遠くへ行こうと
時が経とうと
迎えてくれる場所
配点(故郷)
青に広がる空を複数の艦群が行く。新大陸へ物資を送る三征西班牙の輸送船団だ。
輸送船を囲む護衛艦の艦橋は緩んだ空気に満ちていた。
出航当初は英国の私掠船への警戒があったが、何もない日が数日続けば緩慢を生む。
現在も術式受像器(レーダー)には自分達の船団以外の反応はない。
「そういえば知ってるか、あの噂?」
艦橋に詰める学生の一人が横の同僚に小声で話しかける。
退屈な任務に飽きてしまったのだ。
「なんだよ」
「セイレーン。この空域を航行しているとどこからともなく竪琴の音が聞こえてくるらしい」
「……怪異か?」
「さあな」
艦長はそんな部下の態度を咎めようとして開いた口を噤んだ。
音が聞こえたからだ。弦鳴楽器の音色。
発生源は不明。艦外からだが術式受像器は何の異変も告げていない。
何が起きているかは分からない。それならば最大限の警戒を。
「総員、戦闘準備!」
●
「トリスタン艦長、敵艦に動きあり」
「やっこさん方、ようやく気付いたか」
部下からの報告に艦長席にふんぞり返っていたトリスタンは満足げに頷く。
制服を着崩し、左足を右足の腿に乗せ、手摺りに左肘を立てて手のひらに顎を乗せた異族は、かつて葡萄牙の海軍司令を務めていた傑物である。
レパント海戦と厳島の合戦を終えて葡萄牙が西班牙に併合された際に叛意を持つ者や半寿族を連れて自身が発見した島に潜伏。
聖譜に記されていた独立戦争開始まで力を蓄えているのだ。
今回の航海もその一環でステルス艦のテストだった。
西班牙や阿蘭陀相手にこれまで行ったテストによって低速での航行ならかなり近くまで寄せてもバレない事が実証されている。
次の段階として実戦を想定し、砲撃代わりに音を放って敵艦の反応を見る。流石に勝手に開戦する訳にもいかない。
フランシス・ドレイクによって散々被害を被った西班牙船団の動きは迅速だった。
術式火薬の破裂が音と光を放ち、白い軌跡が空を彩る。
輸送艦を囲む護衛艦は互いに連動し、全方位をカバーするように砲撃。
こちらが音を放てば即座に火線が集中するが、まだ被弾はない。
トリスタンは目を輝かせ、獰猛な笑みを浮かべる。
「まだ向こうはこちらを捉えきれてないな」
当然敵はこちらが移動している事を想定して砲撃しているのだろうが、それでも盲撃ちで当たる距離ではない。
と、不意に表示枠越しに感じる圧力が減った。
それは砲撃が弱まった事を意味するが、
「――! 艦長、敵艦から機鳳が出撃しました! 数、五!」
「まだ行けそうだが、危険を冒す時期じゃないな」
防護障壁があるので余程の火力でない限りは大丈夫だが、一発でも着弾すれば位置が判明して集中砲火を浴びるだろう。
「逃げるぞ!」
「了解。全速回頭!」
「発サンタ・アポロニア、宛ダ・クーニャ。テスト終了、これより帰還する」
●
自分を突き動かしていたのは未知への好奇心だったとトリスタンは思う。
極東に対応させた世界ではない、本当の世界を自身の目で見てみたかった。
環境神群によって過剰修復されていようが構わない。そこに知らない光景があるならば。
航海の技術を学び、トリスタン・ヴァス・テイシェイラを襲名。
外界への進出は重奏統合争乱の影響や技術的な問題から不可能だったものの、九州に貿易地を確保する事を条件に新造艦のテストや情報収集として外界の航海をさせてもらった。
本当に充実した日々だった。
テイシェイラの引退が近づいた頃、それまでの経験を買われてトリスタン・ダ・クーニャの襲名も兼任。
長命な異族が複数の名を襲名するのは有り触れた話だったし、現場に残りたいトリスタンの思惑とも一致していた。
その後も襲名を行いつつ迎えた厳島とレパントの合戦。
陶・晴賢の死後歴史再現に従って葡萄牙は西班牙に併合される手筈だった。国の名前は残るし、比較的平和な帰結だ。
それでも意を唱える者達はいた。変わってしまうもの、失われるものがあるのだと彼等は主張したが、葡萄牙全体から見れば少数派だった。
穏便に歴史が進もうとしているのに戦おうとする厄介者。そう見る向きも強かった。
そんな彼等に頼られた時、トリスタンは心を決めた。
柄ではない。けれど見捨てる事も出来なかった。
船乗りは、帰れる場所があるからどこまでも遠くへ行けるのだ。
大事なものを無くそうとしている彼等を放ってはおけなかった。
それでも歴史再現を無視する訳にはいかない。それをすれば世界を敵に回す。
妥協案である葡萄牙本国からの脱出と潜伏に納得させるのには些か苦労した。
そしてトリスタンはこの一連の計画を教導院に伝えた。
潜伏するのは楽な道ではない。
物資が充実していればマシなのだが、長期に渡る保証は出来ない。
ならば必要なのは誇りだ。自分達の行動が国を取り戻す一因になる。そういう矜持さえあれば耐えられる。
その為には本国の教導院に話を通しておかなければならない。逆賊扱いされては堪らないからだ。
事情を教導院に告げるとあっさり認められた。
教導院としても不穏分子を国内に残したくなかったし、彼等もいずれ訪れる独立戦争を視野に入れていた。
交渉や戦争の為に一定の戦力を隠し持っておきたかったのだろう。
現在も教導院とは連絡を取り合って秘密裏の支援を貰っている。
現状は子供の頃の夢とは随分と違っているがトリスタンは構わなかった。
皆が国を取り戻し、笑えるならそれもまた未知の世界には違いない。
没ネタ
謎の艦に上を取られた護衛艦の中では怒声が連続していた。
「船籍照合……これは……」
「どうした! 報告はしっかりと!」
「ポルト・サント。旧葡萄牙の船です!」
「とっくに死んだと思っていた……!」
年配の船長は舌打ちと共に吐き捨てた。
彼は厳島にも参戦の経験があり、戦場で共に戦った事もある。
「ご存知なので?」
「円卓の騎士の末裔を自称するイカレた奴だ」
と、表示枠越しのポルト・サントの甲板に数名の人影が見えた。
陰影ではっきりとした姿は分からないが、手前に立つ人物が弓を引き絞っているのは確認出来る。
●
トリスタンはゆっくり息を吐きながら狙いを定める。
手にしているのは古式神格武装フェイルノート。トリスタンの実家に伝わる家宝だ。
流体燃料さえ十分ならバハムート級にさえ有効打を与えうる切り札。
いざその一撃を放とうという時になって、背後に控えていた男がトリスタンに言葉を投げかけた。
「閣下が敵艦に上陸されました。神格武装の攻撃では巻き込まれる危険も」
「……バロス」
トリスタンの言葉に男が仕方ないとでも言いたげに肩を竦めた。
「……モロッコのアルカセル・キビールの頃からセバスティアンの坊やは血気盛んで困る」
フェイルノートを二律空間に仕舞い、代わりに一振りの剣を取り出す。
もう一つの家宝カーテナだ。
構え、トリスタンは空中に身を躍らせた。
トリスタンと聞くとG機関が造った言詞加圧炉を連想してしまう。