ここのとこ毎日牌を見ると自分でも驚くくらい嫌な気分になる。体内に沈殿したヘドロが汗腺を通して皮膚から滲んでくる感覚。辞めればいいのにとも思うけど、それは一生懸命春から忙しい合間を縫って俺に基礎を教えてくれた皆に申し訳なくて、それに俺自身も未だ麻雀が好きで。二重三重に雁字搦めになった強剛な鎖は俺を縛っていた。
……はあ。どうすりゃいいんだろうな。
吐いた溜息は闇に溶けた。
/#/
宮永咲は文学少女である。麻雀では相手をフルボッコにしながらも「麻雀って楽しいよね!」「一緒に楽しもうよ!」「誰だよテメーは。いきなり現れて好き勝手言ってんじゃねーぞ」と精神的にもフルボッコにしたりしなかったりするただの女子高生だが、麻雀卓を離れればどこにでもいる気弱な女の子である。クラスでも陰にいることが多く、それ故に友達と呼べる存在は少ない。
そんな咲には無二無三の幼馴染がいる。それが須賀京太郎だ。咲の唯一の家族以外の異性の知り合いと言える彼は、何と言うか、まあ、咲からしてみても極一般的な男子高生だった。人並みに色恋に興味があって(といっても原村和のお餅にばかり着目してる気もするが)、人並みより少し優しくて(優希からの命令に怒ったりすることはせず毎回タコスを学食までお使いに行ってるし……)、人並みよりかなり容姿が良くて(テレビをあまり見ない咲にはそれがモデル並みとか俳優並みとか俗的な評価は下せなかったが)、そして人並み以上に咲の理解者だった。最近は原村家の和さんとも仲が良いが同性なのでそれはここでは置いておく。IPS細胞? そんなオカルトありえません!
だが最近京太郎の元気が無いのに咲は気付いていた。部活中は何だか意識が上の空で、卓を囲んでるときなんかそれが顕著だ。明らかに無為に打ってるなぁ、と後ろからチラリと様子を伺いながら。
(京ちゃんなんだろ……今年は暑かったし夏バテかな?)
例年より平均気温が0.2度高いらしい。この長野の盆地の夏はサウナみたいな暑さが地域一帯を包む。インハイで行った都心も暑かったが、やっぱり地元はその比ではないし幾ら体育会系出身の高校男子と言えどバテても無理はない気がする。
うん、後でスポーツドリンクでも差し入れようかな。
少し心配げな視線はそのままで咲がそう結論付けていると。
「咲さん、どうかしましたか?」
「和ちゃん……ううん、何でもないよ」
咲と同じく観戦側だった和は咲が一点、京太郎の方を見つめているのに気づいて少し不思議そうに声を掛けた。咲には幸いと言うべきか、和は咲が京太郎の手牌を見ていると思って自身もそれに倣う形で観察してみる。現在卓を囲むのは須賀京太郎、染谷まこ、片岡優希、ついでの受験の息抜きに遊びに来ていた竹井久の4人。言うまでもなく最下位は京太郎。一位は前部長の久だが二位の現部長であるまこと僅差で、奇しくも新旧部長対決となっていた。少し離れて三位の優希は既に自身の東場の親番がまこの
「須賀くん、しっかり練習の効果が出てますね。今のは当たり牌を絞り込んで意識的にまこさんの待ち牌を回避してました」
まこが久から満貫手を出上がりすると、和は対局者の集中を妨げないように小声で咲に言った。だが咲が気になっていたのは京太郎の闘牌ではなく体調だったので一瞬思考が固まる。しかしそこから直ぐに和の言ってることを理解するあたりは流石全国覇者チームのエースだろう。
「え、うん、そうだね。五月のときはフリテン罰符とかしちゃってたけど京ちゃんも成長してるんだよね……」
フリテンでしかも役無しなのにロン上がりしちゃって「え、俺またなんかやっちゃいました?」と困惑しながら言っていた彼の面影は最早無い。……いや、今でも結構複雑な形になると見逃して向聴数を下げちゃうこともあるから無いことはないかー、と雛鳥を見守る親鳥みたいな気分で咲はじゃらじゃらと手牌を真ん中へ押し寄せる京太郎の様を見つめる。
可愛げのあるミスは今でも残るが、確かに京太郎の成長は見てて楽しくなる。呑み込みが早いとか物覚えが良いとかそんなことはないし牌に愛されている訳でもないのだが、それでも順当に成長していく様子に咲は言葉にはしないが感心していた。言葉にはしないが。それを言ったが最後絶対に調子に乗って秋季大会も失敗する、なんて確信を咲は長年付き合ってきた幼馴染として持っていたのである。幼馴染の少女からイマイチ信用されていない京太郎である。
一方で京太郎には全国を一緒に戦ったメンバーとか、或いはそこで戦った相手みたいに稀なる麻雀の才能が無いことも分かっていた。これはなにも嶺上開花を連発しまくるみたいな不思議な力だけの話じゃない。例えば全国の二回戦と準決勝で戦った姫松高校の大将、末原恭子はそういう力を持っていなかった。しかし彼女の攻守において全国レベルの麻雀力に加えて忍耐力、優れた頭脳から引き出される分析力、判断力に対応力は咲でさえももう一度戦うのは厳しいと言わしめるほどの人傑だ。比較対象が悪いかもしれないが、それにしても京太郎はそんな明確な強者といえる彼女より五段も六段も劣っている。頭は悪い方ではないが物凄い良いわけでもなく、役満が出来そうなら状況関係なく狙うから忍耐力はお察し。麻雀力? 初心者ですけど何か?
厳しいことを言えば京太郎は麻雀では大成しないだろうと咲は思っている。残酷ながら、麻雀とは実力の世界。努力とセンスと才能が幅を利かせる競技で、スポーツと同じ。初心者がジャイアントキリングを起こせるようには作られていないのだ。
「……和ちゃん、私ちょっと購買行ってくるね」
「何か買うんですか?」
「うん。冷たい飲み物が欲しいかなって」
「そうですか、確かにまだ暑いですからね。気を付けて行ってきてください」
「うん、ありがと和ちゃん」
咲は部室から出ると九月の熱気が溢れんばかりに襲い掛かる。とても熱い。そういえば今日も最高気温が35度とか言っていた気がする。
(───京ちゃん、なんか、可哀想だな)
セミが騒々しく鳴き乱れる誰も居ない廊下で一人。牌に愛された少女は、牌を愛しても愛されない京太郎のことを思って悲しくなった。
京太郎強化SSが恋しいですね…