灰色雀士は夢を視る   作:金木桂

5 / 5
京椛:5

 

「おー、思っていたより綺麗ね! これは質の高い練習が出来そうね」

「ここが合宿所か……! 期待が持てる外装だじょ!」

 

 数日が流れ、合宿当日。俺たちは高校の所有する合宿所に各自荷物を持ってきていた。そう、大荷物を持って。

 

「京ちゃん、大丈夫……?」

「あ、ああ……このくらいなら、大丈夫だ……!」

 

 無理矢理笑ってみせると、咲は心配する素振りをみせながら俺の隣に並んだ。あー、何かあったけえ……! 前のときは誰も心配してくれなかったからなぁ、男として信頼されてるのは嬉しいがちょっと辛かった。いやホントに。

 

 しかし、今は女の体力になってるからか本当にキツイ。かなりキツイ。下手したら中学時代の部活の走り込みよりキツイ。男であるという矜持だけで歩いている状況。部室のパソコン、重すぎなんだよ……!

 咲が俺に声を掛けたからか、部長もこちらへと振り向いた。

 

「ごめんなさいね京椛、そんな荷物任せちゃって」

「い、いえ良いんです! こういうのは俺の役目なんで!」

「役目……?」

 

 首を傾げる部長にしまったと思ったけど、まあ大丈夫か。まさか中身が男だとは思わないだろうしな。そもそもこの口調でも通っちゃうあたり『須賀京椛』という少女もかなり男勝りのようだ。どうでも良いけど、なんか龍門渕にもそんな女の子いたよな。先鋒の子。なんか宝塚みたいだと思ったのをめっちゃ覚えてる。

 

「ま、まあ良いわ。ともかく泊りでガンガン打って打って打ちまくるわよ!!」

 

 そんな感じで夢の中二度目の強化合宿は幕を開けた。

 

/★/

 

 打って打って打ちまくれ!

 そんな時間は前回とは違って主力の俺にも訪れた。交代で打ち回して昼休憩を挟みながら合計30局、既に時間は夕方に差し掛かっていた。

 ノンストップで打ちまくり過ぎても集中が切れるというわけで、一旦休憩。

 手を挙げて「疲れたじょー……!」と優希は背後にぶっ倒れた。

 

「またギリギリでマイナスだじぇ……」

「優希はやっぱり、そうね。点数計算が課題ね。分かってたけど。ってことでこれを持ってきたわ」

「け、計算ドリル……! いやだじぇ! 合宿でまで勉強したくないじょ! それなら私5翻以下の役は上がらないじょ!」

「はいはい無理言わない。優希、点数計算は正確に把握していればしているほど戦略の幅が広がるわ。これをやらないと強くなれないわよ?」

「うう……しかたないじぇ」

 

 渋々と優希は部長から計算ドリルを受け取ると、ジッと嫌そうに見つめた。数学、苦手だもんなぁ優希。中間試験も期末試験も赤点すれすれで、現実ではまあからかったりしたもんなあ懐かしい。……まあ俺も人のこと笑える点数じゃないけどさ。

 

 部長は優希の件はその方針で進めるみたいで、次に咲の方に向くと咲はビクッと肩を震わせた。

 

「咲はこれよ。パソコンで麻雀を打ってもらうわ」

「ぱ、ぱそこん……?」

「ええ」

「……これで麻雀が出来るんですか?」

「え、ええ?」

 

 純粋に疑問符を頭に浮かべる咲に部長は困惑した。機械音痴の咲は持ってる携帯もそうだし、パソコンだってほとんど触ったことが無い。

 はーしょうがねえな。前回同様、俺がパソコンの操作を付きっ切りで教えるか。

 

「部長、心配しないでください! 俺が咲に教えるますよ」

「あーうん。じゃあ京椛、あとでお願いね」

 

 許可も取れたので早速何もわかって無さそうな咲を伴って部屋の隅に移動して、安置していたパソコンの電源を入れてみる。

 

「うう……京ちゃん、なにこれ……」

 

 涙ぐみながらマウスとキーボードを見て、毒蛇にでも挑むみたいに恐る恐る触る咲を「簡単だから大丈夫だって、任せろ」と励ましながら指示する。ここでも変わらないんだな咲って。

 

 咲がマウスを持っている上から手を掴んで「え、えんたーきー? わっなんか出てきた!? ここをくりっく? すればいいんだよね……な、なに!? 全然この、矢印みたいなの動かなくなった! どうしよう京ちゃん壊れちゃった……!? 私壊しちゃったパソコン……!!」とパ二クって泣きそうになってるのを宥めながら一通りレクチャーする。現実なら優希あたりにからかわれそうだけど、優希の方を見てみれば今は女だからかこっちに興味を示すことは無く計算ドリルの中身をパラパラ捲ってゴーヤを丸齧りしたような苦い表情を浮かべた。

 

 十分くらいそんな風に悪戦苦闘していると部長が手を打った。

 

「じゃあ、行くわよ!」

「行くって何処にじゃ?」

「決まってるわ。温泉よ!」

 

 うーわ。どうしよう俺。

 

/★/

 

 俺の今の身体は女だ。誰がどう見ても女だ。それはもう美少女だ。金色の髪は本来の俺のそれより綺麗に輝いているし、スタイルもモデルみたいに整っている。口調はともかく百人が百人俺を女と答えるだろう。

 でも、さ。俺の心は紛れもなく男だ。自分の身体を見るのはまあ、自分自身のことだからか変な気持ちが過ることは無い。一人で風呂に入るなら冷静沈着でいられる。だがしかし、他の皆がいたら話が違うじゃん。違うよな、なあ?

 

 咲を始めにした部活メンバーは全員、現実の容姿と同じだ。夢とはいえ、瓜二つどころか寸分の違いもない容姿に性格。そんな彼女たちの裸を見るのはちょっと、いやかなり、気が引ける。これが完全なる明晰夢ならこんなに悩んだりしないんだろうな……。役得だと思ってそのまま入るまである。けど残念なことにこの夢、妙にリアルで全くそういう気分になれない。痛覚はあるし味覚もある、人と話しても現実と一切遜色はない。例えば前日見た夢で話した内容はその次の日の夢でも引きつがれる。まるでもう一つの現実を過ごしているみたいな、不思議な夢だ。……んなことは今良いんだよ!

 

 合宿所の温泉までの廊下。百面相に気付いた咲は少し疲れたように俺の表情を伺う。

 

「京ちゃん、どうしたの?」

「い……いやー、咲。ちょっと腹が痛くなってきな、先行っててくんね?」

「えー。私京ちゃんと入りたい」

「ハハハ……すぐ行くからさ」

 

 もちろん嘘だ。行く気ゼロ。てか無理だ無理、無理過ぎるってそれは。

 

「えー……すぐ来てよ?」

「ああ、うん、冥土に突っ込む覚悟が出来たらな」

「ん……? なにそれ?」

 

 咲の言葉に背を向けて返答する。人生経験の浅い俺にはまだ無理な所業である。じゃなくても無理だけど。

 

 咲たちから離れて俺は言葉通りトイレの個室に駆け込んだ。無論便意なんてないけど放った言葉を嘘にしたくない、なんて僅かばかりの抵抗もあって女子トイレに駆け込んだ。駆け込んでから気づく。……ここ、女子トイレじゃん。

 

 ヤバい、完全に無意識で駆け込んでいた。この数日間の間で随分俺もこの京椛の姿に慣れてしまったみたいだ、自分ながら環境適応能力に驚嘆しちゃうな。

 これが現実でもナチュナルに女子トイレに入ったりしてたらガチのヤバい人だったかもしれないけど、実際そんな危惧をする必要は多分無いと思う。現実と夢との性差によって生じるアレコレの境界線は全部きっかり自分の中で整理されているようで、現実で女子トイレに駆け込んだことも無ければ夢の中で男子トイレに駆け込んだことも一応まだない。一瞬危ういことも最初はあったけど、まあ慣れた。慣れちゃったんだなこれが。

 

 俺はそれから携帯を弄りながら50分間個室に籠った。完全にトレイの花子だった。部屋に戻っても部室で一室借りているから部長たちが帰ってきてしまうと言い訳がキツいし、それならトイレにいるしかないと便器に座ってひたすら暇を持て余した。悪いな咲、俺にはまだそこまでの覚悟が無いんだ。

 

 まあ。そろそろ咲たちも出てるくらいの時間帯だし、出ても大丈夫だろ。うん。

 意味も無く水を流して外に出て、俺は温泉に向かう。もしこれが一般客もいる旅館だったら俺はどうしようもなかったのだが、ここは学校の宿泊所。本日ここに俺たち以外の部活動がいないのも確認済みだ。

 

 道中は既に風呂から出ているのか咲たちとすれ違うことは無かった。静寂な空間を俺の足音が塗りつぶす。

 暖簾をくぐると、やはり合宿所というのを感じさせないような雰囲気を脱衣所は放っている。木で作られたロッカーにカゴが入っていて、全体的に温かみのある空間は本当に旅館みたいだ。これが貸し切りとか信じらんないな。

 脱衣所の先は風呂場みたいで、曇りガラスのドアから見る限りだと中々に広そうだ。一応、念入りに風呂場の方に耳を傾けてみる。お湯が石を打つ音と、脱衣所で回る扇風機の音だ。会話音は聞こえない……流石にもう部屋に帰ったか。

 

 脱いだ服をカゴに突っ込んで、早速風呂場に行こうと───ガラリと音が響いた。脱衣所と風呂場を遮る、一枚の半透明のドアが。

 

「……京ちゃん!? 遅いよ!!」

「あ、え、さ、咲!?」

 

 突然現れた咲から逃げるように慌てて俺は視線を斜め上に逸らした。見えたのはシンプルなアナログ時計。どうやら今は午後6時前らしい、なーんて現実逃避してないとやってられないこの状況。つかコレは夢だから現実逃避ではなく……夢逃避? 現実からも夢からも逃避してるみたいで何か悲しくなってくる。

 

「ど、どうしてまだここに?」

「決まってるじゃん……京ちゃん待ってたのに!」

 

 拗ねた声がずんずんと近づいてくる。でも絶対裸だから俺はそっちを見れない。それどころか更に5度くらい視線を上に調整する。幼馴染の裸とか見ちゃった日には現実で無茶苦茶気まずくなるって……!

 

「トイレ行ってたら思ったより時間掛かってな……?」

「京ちゃん、すぐ来るって言った」

「う……! でもな、腹痛かったし」

「すぐ来るって言った」

 

 録音した言葉を繰り返すだけのロボットみたいに咲は俺の目の前で言った。こ、これ凄い近いぞ。今視線を戻したら咲の顔が産毛までくっきり見えるくらい近いはずだ。

 

「ああ、うん。悪かった、悪かったよ。ごめんな咲」

「…………ねえ。どこ見てるの?」

「気にしないでくれ」

 

 明らかに上を向く俺に訝しむ咲の声。はあ……照明が眩しいぜ。

 

「そんな謝り方あるかな……京ちゃん、こっち見て?」

「え、ええと」

「誠意を示してほしいな」

 

 冷たい声音で咲は俺の手を掴んだ。温泉で温かく濡れた手がじんわりと握らえている俺の右手に沁み込む。

 なにこの幼馴染、凄いヤクザみたいなことを宣ってきて怖い。でも勘弁してくれ、マジで勘弁してくれ。俺の矜持とかプライドとかその他諸々とか含めていま目を合わせるとか、出来る訳ないだろ……!

 

 誤魔化すのは俺の脳味噌じゃ不可能。だから隙を突いて逃げ出したいけどタイミングの悪い事に俺も布一つ身に纏っていない。……いや、でも一つ手はある!

 

「……サヨナラッ!」

「え?」

 

 俺は視界に咲を入れないようにしながら咲がやって来た方向、風呂場へと走り出す。

 風呂から出たら絶対に問い詰められるだろう、だけどこの一瞬だけは譲れねえ……! 重要なのは俺が裸を見てしまうかどうかだ。それを避けるためなら後で幾らでも怒られてやるよ!

 

 走り出した俺に、握られた手がグイっと引っ張られる。

 

「ちょっと京ちゃん無視して……!?」

「うおっ……!?」

 

 ここで突然だけど問題です。咲や部長たちに足によって濡れた床の上走って、更に後ろに手を引っ張れてバランスが崩れてしまったらどのような事が起きるでしょうか。制限時間一秒、ハイ終わり。

 答えは見るも無残な転倒だ。手を引かれて体勢が不安定になったところで足を滑らせて、素っ頓狂な声を上げながらバタン! と前倒れになる。受け身は取れたから痛くは無いけど、更に背中に当たる物体に血の気が引いた。

 

「うう……大丈夫京ちゃん?」

「あ、あれ……!?」

 

 そこそこの衝撃が走って、床に倒れた俺の身体はピクリと震える。

 大型犬みたいなものが背中にくっつく感覚に反射的に頭を動かそうとして、それが何なのか確認し終える前にすぐに床に向き直った。マジか。マジなのか。マジで言っちゃってるのか。

 まだ冷めていない水滴を纏ったほんのり暖かい感触、もしかしてこれ、咲を巻き込んで倒れてちゃったりしてますかね!?

 それに、この、肩甲骨あたりに当たる柔らかい感じ。圧迫感は無いが、しっとりとしていて、俺の身体に当たってぷにゅりと変形してそうなこの気配。もしかして、もしかしちゃうのでは……!?

 

 体は女になれど、異性の他人の身体に対しては俺の思想が適応されるようだ。つまり何が言いたいかと言えば、俺は今とても動揺している。男子たる心がカクテルみたいにシェイクされて思考がショート寸前。

 思わず突き出た言葉は自己弁護だった。

 

「あ、あのですね咲さん? これはその、やんごとなき偶発的な事故でして、つまりわたくしめの意図するところでは決して無くてですね……!?」

 

 顔は見えないけど咲は状況を飲み込めなかったのだろう。数秒間身体が密着した状態になる。柔らかくて暖かくて、ふんわりとした異性の良い香りが鼻孔で漂う。いやいや俺! 思考をジャックされるな! 今はそうじゃないだろう!

 バクバクと下手なドラマーが奏でるビートのように波打つ心臓をどうか収めようとしていると咲は言った。

 

「……ん? あ……! ごめん京ちゃん! 重かったよね、大丈夫?」

「えっと、ああ……小柄だから別に重くねえって。咲こそ怪我無いか?」

「うん、私は大丈夫」

 

 思った以上にドライな返事。それもそうだった。今の俺、女だし咲も特に何も感じないのだろう……何だか正体不明な敗北感がある。

 

 ただ一つ、場違いながら俺は確信した。こんなジョークみたいな状況下で気付いてしまった。

 俺の自己認識が現実と夢でちぐはぐに重なり合って、ミルフィーユみたいに何層ものフィルターから投影した上で今の俺は理性的な判断を下している。それが果たして本当に理性的か、という疑問が突出するがそれは今は関係ない。重要なのは、俺という存在がどこを基点に構成されているのかどんどん分からなくなっていることだ。

 

 麻雀が強くなりたい、だが手を届かず諦めたのは(京太郎)だ。

 仲間と並び立って、団体戦を見据えて練習しているのは(京椛)だ。

 

 夢は夢でしかない。そんなのは分かっている。でもこんなリアルな夢が幻想に過ぎないなんて信じられないのも俺の内なる感情で。

 

「よいしょっと……本当にごめんね京ちゃん。私が手を引いたばかりに……」

 

 ふと温もりが離れる感覚。影法師からして咲が立ち上がったことに俺は気付く。

 ……今は置いておこう。まだ、それを考える時じゃない、と思う。多分。

 

「気にすんなって。じゃあ俺は風呂入るから先に部屋戻っててくれ」

「うん。じゃあ、また後で」

 

 俺は後ろを振り返らずにそのまま浴場のドアを開ける。モワモワとした白い湯気が身体にぶつかる。

 洗い場で身体を流そうと視線を下げると、少しだけ膝が赤くなっていた。切れた訳でも鬱血した訳でもない。なのにお湯を当てるとやけに傷跡は染みた。

 

/★/

 

 葛藤こそあったものの、無事咲を誤魔化せた俺は部屋に戻り、更に練習をしたり晩飯を食ったり咲のPCの様子を見たり優希(タコス娘)の計算ドリルを見たりしつつ床に就いた。

 前と違い、部屋は女子高生雑魚寝6人。そこには当然俺も含まれている。鰹節みたいに理性が削れそうになる未来が簡単に予期できたので精神の安寧を保つために一番右端の布団で寝転がって、消灯程無くして就寝。知らぬうちに疲れが溜まっていたみたいだ。

 

 そうして朝一番に俺は呆然と起床した。

 

 就寝時間が過ぎてからの記憶は無い。完全に熟睡したんだろう、一度も起きた覚えが無い。そのまま翌朝となったのだ。

 ルーチン的に、今の俺は京太郎、つまり現実の世界にいるはずだ。夢では梅雨になり始めて徐々に梅雨前線がにじり寄ってジメジメとした空気に覆われる時期だけど、現実は九月下旬。夏の残暑も鳴りを潜めてそろそろ秋へと転回していく頃合いだった。

 

「…………え」

 

 ───しかし、俺の姿は京太郎ではなかった。長い髪、膨らんだ胸、滑らかな太腿。それは全て京椛の構成要素で。

 周りを確認してみればやはり、部活の面々が薄明に差し込む朝の陽ざしに照らされながら横になっている。

 

 京椛の一日を終えれば夢から覚めて、本来の京太郎の一日が始まる。今まで続いて確信していた経験則がバラバラと支柱を失って崩れ去る。俺の甘えた思考回路を嘲笑うかの如く。

 

 俺は、現実に帰れなかった。

 




ここまでしか書いてなかった…(短編で投稿してる理由)

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