夢ではインハイ予選がどんどん秒読み状態になって行く一方、現実でも一応秋季大会が近づいていた。
前部長である竹井先輩の言葉によれば、秋季大会は春季選抜に出る高校を選別するために行われるらしい。全国大会は行われず、関東地方にある高校は関東大会、近畿地方にある高校は近畿大会と言った風にその地で完結する大会だ。そんな訳で長野県に位置する我が清澄高校は中部大会に出場することが出来る。
「ほい、秋季大会の対戦表が遂に出たから各自確認しといてくれ」
放課後、そんな秋季大会の個人戦対戦表が判明したようで部活前に染谷先輩が人数分紙をテーブルにパラリと置いた。置かれた対戦表を「無謀にもこのインハイ王者に挑む愚か者は誰だじぇ!」と早速優希は手に取ると見始める。一応出ることになってるし、俺も取るか。
「うーん、あんまり知ってる奴がいないじぇ。咲のお姉ちゃんとまた戦いたかったんだが出場してないのか?」
「それはそうですよゆーき。宮永照さんは白糸台、東京の高校ですから中部大会ではなく関東大会の方に出るはずです」
続いて既に部室で寛いでいた和と咲も手に取って対戦相手を確認し始める。何か気になったことがあったようで咲は冊子を開く前に口を開いた。
「そもそもお姉ちゃん、今年で三年だからもう引退してるけどね」
「え、そうだったっけ。じゃあもう公式大会では会えないんだな」
「そう言えばお姉ちゃんこの前プロチームのスカウトを受けたとか言ってたから、優希ちゃんもプロに行けば戦えると思うよ」
「マジか! なるほど、再戦はプロの世界でか! これは燃え滾ってきたじょ!!」
咲に姉がいたことなんて最近まで知らなかったけど、何だか仲が良さそうで何よりだ。
と、和は呆れたように目を細めながら。
「……なんでもうゆーきはプロ行く気満々なんですか」
「優希なら行けるんじゃないか?」
「甘いですよ須賀くん。プロは一回の勝利で完結するような世界じゃありませんし、その世代のインターハイで毎回三位以内に入ってくるような選手が何十人も争ってますから私たちが戦っている場所よりよっぽどシビアなんです」
「へえー……中々難しいんだな」
テレビでプロの麻雀は見たことはあるけどそんな厳しい世界だとは思わなかったなぁ。照さんがプロ入りしたなら咲とか和とか優希もその道に行けると思ってたけどそう簡単な話でもないみたいだ。
まあともかく、俺も自分の対戦相手見てみないとな。捲ってみると男子の部にもずらりと名前が並んでいる。そりゃそうだよな、中部地方だけでも九県もあるわけだしそれだけ選手の数も膨大になるのは自明の理だ。
秋季大会の個人戦は予選と本選リーグの二部構成となっている。まずブロックごとに振られた予選では総当たりで勝ち点を競うらしい。俺の所属するブロックEにも50人ほどの選手が割り振られていて、その中から上位4人が本選リーグに進める。それから本選リーグに進んだ選手でトーナメント方式で優勝を争うというのが秋季大会の個人戦らしい。夏の予選は大会二日目も総当たりだったけど、秋季大会は九県の選手が参加して膨大な人数になるからトーナメントなんだろうな。まあまずブロックでの総当たりも勝ち残れる自信はサッパリ無いけどさ。
咲は冊子を見て「良かったぁ……」と安堵の息を漏らした。
「ブロック、全員分かれてる……」
「あ、ほんとだじぇ。私がAブロックで……のどちゃんがKブロック、咲ちゃんがBブロックで染谷先輩がCブロックだじょ!」
確かに、何かまるで作為すら感じる別れ方だな。
優希の言葉を聞いて染谷先輩は眼鏡を光らせた。
「恐らく出来る限り同じ学校の選手が被らんように運営が調整したんじゃろうな。同じ学校の選手同士だとぶつかったとき談合のリスクもあるけぇそれを避けようとした結果じゃろう」
なるほどーだじぇ! とポンと手のひらを叩く優希に申し訳ない気持ちが湧いてくる。何かさ、うん、俺もそういうのを考えるのはダメだと思うんだけどさ。ただ何といいますか、お餅のサイズと皆が割り振られたブロックが完全に対応しているような気がするといいますか、うん、この話はやめておこう。女子ばかりのこの環境でバレたら間違いなく村八分にされるって!
「知ってる学校名も殆どないじぇ。私たち以外にも夏の全国行った学校はあるはずなのに」
「そりゃそうじゃろ。中部地方で準決以上に進出した学校はわたしたちしかおらんけぇな」
「だじぇ。龍門渕の奴らは今回も個人戦出ないっぽいしマジのガチで優希ちゃん無双タイムが始まっちゃうじぇ!」
「まあええけど足元掬われんようにな」
見事に調子に乗ってるなー優希は。でもそれが許される実力があるから厄介なんだよな。
優希と染谷先輩の会話を聞いていると、咲は冊子を開いたままこちらに視線を向けた。
「京ちゃんのブロックはどう?」
「俺? いや、うーん、どうだろうな」
聞かれても正直何も分からない。俺は咲たちみたいにエリートプレイヤーでもなく、他校との練習試合もしてないから男子選手なんて知りようが無いしなぁ。男子の部は精々インハイ優勝者の名前くらいは知ってる、ってレベルだ。
「まあでも勝ち残るのは滅茶苦茶厳しいだろうな。そうだ! 咲からみたら俺どのくらいまで行けそうだと思う? お世辞とか抜きで」
「ええ!? う、うーん。……多分京ちゃん落ち込むと思うよ?」
「全然構わねえぜ。ドンと来い!」
「じゃ、じゃあ。予選で20位以内に入れたら大健闘……かな?」
「マジかよ!? 本選リーグの決勝戦くらいまでは進むつもりだったのに!?」
口ではそう言ったけど、うん、俺知ってた。実力でも清澄の紅一点だって。
「そこまで行ったら次の日は雨の代わりに槍が降るかもね」
「あのあのですね咲さん、そこまで言います? 幼馴染としてもっと期待を込めて予想してくれても良いと俺は思う訳ですよ」
「ごめん。京ちゃんが麻雀で勝つとこ、ちょっと想像が出来ないかも……」
「クソおおおお!」
勝つ想像が出来ないって何? 俺の負け犬イメージってそんな濃いのかよ。確かに部活の麻雀で一位になったこと、現実じゃ一度も無いけどさ。
すると、真横にひょこりと現れた優希がぺしぺしと俺の身体を叩きながら口を開く。
「ドべ太郎に変な期待を持つ方が難しいじぇ! 悔しかったら部内麻雀で一位を取れじょ!」
「そこまで言われたら男として引き下がれねえなぁ優希!? やるぞ! スマンが咲と和も付き合ってくれ!」
「ふはは! 犬が飼い主に逆らうとどうなるか、叩き潰してやるじぇ!」
どうせ負けるけど、プライド的にやるしかない。
───それにここで挑まにゃいつもの須賀京太郎じゃないんだよ。
卓に着くと、サイコロを振った。
/☆/
「最近須賀くんの打ち方、変ですよ」
半荘を二回ほど終え、感想戦をしましょうと持ち掛けてきた和は最初にそんなことを言った。
……変、か。確かに打ち方が歪んできてるのは自覚してる。だってこれは須賀京椛の打ち方であって、須賀京太郎の打ち方じゃない。本来の俺は竹井先輩や和に教えてもらったデジタル打ちが基本スタイルだ。当然初心者だからミスとかしまくって裏目に出ることは沢山あるけど、軸は極一般的な確率論に基づかれた牌整理を据えている。
でも夢の中の俺、須賀京椛は違う。どちらかと言うと、牌効率なんて考えず流れに導かれるまま打つ勘スタイルだ。だから理論やら何やらを知らない俺でも咲や和に勝つことが出来るのだろう。……自分の夢だから、というのもあるとは思うけど。
「まあそうだよな……」
「どうして変えたんですか? 明らかにその打ち方は勝ちを求めに行くそれじゃありません」
夢ではこれでも部内ランキング一位なんですよー、とかふざけて言い返せそうもない雰囲気だ。いや、俺も意識して打ってるわけじゃないんだけどな。夢ん中じゃこれで勝てちゃってるから知らない内にそちら側に寄っちゃってるのかもしれない。寧ろ、今の俺は取り繕うために京太郎としての打ち方を真似てるから、余計に訳わからなくなってるのかもしれない。
まあそんなことをいう訳にもいかないから誤魔化すしかないんだけどな。
「いや、さ。和には理解されないかもしれないけど、今の俺じゃ強くなるのは難しいと思うんだ。理論を学んで、実践で応用するのが強いのは和のことを見てるから分かる。確かにそれを極めるのも一つの強さだ。でも今から俺がを突き詰めても、一定以上の実力は身に着かないと思う」
強くなる、なんて言葉を使うと惨めな気分になる。夢なら、夢だったら。なんてたらればが心を支配して、自分が凄い情けない。
和は俺のその発言に皺一つない新雪のように綺麗な顔を険しく屹立させながら口を尖らせた。
「じゃあ何ですか、須賀くん。貴方はあんなデタラメな打ち方を突き詰めて本当に強くなれるというんですか? とても私にはそう思えません。まるで初心者みたいな打ち方じゃないですかアレ、敢えて大きな役を崩したり有効牌を自摸切りしたり、理解に苦しみます」
「全部必要なことなんだ。雑魚で初心者で麻雀では誰にも見向きされない俺でも俺なりに、ちっぽけなアイデンティティーがある。それは和の理論とは程遠いかもしれないけど理解して欲しい」
「……嫌です。須賀くんはこの部活で唯一の男子部員ですけど、仲間です。須賀くんが変に迷ってるときに手を差し伸べるのもまた、同じ部活に所属する私の役割じゃないですか!」
和はそう、感情的に言った。牌譜を確認していたらしい咲に優希、染谷先輩も何があったのかとこちらの方を覗き見てくる。
和がそんな風に思ってくれていたなんてな。あまりこういう話をしたことが無かったから、純粋に嬉しい。でもな。こればかりは譲れない。
「迷ってる? 違うぜ和。模索してるのは本当だけど、これも俺の個性……打ち方の一つなんだ」
「面前で聴牌しても殆ど立直しない打ち方がですか? ロンをせずにツモばかり
「ちょっとのどちゃん! 落ち付くじぇ!!」
語気が強まってきた和を優希が宥めようとして、持ってきた水を和に飲ませた。和も自覚はしていたのかコップに口を付けて傾けると、飲み干すことはせずに静かにテーブルに置いた。
「ありがとうございます、ゆーきちゃん。おかげで落ち着きました。……でも、これとそれとは話が別です。私は今の須賀くんの打ち方を認めませんから」
「……ああ」
暗澹たる空気が漂う。強くなりたい、そう願う俺の真意は多分間違ってない。だけど心にネイルガンを撃ち込まれたように胸が痛むのはきっと、俺自身が自分を偽っているからだろう。
早く、明日になってほしいな。
居心地が悪くなった俺は、少し場を冷やそうとテラスの風に当たりに行った。夏の余韻が残る雁渡しは暖かく、温かった。
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「の、和ちゃんどうしたの? 京ちゃんがなんか変な事でも言った?」
京太郎が風に当たりに行って、咲は迷わず和に話しかけた。和は未だ熱が冷めないようで、それを自覚してか水をちびちび飲みながら窓の外を眺めていた。
「さ、咲さん……すみません。皆さんに見苦しいところを見せちゃいましたね……」
比較的冷静になったからか和は申し訳なさそうに呟いた。
「う、ううん。そんなことないよ」
「お気遣いありがとうございます。でも放って置けなかったんです」
「それって京ちゃんのこと?」
「はい。咲さんも知ってますよね、先週くらいから須賀くんの打ち筋が変なこと」
「……うん」
否定する理由も無いので頷く。だが、咲が変だと思っているのは京太郎の打ち筋だけじゃない。変かどうかといえば夏休みから何処か様子がおかしかったのだ。
全国大会が終わった時期くらいからだったと思う。京太郎はどこか無気力で、気が付くとぼーっと虚空を数秒見つめたり無意味に牌を凝視したりしていたのだ。夏バテかと思ったがそれも違う。まるで何か、大事なものが欠損したみたいな、そんな風に咲は感じた。
打ち方に関しても夏から違和感はあった。それまでは咲たちにどれだけ点棒を取られても逆転を諦めずに打つ姿勢があった。不屈の心……というと仰々しいかもしれないが、その粘り強さについては咲も認めるところだった。でも今はそれが無い。最初からまるで修行僧のように、全てを諦めたみたいな空気すらある。本人に言っても絶対はぐらかされるから咲は問い詰めていなかった。
和は言葉を選ぶように慎重に時間を使うと唇を戦慄かせる。
「どうしたんでしょう……強くなる、という意思を否定したい訳じゃないんですけど。あんな無茶苦茶な打ち方で上手くなるとはとても思えません」
「うん……それはそうかも。私はあんまり言える立場じゃないけど、今の京ちゃんの打ち方で強くなるのは無理だと思う」
カン材の流れを完璧に把握して嶺上開花を和了するのが主な戦略になる咲には当然普通に強くなる方法なんて分からない。生まれてからそういう戦い方しかしていなかった訳で、和のように超精密なデジタル打ちなんてできない。だからネット麻雀とかだと全国優勝した実力は一切発揮されず、連戦連敗。酷いときは5連続で4位に沈むことすらある。
そんな咲でも京太郎が奇怪な打ち方をしているのは目に見えて分かったし、何だか物凄い違和感も同時に感じていた。まるで毛糸と鉄線が煩雑に絡まり合ったみたいに、一貫性の無い打ち筋。
……何かがあるのは間違いない。それだけは確信していた。
それ以上の考察は出来ないからか、窮した話題を作るように和は「そういえば気になってたんですけど……」と続けた。
「咲さんは須賀くんと幼馴染なんですよね?」
「うん。中学からだけどね」
「当時はどうだったんです? 須賀くんからはその時はハンドボール部に入っていたと聞いたんですけど」
言われて思い返してみる。中学時代は咲は部活には入らずに授業の合間に本を読んでいたのだが、そんなインドアな女子中学生に話しかけてきたのが京太郎だ。中学生というのは単純で、スポーツが出来てカッコいい人はすぐにクラスの人気者になる。元来コミュニケーション能力が高くて人当りも良く、スポーツもクラスではトップクラスに上手でダメ押しとばかりに顔立ちも整っていた京太郎も例に漏れずすぐにクラスの中核メンバーに入っていた。だから当時の咲はその時点で疎遠になると思って自分から関わるのを止めた。何せ咲は自他認めるコミュ障で、どこのグループにも属さずに暇があれば読書している文学少女。クラス内カーストで言えば底辺の存在である……自分ではあまり考えないようにしていたが。
だが二か月が経って、一年が過ぎても京太郎は全く関係なしに咲へと歩み寄った。「なあ咲、今日の数学の先生何か不機嫌だったよな?」とか、何気ない話題を持ち込んでは咲へと話しかけた。
一度、同年代と比べればあまり多くは無い勇気を振り絞って京太郎にその事を聞いたことがある。したら「いや友達だし当然だろ? え、もしかしてそう思ってたの俺だけ? 違うよな、えっ、違うよな咲?」と逆に迫られたのは困ったけど、まあそれもいい思い出で。環境が変わってもなお不変の関係性を続けてくれる唯一無二の大事な存在だ。
───つまり。咲にとって京太郎は面倒見が良すぎる、本当に人格的に完璧超人だった。麻雀は弱いし勉強も危ういけど。
「……今もだけど。京ちゃんは、私には出来ないことが出来る凄い人かな。すぐ人と仲良くなれるし、人当たりも良くて優しいし、困ったら見捨てておけない性格だから」
「そうですか……。確かに、私も経験あります。須賀くんとは初めて会って、それからあまり時間の経たない内に名前呼びを受け入れてたんですよね……須賀くんじゃなきゃ多分、そうはならなかったと思います」
「でも今考えてみると、今の京ちゃんとは違うかも」
「……え?」
和は疑問の声を上げた。
最近の京太郎の異変。それはその京太郎の普段の行動にも変化を齎しているような……、と咲は考える。
「思ったんだけど、今の京ちゃんの優しさって何だか無理をしているような気がする……。ぼんやりとしか分かんないけど、何となく」
「何となく、ですか」
「そう……だけど。ごめん、確かなことは言えないかも」
「いえ、咲さんを疑ってるわけじゃないんです! ただ咲さんのいう事が本当なら須賀くんは今何か悩んでいて、でも私たちに心配を掛けないように無理をしているってことになると思いまして……」
そういうことになる、のかもしれない。咲は少し顔を俯かせる。
コミュ障な咲は気恥ずかしくて面と面を向って言えないが、何だかんだ京太郎のことは友達……どころか親友くらいには感じている。異性的な好意があるかといえばそれは咲にも分からないが、ともかく。
(京ちゃん、何で相談してくれないんだろ……やっぱり私じゃ頼りないのかな……)
ついついネガティブな思考が脳裏を過ってしまう。友達という関係を疑うわけではないけど、ちょっとは相談してくれてもいいんじゃないかな……? とか考えてしまう。
「……須賀くんが話してくれないなら私たちに出来るのは待つことだけじゃないでしょうか。あの感じだと聞いてもはぐらかされそうですし……」
「そう、だね。和ちゃん」
「はい。その時まで見守りましょう」
テラスの方に視線を走らせた和につられて咲もそちらを向いてみる。
テラスの落下防止用の鉄柵に凭れ掛かった京太郎の背中は年端も行かぬ童女のように小さく、儚く見えた。