信仰と本能
どちらを貴ぶべきか
配点(選択)
……ここは一体?
自室で眠っていた筈のフェレイラが目覚めた時、彼は見知らぬ部屋にいた。
何気なく体を動かそうとして、そこで初めて自身の体が椅子に縛り付けられている事に気付いた。
ひとまず自由になる首を動かして状況の把握に努める。
椅子は入口に向かい合う形で壁際に置かれている。
部屋の広さは六畳程で間取りから寮の一室だと思われたが、フェレイラに見覚えはなかった。
「目が覚めたようだね」
そんな時、三人の男達が入室してきた。
彼等は教導院の制服を着ているが面識はない。
今の状況の原因が私怨かと考えていたフェレイラは当てを外された。
「誰ですかあなた方は。何が目的でこんな事を」
「我々は深い迷いに捕らわれた君を救いたいのだよ」
「何を言って……」
「友達になろうフェレイラ君」
真ん中の男が一歩踏み出して笑顔を向ける。
困惑するフェレイラが更なる問いを放とうとした時、
『ひぎぃぃぃぃ!』
「――!」
突然だった。隣室からの心を引き裂かれるような悲痛な叫び。
すぐに収まったもののフェレイラの不安を掻き立てるには十分だった。
「今のは……」
「隣はジュリアン君か。彼もまた君と同じように悩みを抱えていた。だから我々が解放してあげようというのだ」
「……」
胡散臭い事この上なかった。この手の言い回しをする輩には碌な人間がいない。
適当に話を合わせて脱出の機会を探るべきだろう。
「君は自身の信仰に疑問を持っている筈だ」
けれど続いた男の言葉に虚を突かれた。
……信仰に疑問?
フェレイラには意味が飲み込めなかった。
Tsirhc奏者であった事に疑問を抱いた事など、ない。
唯一の心当たりである父達の事も、あれ自体はフェレイラの信仰とは直接関係はな……
「お近付きの印にこれをあげよう」
男が差し出したのはフィギュア。
「くっ……!」
今度こそフェレイラの思考が完全にかき乱された。
フィギュアのモデル、それが女装した葵・トーリ――生子だったからだ。
思わず目を閉じるが金色の髪やしなやかな体が瞼に焼き付いてしまっていた。
鼓動の速まりと顔の火照りを感じる。
両サイドがニヤニヤと笑みを浮かべる中、男がフェレイラの膝の上に生子のフィギュアを置く。
顔や掌に嫌な汗が浮かんでいる事を実感しながらフェレイラは目を開け、男達に視線を遣る。
「まさかあなた方は……」
「そうとも。我等は生子ちゃんを愛する有志だ!」
自分達に恥じるべき部分は一分たりともない。
確固たる自信を漲らせて彼は宣言した。
「……そんな皆さんが私に何の用です」
「フェレイラ君。もう自分に嘘を吐くのはやめたまえ」
「……」
「我等が君にこうして接触している以上、全ては明白だと思うのだが」
「わ、私は同性愛者ではありません!」
「……まあいい。早速始めよう」
「な、何を……」
「君は知らないかもしれないがTSはエロゲ界では一大ジャンルを築いているのだ」
右側にいた男が部屋に置かれた伝纂器(PC)を起動させる。
直感的に危険を感じたフェレイラは視線を逸らしたが、縛られていては耳を塞ぐ事は儘ならない。
『私は生子、ここの生徒会長。君は?』
聞こえる声はフェレイラがよく知る声となんら遜色がない。
「流石は百の声を持つエロゲ声優垂水・源二郎。お手の物だ」
『へえ、クリス君っていうんだ。よろしくね』
……な、名前を呼ばれた!?
「一般的な名前は大体登録されている。あやかり先が普通で良かったな」
「……別に好きで名乗っている訳ではありません」
「ああ、そうらしいね。すまない。まあ、今は楽しもうじゃないか。スキップ機能で生子ちゃんとのイベントのみを見られるし、これが終わっても「淫ポ搾る」や「散る散る美散る」など他にもゲームはある」
『家まで送ってくれるの? クリス君って優しいんだね』
……このままでは拙いですね。
フェレイラが手出し出来ない間にストーリーは進み、フェレイラと同名の主人公は着々と好感度を稼いでいる。
今は日常シーンの合間に嬉し恥ずかしの小イベントが発生する程度だが、それだけでも神経が削られる。
これが濡れ場になればどうなってしまうのか。
さしものフェレイラも緊張を隠せない。
何より、自分を誘惑するサタンの如き男達の魔手がエロゲだけとは思えない。
「エロゲはお気に召さないかな?」
視線で合図を送ると左側の男が表示枠を展開する。
映し出されるのは踊り子の衣装をまとった女性達だ。その衣装だが布の面積がかなり少ない。
「以前行われたウズメ系神奏者の合同演舞のPVだ。アメノウズメは最古のストリッパーだけに露出度が低い状態での奉納の方が得られる拝気が多いのだよ。勿論生子ちゃんも出ている」
表示枠を見ないように視線を落とすとフィギュアが目に入る。
短い呻きを漏らしながらフェレイラは目を瞑って精神攻撃を防ごうとする。
しかし大人しく攻勢を緩める易しい敵ではなかった。
「不思議なものだね。全裸など見慣れている筈なのに生子ちゃんの半裸だけでも扇情的だと感じる」
「おお! うなじが見えた!」
「飛び散る汗すら美しい」
「……」
話を聞いているだけでもフェレイラの心中で激しいうねりが起きる。
見ては駄目だと理性が悲鳴を上げるものの、どうしても気になってしまう。
思わず薄く目を開くと表示枠越しに彼等と目が合った。
「ふっふっふっふっ」
「くくくく」
「ふひひひ」
してやったりといった感じでほくそ笑む三人。
フェレイラは己の心の弱さに歯噛みするが後の祭りだ。
気落ちする彼に対し、男達は更なる追撃を敢行する。
「そうそう。お腹が空いてないかな? 青雷亭本舗で買ったお弁当があるんだ」
男が鞄を下げながらフェレイラの前まで歩き、
「おっと」
これ見よがしにカードを落とす。写っているのは裸エプロン姿の生子だ。
「そしてメニューは彼女自ら手で捏ねて作られたハンバーグ弁当だ」
想像しただけで口内を唾液が満たし、フェレイラの精神が軋む。
「飲み物もある」
鞄の中から一升瓶を取り出す。
「極東には口噛み酒というものがあってだね。これはとある商人から手に入れた物だ」
「……いりません」
「口ではそう言っても体は正直だな」
ぐうぅとフェレイラの腹が鳴った。
単純な生理現象だけではない。本能が欲したのだ。
「もう素直になったらどうだね?」
「……聖譜はそんな事を認めません」
「しかし聖譜にはこうもあるじゃないか。産めよ増やせよ地に満ちよ。昨今の技術の進歩を鑑みれば一体何の問題がある? Tsirhc教譜にだって愛の聖人ヴァレンタインに教皇ベネディクトゥス九世やヨハネス二十三世という先人もいる」
「それは詭弁です! 彼等の行動は過ちだった。私達Tsirhc奏者はその愚行を反省し、正さなければならないのです!」
「……」
不意に男は気勢を抑え、神妙な顔つきになる。
「今のやり取りではTsirhc教譜で同性愛が駄目だから君は自分の情愛を認めないと取れるが?」
「それは……」
「信仰が枷になるなら捨てればいい。神道は大らかだよ?」
男の声は甘美な愉悦を伴ってフェレイラの脳髄を蝕む。
最早取り繕う意味もない。自分は生子に道ならぬ感情を抱いている。それは認めざるを得ない。
……しかし、それでも……!
棄教だけは出来ない。
これまでの人生をTsirhc教譜に縋って生きてきた。改宗は過去の否定であり、信仰を捨てる事は自殺にも等しい。
「私は……Tsirhc奏者です……父が、最期までそうであったように」
バラバラになりそうな心を必死に繋ぎ止める。
だが、男達はどこまでも無慈悲だった。
●
五時間後。
縄を解かれ、椅子から立ち上がったフェレイラの目には怪しげな光が宿り、口元は吊り上がっていた。
「まあ、君にも世間体があるだろう。同士として行動する間は沢野・忠庵を名乗るといい」
フェレイラ、いや忠庵は無言で頷くと左手でフィギュアを慈しむように保持し、右手で酒の入った杯を呷る。
涙の痕が残る顔を拭った後の表情は清々しささえ感じさせるものだった。
ブログのアクセス解析に「境界線上のホライゾン 拷問小説」というのがあったのでやってみた。
これ時系列的にはかなり後の話。今後フェレイラが登場する事があってもその時はの彼はまだTsirhc奏者の筈。
ちなみにジュリアン君は最後まで屈しませんでした。